陣代式避難訓練作:アリマサ mini.056
「今日の午後は、火災を想定した避難訓練があります。サイレンが鳴ったら、決められたルートを通って避難すること。いいですね」
神楽坂恵理が、朝の会で今日の事項を生徒に告げていく。
「それで、今回はウチのクラスから誘導係を一人出すことになりました」
ええー、と億劫な声が漏れる。
「団地とか集団の状況を想定して、誘導も訓練として入れる方針だそうです。そこで、だれか火災訓練の誘導係をしてくれる人はいるかしら」
そんな面倒な事を自分からやりたいと言い出す者はいない。ただ一人を除いて。
気づけば、相良宗介はどこに用意していたのか、いそいそと防火服を着込み、フルマスクのヘルメットを装着した。
「……ん? 誰か俺のことを呼んだか」
「目ぇ合わせんなよ」
小野寺の声に、誰もが視線を逸らす。
「……えーと。誰かいない? やってくれる人」
宗介が、ぴっと指先をきれいに揃えて挙手した。
「いないみたいね。じゃあ、先生が決めちゃうわよ。千鳥さん、お願いできるかしら」
「ええー。かったるいなあ……」
「そう言わずに、お願いよお」
「んー、でもなあ」
「先生。俺が……」
宗介が軽く手を振る。だが、誰もそれに気づかないフリを続けた。
「どうせそんなので内申が上がるわけじゃないんでしょ」
「そ、そうだけど……」
承諾を渋るかなめの態度に、恵理は先生の威厳もなく、うるりと瞳を潤ませた。
「先生。ここに……」
仕方なく、宗介はもう片方の手もぶんぶんと振る。
「職員会議で押し付けられたんだものぉ。どこも面倒事はわたしのクラスに押し付けて……うう、神の試練は厳しすぎるわ」
「泣かないでください、先生。それで最後に回ってくるのは結局あたしなんですから」
宗介は、全身を使ってのジェスチャーを始めた。完全防火服と相成って、一挙一動が怪しく見える。
「わかりました。あたしが引き受けます」
「ありがとうっ、千鳥さん。それじゃ、後で避難ルートのプリントを渡しておくからね」
がっしと手を握る二人。宗介がついに自分の席から動いて、それに割り込んだ。そして千鳥の目の前でくいっと腰をひねる。
「やかましいっ。さっきからなんなのよ」
「……見えていたのか」
「見たくなかったけどね」
「千鳥。なんなら俺が、その訓練の係になってもいいが……」
「あー、はいはい。そんじゃさっそく、あんたの思う避難訓練ってのを一分以内で説明してみなさい」
「ふ。それを語るには、一分では足りないくらいだ」
「足りてよ」
宗介は目を閉じ、説明を始めた。
「辺りは炎の壁。傍には自力では動けない負傷者。置いていけば、負傷者は確実に死にいたる。方法は一つ、炎の壁を強引に突破すること。だが人は炎を前にすると、本能で身がすくむものだ。それを克服するための訓練として……」
パンと千鳥が手を叩いて、宗介の語りを遮った。
「はい、ありがとう。残念ながらソースケは不合格です」
「まだ途中だが……」
「いちいちその勘違いを訂正するのも面倒なのよこっちは。大体、なんでそんなにあんたは面倒事をやりたがるのよ」
「一人でも多く、犠牲を出さないようにするためだ」
「いや、だからね。これは本当に災害を起こすわけじゃなくて……」
「俺は……まだ生存していた奴を見殺しにしたことがある」
「え?」
「それも二、三人ではない。爆風に煽られ、視界もままならない状態では往復ができなかった。助けを求める声は十を超えていたのに、俺の体力では一度に四人を運ぶのが精一杯だった」
「…………」
ほかのクラスメイトは、また戦争オタクの妄想が始まったとぼやいていたが、千鳥だけはそれを流せなかった。
宗介は、実際に経験してきたのだ。戦地を駆けていた彼は、そんな状況に何度も遭ったのだろう。
「地理に詳しければ、もっと経路を確保できた。なによりもキツかったのは、誰を救って誰を見殺しにするかを自分で選ばなければならないことだ。手を差し伸べられなかった人が見せたあの表情は、今でも忘れられない」
「……もういい」
「千鳥。俺はそんな想いを誰にも味わわせたくないんだ。そのために、俺は」
「分かった。分かったから。ソースケ、あんたに任せる」
ええー、とクラスメイトが批判的な声を上げた。恵理も千鳥が譲るとは思わなかったらしく、戸惑っている。
しかし、千鳥に撤回する気はもうなかった。
正直なところ、適当に声を出してればいいだけだと軽く思っていた。避難訓練なんて、授業が潰れるだけのイベントだと。
しかし、宗介は違った。勘違いもあるけれど、彼は常に真剣に考えている。それに気づくと、自分が恥ずかしくてたまらなかった。
そういうわけで、宗介が誘導係として任命を受けたのだった。
昼休み
いつもは軽快な音楽が鳴って始まる放送が、けたたましい警報から開始された。
「なんだあ? 避難訓練はまだ先だろ」
サイレンに訝しく思い、騒然とする生徒達。
『あー。こちら、安全保障問題担当の相良宗介です』
その声に、なんだサガラの仕業かと、浮かした腰をイスに下ろした。
『この度、避難訓練の誘導員として拝命を受けました。今回は自分なりに考案した訓練方法を実施することになりました。えー、つきましては、訓練時の皆さんの状況説明をいたします』
なんだか嫌な方向に動くのを感じ、生徒達は真剣に耳を傾ける。
『皆さんは自国を持たぬ難民です。定着した住処を退去しろとの命令が下ってしまいますが、これを拒否。そこで相手は武力で強制排除の行動に出るという策が打ち出されました。強襲班の武器は、銃と火薬瓶、手榴弾。そこでみなさんは武力制圧から、安全な中立地帯に逃げ込むという状況を想定して訓練を行います』
「どういう状況だ、ボケッ」
非難の声が、学校中で響く。
「カナちゃん。火災じゃないの?」
恭子の疑問に、かなめは額に手を当てた。
「そういや、あいつの勘違いを訂正しておくの忘れてたわね……」
うんざりして、結局こうなったことに呆れるかなめ。
『逃走経路は、中立国から派遣された救出部隊が指示を出します。その指示はこの放送を通じて伝えますので、その声に従って、効率的に避難して下さい』
パラパラパラと騒がしい音が近づいてきた。なんだなんだと生徒達が窓の外に目を向ける。
いかにもな戦闘用のヘリが迫ってきていた。どう見ても今の日本に不必要な、戦争でよく見かける外装だった。
『強襲班は、自分のつてを使って、ある部隊に協力を要請してあります。それが到着した後、サイレンを鳴らします。ちなみに強襲班の銃はペイント弾を使用しますが、射出威力はそのままですので、当たると痛いです。そして、この避難訓練において、五分を制限時間とします。強襲班が痕跡を消すために、襲撃地帯を爆破したという設定にしてありますので。もしその制限時間を越えても避難できなかったクラスには、しかるべき罰を与えます』
つんざくような悲鳴が、窓越しに響いた。七組の方からで、特に富田の声がトラウマを負ったような悲痛さに満ちていた。
「げっ、あれは……」
近づいてきたヘリから見えた屈強な男たちに、かなめたちは見覚えがあった。
先月の文化祭。そのときに七組の喫茶店を滅茶苦茶に荒らしまわった暴力的な外人たちだ。その事件に、七組は心に傷を負ってしまったらしい。
「こ、金輪際来ないでって言ったのに……」
窓に手をついたままうなだれるかなめ。
「こりゃあ、思ってた以上にヤベエぞ……」
地獄の文化祭を体験した生徒たちが、身の危険を悟って辺りを警戒し始める。
あの外人たちは、手加減というものを知らない。なにかに熱中したら周りが見えなくなるタイプばかりで、巻き添えを食らった生徒も少なくない。
『では、諸君らの健闘を祈る。訓練開始−−』
サイレンが鳴り出すと同時に、全教室の扉が勢いよく開かれた。
生徒たちは、それでも迅速かつ効率的に動いた。軽いパニックはあったが、逃走経路を整然と駆けていき、混雑して行き詰るようなことはなかった。
「ふむ。意外にもきっちりと行動できているではないか。俺の見立てでは、経路を外れて我先にと出ようとすると思ったのだが」
避難する様を遠巻きに眺めていた宗介は、生徒の避難ぶりに感心していた。
「そりゃあね。あんたが今まで、爆破とか毒ガスとかウイルスとかいろんなことをやらかすたびに、避難せざるをえなかったんだから。あんだけ回数こなしたら、そりゃ避難も上手くなるっての」
「千鳥。なぜここに」
「さっき、校舎を出ようとしてあんたをちらっと見かけたからね。一回しばいておこうと思って」
どこからか取り出したハリセンで、バシンと頭をはたく。
「……久々な痛みだな」
「浸ってんじゃね−わよっ。まったく、勝手にサイレン鳴らしちゃって」
いつもの問答をしていると、割り込むように女子生徒が駆け寄ってきた。七組の生徒だったはずだ。
「どうした。まだ避難できてないのか」
「それが……。避難経路途中にある扉が閉まってるの。外人が先回りして、押さえられちゃって」
「なんだと。予定と違う」
急いで、七組の避難経路に向かう。千鳥もなんとなく釣られて、一緒にその場所へと駆けていった。
七組の避難経路上の、いつもは開いている防火扉が閉められていた。その前で銃を持った外人が、七組を阻んでいる。七組の生徒たちは、物陰に隠れて、縮こまっていた。
「ノリス……! どういうことだ、これは?」
本来なら、屋上から一階ずつ下に降りて、強襲する手はずになっていた。それなのに、すでに二階のここを封鎖しているのはおかしい。
「よお、サガーラ。なあに、ここを閉めてしまえば、足止めできると思ってな。外の窓から先回りして押さえたのよ」
「それは予定には組み込まれていないはずだ。独断でこんな真似を……」
「そういうなよ。訓練中に予定外のトラブルを入れるのは当たり前だろう。それをいかに対処するかを試されてたじゃねえか俺たちは」
「それは向こうの訓練だろう。それにここの生徒は戦士ではない。設定では、武力を持たない難民と言っておいたはずだが」
「いちいちそんなこと考えてらんねえよ。俺たちは戦うだけなんだぜ。逃げる者がいたら、追い詰めたくなっちまうだろう」
彼らの目つきに、戦場そのものの狂いが混じっていた。論理的な説得が通用しない。
「やはり戦場上がりからすぐに呼んだのは間違いだったか。一日空けておけば覚めてると思ったんだがな」
宗介は腰元から、銃を引き抜いてスライドを引いた。
「ちょ、ちょっと。まさかあんた、撃つ気じゃ」
「心配するな。これも奴らと同じペイント弾だ。俺が注意を引き付けておくから、その間に防火扉を開けて、外へ逃げろと伝えておけ」
後半は七組の女子に向けられた。女子は震えながらもこくんとうなずいて、そこらに隠れてるクラスメイトの元へと寄っていった。
その女子に、一人の外人が目ざとく見つけ、その身柄を拘束しようと手馴れた動きで突っ込んでいく。
パン、と宗介の銃が火を噴き、男の顔にペイントが張り付いた。視界を奪われた男は、目標を見失って、校舎の壁に激突した。
「今のうちだ、行け!」
この銃声で、こっちの潜む場所を知られた。数人の外人が、殺気立てて銃を構えてきた。傍の壁に、ペイントが被弾していく。
「千鳥、ここは危険だ。俺のことはいいから、後ろから逃げろ」
「……あんた、マジに友達は選びなさい」
言い捨てて、千鳥は後ろから逃げていく。
ガラスが割れ、どこかが爆発した。悲鳴と猛る声が飛び交う。
宗介もまた戦場の目になって、その中心部に突っ込んでいった。
ペイント弾が絶え間なく行く手を遮る。
数が多い。武器に殺傷能力はないが、当たり所によっては気を失う危険もある。
射撃範囲に入らないように注意して、戦況を分析する。
お互いが冷静なら、膠着状態に持ち込める。だが、今の彼らは戦場の狂気が抜け切っていない。血を求め、多少の犠牲を捨てても構わないという自暴に至る可能性がある。
このままでは時間の問題か。そう思ったとき、思わぬ援軍が到着した。
「軍曹殿ッ、やはりここでしたかあッ」
「郷田、なぜここに?」
ラグビー部の連中が、こぞって集まってきていた。授業の時間帯だっただけに制服姿だったが、彼らの目つきは部活中のものになっていた。
「校舎のガラスが割れて何事かと周りに聞いたら、軍曹殿が暴走した敵と戦ってるって。それで俺たち、血が騒いで、居てもたってもいられなくって。応援に来たんすよ」
「いい判断だ。その働きを見せてもらうぞ」
にいっとラグビー部の連中が笑みを浮かべた。
「あの時の特訓を思い出せ、野郎ども!」
宗介の飛ばした激に、ラグビー部たちは呼応する。
「ガンホー! ガンホー! ガンホー!」
「くっくっく。逃げ出す民衆どもを見下ろすのは最高だぜ」
「非武装民衆のビビる顔が滑稽ったらよぉ」
防火扉の周辺を陣地にした外人どもが、下卑た感想を述べ合う。
ここには脅威はない。訓練なんぞ知ったことか。俺たちはストレス溜まってんだ、好きに暴れさせろ。
彼らにとって、ここは安全地帯で自前の王国だった。
「報告。一部のエリアで抵抗が起きてる模様。こちら側に負傷者が続出です」
通信機の向こうから、仲間の焦った声が届いてきた。
「なんだと? 内部に裏切り者か?」
「いえ、抵抗してるのは生徒だそうです。どうも、妙な拳法の使い手らしく、苦戦中」
「生徒だと? 平和ボケした軟弱な国の若造に、ツワモノの俺たちがやられてるってのか? 寝ぼけ事は手前の頭の中だけにしろ!」
乱暴に切って、くだらない報告を断ち切った。
それと同時に、今度は近くの仲間が、直接呼びつけてきた。
「なにかが向かってきます」
指したその先に、なにかの群れがあった。一瞬、暴走した猛獣の群れと錯覚した。ここは日本だと気づき、もう一度そっちを見やる。
スクラムを組んだ、男子生徒の突進だった。
「バカが。撃て!」
ペイント弾が、群れに向けて集中砲火。しかし、彼らの勢いは思いのほか凄まじく、止まろうとしない。
「ペイントと分かってりゃあ怖くねえ。ぎったぎたに押し潰せ!」
郷田の掛け声で、さらに勢いが増す。
「狙いを急所につけろ。さっさと崩せ!」
ノリスの新たな指示が下される。それでも彼らは怯まなかった。地鳴りが大きくなり、彼らの顔が見分けがつくようになって、ようやく彼らは危険を悟った。
彼らの目が、自分以上の狂気を孕んでいる。こいつらは、俺たちと同じ戦場にいる……!
ラグビー部の突進は誰にも止められず、避難経路を遮断していた防火扉に正面からぶつかった。
激しく鈍い音がして、防火扉が吹っ飛んだ。構造上かなり丈夫であるはずの防火扉が、あっけなく。
「んなっ?」
戦車並みの破壊力か、こいつら?
「やばい、撤退しろ! 急げ急げ!」
こっちは殺傷能力の無い武器だけだ。まともにやり合うのは不利だと、後方に下がる。
だが、階段のところで、先に逃げ出したはずの仲間が立ち止まった。
「なにしてる。早く行け! はや……」
階段の向こうからゆらりと現れたのは、チェーンソーを持った中年。
なぜか、武器以上にその存在に戦慄を感じた。
「カトリーヌの墓を荒らしおって……。貴様らぁ……」
「カト……? なにがあったんだ?」
「それが、小さな石ころを邪魔だと蹴飛ばしたら、いきなり用務員室から……」
よく分からないが、男の持つチェーンソーはヤバすぎる。
ギュイイインと、男の怨念が乗り移ったかのように、不気味な音を走らせて刃がうなる。
「ちょ、落ち着いて。ほら、これワカル? ペイント弾よ。ほーら、当たっても死なナーイ。僕タチ危なくナーイ、オーケー?」
「ダーイ……」
「くそっ、駄目だ。仕方ねえ、サガーラにゃ禁じられてたが、食らえッ」
腰元から手榴弾を引き抜いて、中年男に向けて投擲。
ところが、それが爆発すると同時に、男は中年とは思えぬ速さで床を蹴り、壁を蹴り、いつの間にか天井に張り付いていた。
「ダーイ」
さっきと同じことを繰り返しつぶやいて、チェーンソーを振りかぶって降りてきた。
「く、クレイジーッ!!」
薄れゆく意識の中、外人たちはこんな疑問が脳裏をかすめた。
――訓練されてるのは、ひょっとして俺たち……?
暴走外人の鎮圧が済んだところで、宗介が出てきた。
そして彼は、ぼつりと一人語る。
「一応は椿も含め、この学校の防衛能力をしかと確認させてもらった。これならば、これからも俺がいなくてもある程度の襲撃者には対応できるだろう」
生徒たちもこの被害の大きさにかかわらず、きっちり避難していた。そのことも高く評価して、彼は満足気に頷く。
「さて……」
外人たちをのしてもまだ足りなそうな用務員、大貫と目が合った。
「逃げるか」
一時間後。
半壊した校舎の前で、生徒全員が集まっていた。
消防車が時間通りに来て惨状を目の当たりにして呆気に取られてるのをよそに、宗介が挨拶で締めにかかっていた。
彼は被害の度合いを引き出して、生徒側に負傷者が一人もでなかった避難の結果を熱弁に振るう。
「これも独自の訓練のたまものと自負しております。これからも精進を心がけ、日頃からこの訓練を続けたいと思い……」
それから先は、後ろに控えていた校長と生徒の一部によって蹴たぐり倒されて、打ち切られたのだった。
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