ショートショートの世界へ

最高のカード





「なにもかも嫌になった……死のう」

とあるビルの屋上で、フェンスをよじ登り、ふちに立つと、思いつめた顔でそうつぶやいた
その男はしがないサラリーマン。常に窓際族で、家族もいない。親しい友人もいなければ、金もなかった
「せめて……金があればなあ」
惜しげにそう言って、靴を脱ぐ。そしてビルの端に立つと、ふと後ろから呼び止められた
「待ちなさい」
振り向くと、スーツ姿の男が立っていた。だが、その顔を何度見ても、見覚えがない
「……あなたは誰です?」
「私のことなど、どうでもよろしい。それよりあなた、自殺しようとなさってるのですか?」
ヤジウマだろうか? まあ、最後に誰かと言葉を交わしておくのもいいかもしれない
「そうです。今から飛び降りてやるのですよ」
「まあ、お待ちなさい。あなたは、なぜ自殺しようとするのです?」
「金がないのです。どれだけ頑張って働いても、僕には才能がない。その日一日を生きることすら難しいほど、金がないんだ。かといって、犯罪に手を染める気にもなれない。もう楽になろうと思ったのです」
「なるほど、金が欲しいのですね」
「そうですが」
すると、その男は突然一枚のカードを渡してきた。形状は、キャッシュカードに似ている
「これは?」
「このカードを差し上げましょう。このカードのお金は、ご自由に使ってくれて結構ですよ」
「なんだって?」
「そのカードは、キャッシュカードのようなものです。使い方も同じですよ。そのカードを差し込むと、数字が出てきます。その数字が1減るごとに、百万円出てきます」
「い、いや、待ってくれ。なんで、見ず知らずの僕に、金をくれるんだ?」
「そう怪しむことはありません。これは会社の仕事なのです。お疑いなら、名刺を差し上げますよ」
胸ポケットから、名刺を一枚渡される
そこに記入されていた会社名は、知らなかった。だが住所もしっかりと書き込んである
「本当に、いいのか?」
「ええ。では、私はこれで」
スーツ姿の男は、そう言うと、ビルの屋上の階段を下りていった
不思議な男だ。だが、カードは現実にある。信じられんが、夢ではないようだ。


金をくれるといってたが、本当にそうなのだろうか。僕は騙されたのかもしれない。
だが、もしそうだったとしても、別にどうでもいいことだ。失うものはもはや、なにもないのだから
とりあえず確認することにして、男は近くの銀行に寄った
そこの、自動預け払い戻し機(ATM)の前に立ち、さっきのカードを差し込んでみる
スムーズにカードは引き入れられ、画面が切り替わった
その画面には、大きく31という数字が映し出された
「これがあの男の言っていた数字か。たしか、1が百万円相当だとか言ってたな」
とりあえず操作して、1を押す
たしかに数字が1減って、30になった
すると現金受け取りの部位がガーと開き、そこに百万の束が引き出された

「ほ……本当に百万だ……」
現実にそこにあると分かると、なぜか手が震える
おそるおそる触れてみるが、間違いなく本物だ
「あ……あの男の言っていたことは本当だった。本当に……こんな大金を僕に……?」
会社の仕事だとか言っていたが、慈善事業かなんかだろうか
だが、そんなことはどうでもいい。ここに、金はあるのだ

すぐさま男は飛び出し、近くのレストランに行き、久しぶりに贅沢な注文をする
そして出される食事をたらふく食い、満腹感に浸る
こんな気分になったのは何日ぶりだろうか

男はこれからのために、さらに金を一千万ほど下ろし、滞納していた家賃を支払った
そして余った金で食料を買いだめしておく
それを、借りてきたアパートに置くと、今度は必要以上の日常生活用品を揃えたりと、やりたい放題することができた
まさかいきなりタダでこんな思いもかげぬ生活ができようとは
これは最高のカードだ


数ヵ月後

男は会社を持っていた
例のカードから金を引き出し、それを資金にしてイチから始めてみたのだ
まだ大きくはないが、そこそこに成功をおさめてきた
自殺しようとしていた頃は、まさか僕が会社をもつなんて、夢にも思わなかったな
今こうして、わずかなりとも生きることに楽しさを抱けているのも、あのカードのおかげだ
そのカードの数字は、もう2を切っていた
そしてこれから、また百万下ろしに行くのだ
これから緊急の金が会社に必要になってしまったのだ

男は銀行に寄ると、カードを差し込み、1を押す
残りが1になって、百万円が引き出された
と、その時、男はなにか違和感を覚えた
(……なんだ? この妙な感覚は?)
すると、急に息が荒くなる。肩で息をしないと、いけないほどだ
体も急に疲労感を覚えて、だるく感じてきた
(これは……どういうことだ?)
タイミングのこともあって、今考えられるのは、この妙なカードだ
「一体、どういうことだ? ……直接聞きに行ったほうがいいな」
あの時スーツ姿の男からもらった名刺は、まだ持っていた
そこに記述された住所を頼りに、その会社を探しに行くことにした

その住所は本物だったようで、例のスーツ姿の男にまた会えることができた
「何か、用でしょうか?」
「あのカードについて、聞きたいことがある」
「なんでしょう?」
「数字……そう、カードを入れると表示されるあの数字。あれは最初に31と出てきたんですが、どういう意味なんでしょう?」
「寿命です」
「え?」
「あなたの寿命ですよ。あなたは本当はあと31年生きられたんですが、それを金に変えたのです。そしてその寿命は我々会社が頂戴する」
「今、私、数字が1になってるんですが、それはつまり……」
「あと一年以内に死にますね」
「そ……そんな! あなたは、私に生きる希望を与えてくださったじゃありませんか!」
「希望などあげてませんよ」
「じゃあ、あなたは単に自殺する人が欲しかったと?」
「そうです。我々が欲しいのは、寿命。金など要りませんね」
「言ってくれればいいのに、何勝手にそんなこと……」

「だってあなた、死にたがってたじゃないですか」