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波乱必死の宝クジ


作:アリマサ

かなめは朝にとても弱かった。

だがこの日はちがっていた。彼女はトースターを口にくわえたまま、朝刊のある記事を見てくわっと目を見開き、驚嘆の声を漏らした。

「し……信じられない」

その記事には、宝クジの当選番号が記載されていた。その記事と、手元の一枚のクジを何度も見比べてみる。

「……やっぱり当たってる」

信じられないことに、二等が当選していた。その当せん金はなんと三千万円という高額。高校生のかなめにとって、とんでもない大金だ。

この手元のクジは、たまたま宝クジに当たった人の話を紹介する番組の影響で、ちょっとした好奇心で買った一枚だった。

かなめはまだ実感が沸かないようで、しばらく呆然とする。

「いやいや……。もしかして数字の6と9を見間違えたってオチじゃないでしょうねっ」

今度はそこに注意して、再び見比べてみる。しかし、間違いなく数字は一致していた。

「日付が違う新聞だったってオチでもないわよねっ」

カレンダー、時計についた日付、ニュース番組。ありとあらゆるものを使って念入りに再検討する。

確かに今日の日付だ。これで間違いない。自分は三千万円に当選したのだ。

「うそ……。信じられない。でも、やったのね」

思わず涙がこぼれる。それは無理もないことだった。一人暮らしで経済には人一倍苦労しているかなめに、思わぬ大金が舞い込んできたのだから。

小躍りしながら、その使い道をあれこれと考えてみた。

商店街の『おはいお屋』で、トライデント焼きを思う存分食べられる。それだけじゃない。駅前の立ち食いソバ屋に行って、卵とコロッケと天ぷらとかき揚げとちくわ揚げとワカメ……およそ思いつく限りのすべてのトッピングを施した、超豪華なソバだって食べれるんだわっ。

死ぬ前にやっておきたかったことを、五体満足で叶えられるのだ。これほどうれしいことはない。

さっそくかなめは、登校の準備を終えた鞄に宝クジをしまいこみ、宝クジ売り場に行くことにした。

自慢の脚力で駆け出し、学校の近くの宝クジ売り場に直行する。

しかし、そこはまだシャッターが下りていて、誰もいなかった。

腕時計を見ると、ずいぶんと朝早い。クジ売り場の開店時間までにはまだ時間があった。

「くっ。……まあ、いいわ。店は逃げないし、学校の帰りにしても何の問題はないわね」

いささか興奮していたが、店が閉まっているのではどうしようもない。気を取り直して、とりあえずいつものように学校に向かった。

「ち〜〜っす! ……って早すぎたみたいね」

教室には誰もいなかった。つまり今日はかなめが一番乗りだった。

初めての一番乗りということに、さらに浮ついた気分になって席につくと『うーん』と背伸びした。

そこに、重々しい声が飛び込んできた。

「千鳥っ!」

宗介だった。彼は慌てた様子で教室に入るなり、辺りを見回す。そして千鳥の姿を確認すると、ほっとしたように安堵のため息をついた。

「よかった、千鳥。焦ったぞ、この時間にいつもの部屋にいないから……。まさかこんなに早く登校するとは思わなかった。すまない、俺は君の護衛だというのに……」

その男の言葉を、かなめは聞いていなかった。彼女は男を見るなり、顔が蒼白になり、歯の根がガチガチと震えて噛み合わなくなっていた。

そうだった。問題は大アリだ。すっかりこの暴走バカを忘れてたわ……。

(どうしよう……)

これからの自分の身に降りかかる悲劇が、頭の中で次々と繰り広げられた。そのいずれもが、せっかくの宝クジを、この暴走バカのせいで台無しにされてしまう。というものだった。

この宝クジを『怪しい物質』と勝手に決めつけて処分してしまったり、爆破騒ぎを起こして、その爆風で宝クジの紙が燃えてなくなってしまったり……。

考えるとキリがない。そしてそのどれもが、実にありえるオチだったりする。

実際今までにも何度か、似たような目にあったことがあるのだ。

だがしかしっ。今回はそれでは済まされない。いつものハリセンのお仕置きで済む問題じゃないのだ。なにせ今回は三千万……。三千万円だ。こんな大金を潰されるわけにはいかない。

(そうはさせないわ……)

こいつに、あたしの幸せな未来を潰させてたまるもんですか……。

「千鳥? 怒ってるのか? もう二度とこんなことがないよう、これからは四六時中君のそばにいる。だから……」

宗介の謝罪をこめた口上も聞かず、かなめは『がたっ』と立ち上がって、すすっと彼に歩み寄った。

「ねぇん、ソースケぇ。お願いがあるのぉ」

いきなりこれ以上ないほどの不自然な甘い声を耳元でささやくと、宗介の胸をつん、とついてみせた。

「ち……千鳥?」

宗介は今まで見たことのないかなめの仕草に、おろおろと狼狽する。かなめは構わず耳元でささやいた。

「ね……目、つぶって……」

「な……なぜだ?」

「ん、もぉ。そんなことあたしから言わせないでよぉ……」

照れたような仕草をして、頭をこつん、と宗介の胸にあずけた。

「目を開けたままではだめなのか……?」

「ばか……。恥ずかしいよぉ」

「りょ……了解した」

そして宗介は二人だけの教室の中、静かに目を閉じた。



昼休み。

千鳥かなめは、常盤恭子と向かい合わせに座って、いっしょに昼食のパンをかじっていた。

軽く雑談を交わし、かなめが2個目のカスタードパンを口にくわえたところで、恭子が話題を変えた。

「ところで今日は相良くん、来ないね。風邪でもひいたのかな?」

その言葉にかなめは思わずぶっ、とカスタードを吹き出しそうになるのを、なんとかこらえた。

「あれ? どしたのカナちゃん。……やっぱ心配?」

「え……ち、ちがうわよ。あのバカが風邪なんてひくわけないじゃない。う、うははは」

「…………?」

なにかいつもとちがう雰囲気に、恭子は首をかしげた。

そのおり、離れたところでクラスの男子の一人、小野寺孝太郎がうれしそうな声をあげて、パンを取り出した。

「へっへぇ、さあて今日は、このパンに挑戦だぜぇ」

うれしそうに袋をびりびりと破っていく。

その様子を見つけた恭子が声をかけた。

「どしたの、オノD?」

「ああ、常盤ぁ。見てくれよこれ。また新しいパンが出たらしくてよ、それが手に入ったんだ」

その袋には、『新登場! 不思議な感触 モナレットパン』と書かれている。

「も……もなれっとぱん? 変な商品名だね……」

「へへへ、そそるよなぁ。さぁて、どんな味かなぁ?」

ぱくり、とかじりつき、数秒が経過する。もごもごさせていた口が、ぴたりととまった。

「…………」

しばらく、沈黙の間が流れた。

「どう?」

「…………」

恭子の問いに、彼は答えない。

「……オノD?」

恭子が不審に思って下から覗き込むと、彼は白目になって、口からぶくぶくと泡を吹いていた。

「お……オノD? ちょっと、小野寺くんっ?」

ただならぬ事態に気づいた恭子は、孝太郎の体を激しくゆさぶり動かした。

すると孝太郎は、はっとしたように身を起こす。

「……あ……オレはいったい……」

「小野寺くん……よかったぁ」

孝太郎はこめかみの辺りを押さえてどうにか意識をはっきりさせると、手元のパンを見下ろした。

半分かじられたそのパンの中には、不気味な緑色の物体がわさわさとうごめいていた。

彼は怒り気味にそのパンを振り上げると、

「こんなもん食えるかぁぁ〜っ」

と、勢いよく床に叩きつける。中の、緑色のスライムみたいなものが、べちゃあっと潰れた。

「そんなにまずかったの?」

「ま……まずいなんてもんじゃあないっ! ぬるくしたドクター・ペッパーにぐちゅぐちゅした干し肉を入れて溶かしたような……そんな味がまったりと広がるんだあぁぁ!」

「……よく分かんないけど、すごくまずそうだね」

涙ながらに力説する孝太郎に、恭子がなだめる。

「とにかく床を汚しちゃダメだよ。あたし掃除用具とってきてあげるから」

「お、おう。すまねえな」

恭子は教室の隅にある掃除用具入れのロッカーに向かっていく。

(ま……まずいわっ)

二人のやりとりを見ていたかなめが青くなって、ロッカーに手をかけた恭子に声をかけた。

「どしたの? カナちゃん」

「あ、その。掃除用具はあたしが出すからさ、キョーコは小野寺くんを介抱してやんなよ」

「いいよぉ、そんな気をつかわなくても」

そう言って、ロッカーを開けたとたん――

ごとんっ。

ロッカーの中から、体をロープで巻きつけられ、目や口をガムテープで塞がれた男が倒れてきた。

「きゃああぁああ」

恭子の悲鳴で、クラスの一同がロッカーに集中する。

「なんだぁ? あれ? 相良じゃん」

縛られて、ロッカーに監禁されていたのは、今日休んでいるはずの相良宗介だった。

「えっ? あっ、相良くん? ……ひどい」

宗介の目と口は完全に塞がれており、全身は荒っぽくロープで締めつけられていた。彼は、苦しそうにもぞもぞと体をくねらせている。

クラスのみんなで彼を縛るロープを外しにかかった。それを隅で「ちっ」と舌打ちして見つめる髪の長い少女は別として。

目と口に貼り付けられたガムテープをはがしてやると、

「すまない」

宗介が力のない声で、助けてくれた一同にお礼を言った。

「まあいいけどよ。誰がこんなことしたんだ?」

小野寺が聞くと、宗介は首をかしげた。

「わからん。目をつぶっていたら、突然やられてしまった。俺としたことが、完全に油断してしまっていた」

「ふうん、なんで目ぇつぶってたんだ? 用心深いお前が……」

宗介はそれには答えず、千鳥の姿を探した。

「そこにいたか、千鳥」

「なっ、なによ……」

「どうやら無事だったようだな。となると、俺を闇討ちした奴らは、千鳥の誘拐が目的ではなかったということか……」

「へっ? ……あ、そうよ。うん、どうもそうみたいね」

どうも、目をつぶって油断していたせいか、宗介は千鳥とはまた別の第三者が割り込んで攻撃してきたものと思い込んでいるようだ。かなめは、しめたとばかりにここはとぼけておいた

「そうか……」

宗介は疑うことなく、うーんとうなった。

「では奴らの目的はいったい……?」

難しい顔でぶつぶつとつぶやく宗介を、じーっと見ているクラスメート。彼はその視線に気づくと、

「……いや、みんな。気にしないでくれ。俺なら大丈夫だ」

まわりを囲んでいたクラス一同は、やれやれといった感じで席に戻っていく。

「ホントに大丈夫? ソースケ」

「ああ、問題ない。それよりすまない、千鳥。不意打ちとはいえ、君の護衛ができなかった。幸い奴らの狙いは俺で済んだようだが……」

「大丈夫よ、気にしないで。それよりやっぱ休んだほうがいいわよ。少しは疲れてるでしょ」

「そうだな……少し席で休むとしよう」

そう言うと、ふらふらと力なく席に戻る。そんな宗介の姿を見送って、かなめはぼそりとつぶやいた。

「明日まで閉じ込めとくつもりだったのに……」



最後の授業も終わろうとしていた。

まだ終業のチャイムがなっていないというのに、帰り支度をはじめる生徒。

そんな中、かなめは頭をかかえていた。

(まさかあんな早くロッカーがばれてしまうとは……)

どうしよう。このままじゃ帰りもずっとくっついてくるにちがいない。帰りは宝クジ売り場に寄らなきゃいけないというのに。

かなめを置いて監禁されたことをよほど気にしてるのか、宗介は休み時間はもちろん、昼休みもずっとかなめのそばについてくるようになった。

「ついてこないで」とどれだけ言っても、「そうはいかん」と彼はかたくなに傍にくっついてきた。

彼はもう二度とかなめから離れないと決意したらしく、その決意は固かった。

なにせ、女子トイレにまでも入ってきたのだから。その場は他の女子生徒も一緒になって宗介を殴って、ひっぱたいて、蹴って、追い出したからよかったものの。

これでは帰り道もついてきてしまうことは確実だ。

(となると、方法はひとつ……)

キーン コーン カーン コーン

終業ベルが鳴り出したのと同時に、かなめは立ち上がり、一気に宗介めがけて跳躍した

どごんっ!!

鈍器を砕いたような鈍い衝撃音が教室に響いた。

ノートを閉じた宗介の横っ面に、かなめの全体重をのせたドロップキックが炸裂したのだ。

そのあまりに突然の不意打ちに「なぜ……?」と漏らすだけで、彼はなすすべもないまま、近くの机を巻き添えにして豪快に吹っ飛ばされた。そして頭が窓際の壁に『ごんっ』と鈍い音をたててぶつかり、ぐったりとその場にくずおれた。

「きゃああぁあぁ」

その場がまた騒ぎになる。そんな中、かなめはぴくりとも動かない宗介を見下ろした。

「ふっ、これならついてこれないでしょ。悪いわね、ソースケ。そこでおとなしくしててちょうだい」

くるりときびすをかえし、『だーっ』と勢いよく教室を飛び出した。

そして廊下と階段を爆走し、校門を突破すると、宝クジ売り場に一直線に駆け込む。

今度はちゃんと開店している。その中でおばちゃんが退屈そうにラジオを聞いていた。

かなめはすぐにスカートのポケットから宝クジを取り出す。だが……。

「えっ? ……ない?」

なぜかどこのポケットにもクジが入ってない。

「う……うそでしょう? ……まさか、あのドロップキックをかました時に……」

念のため鞄もまさぐってみる。

「……あった」

よかった。そういえば、鞄の奥底に大事にしまったんだっけ。

「おばちゃん、これ!」

ガラス越しにクジを広げてみせると、おばちゃんは目をこすり、

「おや、当たったのかい? よかったねえ、どれどれ」

そのクジを受け取り、その日の当選番号と見比べる。しだいにおばちゃんの顔が興奮して赤味が増していく。

「すごいじゃないかい! 三千万が当選してるよ」

「ええ、どうも。あっ、あの。それで……」

「ああ、当せん金は渡せないよ」

「……へっ?」

その返答に心外そうな顔をすると、おばちゃんはそのクジの左下を指して説明してくれた。

「ここに『受託 ○○銀行』って書いてるだろ? ここで金を受け取ることになってんだよ」

「え? あの、ここでもらえるんじゃないんですか?」

「裏を読んでごらんよ」

そう言って、クジを返してきた。かなめは初めて、宝クジ券の裏に記入されている注意書きを読んでみる。



1. 当せん金のご請求は、宝クジ券を購入した方もしくはその購入者から贈与を受けた方 またはこれらの方の相続人その他の一般承継人に限られます

2. 10.000円以下の当せん金は、どこの宝クジ売り場(宝クジを取り扱う一部の郵便局を含む)でもお受け取りになれます

3. 10.000円を超える当せん金は、もよりの受託銀行本支店でお受け取りください ただし、5万円マークのある宝クジ売り場および宝クジを取り扱う一部の郵便局では、50.000円以下の当せん金をその場でお受け取りになられます

4. 500.000円以上の当せん金のご請求は、ご本人であることが証明できるもの(健康保険証・運転免許証など)と印鑑をご持参ください
なお、宝クジ券を購入したご本人以外の方には、贈与・相続等を確認できる文書等をご提出いただくことがあります



「三千万は大金だからね。そこの銀行で直接受け渡しすることになるんだよ」

「そうだったの、じゃあそこに行けばいいのね」

注意書きを最後まで読まず、すぐに近くの銀行に走った。



銀行につくと、そこにいた銀行員に声をかけた。

「あのっ、こっ、こっ。こり……こり……」

ええい、落ち着け、あたし。

一呼吸おいて、宝クジを取り出して言った。

「あの、これ当たったんですけど」

すると銀行員は「ちょっとお待ちください」と言って、奥に引っこんでいった。

しばらくして、かわりに頭取さんがやってきた。彼はにこにこと愛想のいい声で、かなめに声をかけた。

「どうぞ、こちらへ……」

奥にある「関係者以外立入禁止」のドアに通されて、中のソファに勧められる。

「どうぞ、お掛けください」

「あ……はい」

あまりに丁重な応対に動揺しながら、しずしずとソファに座った。

「それで、三千万が当せんしたということですね?」

「は……はい」

「それではこちらのほうで確認しますので、その手続きに二週間ほどかかります」

「はい……って、え? に……二週間?」

「はい。そのクジの裏にも書いてある通り、大金が動くわけですから、慎重な確認が必要とされるわけでして」

「え?」

改めてクジの裏を見直す。読んでいた続きには、こうあった。

『1.000.000円を超える当せん金のお受け取りは、手続の都合上数日かかりますのでご了承ください』

「それでよろしいですね?」

「……はい」

これが決まりだというならイヤだなんて言えない。まあ確かに大金だから慎重になるのは仕方ないことだ。

「では、正式なものと分かり次第、連絡させていただきます。そして連絡後、これをお持ちになってくだされば……」

と、なにかの紙を渡してきた。

「これは引換券です。これをお持ちになさってくだされば、当せん金をお渡しします」

「え? この引換券はあたしが持つんですか?」

「はい。大事に保管してください。その引換券を無くされると、当せん金はお渡しできませんので」

「な、なんですか、それ? 宝クジを必死に守りぬいたのに、今度は引換券を守らなきゃいけないんですかっ?」

「そうなります。言いたいことは分かりますが、それが決まりになってますので」

「…………」

殴ってやろうかとも思ったが、それはなんとか踏みとどまった。下手にキレて、大金を台無しにするわけにはいかない。

ここは素直に引き下がって、二週間後の連絡を待つのがいいだろう。

そしてかなめはしぶしぶ銀行を出ようとしたとたん、彼女ははっとある事実に気がついて、一瞬目まいがした。

(ということはまたこれを、あの暴走バカから守らなきゃならない……?)

つまり、まだ戦いは終わらないのだ。