闇に葬られた過去

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闇に葬られた過去


宗介のいた休憩室に向かって、誰かが廊下を歩いてきた

それはアッシュブロンドの銀髪で、交通課に勤めている女性警官、テッサだった

だが、彼女の雰囲気がなぜかいつもと違うように見えた

いつもはもっと慌しく、頼りない足取りで歩いていたのに、今はきびきびと真っ直ぐこっちに向かってきているのだ

休憩室で飲み物でも取りにきたのだろうと思い、宗介は腰を上げて離れようとすると、彼女が思わぬ一言を放ってきた

「警察にずいぶんと失望したみたいですね」

その口調もまた、これまでの彼女にはないはっきりとしたものだった

「お前には関係ない」

宗介がそう言って出て行こうとすると、彼女はさらにこう言ってきた

「今の警察には限界があります。犯罪者を前にして、できないことが多すぎる。それをあなたはたくさん思い知らされたはずです」

一体、なんなんだこの女は?

最初は無視しようかと思ったが、なぜか彼女の存在が非常に気になった

それに、なぜこっちの事情に詳しいのかも気になる

「何が言いたいんだ?」

「……世界には、表社会と裏社会の二つの顔が存在します。そして今の犯罪に対する法律は、ほとんどが表社会の犯罪に当てられています。表面上、警察が多くの犯罪を挙げているように見えますが、実際は違います。法律の穴を巧みにすり抜け、警察の手に負えない犯罪は、見えないところで氾濫しています。そして法律によって行動を縛られた警察にはどうしようもない」

「…………」

「あなたはそれに苛立ちを覚えたのでしょう? 法律に縛られているのは犯罪者よりもむしろ、警察にあるという現実が」

そのテッサの言葉を、宗介は否定しなかった

「今の警察の実情では、すべての犯罪に対応することはできません。警察は犯罪に対して、お決まりの対抗策しか持ち得ないからです」

「じゃあ、どうすればいいというんだ」

「裏社会の犯罪にも対抗するには――警察も裏の顔を持つしかありません」

その、あまりにも突飛なその発言に、宗介は苦笑してしまった

「そんなことありえない。警察までもが裏の顔をもつなんぞ、夢物語だ」

だがテッサは、低く言った

「――もしそれが、すでに実在してるとしたら?」

「なんだと?」

思わず宗介はテッサの顔を見上げた

「まさか、そんなことが……」

「わたしたちは、それを可能にしてみせたのです。法律に縛られず、犯罪を追う事だけを目的とした警察組織――『ミスリル』を」

「ミスリル――?」

「その警察組織を立ち上げるきっかけとなったのは、世界規模で犯罪を犯す犯罪者に対抗するためでした。国境の狭間で、警察は自由に動くことができずに、その世界規模の犯罪に上手く対抗できない。そこで世界中の国の密会で、協定を結んだのです。犯罪者にだけを目的とした警察機構を立ち上げると。世界を股に掛ける犯罪者を追うために、わたしたちは世界規模で組織をつくりだしたのです」

「世界規模の警察……。聞いた事あるぞ。たしか国際警察軍や、国際刑事警察機構だな」

国際警察軍とは、海賊行為・奴隷売買のような国際法上の犯罪を防止するための、各国の事実上の協力による警察力である。これらは国連の要請のもとに、世界の平和と安全維持のために加盟国から提供され編成される部隊なのだ

そして国際刑事警察機構とは、通称 ICPO(インターポール)といい、情報交換・捜査協力などによって国際犯罪の防止・解決を目指した国際警察機構である

だが、テッサはその指摘を否定した

「近いですが、違います。あのICPOは、あくまでも表社会での世界規模の警察組織です。それでは、まだ国間の手続きや規律というものが存在しています。それでは完璧とはいえません。その国際警察でも、対抗できるのは世界規模の、あくまでも表社会での犯罪なのです」

「ミスリルはそれとはまた違う組織だというのか?」

「そうです。ミスリルは、そのICPOの、裏の顔と言ってもいいでしょう。ミスリルには犯罪を追うためなら国間の手続きも法律も関係ありません。そしてその存在も非公式として扱われています」

「それが、ミスリル……」

「あなたは、ガウルンを追いたいのでしょう?」

「なぜそれを知っている? ……お前は一体……」

「わたしはテッサ。警視庁の交通課に所属しています。しかし、交通課所属というのは、あくまでも表の役職です。裏のわたしは、ミスリルの人事部長です」

「ミスリルの……人事部長」

「ええ。ミスリルは非公式の組織なので、ありがちなドジッ娘を演じて、自然に正体を隠してきました」

「……どう見ても、自然には見えなかったが」

宗介の指摘で、テッサは初めて狼狽をみせた

「え? えぇ? 不自然でしたか? だってドジッ娘というのは職場に一人はいるものじゃ……」

「…………」

宗介の冷たい目に、テッサはしゅんと気落ちする

「そ、そうでしたか。さりげに書類を落とすコツとか、するべたーん特訓とか頑張ってたんですけどね」

反省を口にして、くるくると三つ編みをいじっていたが、宗介はさっさと話を進めた

「それで、俺になにを言いたいんだ?」

「あ。わたしは、ミスリルの人事部長として、相良宗介さん。あなたを勧誘しにきました」

「俺を……ミスリルに?」

「ええ。これまでもミスリルの者があなたを観察してましたが、その行動力、冷静な判断力。独特の勘。襲撃者に対抗できる逮捕術。あなたはミスリルにふさわしい人材と判断しました」

「……俺がミスリルに入って、なにかメリットはあるのか?」

「あなたの求める環境があると思います。わたしたちミスリルは、一切の法律には縛られない。個人として各国に飛んで犯人を追う事も可能です」

「本当にそんなことができるのか? 一応ミスリルも警察なんだろう?」

「言ったでしょう。ミスリルは警察の裏の顔でもあると。これを認知しているのは、各国の警察のトップクラスの人たちだけです」

「それ以外は誰にも知られない非公式の警察か。だが、俺は組織としては厄介者になるかもしれんぞ。個人で勝手に突っ走るからな」

「構いませんよ。ミスリルはただのサポートと思ってくれても構いません。犯罪者を捕らえるための行動ならば、わたしたちはとやかく言いません」

「ほう……」

「そしてわたしたちは、ずっと昔からガウルンを追っていました。いわば、あなたと同じ目的を持っているということにもなると思いますが」

「なんだと!」

その言葉に、宗介はテッサの肩をがっしと掴んだ

「まさか……ガウルンを追っていた組織というのは……」

「わたしたち、ミスリルです」

「そうだったのか……」

上というから、警視庁か、国際刑事警察機構辺りかと思っていた

それが、まさかミスリルなどという非公式組織だったとは……

「ガウルンは、ミスリルのブラックリストナンバー2に挙げられています。ミスリルは彼をずっと追っていました。しかし、彼は今でもミスリルの追撃をかわしています」

「じゃあ、ミスリルに入れば、俺はあいつを追い続けることができるんだな」

「そうです。しかし、あなたはまだ知らない事実があります」

「なんだ?」

「ミスリルが追いかけているのは、国際犯罪者です。そして追いかけているのはガウルンだけではありません。ある意味では、彼よりも恐ろしい犯罪者が今でも息を潜めています」

「……誰だ?」

「その前に、あなたに確認します。あなたがミスリルに入るというのなら、その犯罪者の全てを明かしましょう」

「…………」

「言っておきますが、ミスリルは国際犯罪者だけを追うことを目的としています。そのために、たとえ目の前で小さな事件が起きたとしても、それに関わることができないこともあります」

「小さな犠牲に目をつぶる覚悟があるかと言いたいのか?」

「そうです。そしてもう一つ。ミスリルに入れば、その時点であなたはミスリルにずっと身を置いてもらいます。そして表社会での存在は抹消されます」

「どういうことだ?」

「ミスリルは非公式の組織です。その一員も、例外ではないんです。非公式の組織に身を置くならば、今までの生活を送ることができないということは分かりますよね?」

「もう俺は警視庁に来ることはできないということか。ミスリルの存在を隠すために」

「そうです。そしてこれからは世界各国に飛んで、犯罪者を追うことになるでしょう」

「もし俺がその話を断ったらどうするんだ? ミスリルのことが漏れてしまうんじゃないのか?」

「その場合は、記憶処理を施します。でも、その必要はないですよね」

それは、宗介がミスリルに入るということを確信しているようだった

「…………」

だが、なぜか宗介は即答できずにいた

「……どうしたんです?」

「いや、ちょっとな」

「……千鳥さんのことですか?」

テッサの言葉に、宗介が反応した

「千鳥さんのことなら心配ないですよ。彼女もミスリルに入ってもらいますから」

「なんだと?」

「ですから、ミスリルに入っても、彼女とのコンビは無くなることはありません」

宗介を安心させるようにそう言っていたが、宗介はとりあえずその続きを手で制した

「ちょっと待ってくれ。なぜ、千鳥がミスリルに入れるんだ?」

「どういう意味ですか?」

「言っては悪いが、彼女は柔術を除けば平凡な女性だ。ミスリルがわざわざ引き入れるとは思えない。もしも俺に気を遣ってのことなら遠慮はいらない」

「なにか、勘違いしてるようですね」

そしてテッサは、はっきりと告げた

「彼女は、ミスリルにとって必要な存在です。彼女には、あなたの知らない能力があるんですよ」

「能力だと?」

そんなことを急に言われても、納得がいくわけがなかった

彼女にミスリルが必要とする能力が備わってるなんて、信じがたいことだ

「信じられませんか? まあそうでしょうね。この能力は、おそらく彼女自身でさえ知らないでしょうから」

「千鳥自身でさえ知らない? 一体、千鳥にどんな能力があるというんだ?」

「これはまだ完全な検査をしていないため、まだ断定はできませんが、ほぼ確実なことです。ミスリルも、最近になってようやく気づきました」

「その能力とはなんだ?」

「ウィスパードです」

「ウィスパード?」

宗介には、聞いたこともない能力だった

「どういう能力なんだ?」

「それを口で説明するのは難しいですね。ですが、いつかはそれを説明できる日が来るでしょう」

「その能力が、ミスリルの力になるということか」

「そうです。どうです? 不安は消えましたか?」

宗介は、ぽりぽりとこめかみを掻いた

「いや。別に、さっきは千鳥のことではなく、ただあまりの展開に驚いていただけだ」

「あ。そうなんですか」

そしてテッサはもう一度聞いてきた

「ミスリルに来ませんか?」

「…………」

警視庁は、どっちみちもう辞めるつもりだった

そして新しい環境――ミスリルでは、かなり俺の求めていた条件が揃っている

俺の求めていた情報は、ミスリルにある。

そう考えれば、この誘いはかなりおいしかった

「いいだろう。いろいろと知りたいこともあるからな」

「はい。成立ですね。では、詳しいことはいったんミスリルに来ていただいてから、向こうでゆっくり話しましょう」



テッサは、警視庁から離れた広場に、ヘリを待機させているという

そして宗介は、ミスリルの一員となって、ミスリル本部へと向かっていくことになったのだった




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