闇に葬られた過去

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闇に葬られた過去 4


休憩室に向かうと、クルツは空になったコーヒー缶をもてあそんでいた

「クルツさん」

「よぉ、千鳥ちゃん。終わったのか?」

「ええ。いきなりいろいろなことを知らされて、まだ現実じゃないような変な気分です」

「へへ、だろうな。こんな組織、実際に目の当たりにしねえと信じられねえさ」

千鳥は、休憩室のソファに、クルツと向かいになって座った

「でも、びっくりしました。クルツさんがこっちに来ていたなんて」

「ああ。悪いな。ミスリル以外の関係者との連絡は厳禁だったもんでよ」

「警視庁では最初、大騒ぎでしたよ。クルツさんの部屋もごっそり無くなってたんですから」

クルツは笑い、コーヒー缶を振ってみせた

「千鳥ちゃんの住んでたとこも、今頃はまるごと片付けられてるはずだぜ」

「そしてあたしも行方不明者扱いってとこでしょうか」

しかし、実際にはここでのんびりとジュースを飲んでいるのだ

それを考えると、つい笑ってしまう

「クルツさんも、テッサさんに勧誘されたんですか?」

「いんや。オレが警視庁の人質事件に駆りだされてた日によ、仕事が終わったとたんにミスリルの勧誘員が誘ってきたんだ」

「人質事件って。もしかして、7月12日ですか?」

「あん? まあ、そんくらいの頃だったかな」

やはり。クルツが失踪した前日に勧誘されたのだ

「なんかよぉ。その勧誘員は、本当は千鳥ちゃんの観察でそっちのグループにいたらしいんだけどよ」

「え? あたしの?」

「ああ。そん時から、ミスリルは千鳥ちゃんに目をつけてたらしいな。だけど、その日、たまたまオレが動いた事件の現場と近かったらしくてよ。そっちの現場にいた勧誘員が、オレがライフルを構えてたところを見たらしいんだ。その時に、オレの才能を見抜いて、先に勧誘することになったらしいんだ」

そういうことだったのか

あの事件を追いかけていた当時、千鳥のいた捜査班の誰か一人が、ミスリルの勧誘員だったのか

そして予想していたのとは違っていたが、結局クルツの失踪は、千鳥とクルツの事件現場が近かったことに関係があったというわけだ

「まあ、ともかくそれでオレが先にミスリルに呼ばれたわけだが、それを聞いて千鳥ちゃんもいつかは来るって分かってたからな。けどよ、ソースケの奴もいつかは呼ばれるだろうと思ってたが、まさか千鳥ちゃんと一緒に来るとはな」

『ソースケ』

そういえば、あれはどういうことなのだろう

千鳥は、泉川署本部で聞かされたあの事実を、今でも受け入れられずにいた

『相良宗介は、人殺しだ』

ちら、と千鳥はクルツの横顔を見た

クルツさんなら、その真相を知っているかもしれない

そして今は、宗介はいない

ずっと抱えていたこのわだかまりを晴らすためにも、千鳥はゆっくりと口に出した

「あの……。クルツさん」

「なんだ?」

「……泉川署では知られた話みたいなんですけど、クルツさんは知っているのかどうか聞きたいんです」

「なにを?」

「……相良さんが、人を殺したことがあるって……」

そうつぶやくと、クルツはそれに対し、すぐには言葉を返さなかった

「……知ってますか?」

「……ああ」

ことん、とコーヒー缶を置いて、ひざの上で手を組んだ

「知ってるよ」

「あれは。ただのウワサなんですか? それとも……」

「……千鳥ちゃん」

低い声で、クルツは千鳥を見据えてきた

その目には、いつものようなふざけたものは一切無かった

「はい?」

「たしかにオレはそれを知っている。オレは、それをソースケ本人から聞き出したんだ。でもよ、それはあいつから話したんじゃない。無理矢理酒を飲ませたんだ。あの時は軽はずみな気持ちだった。だけどよ、オレはそれをしたことを後悔してる」

「…………」

「それからオレは、そのことには触れないようにした。そして誰にも話さないでおこうと思った。でもよ、千鳥なら……きっとそれを知るべきだと思う」

「え?」

「あいつ、千鳥に対してはけっこう心を開いてる方だと思う。……泉川署ではよ、みんなずいぶんとソースケに対して、軽蔑の目を送ってただろ。いろんなウワサを流していた。千鳥も、嫌でも耳に入ってきただろ。でも、それでも千鳥はソースケに対して、態度を変えなかった」

「…………」

「だからオレは、千鳥は知るべきだと思う。あいつには一人でも多く、理解してくれる奴が必要なんだ」

「クルツさん。教えてください。あれはただのウワサなんですよね?」

「…………」

一息置いて、クルツは答えた

「その話は本当だ。たしかにあいつは自分の手で、人を殺した」

「――!」

今度はクルツ本人から、はっきりとそう告げられてしまった

だが、どこかでその覚悟はしていた

そして次に、千鳥は震える声で、さらに問い詰めた

「……誰を殺したんですか? どこの事件犯なんですか?」

「事件犯? 違うよ。あいつが殺したのは、犯罪者じゃない」

「……え?」

「あいつはな、自分の両親を殺したんだ」

「えっ!」

驚愕する千鳥に、すぐにクルツは続けた

「ただ、これだけは前もって言っておく。たしかにあいつ自身の手で殺めたが、それはあいつの意思じゃない」

「それって……?」

「ソースケが、それを起こしてしまったのは、あいつが六歳の時だ」

「ろ、六歳?」

あまりにも幼すぎる年齢ではないか

「そう。それからずっと、あいつは苦しんできたんだ」



六歳の幼き相良宗介は、その住宅街の一軒に住んでいた

宗介の父親が、政治関係の役職に就いていたため、少し大きめの家だった

そして宗介が、部屋でおもちゃの車を動かして遊んでいると、玄関のチャイムが鳴った

とてとてと宗介がおもちゃを置いて部屋の戸を開け、玄関に向かうと、宗介の父親が帰ってきていた

それを母親が出迎えて、鞄を受け持つ

「おかえりー」

いつものように父に声をかけると、父は嬉しそうに微笑んで、その低い頭をなでた

「ただいま、ソウスケ」

その頭をなでられる、暖かい手の感触が好きだった

「あなた。あと五分でご飯ができますから」

「ん。分かった」

ネクタイを緩め、軽い服装に着替えていく

その着替えの最中に、宗介は父の袖を引っ張った

「ねえお父さん。あさっては?」

すると、父は少し困った顔をして、宗介を抱くように、持ち上げる

「ごめんな。また仕事で、遊園地に連れて行くのは無理みたいだ」

「……そう」

父の仕事は、政界の議員に就いていた

ただ、宗介はその父の仕事を、みんなの暮らしを良くするための仕事と聞かされていた

「ほんと、ごめんなあ。今度の休みに、埋め合わせするよ」

「うんっ」

宗介の父は、この埋め合わせは絶対に忘れなかった

これまでにも仕事の都合で一緒に遊ぶことができなくなってしまったことがあったが、その埋め合わせで、それ以上の娯楽を提供してくれた

だから宗介はあまり嫌な顔はしなかったし、なによりもみんなの為の仕事をする父の姿が好きだった

「ありがとう。それじゃもうすぐご飯だから、おもちゃを片付けような」

「はあい」

元気一杯に返事すると、宗介はそれまで遊んでいた車を、箱の中に放り込んでいった

「いただきます」

家族三人が食卓に揃い、晩飯が並べられたところで、宗介が先陣を切って、声を出す

それに続けて父と母もいただきますと言って、晩飯に手をつけていく

宗介の母は料理が趣味で、一般の料理はもちろん、自分なりに考えたレシピをつくって、そのどれもが美味しい料理だった

宗介は母の料理が好きだったし、一緒にいるのが楽しくて、買い物はいつも付き合っていた

そして母親もまた、宗介を愛しく可愛がっていた

食卓を囲んで、いつものように宗介の父が話をして、母が受身になって聞き、宗介は笑っていた

相良の家庭は、一般と変わらぬ幸せな家族だった



雨が上がった

家の外の道路には水たまりができていて、公園では子供が泥をはねて遊んでいる

宗介は公園から帰ってきて、台所で晩飯の支度に掛かっていた母親に言われ、手を洗う

その時、チャイムが鳴って玄関に走ると、やはり父親が傘片手に帰ってきたところだった

「お父さん、お帰り」

だが、その父の表情が、いつもよりぴりぴりしていた

「……お父さん?」

「ああ。ただいま」

父は、なぜか不機嫌そうに、父の部屋へと向かっていく

母はその濡れたスーツを乾かそうと、父の元へと駆け寄った

「どうしたの、あなた」

母が声をかけると、父は溜めていた怒りを、独り言のように吐き出した

「……冗談じゃない。あんな法案が通ったら、国民の生活をますます苦しめるだけだ」

遠くから聞いていた宗介には、なんのことか分からなかったが、仕事の疲れだということは分かった

父があんな風にイライラするのは珍しいことだった

そこで母親は、晩飯までまだ時間があるから、また近くの公園で遊んでらっしゃいと、気を遣ってきた

「……うん」

宗介もまた、今の父には静かにしておいたほうがいいとなんとなくわかったので、バケツ片手に、またも公園へと出て行った



相良邸前の公道に、一つの黒い車が止まり、そこから傘を閉じた黒い服装の男二人と、銀色の髪の中年が出てきた

「向こうの邸宅に住んでいるのが、例の相良議員だ」

「ふぅん」

黒服男の説明に、銀髪の男は髪をかきあげ、見上げた

「相良議員はそれほどの権威を持っていないが、人望があり、彼についていく議員が多いんだ。あの男がある法案を渋れば、他の者もそれについてしまうだろう。あの法案は、我々にとっては通ってもらわないと困るのだ」

「それで、そいつをどうにかしてほしいと」

「ああ。それが我々の依頼だ。クライブ。あんたなら確実にそれをやり遂げるんだろう?」

「ふん、しつこいぞ。そっちが決め付けた評価なんぞどうでもいいんだ」

「おい、なんだその態度は」

黒服男の一人が、クライブの態度に腹を立て、銃を突き出した

「こっちは多額の金を出してやってんだ。ちゃんとやり遂げてもらわないと……」

「……オレに銃を向けるな」

銃を突きつけた男に向かって、クライブが睨みつけた

「がっ……あ、あぐ……」

とたんに、その銃を持つ手ががくがくと痙攣を起こし、かつんと銃を落とす

そして自分のノド元を押さえ、せきこむようにしてもがきだした

「ど、どうしたっ?」

もう一人の黒服男が、その男の様子に驚いて、肩を揺さぶる

だが男は、呼吸すらもまともにできないようで、力が抜け、水たまりの上にへたりこんだ

「オレはな。銃を向けられるのが嫌いなんだ」

「お、おごっ。……ごああ……」

呼吸ができないせいで、どんどんその顔が青ざめていく

「オレにいちいちとやかく言わないでほしいな。えぇ? おい」

「あぐ……や、やめ……」

「あぁ?」

「す、すみませ……ぐ……」

「分かればいいんだ」

クライブがそっぽを向くと、黒服男は一気に解放されたように、ぷあっと呼吸を取り戻した

ぜえ、ぜえと息をつき、汗を流す

それをもう一人は介抱しながら、ちらとクライブの横顔を見上げた

(恐ろしい奴だ。なにをしたのか分からんが、こいつに逆らってはならない……)

たった数分のやりとりで、黒服男はクライブに恐怖感を植え付けられたのだった



相良邸に向かおうとすると、その家から子供がバケツ片手に飛び出し、近くの公園に向かっていった

「……誰だ? 今の子供は」

「あれはあいつの一人息子ですよ。相良宗介とかいう」

「へえ。子供ねえ」

するとクライブは、相良邸ではなく、その子供の向かった公園へと足を向けた

「クライブ、どこへ行く? ターゲットはあっちの家だが」

「……オレは指図は受けねえよ」

「す、すみません」

黒服男は押し黙り、仕方なくクライブの後についていった



さっきまで降っていた雨で、泥になった公園の土を、宗介はほじくり、遊んでいた

すると、その泥の手前に、誰かの足が近づいてきた

「……?」

宗介が見上げると、そこには銀色の長髪を、ゴムかなにかでまとめて後ろに垂らした中年男が見下ろしていた

そしてその知らない男は、宗介に優しい口調で話し掛けてきた

「やあ」

「……なあに?」

その男の目は、吸い込まれそうなほどに綺麗な銀色の瞳をしていた

「おじさんも、一緒に泥遊びに混ぜてくれないかな」

「いいよ」

バケツの中に入れていたスコップのひとつを手渡す

だが、クライブはそれを手に取らず、さらに話し掛けてきた

「きみのお父さんは、どういうお仕事をしてるのかな」

「うん。なんかね、とても偉い仕事。お父さんが頑張ると、みんなが楽になるんだって」

「ふうん。きみはお父さんが好きなのかい?」

その問いかけに、宗介は屈託のない笑顔で答えた

「うんっ。お父さんもお母さんも好きだよ」

そこで、クライブは口を怪しく歪めると、宗介の真正面になるように座り込んだ

「おじさんの目をじっと見つめてごらん」

「……?」

じっと見ると、ますます綺麗な目に食い入ってしまう。

すると、なぜかうとうとと、眠くなってきてしまった

それから、少しずつまぶたが下りた宗介に向かって、クライブはいろいろと語りかける

その言葉は、宗介の耳にではなく、頭の中へと直接語りかけてくるようだった



数分ほどそうしてから、最後にクライブはナイフを宗介の目の前に出し、ちらつかせた

「きみにいいものをあげよう。これはよく切れるナイフだ。軽いからきみでも持てるだろう」

そのナイフを、宗介は半目のままで握り取った

「うん、軽くてボクにも持てる……」

「それを役立てる時が来るだろう。それまで隠して持ってるんだ」

「うん。……隠して見つからないようにする……」

宗介は、それを背中後ろのズボンの間に隠し入れた

「それじゃあ、おじさんはもう行くことにするよ」

「うん。……ばいばい」

そしてクライブがその公園を離れ、黒服の男と一緒に車に向かっていくと、そこで宗介の意識がはっきりと戻った

「……? あれ?」

さっきまでの記憶はなく、宗介は今までなにをしていたのか分からなかった



「さあ、帰ろう。あとはあの子がやってくれるさ」

すたすたと黒い車に向かっていくクライブを、黒服男たちが慌てて追いかけた

「ちょ、ちょっと待ってくれ。まさか、あんな小さな子供にやらせる気か? あんな力のなさそうな子供に、暗殺なんてできるのか?」

「別に、殺せなくてもいいんだ」

「なに?」

「殺せればよし。そして殺せなくても、あの子が、親である議員を殺そうとしたという事実があれば、それだけで相良家の権威は地に落ちる。君らの依頼を果たすことになってると思うがね」

「な、なるほど」

「それより早く車で遠くへ移動したほうがいい。犯行時間に、遠くにいたというアリバイがあれば、君らに疑いがいくことはないからね」

「あ、ああ」

「……これから起こる惨劇をこの目で見られないのが残念だな」

クライブはそれだけをつぶやくと、車に乗り込む

「ところで、犯行時間はいつごろになるんでしょうか?」

「さっき資料で読んだが、あそこは模範的な家族仲らしい。だったら、飯時にはそのキーワードが出るはずだ。くくっ……」

「……?」

それから黒塗りの車は、相良邸を尻目に、走り去っていったのだった



「ただいまー」

宗介はバケツを玄関に置いて、泥で汚れた手を洗うために、すぐに洗面所へと向かう

「おかえりー」

母は、晩飯の支度がちょうど済んだところだったらしく、エプロンを外していた

そして父は、新聞片手に食卓に座っていた

「お帰り。ソウスケ、楽しかったか?」

「うん」

どうやら父の機嫌が戻ったらしく、宗介はほっとして、その食卓に向かう

そして箸を並べ、お茶を用意すると、いつもの食事が始まった

「ソウスケ、手は洗った?」

「洗ったよ」

そして父が、新聞を折りたたみ、端に置いた

「じゃあ食べようか」

三人は、一斉に声を揃えた

「いただきまーす」

父が、オカズのブタカツにソースをかけ、母が茶碗にお茶を注ぐ

そして宗介は、一人なぜか押し黙っていた

「どうしたソウスケ。ソースかけないのか?」

だが宗介はそれに答えず、無言でイスから立ち上がった

「…………」

「どうした。いただきますと言って、席を立つと行儀よくないぞ」

「…………」

それでも宗介は無言で、父の背後にまわっていく

「……? ソウスケ?」

次に宗介は、こっちを振り向こうとした父の背中を、後ろから出したナイフで、いきなり体重をかけて突き刺した

「うっ……」

ぽろりと父は箸を落とし、身をのけぞらせた

「どうしたの、あなた?」

母には死角になっていて、なにが起きたのか分かっていなかった

そして宗介は、無表情のまま、さらにその父の背中に刺さったナイフを引き抜いて、もう一度刺した

「うっ、おっ……。そ、ソウスケ……」

父はそこで吐血して、母はようやくその事態に、悲鳴を上げた



ボク、なにをしてるの?

宗介の意思ではなかった

自分の手なのに、その手が勝手にナイフを握り、父の背中を刺している

なにしてるの?

その刺したところから、赤い血がどばっと噴き出して、父が苦しそうに前のめりになっている

なにしてるの? ボク、お父さんになにしてるの?

自分の行動が分からなかった

自分の手のはずなのに、まるで他人の手みたいだった

そしてボクの目は、父の背中を見ているはずなのに、まるで他人の目から覗いてるみたいだった

そこはまるで映画館で、前にある大きなスクリーンに父の背中が映し出されているようだった

ボクという意識が、映画館の観客みたいに、そのスクリーンのひとつ手前でそれを見ている

お父さんが、苦しんでる

「やめて!」

そう叫んだはずだったのに、宗介の口はなにも動かなかった

母は、血を吐き、苦しむ父の姿に、涙目になってわめいていた

「なにしてるの、ソウスケ。やめて!」

スクリーンの向こうのお母さんが、何度も刺しては抜いて、刺しては抜くボクの手を止めようとしていた

父は、すでに背中を何ヶ所も刺されて、血で真っ赤になっていた

突然背中から、しかも息子から刺されたということが分からず、その間にも無情にも刺し続けた宗介の凶行により、動く力はなかった

そして真っ赤になった食卓から身を揺らして、父の身体はイスの横にどさっと倒れた

「あなた! あなた!」

母が、力なく横たわった父を必死に揺さぶって、声をかけている

すると、宗介の持つナイフが、母にも向けられた

そして父に呼びかけることに必死だった母は、宗介のナイフが向かっていることに気づかなかった

そのナイフは、ざくりと母の腹に突き刺さった

「あ……」

母が、自分の腹を見て、それから信じられないというような目で、宗介を見上げた

ドクドクと、その腹の傷から血が垂れ流れていく

すると今度は、胸に向かってそのナイフが突き刺さった

「うっ、あっ。い、いや……」

母は、その胸を押さえ、涙混じりに後ずさった

だが、宗介は前かがみにその距離を詰めていく

そしてそのナイフを、高く振り上げた

「や、やめて」

そのナイフの刃が電灯で光って、牙をむく

「やめて。ソウスケ」



お母さん!

スクリーンの向こうで、そのナイフは無情にも振り下ろされた

血が、またも食卓を赤く塗り替えていく

お母さんが、痛がってる!

どうして? なんでボクはこんなことしてるの?

お母さんが痛がってる。ボクが、痛いことをしてるんだ

やめて。やめて。やめて!

しかし、どれだけ叫んでも、宗介の口は動かない

表情も動かず、ただ淡々と、母の腹を、胸を、何度もナイフを振り下ろしては、そこを刺し突いていた

父も横に倒れてから動くことは無く、その凶行が止まるのには、時間がかかった



「……お母さん」

ようやく、口が動くようになったその時には、宗介の右腕は真っ赤になっていた

その持っていたナイフの刃は赤く、その先からぽたぽたと血が垂れている

「あっ」

宗介がぱっと手を離すと、そのナイフはかたんと床に落ちた

「はあっ、はあっ」

気がつくと、いつの間にか宗介の頬に、涙が流れていた

視界もスクリーン越しではなく、ちゃんとそれは自分の目になっていた

「お、お母さん」

見下ろすと、そこには血に身を沈め、腹がぐちゃぐちゃになった母の姿があった

そしてその横で、まだ動かない父の姿があった

「あ……うあ……」

そして宗介は、自分の手を見た

その手のひらは、血で真っ赤になっていた

「うあああああああああぁぁぁっ!」



「お母さん。お母さん」

ゆさゆさと、その身体を揺さぶるが、その目はこっちを見ていなかった

「お父さん……」

その父の顔は、あまりにも静かだった

「うああ……ああ」

何度揺らしても、その身体は起き上がらなかった

「起きて、お父さん。起きて……」

そしてそれは、母も同じだった

「ごめんなさい。ごめんなさい……」

何度謝っても、どっちも答えてくれなかった

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」

その謝罪の言葉は、誰の耳にも届かなかった



よろよろと、宗介はその部屋を出て、廊下を歩き出す

そして玄関について、靴も履かずに、泣きながら外に出た

すると、近くを通った主婦の人が、返り血を浴びて真っ赤だった宗介の姿を見て、悲鳴を上げた

その悲鳴を聞いた途端、宗介の中で、一気に感情があふれだした

「うぇっ、うあああああぁぁ」

声の出る限り、ずっと泣き叫びつづけていた



「……ひどい」

あまりにも酷すぎるその幼子の境遇に、千鳥は手で口を押さえていた

「オレも吐きたくなるくらいだよ。あいつは、催眠によって、自分の両親を殺させられたんだ」

「ひどすぎる……」

千鳥の頬に、涙が伝っていた

「しかもなぜか、その操られていた時、なぜか感触は伝わっていたんだとよ。刺す時の、肉をえぐる感触。動かなくなるまで刺し続けた感触がな」

「えっ」

「しかも、普通ならその催眠状態は意識はないはずなのに、あいつには残っていたんだ。そしてずっと、刺すところを見ていたんだ」

「…………」

六歳の子供に、刺す感触なんて、気持ち悪いことこの上なかっただろう

しかも刺す時、それを見ていたなんて、大人でも耐えれない

「でも。でも、それじゃあソースケは悪くないじゃないですか。だったら、自分を責めることはないでしょう」

だがクルツは、首を軽く横に振った

「……千鳥があいつだったら、そういう風に割り切れるか? 自分の手で刺す感触があったんだぜ。それでも自分は催眠で操られてただけだ。だから自分は悪くない。そう割り切れるか?」

「…………」

そんなの、あたしなら絶対にできっこない

誰からどう言われようと、それは自分のせいではないと割り切れるわけがない

そしてずっと自分を責め続けるだろう

「オレが知ってるのはそれで全部だ」

「……クルツさんは、それを知って、ソースケとどう接してきたんですか」

「ん?」

「あたし、ソースケから聞きました。初めてクルツさんと会って、クルツさんに救われたって、感謝してました」

「…………」

だがクルツは、ぽりぽりと頬をかいた

「これを知ったのは会ってから半年だよ。最初は……ただ放っておけなかったんだ」

「え?」

「あいつを交番で初めて見たとき、すぐに分かったんだ。あいつは、オレと同じだってな」

「それって……?」

「自分を責めていた。あいつは、昔のオレと同じだった。放っておけなかっただけだよ」

千鳥には、クルツの昔がどんなだったのか、分からなかった

「千鳥ちゃんは、正直な自分として、あいつと対等に向き合っていける。だから話していいと思ったんだ」

「あたしに……なにができるんですか……?」

それには、クルツはなにも答えてくれなかった




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