殺されたい男

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殺されたい男


大都会である東京は、最も人通りが多い

スクランブル交差点で絶え間なくすれ違う人々は、それぞれの人生を持って、今日という日を行動しているものだ



今日は快晴であり、ぎらぎらと太陽が照りつける下では、近くのガラス壁のビルの前で、一人の中年の男がハンカチで滲み出る汗をぬぐっていた

月に何回かジムにも顔を出し、適度な運動をして、健康な体を保っている

その中年男は、少しばかり腰に疲労感を感じ、なんとなく上半身を屈めた

その時である。

さっきまで上半身のあった、丁度頭のあった位置の、背後のビルのガラス窓が、いきなり割れたのだ

男はびっくりして、その割れたガラス窓を見た

周りの通行人も同様に、いきなり割れたガラスを不思議そうに眺めている

なにが起きたのか分からなかったが、その中年男は嫌な予感がして、その場をすぐに離れた

そのビルから離れた裏通りまで走ってきて、男はふたたび滲み出る汗をぬぐった

あの割れたガラス窓を見た途端、とてつもなく嫌な不安が襲ってきたのだ

男は勘がよかった。それは取り柄といってもいいほどだった

それにしても、走ったことで、余計に体が熱くなってしまったな

「……どこかに入るか」

裏通りを抜け、どこか冷房の効いた建物に入ろうと、道路を横切る

すると、前を通ったトラックの荷台から、振動でずれて、鉄筋が男の前に落ちた

(危ないな)

するとそこに、ギィンッと激しく金属のこすれる音がして、男はとっさに身を引いた

見下ろすと、目の前に落ちた鉄筋の角部分が、なにか硬いものでえぐられるような傷がついていた

それは、丁度男の真正面の位置だった

男は周囲を見回した

だが特に変わったことは無く、ただ通行人があふれ、どいつも男を無視して歩いている

ただ、そのなんら日常な風景が、かえってゾッと、男の背筋に薄ら寒いものを走らせた

募る不安にたまらなくなり、男はだっと駆け出して、近くのオフィスビルの中に駆け込む

そして受付近くにあったペンを取って、ポケットに入っていた紙に、殴り書きして、それをぐしゃっと握り締めた

それから奥へ進んで、端へと駆け、そこの扉から裏口外へ出た

そして人通りの多い道を横切ろうとしたところで――

ばすんっと音がしたかと思うと、その男の額に、小さな穴が空いた

その穴からつーっと血が垂れ、そして男は崩れるように倒れた

通行人がそれを見つけて、悲鳴を上げ、都会の人ごみの中、男は鼓動を止めた

その様子を、はるか遠くの雑居ビルの屋上から、スコープを覗いて確認した男がいた

「ったく。今更じたばたしやがって」

男は悪態をつきながら、その道具を素早く解体し、その場を去った



「こんな都会の真ん中で殺しとはな」

その現場の周辺を、パトカーと黄色い封鎖テープで隔離すると、刑事達がその状況を確認する

駆り出されたのは、警視庁の刑事。

警部補の相良宗介と、千鳥かなめ、そして巡査の小野寺孝太郎の三人が遺体の傷を見ていた

宗介が警視庁に来て、半月がたっていた

宗介には、巡査時代の功績があったために、新人にやらされる雑用は数日で終わり、こういう事件の担当に任せられるようになっていたのだ

すると傍にいた鑑識の男が、その傷についての見解を述べた

「銃弾による即死ですね。後で解剖して、額に残る銃弾を摘出し、照合にかけます」

「額を一発、か。たしかに銃殺と考えて間違いなさそうだな」

「それにしても、こんなに人通りがあるってのに、目撃者が一人もいないってのが不気味だぜ」

小野寺が周辺を確認する

高層オフィスビルに囲まれた道路だ。この辺りはサラリーマンといった通行客が多い。

この被害者も、身なりがスーツからして、どこかの会社員なのだろう

「被害者の身元は?」

「照合中です」

本部と連絡を取っているらしい千鳥が、そう答えた

「警部補。被害者のポケットに、紙が入ってます」

まだ巡査の刑事である小野寺は、尊敬の意味も込めて、宗介を階級で呼ぶ

宗介はその報告を聞いて、その紙を見せてもらった

それはハンカチ程度の大きさの紙だった

乱暴に握りつぶされていたので、慎重にそれを広げていく

そこには、殴り書きされたような文字で、こう書かれていた

『助けてくれ』

「助けてくれ?」

よほど焦っていたのだろう、ようやくそう読み取れた

「誰かに殺されるという自覚があったみたいですね。そして、ついに撃たれて殺された……」

「ふむ……」

すると、無線で連絡を取っていた千鳥が、ようやく被害者の身元が判明したと告げてきた

「被害者は檜川勝彦(ヒカワカツヒコ)36歳。飲料会社の社員だそうです」

「檜川? どこかで聞いたことのある名だな」

「この近くにある有名な荒羽場神社の息子だそうですよ。十七年前には暴走族の若頭として、補導された経歴があります」

「ああ、思い出した。あそこのドラ息子だとかで一昔有名だったな」

「今は社会の一員として、飲料会社の会社員に納まってますけどね。いえ、今は被害者ですね」

そう言い直して、千鳥もその被害者を見下ろした

額に的確な一発。ここまで正確に狙い当てるには、かなりの至近距離から狙わないと無理だと思うが……

「妙ですね、目撃者が一人もいないというのは」

「だが、それらしい音を聞いた者はいるそうだ。なにやら空気の抜けたような音だがな」

「サイレンサー装着していたということかな」

「その可能性が高い。今は、目撃者探しに全力を挙げよう。聞き込みを徹底的にしろと、通達しておけ」

「分かりました」



二時間後、鑑識から解剖が終了し、その殺害に使用された銃弾が判明した

「308NATO弾。間違いなく、ライフル弾ですね」

「では、被害者はライフル銃で撃たれたというのか」

「そうなりますね」

「しかし、弾は貫通していなかったぞ」

「それはこの銃弾がホローポイント型のためでしょう。これは弾頭が開いていて、貫通しないのですよ」

「それで体内に残ったのか。射程距離は?」

「最新型と思いますから、最大射程距離、二千メートルといったとこですかね」

「かなりの距離だな」

「最大で、ですよ。遠くなるほど、必然的に正確性は低くなります」

「ふむ。その弾丸の線条痕から何か割り出せそうか?」

「どうでしょうかね。やってみますけど」

「ああ。頼む」

その解剖室から出て、宗介たちは刑事課へと戻っていった



「ライフルとはね。遠くから撃ったために、目撃者がいなかったということか」

「それにしても、遠距離で額をあれほど見事に撃ち抜くなんて、可能なんでしょうか?」

「もしいたとすれば、よほどの凄腕の狙撃手だよ」

と、小野寺はお手上げのように肩をすくめてみせた

「狙撃手か……」

「こんな東京の中で、そんな狙撃手に狙われたってことですか? まさか、殺し屋……?」

「おいおい千鳥ちゃん。殺し屋なんて、架空の職業だよ」

「決め付けるのは早計だぞ、小野寺」

「では……警部補は、殺し屋が実在するとでも?」

「可能性としては、考えておくべきだと思っている」

その目は、真剣だった

それから宗介は、現場周辺の地図をデスクの上に広げた

「現場はここだな。ここを中心に、二千メートル……」

ぐるりと、その距離を円を描くように、赤線で囲む

「かなりの広範囲だぜ」

「いくつか人手をよこすから、小野寺はこの範囲内の聞き込みを徹底的にやってくれ」

「どうやって探します?」

「目撃者は、音を聞いたと言っていた。もし狙撃だったとしたら、狙撃ポイント周辺では、もっと大きい音を聞いた人がいるはずだ。それを意識して探してくれ」

「分かりました」

「俺と千鳥は、この被害者の身辺を洗ってみる」

「はい」

それぞれの役割が決まって、それをさっそく行動に移した



千鳥と二人で向かった先は、被害者の身元である荒羽場神社だった

そこを訪ねてみると、神主の檜川義勝が出迎えてきた

「なにか……?」

「檜川勝彦をご存知ですか?」

「勝彦ですか? あいつはわしのせがれですが……」

「では、あなたは父親ですか」

「はい。檜川義勝と申します」

そう言って頭を下げたのは、かなり優しそうな人柄の神主だった

それから彼の進めるままに、客室へと通され、そこで話を聞くことになった

「あいつとは、十六年前から連絡を取っておりません」

「十六年前というと……勝彦さんが補導された翌年ですね」

「ええ。あいつにはほとほと愛想が尽きましてな。あれをきっかけに、縁を切りました」

「では、それから彼がどうしたかは、知らないと?」

「そうです。あれからあいつはここを出て行って、どこかで暮らしていたのでしょう」

だが、そうしゃべっているうちに、神主はふるふると震え、涙を目に溜めた

やはり親としては、息子が亡くなったのは哀しいのだろう

「ではそれまで、彼が何をしていたのか教えていただきませんか」

「何を、とは?」

「例えば暴走族時代、なにか特別な活動をしていたとか」

「知りませんな。ただバイクをふかして走り回るくらいのものでしょう」

そう言う神主の言葉には、嫌悪が込められていた

「どこか組織に入っていたという話は聞いてませんか?」

「組織? さあ、私の知る限りでは聞いてませんな。もっとも、飛び出した後はどうか分かりませんけど」

「そうですか」

組織がらみで、なにか狙われる動機ができたのかと思ったのだが

しかし、十七年という空白は長い。その間になにかが起きた、と考えるのが妥当だろう

その後もいくつか質問したが、解決に繋がる情報を得ることはできず、そこを失礼した

「あの家を飛び出して十七年の間、被害者はどこに住んで、なにをしていたかを知る必要があるな」

それを掴むのに、かなりの労力と時間を必要とされた



「被害者の友人に当たる男から、被害者の住所が判明しました」

「どこだ?」

その場所が記されたメモを読むと、現場から三駅ほど離れていた

「やはり会社の名簿と住所が違うな」

「正確には、会社に記された住所が被害者の家ですが、あまりそこに身置きすることはなく、友人の家に泊り込むことが多かったみたいです。この住所がその一つです」

「この友人との関係は?」

「麻雀仲間だそうですが、裏づけはまだ取れてません」

「よし、そこへ行ってみよう」



そこは、古いアパートの一室だった

たしかに同居だったらしく、中から誰かの物音が聞こえてくる

宗介がノックをすると、無精ひげを生やした中年男が扉を開けた

「失礼します。警視庁の刑事課の相良宗介と言います」

「刑事さんっ?」

宗介の職業に驚き、そしてあからさまに嫌な顔をした

「な、何の用です?」

「ここに住んでいた檜川勝彦について、聞きたいことがありまして」

「カツヒコですか」

それから二人はその部屋に上がらせてもらった

中には、呼んでいたのだろうか、他にも人がいた

麻雀卓を囲みながら、煙草をふかしてだべっていた

まず自分の職業を名乗ると、男たちはひどく狼狽していたが、お話を伺うだけと分かると、ほっとしていた

「ここに檜川勝彦が泊まっていたんですね」

「泊まるというより、住んでいたようなもんだがね」

「なるほど」

その麻雀仲間は、ひどく無精ひげを生やしていたり、シャツ一枚の風体ばかりだった

それどころか、檜川よりも年が離れた中年や、若者も入り混じっている

檜川の身なりとは、どうにも結びつかない関係のように思えるのだが

「ここで、彼はなにをしてたんです?」

「なにって、まあ。ぐーたらしとったな」

「檜川勝彦は会社員です。失礼ですが、あなた方の職業は?」

「大工仕事やってるよ」

「新聞配達とか日雇いだね」

予想通りの職業だった

「皆さん、職業がバラバラなのですね。彼とはどういったことで知り合ったんです?」

「まあ、一言で言やあ麻雀仲間だな。あいつ、見かけは立派な会社員に見えるが、結構博打好きでなあ」

男たちは、がははと笑った

「博打?」

宗介がそこを問い詰めると、一転して、男たちは気まずいといった顔をした

「それは麻雀関係の博打ということですか」

「…………」

「……今は、彼についての情報が知りたいのです。あなた方がなにをやっていたかは、今は問わない。言ってくれませんか」

だがそれでも、彼らは言うかどうかを考えあぐねていたようだった

頭に手ぬぐいをハチマキのように巻いていた中年が、肩をすくめて答えた

「……賭け麻雀だよ」

「レートは?」

「おいおい、そんな吹っかけるような高いレートはやらねえよ。それに俺たちの中だけでやろうってちゃんと制約を決めてんだ。警察沙汰になるほどじゃねえって」

次々と、彼らから賭け麻雀について、言い分が始まった

借金は受け付けない。残り財産が一万を切ったらゲームから強制退去というルールを決めているらしい

「なるほど」

「なあ……カツヒコの奴が、どうかしたのかよ?」

一人が、不安そうに聞いてきた

室内にテレビは置いていないので、最近のニュースには疎いのだろう

そこで、檜川は誰かに殺されたという旨を告げると、みんなはひどく驚いた

「カツヒコが……なぜだい?」

「それを我々も知りたくて、お話に伺ったのです」

あからさまに、室内に動揺が走っていた

「彼に恨みを持つ者に心当たりはありませんか?」

「…………」

なぜか、みんなは押し黙っていた

それからゆっくりと首を横に振り、誰もが知らないと言った

「では、彼が誰かに狙われてるということを相談された人はいますか?」

それにも、誰もいないということだった

「ならば、彼がなぜ殺されたか心当たりは……?」

「…………」

それにも、なぜか誰もが押し黙り、しばらくの間があってから、

「知りません」

とだけ答えてきた

「失礼しました。またなにか分かれば、連絡を」

連絡先だけ伝えて、宗介と千鳥はそのアパートを出た



「事件に繋がるものはありませんでしたね」

「いや……」

宗介は、ちらっとそのアパートを振り返った

「あの人たちは、まだ何かを隠している」

「え?」

「奴らはどこかで嘘をついているな。それがなぜかは分からんが」

「麻雀の他にも、なにか博打をやっているということでしょうか?」

「さあな。そうかもしれんし、また別の何かを隠してるようにも思う」

「どうします?」

「しばらく、あそこの住人の行動を見張ってみよう」



宗介と千鳥の二人で、アパート前に車を停めて、しばらくはそこから例の住民達の動向を見張っていた

小野寺の聞き込みは少しずつ進展してるらしく、日々範囲が絞られていくという



すると数日後、第二の事件が起きた




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