殺されたい男 5その分析を頼んだ鑑識所に行き、空白の紙の分析を担当した鑑識官と会った 「それで、分析結果はどう出たんですか」 「はい。セルロース、ヘミセルロース。あとわずかですが、リグニン等が検出されました。あとはそれぞれ、紙を作る工程での化学物質ですね」 「その中に、妙なものがあったと?」 「いえ。これらの分析結果から、この紙は、一般的な紙そのものです」 「それでは、報告のあった妙な結果とはなんだね」 林水が聞くと、鑑識官は、数字の並べられたデータ紙を見せてきた 「ただ、この紙に、わずかですが異物が染み込ませてあったんです」 「異物だと?」 「ええ。これは後から、紙に染みこませたものと考えています。そしてこの異物が、提出された四枚の紙すべてに検出されました」 「その異物そのものは、なんなのだ?」 「発臭成分です」 「発臭?」 「ニオイですよ。トイレのニオイ、水のニオイ、香水のニオイというような『ニオイ』です」 「つまり、その紙に、なんらかのニオイを発する成分が染み込ませてあったということか」 「そういうことです」 「どういうニオイなんだ?」 「それが分からないんです。シクロメチコン、ベタイン、BG、ステアリン酸グリセリル(SE)、PCA-Na、ソルビトール、グリシン……。そのどれでもないです。どっちかというと、香水に近いんですよ。しかし、香水成分のどれでもない」 「香水……」 千鳥は、その紙を袋から出して、くんくんと嗅いでみた 「……これ、本当にニオイがついてるんですか?」 宗介も嗅いでみたが、ニオイがついてるのかどうかでさえ、分からなかった 「当然ですよ。検出された量は、ほんのわずかでしたからね。それにこの発臭成分は人間の嗅覚範囲より外れているんです」 「どういうことなんだ?」 「つまり、普通の人間には、嗅ぎ取れないニオイなんです」 そこで、林水がつぶやいた 「そうか。これを合図に使ったのかもしれないな」 「どういうことです? 警部」 「私は例のサイトについて疑問に思っていたことがある。それは、お互いに顔も名前も知らせないことだ」 あの自殺補助サイトでは、依頼者も、そして実行犯も、連絡を取るのは文字の上でだけなのだ 現に、あのビルから飛び降りた日向柾民も、実行犯の顔も名前も知らなかったのだ 「ならば、実行犯にとって、依頼者は誰かを、どうやって知ったのかが疑問だった」 「あ……」 「実行犯は、依頼者を殺さなければならないわけだからね。しかし、実行犯は自分のことを知られるのを嫌うためなのか、徹底的にその情報を隠している」 そのせいで、今でもこれほどまでに、実行犯の犯人像がぼやけて見えないのだ 「ならば、誰が依頼者であるかを知るために、相手になにか目印みたいなものをつけたのではないかと思ったのだ。それがおそらく、この紙に染み込ませたニオイなのだろう」 「しかし警部。このニオイは、人間には感知できないニオイなんですよ。それなら実行犯も嗅ぎ分けられないでしょう」 「おそらく、この実行犯は、『絶対嗅覚』を持つ者だ」 「絶対嗅覚?」 「『絶対音感』というのは知っているかね?」 それを聞いて、千鳥がああ、と言った 「最近知られるようになりましたね。たしか、ピアノの音を聴くだけで、それがなんの音程か分かるんですよね。一度聞いた曲をすぐに譜面にすることもできるらしいです。さらには、人の声を聞いて、頭の中でそれすらも音程に聞き変えることもできるとか」 「そう。それが『絶対音感』だ。それは、『耳』の特異能力といえる。そしてこれはあまり知られていないが、『鼻』の特異能力も存在するのだよ」 「それが、『絶対嗅覚』……?」 「うむ。絶対嗅覚は、看護犬に多い。その犬が病気持ちの人を嗅ぐと、それだけでその病気の部位が分かるという。だが、それは動物に限らず、人間も持っている能力なのだ」 「そうなのですか」 「こういう話がある。ある水道局の職員は、化学分析半年でも検出できなかった物質を、百億分の一の濃度(利根川にコップ一杯の排水を捨てたくらいの濃度)から嗅ぎわけたことがあるそうだ」 鑑識官も、それにうなずいた 「そうです。その絶対嗅覚の持ち主なら、このニオイも嗅ぎ分けられるでしょうね」 「つまりだ。これは私の推測だが、実行犯は依頼者に、やり取りの中で、この紙を置いた場所に行かせて、それを持たせる。あるいはまた別の方法も考えられるが、そうして依頼者にはその紙を手放さないよう、指示する。そして実行犯は、街中を歩き、そのニオイを染み込ませた紙を嗅ぎ取り、その持ち者が依頼者だと確認する。これならば、一方的に依頼者を知ることができる」 「ちょっと、まわりくどいような気もしますが」 「確実さを高めるには、多少の回り道はつきものだよ」 あるいは、実行犯のその絶対嗅覚を使う機会が欲しかったかもしれない、と林水は付け加えた 「人間というものは、希少な能力を使いたがるものだからね」 「だから、被害者達はこの紙を持っていたのか」 「これで、空白の紙の謎が解けましたね」 千鳥がひとつ納得したような顔で言ったが、それでも宗介の顔は晴れなかった 「いや。逆にひとつの謎が増えた」 「なんですか?」 「あのビルから飛び降りた日向柾民は、その空白の紙を持っていなかった。ちゃんと依頼してたにもかかわらず、だ」 「そういえばそうですね。でも、依頼してから一週間以上経ってましたから、家とかに置いてたんじゃないですか」 「手放すなといったような指示があってもか?」 「……彼の家宅捜査をもう一度させますか」 「今度は紙に意識して、徹底的に、だ」
その指示を与えて、一日かけて家宅捜査させたにもかかわらず、空白の紙というものは出てこなかった 「広告の裏とか、束のメモ帳とかは出てくるんですが、一切なにも書かれてない一枚の紙というものは、意外と無いものですね」 「燃やして処分でもされたかな」 「そうでなければいいんですが……」
それから数日後、聞き込みを続けていた小野寺から、有力な目撃者を見つけたと報告が入った そのため、より確認して欲しいということで、宗介たちが同行した 宗介は、小野寺と喫茶店前で合流し、商店街を歩いていた 目撃者は、射程予想現場から百メートルほど離れた人気の少ない通りで見かけたという、青年だった その青年は、バンド活動をしていて、当日もこの周辺でストリートライブをしていたそうだ 「あれはバンドの終了して二時間ぐらいかな。オレだけ残ってこの辺でぼーっとしてたんだよ」 「確かに音を聞いたんですね」 「ああ」 「そして、その前後時間に、金髪の妙な男を見かけたと?」 「そうだよ。この辺って寂れててよ、会社どころか住宅街もねえし、なんでこんなところをスーツの男がうろついてるんだろうって思っててな。持ってたスーツケースも妙にでかかったし」 「スーツの男が?」 「ああ。この辺りの廃墟ビルを見上げながら歩き回っててよ。なにかを探してるって感じだったな」 射撃ポイントを探していたのだろうか? 「顔は見たんですか?」 「ああ、見たよ」 金髪なんて、今の日本ではいくらでもいる だが、この時間帯と、その怪しい行動からして、可能性がないわけではない そして宗介は、自分の机の中にあった、一枚の写真を、胸を締め付けられるような思いで、ポケットから出した それは、クルツと宗介が写った写真だった。 まだ巡査だったころに、よく遊びに来ていた佐伯恵那が、写真を撮ったことがあったのだ その一枚だけが、唯一彼の姿の写った一枚だった 「……その金髪男は、この人でしたか?」 否定してくれと願いながら、宗介はその写真を差し出した すると青年は、そのクルツの写真を眺めた後、はっきりと告げた 「ああ。こいつだ。間違いねえよ」
「この青年の証言で、クルツと事件の関係が、一層深くなりました」 小野寺が、林水警部にそう報告した 「他に目撃者はいなかったのかね?」 「時間帯も深夜過ぎでしたし、あそこには広場以外、なにもありませんからね。他にはいませんでした」 「ついに目撃者が出てきたか……」 目撃者は、事件の大きな鍵となることがある この証言を、警察がどう受け止めるかによって、事件の方向性がまったく変わってしまうのだ 「他に有力な情報はない。……仕方ない、この証言を元に、彼を第一容疑者として捜査を進めよう」 「…………」 クルツがあそこにいたことと、殺害時刻、その行動。 そのすべてを偶然と考えるのは、さすがに無理があった 林水は、会議室の刑事達を一瞥して、告げた 「もはや、クルツくんの失踪と、この自殺補助殺人事件は関連があるものとして考えるほかないだろう」 確かに、これまでの証拠と証言からでは、そういう結論に達してしまう 「クルツくんは失踪の際に、自分の痕跡を徹底的に消していってしまった。これにより、二つの仮説を立てることができる。ひとつは、クルツの拉致説だ」 宗介は、林水警部を見上げた それは、自分がわずかながら思い描いていた仮説と同じだったからだ 「彼の狙撃の腕は超一流と考えていい。そしてその腕に目をつけた組織が、彼を拉致した。そうして、例のサイトを通じて、商売し、クルツくんに仕留めさせる。そのことを隠すために、さらにその組織は、クルツくんの記録や存在の証拠などを消した。これはサイトそのものの運営人数の不明と、痕跡消去状況から考えられることだ」 「それならば、その組織の者によって、クルツはどこかに監禁されてると考えるべきですね」 「うむ。そしてもう一つの仮説は、あまり考えたくないことだが……」 林水警部は、メガネをかけ直して、言った 「クルツくん自身が、自らの意思で行動を起こしたという仮説だ」 その仮説に、会議室にため息が漏れた 「半年前に、なにかをきっかけに、彼は警察としてではなく、個人として今回の事件を起こした。その前準備として、自分の記録を自らの手で抹消し、闇の世界へと身を染めた。前準備として考えるのは、警視庁に入れる身分のうちになら、警視庁内の自分のデータを消すことも可能かもしれないからだ。そして自分の射撃能力を利用して、あのサイトを始めた」 「しかし、動機が分かりません」 「現時点で、動機は分からん。だが、それについてはクルツくんを捕まえて自白させればいいと思っている」 「…………」 「どっちの仮説にしろ、クルツくんを捕まえることに変わりはない。彼が実行犯ということは、もはや明白だからね」 「…………」 もはや、クルツを捕まえるという方針は、避けられないことなのだ 唯一の救いは、クルツはただ利用され、この事件の首謀者でないことを祈るのみだ 「さて、今後の捜査方針は、クルツの失踪事件の解明にある。その解明が、この事件の背景と、行動に結びつくと考えるからだ」 仕方なく、宗介は挙手した 「なにかね、相良警部補」 「実は、クルツの失踪と、千鳥の担当した事件との関連があるのではないかという見方が浮かんできました」 ここまでの状況になれば、この事実を隠すわけにはいかないのだ 「どういうことかね」 「あくまでも一致しているということですが、半年前の7月12日。つまりクルツが失踪する前日です。その日、クルツはひとつの事件に、狙撃班として駆り出されました」 「しかし、彼自身はなにもしないで解決したのだろう?」 「そうです。しかし、その現場は、別の事件を追っていた千鳥の事件の現場に近かったのです」 「ほう……」 その千鳥の事件は、千鳥自身が説明した 「……ということで、あたしは重要人物を逃がしてしまったのです。その関わった別の小さな事件の現場が、クルツさんの出動した現場と近かったわけです」 「千鳥くんは、彼の姿は見なかったのかね」 「見ませんでした。だからそれを知った時は驚きました」 「ふむ……。その千鳥くんの事件が、なんらかの形でクルツくんを巻き込んだ可能性は、あるな」 「どういうことですか?」 小野寺の質問に、林水警部は例え話を使って説明した 「千鳥くんが逃がした重要人物を、クルツくんが気づき、代わりに追って行ったのかもしれない。その人物に、逆に捕まってしまい、利用されてしまう」 「なるほど」 「または、その千鳥くんが関わった小さな事件のほうに、クルツくんとの関わりがあり、それが今回の事件の行動を促したとも言える」 「たしかに、そういう考え方もできますね」 そこで、林水は捜査方針を告げた 「当時のクルツくんの担当した事件と、千鳥くんの担当した事件を調べ、その関連性を見つけ出すんだ。どちらか片方が、個人とのつながりがあるという可能性も忘れるな」 「分かりました!」
その会議室はいったん解散し、宗介は千鳥とその事件を洗っていった 千鳥の逃がした重要人物はいまどうしているのか、その背景にある組織は何か。 千鳥の関わったその別事件の詳細と、その背景。 さらにはクルツの担当した事件の爆弾犯は、どうしているのかといったことを、次々と調べていくことになった そして千鳥の関わった小さな事件の、証言者に会うために、その人の仕事場に伺ったが、収穫は無かった その帰り道、二人並んで、事件のことを考えていた 「やっぱり、あたしの気にしすぎなんでしょうか」 「可能性はあるんだ。捜査というものは、その可能性がある限り、確かめなければならない」 「…………」 押し黙る千鳥の横顔を見ていると、ふいに宗介は思い出した そうだ さっきから気になっていた、千鳥の半年前の事件 どこかで聞いたことがあると思っていたが、あれは常盤恭子から聞いた事件と、まったく同じなのだ 重要人物を泳がせて、その背景にある組織を暴くという任務だったが、目の前で小さな事件と遭遇し、上からの命令を無視して、その事件に関わってしまったのだ その際に、重要人物に刑事の存在を知られてしまい、逃げられてしまった そして千鳥は、その事件のせいで、警部補に降格という処分を受けてしまったのだ 「そうか。あの事件か……」 「やっぱり、ソースケは聞いていたんですね」 どうやら宗介の独り言が聞こえていたらしい。うつむいて、そう確認してきた 「……すまない。俺が無理矢理聞きだしたんだ」 「別にいいですよ。あたしは後悔してないんですから」 「そうか」 「……でも、納得できないのは、クルツさんの事件です」 「…………」 「脅されているのなら、納得はできます。しかし、もう一つの仮説は考えられません。クルツさんが、ああいう事件を起こすなんて……」 「動機が問題だな」 その動機さえ分かれば、どっちの仮説なのかがはっきりできるのだ 「動機、ですか……。しかし、あのクルツさんに事件を起こさせるほどの動機は思い浮かばないんですが」 「…………」 その時だった ふと、宗介は大胆な仮説を立ててみたのだ しかし、その仮説ならば、クルツを事件に駆り立たせる動機がある……!
「……ひとつだけ、なんとなく思い当たることがある」 「えっ!」 驚く千鳥を抑え、シーッと指を口に当てて黙らせた 「いいか。これはあくまで、推測に過ぎない」 そう前提した上で、宗介は自分の推測を語った 「もし、クルツに殺人を駆り立たせる動機があるとすれば、思い当たることは、佐伯恵那のことだ」 「……佐伯さん?」 いきなりこの名前が出るとは思わなかったのだろう、びくっと身をすくめた 「俺は、あいつに佐伯の死を告げれなかった。それは千鳥も同じなんだろう?」 「……はい」 「しかし、クルツはそれを何らかの形で、佐伯の死を知ってしまったのかもしれん」 そして宗介は、顔をしかめた 「情報を知る時、その状況や、伝達方法によって、受け止め方が変わってくる。そしてクルツの場合、最悪の状況で、それを知ってしまったのかもしれない」 「どういうことですか?」 「つまりだ。俺たちがそれを告げた場合と、また別の第三者が伝えた場合では、その事実を受け止める心境も変わってしまうということだ」 「……?」 「俺たちが告げれば、無念の悔しさを噛みしめるくらいだ。だが、その死という事実を、悪意のある第三者が告げたとすれば……?」 「クルツくんを怒らせるような、伝え方をしたということですか?」 「ああ。言葉というのは、感情によって変化するものだ。クルツがその事件に、激しく怒りを感じるような伝え方で、クルツを煽ったりしてしまうこともある。第三者が悪意を持って説明すれば、その事実をかなり最悪の心境で聞いてしまうこととなる。そして、その敵討ちを考えた……」 「あたしたちが黙っていたから、クルツさんは嫌な伝え方で、その事実を知ってしまった……?」 「それを知るきっかけとなったのが、あの半年前の事件だったのかもしれない」 「どういうことです!」 「……半年前の事件、偶然だろうが、二人は近くの現場に居た。そして、おそらくクルツは千鳥の姿を見たのだろう」 「あたしは見ませんでしたよ。声もかけられませんでした」 「声をかけなかったのは仕事中だったから遠慮したか、なにかかもしれん。ともかく、クルツは千鳥の姿を見た。そして、千鳥を見たことで、佐伯恵那のことを思い出したのではないだろうか」 「前に会った時に、佐伯さんのことをはぐらかして答えたから、ですか?」 「それで、佐伯のことを思い出し、会いに行こうとした。その過程で、佐伯恵那の死を知った……」 千鳥は涙目になって、震えた 「じゃあ。その推測だと、クルツさんの、今回起こした動機というのは……」 「……復讐だろうな」
クルツは、巡査の頃、表には出さなかったが、恵那に対して好意を持っていた 彼女の見せる優しさや、時折持ってきてくれた差し入れ。 それはクルツにとって、とても安らぎを感じたものだったに違いない そして千鳥を見て、彼女を思い出し、久々に会いに行こうと行動を起こした だが、そんな彼を待ち受けていたのは、佐伯恵那の凄惨な遺体だった それをどうやって調べたのかは分からないが、それを知る模様が、不運だったのではないか 悪意のある者による伝達で、彼女の死を復讐に駆り立てられたのかもしれない 「じゃあ、あのサイトも、佐伯さんの事件と関連があるんでしょうか?」 「分からないが、クルツはあの事件の、なにかを掴んだのかもしれないな。それが自殺と結びつくものなのか……」 自殺補助サイトを置いて、その事件の関係者が出てくるのをおびき寄せようとしているのか? それとも、自殺がなにかの証拠と結びつくのだろうか? 「クルツはこのサイトで、なにかを待っているんだ。可能性として考えられるのは、犯人が自殺に関係することなのかもしれん」 「どういうことなんでしょう?」 「分からん。クルツは、なにを掴んだのか……」 そして、あのサイトで引っかかったなにかで、犯人を見つけ出せると考えているのか だが、そこまで言ってから、宗介は鼻を掻いた 「まあ、俺の推測上でのことだがな」 「いえ。それなら筋が通りますよ。でも、そうだとしたら悲しいですよ……」 「……復讐か」 そして宗介は、ぽつりとつぶやいた 「あいつの復讐を、止めてもいいものだろうか」 「なに言ってるんですか」 「……クルツが復讐を望むなら、俺はそれでいいと思っている」 「ふざけないでください!」 千鳥が、大声で怒鳴った 「復讐なんて、自分を汚すだけです。復讐を止めないと、彼自身が苦しむだけですよ」 「…………」 それについては、宗介はなにも言わなかった
その宗介の推測を、警部の林水にも聞かせた 「実に興味深い推測だね」 「彼の半年前の行動を調べる必要があります。事件そのものではなく、彼個人の行動についてです。彼が佐伯恵那の調査をしていなかったか。それを調べることができれば……」 だが、驚いたことに、林水は首を横に振った 「残念だが、それは無理だ」 「なぜですか?」 これを調べれば、より一層真実に近づけるかもしれないのだ 「確かに、その可能性は考えられる。動機としても充分だ」 「ならば……」 しかし、それでも首を振って見せた 「もう、これ以上クルツくんについての捜査をすることは、許されないのだよ」 「どういうことです?」 「また上からの圧力があったのだ。もうこれ以上、クルツくんに関する捜査をすることは許可されない、と」 「な……」 せっかく真実が見えてきたというのに、またも圧力がかかってきたというのか 「これは、殺人事件なんですよ!」 「私もそこを強調したのだがね。しかし、有無を言わせぬ物言いだったよ」 「そんな、馬鹿な」 「なぜ上の連中がこだわるのかは分からないがね」 「……上は、警察というものを汚されたくないだけではないですか」 「そうかもしれないね。ああいう連中は、警察の中から犯罪者が出るのを最も嫌うからね。それを隠したいのかもしれない」 「汚点を認めたくないだけだ」 「……名目上の忠告では、こうなっている。この事件の明確な関連が確認できないため、これ以上の捜査は許されないとのことだ」 「明確な関連?」 「檜川勝彦の件だよ」 「第一の被害者、檜川勝彦ですか?」 「檜川勝彦は、例のサイトの書き込みが見られず、この事件との関連がはっきりしていない。曖昧なまま捜査をすることは、被害者の迷惑になるだけだと。上の連中は、それを口実に中止を命じてきたのだ」 「…………」 たしかに、檜川勝彦と例のサイトとの接点は、いまだに見つかっていない あることいえば、同じ銃で撃たれたということだけだ 「……檜川勝彦と、例のサイトとの関連を見つければいいんですね」 「そういうことだ。それができるまで、クルツくんの捜査は許されないということらしい」 「分かりました。ならば、俺がそれを見つけ出してみせます」 「残念だが、上の連中の方針に従わねばならない。クルツくんの捜査は、いったん打ち切りだ」 「はい。……たしか檜川の件では、彼の住まいを刑事に見張らせているはずですが」 「うむ。二人の刑事に見張らせている」 「俺が代わります」 そう言って、宗介は警視庁を飛び出した
探すんだ。 檜川勝彦と、あのサイトとの関係を。 その鍵を、きっとあの部屋の住人が握っているに違いないのだ |