殺されたい男

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殺されたい男 6


檜川勝彦の泊まっていたアパートの向かいの建物の一室を借りて、そこで二人組の刑事が見張っていた

そこに宗介と千鳥が訪れて、交代を頼んだ

「これまでになにか動きはあったのか?」

「ありません。……ただ」

「ただ、なんだ?」

「かえって、その静けさが怪しいのです。まるで俺たちを警戒して、静かにしているようにも見えるんです」

「…………」

宗介は、その窓から一室の向かいの窓を見下ろした

彼らは相変わらず麻雀卓を囲んで、ごろごろとしている

「ご苦労だった。あとは俺が引き継ぐ」

「よろしくお願いします」

二人の刑事は、そのまま警視庁へと向かっていった

その部屋には、刑事が買っておいたのだろう、大量のカップラーメンが転がっていた

「俺たちが前に訪ねて行ってから、もう何日もたつな。そろそろ動き出すはずだが」

彼らが動き出す時、なにかが掴めるはずなのだ

その時を待って、宗介たちは辛抱強く、見張り続けた



宗介たちが見張りに泊まって、二日すると、ついに彼らが動き出した

中に居た住人の五人ほどが、一斉に外出したのだ

「仕事に行くんじゃないですね」

「ああ。みんなバラバラの職業なのに、同じ時間に出て行っている」

彼らは、そのまま談笑しながら、近くの駅へと向かっていった

「後を尾けるぞ」

彼らは乗り物を使わず、そのまま足で駅へと向かったので、こちらも車は使わないようにした

「どこへ行くつもりなんでしょうかね」

「駅の中まで、一緒に固まってるな……」

彼らはそれぞれ、適当に服を着て、駅の中をうろついているという感じだった

「落ち着きがないですね」

「まるで、なにかを待っているようだな」

ひと時も目を離さず、彼らの行動を見守る

一人は、なにかを見つめるようにじっとしていたり、一人は一定の場所を何度も行ったり来たりを繰り返し、残りは適当に固まっているという感じだった

そして電車が来ると、人の乗り降りが激しくなる

すると、その連中は、電車には乗らず、なぜか引き返し、狭い駅の中へと歩き出し、混雑した人の中にまぎれていった

「まさか……あたしたちの尾行がばれたんでしょうか」

「…………」

細心の注意を払って尾行したつもりだったのだが。それでも彼らの警戒心を突いてしまったのだろうか

「くそ、人ごみに入っていくぞ」

仕方なく、彼らを追いかけて、二人とも混雑した人込みの中に押し入った

その連中は、全員がきっちりと固まって、不定期に移動していた

そしてある場所を横切ろうとして、そこで宗介は決定的なものを見た

「……そうか」

その光景を目にした途端に、宗介の中で、いろいろな疑問がひとつひとつ、ほぐれていくのを感じた

「どうしたんです?」

「千鳥。檜川勝彦の謎が解けたぞ」

「え?」

聞き返す前に、宗介は人ごみをかきわけて、前へと強引に進んでいった

「近くにいる警察官に応援を頼め」

「って、捕まえるんですか?」

「そうだ!」

千鳥は無線で応援を頼み、それからすぐに宗介の後に続いて、連中の元へと、どうにかたどり着いた

「なんだ? あんたら」

その腕を取った宗介を、連中たちが訝しげに眺めた

「貴様らを逮捕する。ちゃんと決定的な瞬間を見たからな」

それを聞くと、連中は青ざめて、我先にと散って走り出した

だが、前もって応援を要請して、駆けつけた警察官の前に、全員取り押さえられたのだった

宗介は、観念した連中の一人から、ポケットをさぐって、財布を取り出した

「スリ集団、現行犯逮捕だな」



その後宗介は、鑑識所に駆け込み、紙を分析した鑑識官に会ってきた

「どうしたんです?」

「前に分析してもらった紙は、まだ残ってるな?」

「ええ。もちろん、まだ保管してありますが」

「今すぐ、鑑識に取り掛かってくれ」

「分析は終了しましたよ」

「そっちじゃない。指紋の検出だ」

紙自体の分析を優先していたが、改めて紙に付着した指紋を調べると、二人の指紋が浮かび上がった

ひとつは、檜川勝彦の指紋。そしてもう一つは、日向柾民の指紋だった

「これで、謎は解けた。あの檜川勝彦も、スリ集団の一人だったんだ」

だからスリ集団の仲間である住人達は、刑事である宗介たちを見て、嫌な顔をし、押し黙っていたのだ

麻雀仲間というのは、表向きのカモフラージュだったのだ

「檜川勝彦は高給な仕事に就いたわけでもないにかかわらず、なぜ毎日のように博打をしたり、豪勢なパブで遊べたりできたのかが疑問だった」

だがその収入源は、給料だけでなく、スリで稼いでいたからだったのだ

そして、おそらく日向柾民も、その被害の一人だったのだ

「日向は殺されるために、例の紙を持って、適当に外出していた。そしてたまたま彼らのスリ集団のターゲットにされて、財布をスラれたんだろう。そしてその財布の中に、例の紙が入っていた」

「殺してもらうための空白の紙を盗られたから、日向さんは自殺依頼をしたにもかかわらず、殺されることはなかったんですね」

「そして奴は紙を挟んだお札をポケットに忍ばせ、現場をうろついた。ところが、その紙を持っていたために、檜川は日向の代わりに命を狙われた」

「よりにもよって、その紙に、『助けてくれ』と書いて、ずっと持ち歩くハメになってしまったんですね」

「ああ。おそらくスリの経歴が暴かれることを恐れて、直接交番に駆け込むことができなかったんだろう。そして仲間に命を狙われることを伝えたかったが、恐怖で声が出せなかったのか、もしくは直接声をかけたらスリ仲間と知られることを警戒したためなのか、紙に書いて、それを見せることで助けを求めようとした」

「そうだとしたら、不運としか言いようがないですね。罰が当たった、とも言い換えれますが」

「今の推理を確信するために、檜川の所持していた財布の指紋を鑑識にまわそう」

財布の中に、カードや持ち者の身分を証明するものは入ってなかったが、財布に付着した指紋にも、檜川だけでなく、日向の指紋も検出されたのだった



「これで、檜川とあのサイトとの関連は繋がった。今度こそ、クルツの捜査を引き継ぐぞ」

「ちょっと待ってください」

いきなり、風間が呼び止めた

「どうした?」

「例のサイトに、新たな書き込みが来たんです」

「なんだと!」

それによると、その書き込んだ人物は、新たな自殺依頼を申し込んだという

「なんてこった」

もしこれが実現されてしまえば、第五の被害者となってしまうのだ

「誰なのか、割り出せないのか!」

「必死でやっていますが、まだ一度も成功していないので……」

「くそっ」

もう、これ以上の被害を出すわけにはいかない。この自殺は、絶対に止めなければならないのだ

「それでも、なんとか頑張ってみてくれ」

「分かりました」

だが、風間に任せて、ずっと手をこまねいている訳にもいかない

「なんとか俺たちにもできることはねえのかよ?」

小野寺も、この事態に焦りを感じていた

「どうしろというんだ。依頼者の顔も名前も分からないんだぞ」

誰かが、怒り気味にそう言った

「いや、運がよければ……そして人手があれば、もしかしたら探し出すことができるかもしれん」

その宗介の言葉に、みんなは飛びついた

「どういうことだ?」

「被害者の持つ例の紙に染み込ませていたニオイは、独特のものらしい。つまり、新種のニオイなんだ」

「それがどうしたってんだよ」

「そのニオイを鑑識によって判別することができた。ならば、逆にそのニオイだけを検知する機械が作れるんじゃないかと思って、科学研究施設に頼んでおいたんだ」

その機械は、すでに出来上がって、警視庁に届いていた

「そのニオイを検知するだけでいいから、作るのは簡単でした。すでに必要分量産してあります」

その機械を作ったらしい研究員が、その機械の操作法を説明し、刑事だけでなく、近くの警察官すべてに、それが配備された

「検知範囲は五百メートルです」

「よし。風間によると、書き込みに出てくるイニシャルの施設名や、その特徴から場所一帯は絞ってある。外出といっても、その周辺にいる可能性は高い。そこを徹底的に探し回るんだ」

「はい!」

その依頼者捜索に駆り出された警察官の人数は、かなりのものだった。人海戦術で、依頼者をなんとか探し出すのだ

しかし、これはほとんど運に頼らざるを得なかった

あくまで住処周辺に居るかどうかは推測の域であるし、殺される前に見つけ出せるかどうかも分からない。時間の問題なのだ

それは、想像以上に困難を極めた



例の書き込みが入って、すでに三日も経ってなお、見つからないのだ

もはや、殺されてしまったのだろうかと、不安が刑事達の間で囁かれていると、ついに見つかったとの報告が入った

「写真を撮れ! それから、そいつの身元を調べるんだ!」

すぐに、その照合がなされた

数分後、依頼者に関する情報が届いてきた

「これが依頼者の住所です」

「これは……」

その住所は、前に勤務していた泉川辺りだった

そしてそれを見て、なぜか宗介は、知っているような、奇妙な感覚にとらわれていた

「相良さん。依頼者と思われる者の自己紹介を見つけました」

自己紹介というより、それは自分が自殺を決意するにあたった境遇を、愚痴のような形で書き込まれたものだった

その要約を、風間が口にした

「『私は三年半前に、最愛の娘を失った。信じられなかった。私は娘をずっと忘れられなかった。離婚した後も、W探偵を雇って、その報告を聞くたびに娘の幸せを願っていたのに。突然の信じられない報告に、愕然とした。娘は、誰かの手によって殺されたのだ。それを聞いて、娘のもとへ駆け、その姿を見た時、私は全てに絶望した。そのむごたらしい傷跡。今でも忘れられない姿。私はそこで生きる意味を失った。働く意欲も失せ、二年前にY会社を解雇された。その後も、なにもする気が起きない。もう、最愛の娘はいないのだから。何度も自殺を試みた。だが、弱い私に、その勇気は持てなかった。そしてようやく、理想的なこのサイトと出会うことができた』」

「……まさか」

宗介は、それを蒼い顔で聞いていた

「……名前は分かったのか?」

「はい。送られてきた顔写真から割り出しました。佐伯准一です」

ぎっと、宗介は唇を噛みしめた

「どうしたんです? 相良警部補」

「……間違いない。佐伯恵那の……父親だ」

そう口を開いたその宗介の声は、ショックと、悔しさが入り混じっていた

すると、宗介の裾をぎゅっと、千鳥が握り締めてきた

「……これは、絶対に止めなければなりません」

「ああ……」

クルツは、依頼者の正体に気づいていないのかもしれないのだ

「悲しすぎますよ、こんなの……。佐伯さんの犯人を捜して、クルツさんはこういう行動を起こしているのに。もしこれを実現させてしまったら、クルツさんは佐伯一家の者を、知らぬ間に自分の手で殺めてしまうことになるんですよ」

「分かっている。これは、絶対に止めてみせる……!」

この依頼だけは、なにがなんでも止めなければならない

こんな事件をいい加減に終わらせるために。そして、クルツのために。

「すぐに保護するんだ!」

「しかし、向こうは自殺したがってるんです。警察と聞いたとたんに、いや姿を見たとたんに逃げてしまうんです。この場合、依頼者にとっては警察は邪魔者にしか見えませんから」

向こうの警官が、そう困ったように言ってきた

「俺がすぐにそっちに行く! しっかり見張っていろ!」

すぐに乗り物を手配して、依頼者の下へと急行して行った

「どうするんです? これから死のうと覚悟のできた者に、説得が通じるでしょうか」

「……俺が殺し屋になる」

「え?」

「あのサイトでは、殺し方は書かれていない。やりとりで教えてもらわない限りは、どんな方法で殺されるのかを知らされないんだ。突然の死を迎えれるように」

「つまり、狙撃で殺されることを知らないってことですか」

「それを逆手にとるんだ。俺がその実行犯になりすまし、これから殺しの手口をどうするかの相談なりなんなりで、依頼者を安全な場所に連れて行く」

「それで、保護ですね」



その現場は、警視庁に近いところだった

数分でそこに着き、見張っていた刑事に教えてもらうと、駅前のバス停のベンチに、やつれた男が座っていた

「あいつか」

「はい。パトカーのサイレンが聞こえると、すぐに逃げようと、物陰に隠れたりするんで困ってます」

「俺が行く。周辺を見張ってろ」

「分かりました」

宗介の片耳には、小野寺に繋いだ小型無線機をはめてある

そして周辺の警官達の視線に見送られながら、宗介はその男に近づいていった

その男は、ベンチにかけながら、向こうを遠い目で見つめている

宗介はそのベンチにさりげに腰掛けて、それからゆっくりとその距離を縮めていった

そして、男の耳元で最初に発する言葉は、実行犯と思い込んでもらうためのものだった

「例のサイトの者です」

それを聞いて、男はゆっくりとこっちを振り向いてきた

男は、だらしのない無精ひげに、うつろな目をしていた

まったくといっていいほど、生気のない目だった

「……待っていました」

その反応からするに、男は宗介を、サイトの実行犯と思い込んでくれたようだった

そしてどう口実をつけて、男を連れ出そうかと考えてると、男は宗介の服を掴んで、揺すってきた

「早く殺してください」

いきなり力強く握ってきて、そう懇願してきた

「殺してください」

「……っ」

宗介はそのすがった目に、思わず視線を逸らしたが、それでも男は何度も揺さぶってきた

「お願いです。もう生きたくないんだ。恵那がいないのに、生きてたって意味がないんだ……」

そうして、殺し屋と思い込んで、宗介に何度も何度も殺してくれと懇願してきた

「……やめろ」

宗介が、震えて、そう漏らした一言に、男の顔がこわばった

「なにを……言ってるんです?」

「……死のうとするな。死んだって、娘は喜ばんぞ……」

それは、ほとんど宗介としての懇願だった

だが、それは男にとって、聞きたくない一言だった

「なに言ってるんだ。あなたは殺し屋だろう。わたしを殺してくれるんだろう……?」

「簡単に死のうとしないでくれ。娘のために生きろ。生きる意欲を持つんだ……」

「嫌だ。恵那は殺されたんだ。わたしは助けてやれなかった……。ひどい……傷だった。恵那は苦しんでいたのに、助けることもできなかったんだっ」

ぽろぽろと、その男のやせこけた頬を、涙が伝った

「やめてくれっ。頼むから……死ぬなんて言わないでくれ」

ぐぐっと、宗介は男の肩を掴んで引き離した

「殺してくれぇ……」

それでも男は、その言葉を繰り返すばかりだった

「なにやってんだ、警部補っ! 早く安全な場所へ連れて行くんだっ!」

その耳の無線機から小野寺が怒鳴ってきて、はっと宗介は我に返った

「…………」

仕方なく、強引に腕を引っ張って行こうとすると――

そのとたん、男の頭が後方にずれ、がくんと後ろにうなだれた

「え……」

いきなり男の体が崩れ、すぐに抱きかかえると、その男の額に、穴が空いていた

「あ……」

そして、その穴から、つーっと赤い血が垂れていた

男の目はもう彼方を向き、その体は動かなくなった

しまった……。

つい、男の説得に時間をかけてしまった……。

佐伯恵那の父親までもが、撃たれてしまったのだ

「うああああああぁぁぁっ!」



佐伯准一も撃たれてしまったことで、その場が騒然とした

准一の姿を見た通行人が悲鳴を上げ、近くにいた警察官が一気に駆け寄ってきて、事態は最悪を迎えていた

「畜生!」

また止めることができなかった!

先に接触できたというのに、第五の事件を阻止できなかったのだ

「……クルツ」

あいつを捕まえなければならない。あいつを捕まえることが、クルツを救うことなんだ。

男の向いていた角度と、額が真正面から撃たれたことで、方向が限定できた

「実行犯は○○駅より南西の方向だ! その方向の建物に潜んでいる! 徹底的に捜すんだ!」

この周辺に居た警察官は、ざっと二百人はいた。それら全員が、同じ方向の、建っていた建物を念入りに捜索を始めた

これは時間との勝負なのだ。時間が経てば経つほど、実行犯は場所を移動してしまう

「見つけました!」

その無線からの報告によると、場所はここから七百メートルの、工事途中のビルだった

「包囲するだけにしろ。中には入るな!」

それから、宗介たちも、その現場のビルへと直行した



そのビルは、屋上に無人のクレーンがあり、ところどころ鉄筋がむきだしだった

たしかに工事途中だが、今日はやっていないらしい

「ここに、あいつがいたのか」

「はい。しかし、入るなとは……?」

「奴はプロだ。無駄な殺しはしないだろうが、自分の身が危ない時は、容赦なく発砲してくるだろう」

すると千鳥が眉根を寄せた

「それじゃあ、近づけないじゃないですか」

「……俺が行く」

「なに言ってるんです? さっき危ないって自分で言ったばかりじゃないですか」

「俺はな、千鳥。あいつにはいろいろと感謝してるんだ」

「……?」

「俺は巡査の頃、本当に腐っていた。なにも目標が持てず、全てが嫌になっていた。だが、あいつがそんな俺を変えてくれたんだ」

「…………」

「あいつになら、撃たれても仕方ないと思ってる。俺はあいつに、生かしてもらったようなものだからな」

「あたしも行きます」

「ダメだ」

「いいえ、行きます。あたしがいれば、クルツさんはあたしたちに気づいて、撃てないかもしれません」

「プロだぞ。そういう感情は出さないかもしれん」

「あたしは、クルツさんを信じてます。それに、これくらいできないようじゃ、人は救えません」

「……後悔するかもしれんぞ」

そう言って、宗介は笑っていた



工事中といっても、そのビルは全体的にかなり完成されていた

発見者によると、狙撃者はこのビルの屋上にいたという

二人は気休めではあるが、防弾チョッキを身につけて、そのビルの中へと入っていった

「……入る前に撃たれるかと思ったんだがな」

「あたしたちに気づいたんじゃないでしょうか。クルツさんは、あたしたちを撃つなんてことはしませんよ」

「油断するな。おい。ビルの見取り図は、大体頭に入れてあるな」

「は、はい」

屋上手前で、立ち止まり、いったんそこで息を整える

目の前には、屋上に通じる扉がひとつ

「さて、どうなるかな。これを開けたとたんに撃たれるか」

狙撃手というものは、一発が肝心となる

その一発を外せば、自分の居場所を知られ、接近戦に持ち込まれ、ライフル銃はほとんど使えなくなる

狙撃はたった一発に、勝負を賭けているものだ

さっき、このビルに入った俺を撃つことはなかった。だがそれは、おそらくこの扉に向けて、集中しているからなのだ

宗介たち侵入者を狙うのに絶好な位置は、この屋上に通じる扉のはずだからだ

「だったら、ここを避けて屋上に……」

「扉はこれしかない。外側から入ろうとすれば、絶好の的になるだけだからな。俺が一気に押し入り、距離を詰めるか。もしくは千鳥が後から入って身柄を確保するかだな」

「しかし、その防弾チョッキでは心もとないんじゃないですか?」

「仕方ないだろう。他に方法はないんだ」

ライフル銃は、強力な威力を持っている。通常の防弾チョッキでは、まず貫通されてしまう

ライフル銃対応ボディアーマーというのがあるが、かなり特別製で、すぐには仕入れることができなかった

「……正直言って、ここで俺が撃たれる可能性はかなり高い。だが、ライフル銃は連射はできない。すぐに千鳥が走っていけば、捕縛できるはずだ」

「…………」

狙撃手を追い詰めたのはたしかだが、それだけに危険性は高まっている

しかし、それでもあのクルツを止めてやりたいのだ

行くぞ、と構えた時、いきなり無線が入ってきた

「なんだ? 今から突入するところだが」

「引き返すんだ。今すぐ下に戻って来い」

それは、ビルの周りで待機していた小野寺からだった

「そうはいかん。ここまで来て、じっとしてるわけには……」

「いいからいったん戻ってくるんだ。新兵器が届いてきたんだよ」

「……新兵器?」



ただの呼びかけなら無視するところだが、新兵器というのが気になり、仕方なくそこを離れ、下に降りていった

すると、ビルの入り口付近に厳重な黒塗りのバンが止まっており、その中に、警察の新兵器があるという

「いったいなんだ? これは」

「ちょうど、届いてきたんだよ。実践に使われるのは初めてなんだが、その防御能力は実証済みだとよ」

「……?」

わけがわからないまま、その車のドアを開けると、そこには驚くべきものが置かれていた

「これは……」



宗介は、その新兵器を装備し、またも屋上の扉の手前に来た

そして今度は、躊躇無く、その扉をがちゃりと開けて、一気に飛び出す

すると、ドォンッと銃声が鳴り響き、その銃弾は宗介の胸辺りに命中した

だが、彼は止まらずに走り続け、屋上の中へと進むことができた

「ふもぅっ!(そこまでだ)」

宗介の装備した新兵器、ボン太くん二号は、四年ほど前に押収した龍神会の新兵器、ボン太くんスーツを警察が長年かけて解明し、今度は警察版として作られた改良型だった

そして突入する際に放たれたライフル弾は、ボン太くんの強力な防弾繊維の前に、もこもこした毛に絡められて止められていた

「な……なんだそりゃあ!」

屋上のタンクの陰で構えていたその金髪スナイパーは、その宗介の姿を見て、仰天していた

「ふもう、ふもっ!(そこまでにするんだ、クルツ!)」

その後に続いて千鳥も飛び出し、宗介と千鳥の二人で、そのタンクの前に立ちはだかった

だが、二人はそのライフル銃を構えた金髪外人を見たとたん、相手を間違えたのかと思った

「……誰?」

そいつは、確かに金髪で、外人ではあったが、いかつい目にごついアゴをした、クルツとは似ても似つかぬ男だった

「ふも? ふ、ふもー(共犯者か? とにかく、確保するんだ)」

すでに十メートルとない距離だったので、その金髪男はライフルを使えず、それでも素手で抵抗しようとしたが、千鳥の柔道術の前に、叩き伏せられた

宗介はボン太くんの頭部を外し、金髪男の胸倉を掴んだ

「クルツはどうした?」

だが、男はその言葉の意味が分からないようだった

「クルツ?」

「貴様のほかにも狙撃手がいるんだろう。その一人にクルツ・ウェーバーがいるはずだ」

「そんなヤツ知らねえよ。それに、ほかなんていねえしよ」

「……?」

その後、別の警察官数人がなだれ込み、その金髪男に手錠をかけ、下へと連行して行った

「どういうことでしょう? 嘘は言ってないように見えましたが」

「分からん。警察でじっくりと、吐かせるしかないな」



そのあとの厳しい尋問で、金髪男の全てが明らかとなった

金髪男の名は、ジョン・ダニガン(36)

沖縄の米軍基地に8年ほど在籍し、その間に日本が好きになってしまったという

在期が切れても、彼は日本を離れたくないとして、軍を辞め、日本で生活することにした

だが、日本で生活することの困難さを感じ、また日本での労働の違いに限界を思い知らされた

まともに働くことができないと思ったジョンは、自分の特技であった狙撃を生かす仕事を考えたという

だが、殺人仕事はリスクが高い上に、そんな闇仕事は嫌だったため、独自の方法を思いついたのだそうだ

それが、たまたまその当時多かった、不景気による自殺者の増加のニュースを見て、自殺専門の『自殺補助』を請け負う仕事を始めることにした

そして集客力の多いサイトを利用し、『自殺補助サイト』を開設したという

運営者はジョン・ダニガン一人のみで、他に協力者はいなかった

最初、ジョンは『自殺の補助をしただけで殺人をしたわけではない』と強調していたが、檜川勝彦の件は、人違いであり、彼自身に自殺の意思は無かったという事実を告げると、彼はショックを受け、罪を認めたという



「これで、事件は解決ですか?」

警視庁の屋上で、宗介と千鳥は二人、外の景色を眺めていた

「そうなるな」

「しかし、分からないことがあるんですが」

「狙撃手が、クルツじゃなかったということか?」

「そうです。これまでの捜査は、クルツを目撃したという証言の元にしてきたものです。しかし、実行犯はクルツさんではありませんでした。それなら、なぜクルツだとあの青年は証言したんでしょうか」

すると、宗介はこめかみを押さえた

「……目撃者の青年は、あのジョン・ダニガンの顔と、クルツ・ウェーバーの顔が同じように見えたんだそうだ」

「はあ?」

しかし、千鳥の目には、金髪と髪型以外、全然別物の顔にしか見えない

ジョン・ダニガンはどっちかというと、かなり不細工な顔つきだったのだ

「……人は、顔を目撃する時、記憶するのは特徴のあるパーツだけだと言われている。それどころか、まったく違った顔なのに、それを真犯人だと思い込んでしまうことがあるんだ。これは当時の恐怖によって、記憶構造が曖昧になってしまうからだとか、特定の部位しか思い出せないというパターンからくるらしい。そしてそれが、最も捜査を混乱させる要素のひとつと言われているんだ」

「でも、あの青年は当時、その金髪男が事件の犯人だと知らなかったんでしょう? それなら恐怖はなかったはずですが。それでも見間違いなんてあるんですか?」

「こういうこともよく聞くだろ。『外人から見ると、俺たち日本人はどれも同じ顔に見える』。それは逆に、『日本人から見ると、外人はどれも同じ顔に見える』……そういうことらしい」

「な……」

「俺たちは、クルツを個人として知っている。だからすぐにジョン・ダニガンと別人と分かったが、あの青年にとっては、どっちもただの外人として、同じ顔に見えるらしいな」

「……あの野郎」

千鳥はつい、ぐぐっと握り拳に力をいれてしまっていた

「それにしても、クルツ本人がこれを知ったら怒るだろうな」

「……あの証言に踊らされて、すっかりあたしたちがクルツさんを疑ってしまったことですか?」

「……いや」

そして、宗介はジョン・ダニガンの顔を思い浮かべ、苦笑した

「あんなブサイク男と間違われた、ということにだ」



結局、この事件はクルツ・ウェーバーとはなんの関係もないことが証明された

「だが、それなら――」

宗介は一人、遠くに浮かぶ雲を見つめ、つぶやいた

「クルツ。お前はいったい、どこに行ってしまったんだ――?」




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