殺されたい男

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殺されたい男 4


「国内の射撃オリンピックの出場者一覧が届きました」

警視庁の捜査本部の会議室に、厚い束の書類がでんと置かれた

たとえ五百メートルの距離だとしても、実行犯は被害者の額の真ん中に的中させるという腕を持っているのだ

ならば、それ相応の成績を過去に残しているのではないかという林水警部の判断から、取り寄せてもらったものだった

「過去最近の大会の上位者は誰かね?」

刑事の一人が、厚い書類から、最近の大会の項目を抜き出した

「ええと。最近の射撃オリンピック・ライフル部門の優勝者は、クルツ・ウェーバーです」

その報告に、宗介と千鳥が嫌な顔をした

「彼か。クルツくんの射撃の腕は、私の耳にも届いている」

「ええ。クルツさんの成績は、警視庁でも伝説扱いですよ。なにしろこれまでの射撃記録を全て塗り替えてしまいましたからね」

「ふむ……」

それを聞いて、宗介と千鳥は驚いた

いきなり金メダルをとったという話は聞いていたが、そこまでの偉業だったとは知らなかったのだ

「なにしろ、常識ではありえない成績ですからね。出場した競技すべてに、満点を叩き出したんだから。彼の記録はこれからも破られないでしょう」

「なるほど。そこまでの腕なら、五百メートルからの距離でも、額を撃ち抜くことは可能かもしれないね」

「警部!」

がたっと、宗介が声を張り上げた

「なにかね、相良警部補」

「お言葉ですが、彼が民間人の命を奪うなんてことは……」

「相良警部補。君たちの間柄はよく知っている。だが、彼はまず疑うべき立場にあるのだ」

「…………」

宗介は座りなおした



クルツ・ウェーバー

三年半前に、泉川署地域課から、狙撃の腕を買われ、警視庁の特殊犯捜査一課射撃班に転属した

国内の射撃オリンピックで、いきなり優勝するほどの優秀な狙撃手だった

ところが、半年前に、急に姿を消した

書き置きもなく、彼の捜査が行なわれたが、途中でなぜか捜査が強制中止となり、今も行方は知れない



「この半年前の失踪が気になるね」

「これについては、特殊班捜査一課の協力が必要ですね」

「あまり協力的にはなってくれないだろうな。だが、事件の関連性が少しでもある以上は仕方ないだろう。私が話をつけてこよう」

林水が、その役割を引き受けた

「現状で、なにか新しい情報はないかね?」

すると、聞き込みに行っていた刑事の一人が挙手した

「例の自殺補助サイトのことですが、第一の被害者、檜川勝彦がそのサイトに書き込んだ形跡があるかどうか、彼の住まい周辺のネットカフェ、会社に当たってきました」

「それで?」

「この一帯のネットカフェや、インターネット無料体験を設けた所を中心に調べましたが、彼がそこを利用した情報はありませんでした。顔写真も見せましたが、店員は見たことがないと言っていました」

「彼の勤めている会社のほうはどうだったね?」

「はい。この会社のパソコンは、独特のシステム構築を使用しており、使用制限が厳しいです。そして記録を洗ってみましたが、この会社からも、例のサイトにアクセスしたと思われるものは一切出てきませんでした」

「現状では、檜川勝彦と例のサイトとの接点は見つからない、か」

「その通りです」

確かに、妙な点である

檜川勝彦は、確かに同じ銃で撃たれたのだから、例のサイトに依頼を出したはずなのに、まったくといっていいほどその痕跡が出てこないのだ

そして刑事は、檜川に関する、別の報告をしてきた

「檜川勝彦が最近、博打関係で大儲けをしたのかどうかを調べてきましたが、そういう話は誰も聞いていないそうです」

「本当か?」

宗介が聞きなおし、刑事はうなずいた

「ええ。彼の親しい者全てに聞いて回りましたが、そういう話は一度も聞いていないそうです。そして競馬や宝くじの配当金といったそれらしき手続きも一切見つかりませんでした」

それが本当だとしたら、最近博打で大当たりしたために、命が惜しくなったという推理は外れたことになる

「それどころか、彼の豪遊生活は、ずっと前からだったようです」

「最近になって、豪遊し始めたわけではないということか?」

「はい。行きつけのパブの女性店員に聞いたところ、もう八年以上も前から、そういう生活を送っていたようです」

「……ますます分からなくなってしまったな」

そして宗介は、別の質問をした

「依頼をしたにもかかわらず殺されなかった、あのビルから飛び降り自殺した男の身元は分かったのか?」

それには、別の刑事が答えた

「はい。飛び降り自殺したのは、日向柾民(ヒュウガマサタミ)48歳。調べたところ、ほとんど家で寝たきりの生活のようです。といっても裕福な家庭らしいので、生活そのものは贅沢なんですが」

「寝たきり、とは?」

「彼は病気にかかってるんです。それでかなり病弱なようですよ」

そういえば、彼を説得しようと対峙したとき、そこらの自殺者よりもさらに、やつれていた感じだったな

「それで、なんの病気なんだ?」

「病院に問い合わせたところ、自律神経失調症だそうです」

「……心因的な病気か」

「そうです」

心因的な病気は、大抵ストレスや悩み事といった精神的苦痛からくるものだ

ならば、その原因から、この事件との関連性を見出せるかもしれんな

「それで、そうなった原因はなんだ?」

「それが……」

なぜか、その刑事は言い淀んだ

やはり、なにか妙な点があるのだ

「彼の世話をしていた執事から聞いたところ、彼には六歳年上のイトコがいまして。幼い頃よく遊んでいたそうです」

「……それで?」

その刑事は、ぽりぽりとこめかみを掻いた

「五歳の頃に『大人になったら結婚しよう』という口約束を交わしたそうです」

「……だから?」

まったく関連性どころか、訳の分からない報告に、次第に苛ついてきた

「美しい女性だったそうです。ところが、彼女は二十五年前に、交通事故に遭ってしまい……」

「……亡くなってしまったというわけか」

そのショックで、病気に陥ってしまったのだろうなと沈黙していると、

「いえ、違います」

「……なに?」

「その女性は、交通事故で知り合った花屋の店員と、駆け落ちをしてしまったそうです」

「…………」

会議室内に、なんともいえない妙な空気が流れていた

「どうも本人としては、その幼い頃の約束を信じていたみたいですね。ところがイトコはそれをすっかり忘れていたということで、彼はすっかり人間不信に陥ったそうです」

「……もういい」

ひくひくと口をひきつらせて、その報告を打ち切った

「自殺志願の理由って、そういう絶望からなのか?」

小野寺が、風間にそう聞いた

「ええと、はい。そういう書き込みになってますね。すっかり彼女を恨むような愚痴が並べ立てられています。そして二十五年たった今、彼女からオランダの絵葉書が届いてきて、『とても幸せに過ごしています』という文面を読んだ途端に死にたくなったようです」

「ひょっとして、彼が志願しておいて殺されなかったのは、自殺理由がくだらないからだったんじゃねえのか?」

その言葉に、誰もが納得しかけたが、林水と宗介はそれをすぐに否定した

「日向柾民自身の証言には、ちゃんと引き受けてもらったとある。それが理由ではないということだろう」

「はい。たしかに俺はそう聞きました」

結局、この日向柾民の背景からでは、殺されなかった理由というのは見つからなかった



「さて、これからの捜査だが。小野寺の聞き込みを中心に行なう」

小野寺の聞き込みは、狙撃地点の割り出しと、周辺の目撃者探しだ

「狙撃地点の割り出しはもちろんだが、重要なのは目撃者だ。犯人像を少しでも鮮明にしておきたい。人員を多く寄越しておくようにする」

「分かりました」

「相良警部補は、クルツ・ウェーバーの失踪の背景を探ってくれ」

「しかし、警部。彼の捜査は、上から止められているのでは」

「それはクルツくんの失踪事件で、だろう。これは殺人事件での捜査だ」

「殺人事件?」

「『自殺補助事件』では、定義があいまいだからね。仮としてそう呼んでるだけだよ」

「…………」

「彼が失踪したのは半年前。そして例のサイトが開設したのは、偶然にも同じ半年ぐらい前かららしい」

「そんなのは、いくらでもこじつけができます」

「そう反発するな。相良警部補が、彼を調べることで、彼の無実を証明して見せてくれ」

「……分かりました」

「あたしも参加してもいいですか」

千鳥が挙手して、そう言ってきた

「千鳥くんも、たしか彼と組んだことがあるそうだね」

「はい」

「分かった。相良警部補と一緒に捜査してくれ」

「はいっ」

「風間くんは引き続き、例のサイトの件を頼む」

「分かりました」

みんなに役割が与えられ、それぞれ捜査に入っていった



宗介は、まずクルツの所属していた警視庁内の特殊犯捜査一課へと赴いていった

「妙な形となったが、クルツの行方を捜査できるようになったのはありがたいな」

「でも、彼は犯人じゃありませんよ」

「分かってる。だが、これはいい機会なんだ。殺人事件との関連性があろうとなかろうと、クルツが今どうしてるかは、ずっと気になっていたことだからな」

「…………」

「三年半、か」

「え?」

「俺がクルツの奴に会わなくなって、もうそんなに年月が過ぎたんだな」

「そうですね。あたしも部署が違っていたので、最近会ったのは、たまたま玄関先でなんです。二年ほど前でした」

「なにか話したか?」

「いえ、仕事中だったので、雑談の時間はなかったんです。軽い挨拶しか。……久しぶり、とか。……ソースケや、恵那ちゃんは元気か、とか」

それを聞いたとたん、宗介の身体を一瞬、戦慄に似たものが走った

佐伯恵那が殺されたことを、彼はその時まで、まだ知らないのだ

「それで、佐伯のこと……言ったのか?」

「……言えませんでした。……言えないですよ!」

「…………」

このまま黙っていても、どうにかなるわけではないが、できるだけ二人はそのことを口に出したくないのだ

まだ二人とも、あれをすべて受け入れられたわけではない



すっかり沈黙してしまった二人は、そのまま特殊犯捜査一課のもとに着いた

それから、二人は許可をもらって、クルツの使用していた机を教えてもらった

机の上は、片付けられたのか、なにも置いていない

引き出しを開けてみたが、どこも空っぽだった

「この中身はどこかにやったのか?」

同じ部屋にいた署員に聞いてみたが、失踪した当時から、こうだったという

「指紋検出はどうだった?」

「そこに記録がありますよ」

その署員は、当時のクルツ失踪事件の捜査記録をしまった場所を教えてくれた

すぐ傍にあった簡易資料室の、ひとつの書類を抜いて、指紋の項目を開いた

「……指紋がひとつも検出されなかった?」

すると、さっきの署員が教えてくれた

「はい。指紋どころか、彼の髪の毛一本すらも出てこなかったんですよ」

「クルツ本人の指紋すら、ひとつもないというのか?」

「そうなんです。妙ですよね。第三者の指紋が見つかるかと思いきや、彼本人の指紋すら出てこないなんて」

どうやらこの署員は、当時、クルツの失踪捜査に加わった一人らしかった

「それ自体、どう思うんだ?」

「まず、それが第三者によるものとしたら、プロですね。そしてあるいは、クルツ本人が丁寧に消し去ったか」

「…………」

それからその署員に、クルツが失踪した当時のことを、詳しく話を聞かせてもらえることになった



「私は、彼の班に一年ほど所属したことがありました」

「そのクルツの印象はどうだった?」

「……私は当時、そこに配属されて三年でした。ですが、後から入ってきた彼には、舌を巻きましたよ」

「例えば?」

「そうですね。普通、狙撃というのは専門の職業です。だから、まず誰でもそこに配属されてから経験を積んでいくものです。ですが、彼の場合、とても初心者とは思えないほどに冷静でした。まるで何十年も銃を持ったことがあるかのように、その動作は見事だったんです。初日から度肝を抜かれましたよ」

あの時もそうだった

宗介は、一度クルツの射撃を見たことがある

あれはもう四年近く前に、デパートでガウルンを逃がしかけた時だ

いきなりクルツは銃を構え、撃とうとした

実射経験もないのに、無茶だと思った俺は、それを止めようとしたが、彼の構えたフォームや、その集中力を目にして、動けなくなった

魅了されたといってもいいほどだったのだ

「狙撃班は、ほとんど経験に頼っているものですが、彼は間違いなく天性の才能でしたね」

「……すまないが、失踪した当時の彼の様子を教えてくれないか」

「あ、そうですね。えっと、失踪したのは一年前の7月13日ですね。この日、いつもどおりに八時半に出署しなきゃならないんですが、出てこなかったんです。休暇の連絡もなかったので、遅刻かと課長は思ってたようですが、結局その日から、急に彼が来なくなりました」

「クルツから、連絡はなかったということだな」

「ええ。おかしいと思い、こちらから彼に連絡を取ってみたんですが、まったく不通になってしまい、署員の一人が彼の家を訪ねに行ったんですが、部屋は空っぽになっていたそうです」

「空っぽに?」

「そうです。家具も一切消えていて、彼の靴から小物まで、すべてが無くなっていたそうです」

「部屋に指紋は?」

「それなんですが、彼の部屋のはずなのに、本人の指紋すらも一切検知されませんでした」

「部屋にも、無かったというのか」

「はい。彼はアパートを近くに借りて住んでおり、ちゃんと管理人もいるんですが、その管理人は引越ししたような物音はしなかったと証言しました」

アパートにも、クルツの痕跡を一切消してしまったとは、あまりにも徹底しすぎている

「さらに妙なことに、アパートの管理人室にあった彼の住所とかの載った情報記録すらも、クルツのだけが、なくなってしまったんです」

「どういうことなんだ」

「誰かが、故意に盗んだとしか思えないですね」

そこで、宗介は辺りを見回した

「……ひょっとして、この警視庁でも、クルツに関する記録が一切なくなったとは言わんだろうな」

だが、それに対し、署員はうつむいた

「……その通りです」

「バカな……」

警視庁の、クルツの関連資料でさえも、消えたというのか

アパートとかの管理レベルなら、盗難に合っても仕方ないかもしれない

だが、警視庁は管理レベルが他のとは違うのだ

それを消し去ったというのなら、相当のプロとしか言いようがない

「……クルツは失踪する前日は、いつもどおりに来ていたのか?」

「ええ。丁度前日に、ひとつの事件が解決したばかりだったんですよ」

「……事件だと?」

そこで宗介の目つきが変わって、思わず署員はたじろいだ

「いえ、そんな大きな事件じゃないですよ。それに、狙撃班が駆り出されましたが、結局地上班の説得で犯人が投降したんです」

「狙撃班は、手出しはしていないということか」

「そうです。だから、関係ないと思いますけどね」

その事件に狙撃班が手を出して解決したのなら、犯人に関係のある人物の恨みを買い、クルツを拉致したのではないかと思ったが、そうではないようだ

「とりあえず、どこで起きた事件なのか聞いておきたい」

「そうですね。場所は、○○○の○○ビル前です」

「あっ」

その場所を聞いた途端、千鳥が声を上げた

「なんだ? 千鳥」

「え……いえ」

そう言ってから、なにかを思い返すように、うなっていた

「あの、クルツさんの失踪した事件の、前日なんですよね?」

「ええ、そうです。7月12日ということになりますね」

「7月12日……」

そう繰り返して、再び千鳥は黙りだした

「おい、千鳥。なにか気づいたことでもあるのか?」

「えと、その。関係あるかどうかは分からないんですけど……」

「いいから言え」

「……その日の、その場所の近くに、あたしもそこにいたんです」

「なんだと?」

「といっても、あたしはクルツさんは見ていないから、ただ近くにいたというだけだと思うんですけど……」

「千鳥は、なぜそこにいたんだ?」

「事件です。ある重要人物を泳がせて、その取引現場を押さえるものだったんですが……」

そこで、なぜか千鳥はため息をついた

「どうしたんだ?」

「失敗したんです。あたし、尾けていた途中で、別の事件を目撃してしまって。上からは無視しろと命令を受けていたんですが、その制止を振り切って、その事件のほうに取り掛かったんです。そのせいで、重要人物に気づかれて、逃げられてしまいました」

その話を聞いていて、宗介はどこかで聞いたことあるような気がした



それから会議室に戻ると、林水警部に報告した

「一応、クルツの当たった事件のことを聞きましたが、それによると、近くのスーパーに男が爆弾を持ち込み、人質を取りました。しかし、その現場を担当した刑事の説得により、犯人は人質を解放し、投降したそうです。その爆弾も、見せ掛けだけの偽物でした」

「狙撃班が待機したが、結局彼らの出る幕はなかったということだね」

「そうなります。よって、この事件とクルツの失踪の関連は薄いものかと」

「ふむ……」

林水は、数枚の資料を眺めていた

「ああ、そうだ。相良くん」

「はい?」

「例の空白の紙の分析が終わったそうだ」

「本当ですか」

「うむ。それで、ちょっと変わった分析結果が出たらしい。そのため、直接来て欲しいとのことだ。これから行くところなのだが、一緒に来るかね」

「はい、行きます」

ついに、例の空白の紙の分析結果が終わった。それによって、また新しい事実がつかめるかもしれない

そう期待しながら、宗介や千鳥は林水とともに、鑑識所へと向かっていったのだった




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