殺されたい男 3数日後、風間から、例のサイトに新たな展開が起きたと報告がきた 「気になる書き込みがあるんですよ」 「どういうのだ?」 「ずっと前からこのサイトにいる訪問客が、抗議めいた書き込みを発してきたんです」 「抗議?」 「内容を要約するとこんな感じです。『私は一週間前にここに自殺依頼を出したが、まったくそれらしき気配がない。このサイトは当てにならないので、仕方なく、怖いがやはり自分の手で死ぬことにする』だそうです」 「抗議というか、クレームみたいだな。このサイトは、自殺要請しても、全員がそれを引き受けてもらえるというわけではないということか?」 「分かりません。実際の要請は、専用のメールに依頼内容と身分証明を送りつけて、そのあと実行者といくらかのやりとりをするらしいです。詳細は分かりません」 「……この書き込みをした人物と話がしたいな」 「今、本人の新たな書き込みを待っているところです。こういう類のものは、ひょっとすると同サイトの仲間に最後を知って欲しくて、自殺場所を明記するかもしれないと思うのです」 「可能性はあるな」 何度も書き込みをしていると、自然と同じように書き込みをしたり、レスしてくれる人物に仲間意識を持ってしまうものだ 「一応、ID割り出しで本人を探っているのですが、かなり複雑に暗号化されていて、手間取っています」 そう言いながら更新クリックを押していると、画面に新しいスレがたっていた 「相良さん、入ってきました!」 「例の本人の書き込みか?」 「そうです。……やはり、自殺の内容が書かれています」 風間は、急いで大事な部分を読み探した 「ありました。場所は○○駅前のビル屋上。飛び降り自殺をすると書いてます!」 宗介は、すぐさま携帯で、近くの警察署に連絡を取った 「今すぐ、○○駅前の○○ビルに急いでくれ! そこの屋上で誰かが自殺しようとしている。その身柄を確保しておくんだ!」 その人物は、一度自殺依頼をした。ならば、実行犯といくつかのやりとりを持ち、なんらかの情報を持っているかもしれない この事件の解明の鍵となるかもしれないのだ 「急げ! 俺もそこに行く」 宗介は、隣の部屋で資料をあさっていた千鳥を呼び、一緒にその場所へと向かって行った
そこに着くと、ひとつの高層ビルの手前で人だかりができていた 誰もが、高いビルを見上げている 宗介たちもその視線の先を追うと、そのビルの屋上の端で、一人の男が半分近く身を外側に乗り出していた 警官も屋上にいるが、フェンスの手前で身動き取れないでいる 「状況はどうだ?」 携帯で、屋上で説得している警官の中の一人と連絡を取った 「来たときには、すでにフェンスを越えていました。わめくでもなく、妙に冷静で、返って止めるのが難しいのです」 あの男は、一度あのサイトに自殺依頼をしたのだ。自殺することに対して、もう相当に覚悟しているのだろう 「なんとしても止めてくれ! そいつは別の事件の鍵を握ってるかもしれないんだ!」 そう言って、携帯を切った。 それから宗介たちも屋上へ向かおうと、中に入る 屋上へは、エレベータでは行けないらしい。仕方なく、階段を走っていく 長い階段を上りきった後、その屋上への扉を開いた そこの端っこで、フェンスを境に、中年の男と四人の警官が見つめあっていた 動くなとでも言われたのだろう、彼らは身動き一つできないようだった 宗介もそのフェンスのところまで歩み寄って、その男の顔を見る やはり自殺志願者とあって、かなりやつれた生気のない顔だった 「男の片足を外側に投げ出しています。距離があるので、なかなか取り押さえる機会が見つかりません」 ぼそぼそと、今まで男の相手をしていた警官が事情を伝えてくれた 「分かった。後は俺が話しをする」 そのフェンスに手をかけると、その男がこっちを見た 「また警官さんが増えたようだな」 「……俺はこれ以上動かん。早まるなよ」 「ふん、そう言っておいて、捕まえる機会を待ってるんだろ」 「…………」 たしかに、男は焦りを感じていない。むしろ、最後のつもりだからか、余裕を持っているみたいだった 「離れなよ。あんたは仕事で止めようとしてるんだろうが、俺はすべてに絶望したんだ。なにもかもな」 「それで、あるサイトに自殺依頼をしたのか?」 宗介の言葉に、ぴくりと男が反応した 「驚いたな。なんでそんなことを知っている?」 間違いなく、あのサイトに抗議の書き込みをした本人のようだ すると、少しは理解して欲しい気持ちがあるのか、宗介に愚痴りだした 「だが、あのサイトはダメだな。信用できん」 「断られたのか? 自殺依頼を」 「断る? いや、ちゃんと引き受けてもらったさ。だというのに、あいつはその契約を反故にした。あれでプロだって? ふん、ばかばかしい」 「なぜ、そう思う? 実行時間は知らされないんだろう」 「大まかにはそうなんだが、契約を結んだ時に、ある程度の要望は聞き入れてもらえる。それで、少なくとも五日以内には殺してほしいと頼んだのさ」 「他には?」 すると、男は肩をすくめてみせた 「それだけだ。それ以上は生きていたくなかったものでね」 「キャンセルの合図を出してしまったんじゃないのか?」 「キャンセルなんてない。あれは一度契約すれば、もう後戻りはできない。あいつは自分の狙撃の腕に相当の自信を持っていた。まあそれが本当かどうかは知らないが」 「そいつは、誰だ? やりとりしたということは、一度は会ったんだろう?」 すると、その質問がいかに馬鹿げたことか、とでも言うように、男は憐れむように宗介を見た 「やりとりは、チャットの上でだ。文字だけのやりとりだから、名前も顔も知らされない。あいつは自称プロだからな。証拠を一切残さずに、依頼者の要望を果たすんだそうだ」 「くそっ」 すると、話を聞いてくれたのが嬉しかったのか、男はなにか思い出そうとしてくれていた 「……そういえば」 「なんだ」 「ひとつだけ……あいつとのやりとりの中の世間話で、言っていたんだが」 「なにをだ」 それを明確に思い出そうとして、目を閉じていた 「…………」 その内に、宗介はじりじりと、気づかれないように男のほうに近づいた 足をずりずりとずらして、少しずつ男との距離を縮める 「そうだ。こう言ってたな。あいつは、自分の金髪を自慢してたぜ」 「金髪だと……」 「ああ。染めたわけじゃないって言ってたから、ひょっとすると外人かもしれないな」 「外人……」 まさか。 一瞬だけ、宗介の胸の内に、嫌な予感が走った 金髪の外人スナイパー…… 「あっ!」 すると突然、男が宗介を指差して、大声を上げた 「貴様、いつの間にそんなところまで近づいていたっ」 しまった! 考え事をしてしまって、自分の位置を忘れていた 「隙をついて俺を捕らえる気だな。嫌だ。俺は、もう生きてはいたくないんだっ!」 事態は、一気に最悪の場面を迎えた 男は、宗介との距離に焦り、死に急ぎ始めてしまった そこで宗介は、一気に走り出し、男を確保しにかかる だが、男は逃げるように、上半身をぐいっと外に向けた 「くっ!」 急いで男との距離を詰め、自分も落ちないようフェンスに手をかけながら、身を投げた男の体を掴もうとする 指先が、男の服をかすめた だが、服そのものを寸でのところで握ることができず、男の体が、高いビルから落下してしまった それから鈍い音がして、下から群集たちの悲鳴と、喧騒が起きた 後に駆け寄った警官たちに引きずられて、宗介は屋上のフェンス前で手をついた 「畜生!」 あと一歩のところで、届かなかった 男はこのビルから飛び降りて、命を絶ったのだ また一人、死んでしまった。それどころか、事件の鍵だったというのに、それすらも失ったのだ その後救急車が来て、男を運んでいったが、やはり即死だったという報告が後に入っていた
警視庁捜査本部会議室 「男は、例のサイトで一度自殺の依頼をし、それを了承してもらったにもかかわらず、その実行犯の手によって死ぬことはなかった」 「なぜ、男だけ殺されなかったんでしょう? 他の依頼者は全員殺されています」 他の依頼者とは、これまでの被害者、檜川勝彦、神楽坂恵理、小暮一郎、水星庵の四人のことだった 「あの男のことについて、調べるんだ。自殺男と、これまでの四人とはどう違うのか。それを解明するんだ」 「しかし、妙な事件だよな」 「どういう意味だ? 小野寺」 「被害届けもまったく出ない事件だぜ。被害者はみんな、自分が殺されることを望んでいる。こんなにやりづらい事件はないと思うぜ」 「確かにな。俺にも正直、この事件の犯人というものが、曖昧に思えてならない。被害者そのものがその悲劇を望むなら、そもそも事件の犯人というものが存在するのか」 「ですが、わたしたちは実行犯を捕まえなければなりません」 そうはっきりと言ったのは、千鳥だった 「この事件は、病院の安楽死問題に似ていると思います」 安楽死問題。それは、これ以上生きることに苦痛を感じた病人が、医者に懇願して楽に死なせてもらうというものだ だが、これは人命をどう見るかが非常に難しく、道徳と論理に挟まれたケースである 「しかし法律上、それを裁くのは裁判です。わたしたち警察は、直接手を下すものを裁く場所に導くためにあるのです。なぜなら、わたしたちが導いてあげないと、手を下した本人がずっと一人で苦悩するケースもあるからです」 「…………」 「だがよ、千鳥ちゃん。今回の事件は少し違うぜ。この実行犯は、仕事のためにやってるんだ。料金をぶんどってるんだぜ? いわば、金儲けで命を奪ってるという見方もできるぜ?」 「そうかもしれません。しかし、そうでないかもしれない。それを決めるのはわたしたちじゃない」 「そうだ。俺たちは、その身柄を確保するだけだ。それに自殺でも、一つの命が消えることになるんだ。自殺は、自分を殺すこと。それを補助することを容認してしまえば、自殺は確実に増加してしまうだろう。俺たちはその増加を食い止めるためにも、実行犯を捕まえなければならない」 改めて、刑事達は自分の任務を思い起こした 「その通りだよ」 急に、捜査本部会議室に、一人の男が入ってきた 「林水警部!」 その男は、林水敦信。階級は警部で、真鍮フレームのメガネの奥で、知的な光を放つ男だった この林水警部は、他の事件の捜査をしていて、この事件には加わっていなかった 「あの事件は終わったんですか?」 「先程、真犯人を暴いて、自白させたところだ。そして課長から、この事件に途中参加してくれと頼まれてね」 「分かりました。では、この事件のあらましを説明します」 小野寺が、林水警部にこれまでの事件のことを説明することとなり、その間会議は中断された その間に、宗介は今も気になっていたことを考えめぐらせていた あの自殺男が言っていた、実行犯の特徴である、金髪。 額の中心を的確に狙い、薬莢一つ残さない仕事振り。凄腕のスナイパー。 だが、あいつのはずがないんだ。 あいつは、犯人に対してだけ、その腕を振るう。 たとえ志願されたとしても、一般市民を撃つなんて真似はしないはずだ
すると数分で、林水は事件の全容を理解し終えたようだった 「なるほど、厄介な事件だね」 そして腕を組み、言った 「実は、もうマスコミがこの事件の関連性を嗅ぎ付けている」 「そうですか……」 さすがに、ここまで被害者が出てくれば、隠し通せないだろう 「だが君たちの捜査状況を見ると、こちらも全てを記者会見で話すわけにはいかないようだな」 「それが問題です。こっちとしては、まだ犯人像すら掴めてないのですから」 「記者会見は、私が上手く応対しておこう。君たちは、捜査においてのみ集中して欲しい」 林水警部は、こういうマスコミ対応が得意なのだ 基本的に、記者会見に対応するのは課長だが、返答に詰まると、大抵は林水警部に助けを求めるほどなのだ 彼の語る能弁と、理論詰めの返答はマスコミにとっても書きやすく、疑問の余地すら残らない 「メディアが求めている事件像は常に決まっているからね。ある程度の操作は造作もないことだ」 「助かります」 続いて、林水警部は相良警部補を見た 「途中参加した身で、いきなり捜査方針についてとやかく言うつもりはない。これまで通り、相良警部補が指示を出していってくれて構わないから」 「分かりました。今は、被害者四人と、ビルから飛び降り自殺した男との違いを調べているところです」 自殺男だけは、自殺依頼をしておいて、殺されないのだ。なにか、違う点があるはずなのだ 被害者四人と自殺男の顔写真を、ホワイトボードに貼り付けて、並べておく 「こう並べてみると、余計檜川勝彦が浮いてるように思えるんですが……」 風間が意見を出してきた 「檜川勝彦が?」 「ええ。自殺男を含めて五人並べてみると、自殺男よりもむしろ、彼のほうがみんなと違うように見えるのです」 「なぜ、そう思う?」 宗介は風間の意見を聞くことにした 「まず第一に、檜川勝彦だけは、例の自殺補助サイトに書き込んだような形跡がありません」 「ログを消されたんじゃねえのか?」 小野寺がそう言うと、風間はすぐに否定した 「掲示板には、スレごとに番号が振り分けられるタイプでした。もし消されたとなると、途中で番号が飛んでいるはずです。ですが、番号は1からずっと続いて残っていました」 「なるほど。だが、檜川のはないと断定できるのか?」 「書き込みには、必ず自分の置かれた状況を説明しなければならないようです。しかし、彼の勤めている会社、人間関係、文体のどれもが一致するものがないんです」 「ふむ……」 「第二は、彼の行動そのものです」 「どういうことだ?」 「一番注目すべきものは、例の紙です」 「あの、『助けてくれ』と書かれていた紙か」 「そうです。彼がもし例のサイトで自殺依頼をしたというのなら、なぜああいうメッセージを書いたのか、それが分かりません。まるで、殺されるのを望んでいないように思えます」 「それに、こんなことを書くヒマがあったら、さっさと交番に駆け込めばよかったんじゃねえか?」 小野寺が新たな疑問を挟んできた 「例のサイトに、警察に知らせようとすれば、その場で殺すという風な契約も入ってたんじゃないでしょうか。そこで檜川勝彦は、警察に通り過ぎる時に、この紙だけをさりげなく放り込もうとした……」 「しかし、なぜ助けを求める? 檜川は死にたいから、例のサイトに自殺依頼を出したんだろ?」 「そこが分からないんですよね」 結局は最初の疑問に回ってきたところで、宗介がそれを制した 「ひょっとすると……」 宗介は、檜川の心理を思い描いてみた 「彼は、依頼してから、死ぬのが嫌になったのではないだろうか」 「あのサイトに『殺して欲しい』と依頼しておいて、殺されたくなくなったというんですか」 「依頼した後、彼になにか希望を与えるような幸運が転がってきたのかもしれん。それで、幸運を手にして、死ぬのが惜しくなった……」 「それが、あの豪遊生活と関係があるのでしょうか」 「調べてみる必要がありそうだな。彼は博打好きだった。最後のつもりでやった博打で、大穴が当たったのかもしれないな」 「もしそうだとすると、とんだ間抜けですね。ちゃんとあのサイトには、契約後は解約は受け付けないとはっきり書いてあるのに」 「契約書をきっちり読まない人もいるんだろう。だがそうなると、この事件の見方も根底から変わるな」 「と、いうと?」 「まだあくまで仮の段階だが、檜川勝彦には、契約時はともかく、殺される時、自殺の意思は無かった。そうなると、実行犯がした行動は、自殺補助ではなく、他殺という見方も出てくる」 「ちょっと複雑ですが、そういう見方もできますね」 「とにかく、檜川勝彦が殺されるまでの数日、なにか変化がなかったかを徹底調査しろ。また、周辺の宝くじ売り場、競馬場、競輪場に当たって、彼の名義の入った配当金がなかったかも調べるんだ」 「はい!」 「林水警部は、なにかありませんか」 すると、彼は例の紙の写真を眺めていた 「……紙の分析を鑑識に頼んでいるそうだが。結果はどうなっているのかね」 「試薬品の量が多いそうなので、あと三日はかかると言ってます」 「そうか。その結果が出るまではなにも言えんな。……それから、近年の射撃大会の成績リストを取り寄せておいてくれ」 「射撃大会の、ですか?」 「うむ。実行犯はかなりの腕を持っている。ならば、過去に相応の成績を残してしまっている可能性はある」 「分かりました。射撃関連の大会に聞いてみます」
捜査会議が終了し、宗介は廊下に出て、休憩室に入った その宗介の顔は、沈痛な表情をしていた 「ソースケ……」 「千鳥か」 「やっぱり、気になりますよね」 「なにがだ?」 「……金髪の、狙撃手」 その言葉に、宗介がびくっとして振り向いた そうか、そういや千鳥もあの屋上に一緒にいたんだったな 「わたしは、信じたくありません。今回の実行犯は、あの人じゃないって」 「ああ、俺もそう思っている。あいつのはずじゃないんだ」 そう、願わずにはいられなかった 「クルツのはずはない……」 そうつぶやいたそれは、ほとんど懇願に近いものだった |