崩れゆく理想郷

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崩れゆく理想郷


そこは真っ暗な、闇の中。

その暗闇の中で、一点だけ光がゆらめいていた。

やがてその光はしだいに形をなし、それは女性の姿になっていく

その女性は、こっちを見て、そしてか細い、せつない声を上げた

「やめて、ソウスケ」

違う。

「お願い、ソウスケ。やめて……」

違う、違うんだ! やめてくれ!

その女性の口から、赤い線が垂れた

「やめて……」

もう、やめてくれ!!

しかし、その赤い線は、腹に伝い、その腹がじわじわと、赤に染まっていく

俺は手のひらを見た。その手は、真っ赤に染まっていた。

「うわああああああぁぁっ!!」



がばっと、宗介は布団から跳ね起きた

一気に視界がいつもの自分の部屋の風景に戻る

「はぁっ、はぁっ」

ようやく夢から目が覚めたが、宗介の顔は、ねっとりとした汗でいっぱいになっていた

「くそ……」

宗介は目を伏せて、汗をぬぐう

『やめて、ソウスケ』

「うっ……」

宗介は嘔吐感がこみあげて、洗面所へと駆けていった

そして吐いたものを水で流す。それからついでに汗を流そうと、顔を洗った

それでもすべての汗が、洗い流せなかった

「くそ……」

今日もまた、宗介にとって、目覚めの悪い朝だった



千鳥が研修として、この交番に勤務してから、三ヶ月が過ぎていた

宗介とはこれまでと同じように、先輩と後輩の間柄として、書類仕事にいそしむ毎日だった



いつもより早く起きてしまい、宗介は食料の調達のために、部屋を出た

そしてアパートの階段を下りようとすると、

「先輩?」

その声に振り返ると、千鳥も部屋から外へ出てきていたところだった

「こんな朝早くから、どこ行くんです?」

「近くのコンビニに、飯でも買おうかと思ってな」

「あ、じゃああたしもついていきますよ」

たたっと、宗介の横に並んできた

「千鳥は、どうして外に出てきたんだ?」

「ジョギングですよ。体力つけるために、毎朝走ってるんです」

たしかに、千鳥の格好は、ランニングジャージスタイルだった

「だったら、走ってくればいいだろう。別についてこなくてもいい」

「いいじゃないですか。ちょっと肉まん食べたいんですよ」

食い気はあるんだな、と宗介は苦笑した

二人して、アパートを出て、コンビニに向かって歩いていく

コンビニは、アパートから出て三分という、近くにあることも、このアパートのちょっとした利点であった

「それにしても……」

「なんですか?」

「肉まんより、あんまんにしたらどうだ? 同じ値段なら、そっちのほうが……」

「なに言ってるんですか、先輩。饅頭の王者は、肉まんですよ! あんまんは美味しいですけど、王者にはかないません」

「そうか? だが、あんまんはあんまんにしかない甘みがだな」

なぜかお互いむきになって、肉まんとあんまんのどっちが美味しいかの議論が、コンビニに着くまでの三分間、延々と続くのだった



コンビニに着くと、さすがに無駄に熱くなった議論はやめて、買い物に入っていく

手前の雑誌コーナーで、新しいものはないかを物色しながら、食品コーナーへと入っていく

「……肉まん、売り切れだぁ」

千鳥ががっくりと肩を落としていると、急に宗介が、肩を叩いてきた

「なんです?」

「……あの子を、よく見ていろ」

今、お客としてコンビニにいるのは、かなめと宗介。そして小学生くらいの男の子だけだった

「あの子が、どうかしたんですか?」

「しっ。静かに、さりげに注意してるんだ」

よく分からなかったが、千鳥はとりあえず、近くの商品を手に取るふりをして、その子供のしぐさをちらり見しておく

すると、その子供が、さっと手に取っていたお菓子を、ズボンのポケットに突っ込んだ

(あッ)

これは、ひょっとして、万引きをしたのだろうか

「あの子が、コンビニを出たら捕まえるぞ」

「あ、はい」

それにしても、よくこれから万引きすると分かったものだ

あの子の仕草とか、動きとかで分かったのかしら

千鳥は、またちらりと、その子を見た

背丈からして、小学生の高学年くらいだろうか

まだ幼げな顔を残していて、まだすぐに店を出ずに、お菓子エリアをうろついている

あんなに小さいのに、あんなことをするなんて

すると、その子はぐるりと回って、雑貨コーナーを通りながら、入り口の自動ドアを開けた

そして、レジには目もくれずに、出て行ってしまう

「行くぞ」

宗介の合図で、かなめも一緒になって、コンビニを出て、すぐにその子供の腕を掴んだ

急に掴まれて、驚いたように振り返ったその子供は、なんだよと文句を言ってきた

しかし、宗介はかまわず、その腕を引っ張って、コンビニの中へと連れて行く

「ちょっと! なんだよ! 人さらい!」

万引きしたくせに、なんとも強気にそう出ると、その騒ぎに、コンビニの店員が声をかけた

「どうされました?」

「この子が、ここの商品を持って、外に出ようとしたんでな」

と、宗介はまだレジに通されていないお菓子を、カウンターの上に置いた

「あっ。万引きか!」

店員もすぐに事態を把握し、その商品をじっと手に取る

「くそっ」

子供はついに観念したように、悪態をついた

「このガキ、こっちに来い!」

店員は、奥の部屋に連れて行こうとしたが、それを宗介が止めた

「な、なんですか?」

「その子は、ウチに任せてもらえませんか。交番は近くにあります」

「……すいませんけど、あなたは?」

「俺は、警察だ。今は制服は着ていないが……」

と、いつも携帯している警察手帳を見せる

「あっ、警察の方でしたか」

そして、宗介が連れて行くことについて、

「それなら手間も省けて、助かります」

と、すぐに承諾したのだった



一時、子供を預け、二人は制服に着替えてから泉川交番に連れて行った

その交番に、居るはずのクルツの姿はなかった

「クルツさん、来てませんね」

「あとで来るだろう。俺がやる」

泉川署交番で子供を座らせて、その向かいに、宗介と千鳥が鎮座する

子供は視線を逸らし、交番の中を見回していた

「聞け。まず、万引きというのは、窃盗罪に属するもので、刑法第二百三十五条  他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役に処し……」

宗介が、子供の犯した犯罪について、説明をしていく

それから名前と住所を聞いて、ようやく本題に移った

「なぜ、万引きしたんだ」

「…………」

制服に変わったからだろうか、子供の態度が控えめになっていた

そこで宗介は、盗もうとしたお菓子の値段を言い並べた

「……と、これだけの金額なら、お金はあるだろう。なぜレジを通さないで出た」

「……払うの面倒だし。うまくいったらラッキーじゃん。いい気分になるし」

それを聞いて、千鳥はため息をついた

やはり、この子供もまた、ゲーム気分で万引きしていたようだ

たとえ安い品物でも、それは立派な窃盗罪であり、成人なら十年近く刑務所に入れられるってことが分からないのかしら

「子供のお前には商売の成り立ちは理解できんだろう。しかしな、そのゲーム感覚でやったことが、直接経営の損害にダメージを与えるんだ。それで経営不振に陥って自殺する店長も少なくないんだぞ」

そのとおりである。しかもこの不況の中の被害は、さながらこたえるものだ

「知らねえよ」

子供はそれだけで、済ませてしまった

「反省がないな」

「っせえな。捕まったんだからそれでいいだろ。さっさと説教して終わらせろよ」

この態度から、これが初めての犯行でないことが、千鳥にもあきらかに読み取れた

すると、急に宗介がイスを立ち、その子供の胸倉をぐいっと掴み上げた

「えっ? ちょっと、先輩?」

子供は首を絞められ、じたばたするが、足が地に着かなかった

そのまま宗介は、子供の身体を、だんっと交番内の壁に叩きつけた

「ちょっと! なにしてるんですか、先輩!」

いきなりの暴走に驚いて、千鳥は慌ててその手首をとる

「邪魔だ!」

宗介は片手で千鳥を振り払い、さらに子供の首をぎりぎりと締め上げていく

「ガキだからって、なんだって許されると思うなよ!」

締められた子供は、苦しそうに、そして宗介の表情にあきらかに怯えていた

「先輩……」

その宗介の表情は、あの犯罪者を憎む時のものだった。

こんな子供相手にまで、犯罪者に対する憎しみという暴走を始めたのだ

「やめてください、先輩! 警官が手を上げるのは問題ですよ!」

しかし、宗介は聞いていなかった

「ガキは無知だから、罪の深さも知らないんだ! 自分のしたことが、どれだけの罪を犯したとも気づかずに!」

「やめて!」

千鳥は宗介の手を緩めようとしたが、彼のほうが力が強く、どうにもできなかった

「ぐぅ……えぇ……」

締められていた子供は、苦しそうに嗚咽し、涙目になっていく

このままじゃ……!

そのとき、クルツが交番に入ってきて、この状況を見たとたん、彼が怒鳴った

「なにやってんだ、ソースケッ!」

クルツは宗介のもとに駆けつけて、体ごと押し倒した

それでようやく、宗介の手から子供が解放され、子供は呼吸を取り戻し、うずくまった

「クルツ……」

床に倒れた宗介の胸倉を、今度はクルツが掴み上げる

「バカ野郎、子供相手になにしてんだ!」

「犯罪者を許しておけるか!」

すると、その宗介の頬を、ガツンとクルツが殴りつけた

「いい加減にしやがれ! いつまで責めてるつもりだ!」

「…………」

赤くなった頬を押さえて、宗介は壁にもたれた

そしてクルツは、この隙に逃げようとした子供の襟首を捕まえ、

「こらこら。万引きしたんだろ? きっちりやるべきことはやるからな」

しゅんとうつむいた子供を、別の部屋に入れて、宗介を向いた

「あの子はオレがやっとく。そこで頭を冷やしてな」

宗介はなにも言わなかった

「…………」

千鳥は、それを黙って見ていた

なんだろう

なんだか、さっきのクルツくんと相良先輩の会話が、なにかおかしいように感じた

あの子供についてではなく、また別のことを挙げて口論してたように聞こえたのだ

しかし、それがなんなのか、今の宗介に聞くことはできなかった



それから数分して、署内に電話が入ってきた

その電話には、千鳥が出た

「はい、こちら泉川署交番……」

それから急に千鳥の口調がかしこまって、しばらく、はい、はいを繰り返してから、電話を切った

「……なんだ?」

ようやく興奮状態が収まってきた宗介が、電話について、小声で聞いた

「課長から呼び出しです。本部に来てくれとのことで」

「ああ、分かった……」

「あの……クルツさんには、わたしから言っておきます」

千鳥が、子供を連れた部屋に行って、クルツにその連絡のことを告げていく

「分かった。もうすぐこの子の保護者が迎えにくるから、それが終わってからオレも後から行くよ」

「分かりました。では、相良先輩と先に行ってますね」

千鳥は、覇気の無い宗介と一緒に、その本部へと向かって行った



二人が地域課の課長のデスクに着くと、そこの課長にいきなり、こう言われた

「君たち、明日、遊園地に行きたくないかね」

「はあ……?」

「チケットはこっちで用意してあるから、入場は無料だぞ」

その課長が出してきたチケットには、『ふもっふランド』と書かれていた

「……なにを、させたいんですか?」

宗介の疑問に、課長は一度、ぎいっと体を起こした

「この遊園地は、昨年オープンしたばかりの施設でな。ここの人気スポットのひとつだ。そして、我々の管轄内にある」

そういえば、最近テレビのCMでこの名前がよく流れていた

「この遊園地が、どうかしたのですか?」

「この施設の運営会社は、表向きは一般企業になってるんだが、実は裏でその運営に関わってるのは、あの龍神会なんだよ」

「龍神会……!」

「え? 龍神会ってなんですか?」

初めて聞く単語に、千鳥が聞いた

「龍神会は、この近くを生業にしてる暴力団のひとつでな。いわゆる、ヤクザ組合だよ」

課長の説明に、千鳥は驚いた

「そんなところが、運営してるんですか」

「別にどこが運営していようが、違法じゃないからいいんだが。問題は、その遊園地に関して、あるタレコミが入ったんだ」

「それは?」

「……その遊園地『ふもっふランド』で、銃器の密売取引が行なわれているんだそうだ」

「え……」

大人や子供たちが楽しむ遊園地が、銃器の密売取引現場に使われている?

「それって、大変じゃないですか」

「……それは、どこからの情報ですか?」

課長は宗介の問いのほうに答えた

「ソース(情報源)は今も探している最中だ。名前を名乗らない匿名からの情報だ」

「信憑性は低いわけですね」

「しかし、放っておくわけにもいかない。だが、問題がある」

「なんです?」

「遊園地は娯楽施設だ。表向きの運営会社からも言われてるんだが、娯楽施設を商売にしている以上、公だって捜査はできない。警察が遊園地にいるだけでイメージダウンだからな。情報の信憑性が確実でもないから、こっちも強く言えないんだよ」

「つまり、表立たないよう、その遊園地に潜入捜査をしろ、と」

「そうだ。刑事課が潜入して、取引現場を探しているが、あまり人員が割けないというので、こっちに協力を要請してきたんだ」

「分かりました。やります!」

千鳥がそう意気込むと、課長はにこにこと、そのチケットを千鳥の手に押し込んだ

「だが、この潜入捜査は二人一組が基本だ。そこで、千鳥くんは、相良くんと一緒に、恋人という設定でいってほしい」

『えっ!』

その要望に、二人は声をハモらせた

「なな、なんでコイビトなんですかっ」

なぜか赤くなって、かなめはやや大きめに聞き返した

「それが外から見て、一番自然だと思ったからなんだが……イヤかね?」

「嫌です」

「じゃあ……」

課長は手を組んで、ひじを机の上についた

「仲の良い兄妹ということにするかね?」

それを聞いて、二人の頭の中に、そのイメージが浮かんだ

べっとりと仲良さそうに腕を組んで、

「宗介お兄ちゃーん」

「かなめ」

そう呼び合う姿を想像して、二人はぞわっと鳥肌が立った

「……恋人でいいです」

「そうだろう。では、それで決めていいね」

「でも……」

それでも千鳥は、赤くなりながらも、小さく挙手した

「なにかね?」

「あのう。一緒に行く人って、他に誰かいないんですか?」

「他と言われてもな。他の人は、ほとんど非番だし……」

そこで、背後からクルツがようやく顔を出してきた

「クルツ巡査、遅れましたー」

その金髪警官を見て、課長が提案した

「そうだ。彼がいたな。一緒に行ってもらうのは、相良くんか、クルツくんか、どっちかということになるな」

「へ?」

話が飲み込めないクルツに、課長が簡単に説明すると、再度千鳥のほうを向いた

「さあ、千鳥くん。選びたまえ。一緒に遊園地に行くのは、相良くんがいいか、クルツくんがいいか」

「へ? え? え?」

なんだか、変な方向に話がいってしまっている

「どっちがいいのかね? 千鳥くん」

「え……あの、ちょっと……」

な、なによこれ。

なんだか、いきなり話が、恋人を選ぶって雰囲気になっちゃってるよぅ……

思わぬ選択の状況に、千鳥がしどろもどろになっていると、宗介が顔だけ横を向いていることに気づいた

宗介は、完全にそっぽを向いていた。俺を選ぶな、と言わんばかりに

そのあからさまな態度に、千鳥はムカっときた

あー、そうですか、そうですか

分かりました、クルツさんにお願いしますよ

千鳥がそう言おうと、クルツのほうを向くと、クルツは鼻の下を伸ばした顔つきで、千鳥の肩をがっしと掴んだ

「オレを選びなよ、千鳥ちゃん。オレなら、遊園地だけじゃなく、その後のラブホテルまできっちりエスコートするからさ!」

「…………」

そのクルツの言葉が、決定的となった




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