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終わりと始まり


 強襲用のボートでアマルガム本拠地の島にたどり着く。

 第一陣の宗介を含めた班が、手前の砂浜に足を踏み入れた。

 島は思ったよりも緑で覆われていた。小さなジャングルのようで、数は少ないが小動物も生息している。

「……不自然だな」

 宗介のつぶやきに、横に居た戦闘員の一人が同意した。

 二十年ほど前にはこの島はまだ海の中だった。それが今ではこんなに樹が生い茂り、島としての機能を持っている。

 火山活動があったとしても、そんなわずかな年数でここまで緑ができるはずがない。

「埋め立てて、植林か」

 そうだとすると、まず間違いなくカモフラージュが目的だ。これでますますアマルガム本拠地の可能性が高くなった。

 目的地は、衛星の映像により予想したアジトの位置捜索。

 第一班を三つに分散させて捜索に当たることになった。一つ目の隊の指揮はベルファンガン・クルーゾー隊長である。

 二つ目の隊になった宗介は、中央のポイントに向かうことになった。宗介の捜索隊には椿一成が入っている。

 三つ目の隊は南東ルートで。クルーゾーは北東として、それぞれの捜索ルートが割り振られた。

「定時連絡を忘れるな。ここは電波がほとんどないが、スイッチは常に入れておけ」

 まず各々の装備を確認。時計合わせをして、互いの無事を祈り、分散した。



 地図とコンパスを照らして中央のポイントにたどり着くと、気になる箇所を調べる。映像からの調査では、この辺りの土が、不自然な状態にあるということだった。どう不自然なのかは宗介は聞いていないが、土の種類が考えられない組み合わせだとか、余所からカモフラージュ用に運ばれた土だとか、大まかにはそういうことらしい。

 それで出た結論は、地下を作っているのだろうということだった。

 範囲を決めて、各々で捜索を開始する。

 宗介は落ち葉を足で蹴り分け、土に向けて装置を放射する。超音波を発する装置で、土の下になにかがあった場合、超音波がぶつかって跳ね返る。その情報がディスプレイに映し出され、その深度や大まかな形が表示される。 

 捜索開始から数時間が経った。収穫が無いと、次のポイントへ移り、また捜索を開始する。これを繰り返して、五回目のポイントでまた隊員の一人が報告した。

 またモグラやゴミだろうと思いつつ、土を掘っていくと、大きめの石のフタが出てきた。

「まさか……」

 石の端に、不自然なへこみがある。ちょうど取っ手のようなその穴に手をかけて引くと、動いた石の下に空洞があらわれた。さらに不規則な石の板が下に重ねられて続いている。

「見つけたぞ!」

 地下への階段を見つけて、各々は捜索の手を止めた。一人が無線で他の捜索隊に連絡を取る。他の者は辺りを警戒して、装備を整えた。

 打ち合わせた通りの順で、一人ずつ侵入していく。もっとも危険な先頭は、自ら志願した宗介だった。

 果たしてレナード・テスタロッサはこの先にいるのか。様々なものを奪っていった白い悪魔。その対面の時は少しずつ近づいていた。



 石の階段を下りきると、洞窟のようなところに出た。海底洞窟なのか、岩でできた自然の柱がいくつも連なっている。だが少し進むと、明らかに人の手で補強された壁と柱になってきた。

 もともとあった海底洞窟を、拡張したのか。

 地下に備えての光源装備は万端だったが、次第に洞窟は完全に建造物となり、天井の灯りが昼間のように照らし出す。

 この場所自体が罠だという可能性を警戒しつつ、さらに奥へ進む。やや幅が広がって、部屋のような空間になっていく。

 奥に行き止まりがあった。しかしその壁には、ここからが本当の入り口だと示すかのように扉がついていた。

 先頭の宗介がドアを開け、同時に隊員が三人で飛び出し、一斉に各方向に銃を向ける。なにもないことを確認して、改めて宗介が先頭として進行した。

 さらに進み、空間が廊下と認識できるような場所にまで到達してきたところで、人影があらわれた。

 数人の男達。不自然に筋肉が盛り上がり、視線が定まらない。その独特の目は、催眠状態のものだった。

「アマルガムの奴らか」

 ここまでくれば、もはや一般人ではなく、元々アマルガム組織の一員だけだった。それならば、もう躊躇はいらない。気絶狙いではなく、全力で排除に取りかかる。

「行くぞ!」

 狭い廊下で、対応できる陣形を取り、襲撃者に立ち向かう。

 男達は拳や武器を力任せに振り回す。壁は地下だけあって頑丈につくられており、穴が空くことはないが、大きな衝撃で振動が激しい。

 宗介は空振りを誘って、体術で床にたたきつけた。角度と勢いを意識して投げつけると、嫌な鈍い音が響く。

 催眠術に操られた者は痛覚が麻痺されているが、男はそれだけで動けなくなっていた。ねじれ、折れた箇所は致命的で、筋肉がいくらあっても無駄だった。

 さらに別の男が掴みかかる。距離のあるうちに、銃で狙い撃った。筋肉のつきにくい箇所、急所をついた銃撃は、必要最低限の弾数で相手を無力化する。

 横から襲いかかった男には柔術で対応。可動関節の限界以上にねじり上げた腕は、あっという間に使い物にならなくなった。

 宗介たちは、前と比べて効率よく対処できるようになっていた。長いアマルガムとの戦いで身につけた経験が、もはや催眠で操られただけの襲撃者をものともしない。

 経験を高く積んだ宗介と戦闘員の前に、襲撃者はみるみるうちに減っていく。宗介は対処しつつ、どんどんと奥へ進む。他の襲撃者は戦闘員に任せ、より奥へ。

 扉をくぐり、部屋を抜けていくと、またも狭い廊下。そこで、一人の男が奥の扉の前にたたずんでいた。

「ここより先は通さん」

 その男の顔は、資料で見覚えがあった。アマルガムの幹部の中でも、レナードの側近の立場にある男。中国人の、飛鴻であった。

 こんな男が、一人で扉を守っているということは、その先にいるのは。

 絶対に通り抜ける。その意志を持って、宗介は銃を構えた。三発、いずれも急所狙いで撃ち放つ。

 しかし飛鴻は、床を蹴ると横の壁に飛び移り、その反動で天井へ、反対の壁へと空間全体を使って移動してきた。

「うおっ」

 動きが、明らかに他の操られた者と違う。そして以前に見たことがあった。

「中国人はみんな拳法使いなのか……?」

 催眠で強化されたその動きは厄介なものだった。

 飛鴻は一瞬で詰め寄って、左足を軸に、右の後ろ回し蹴りで銃を蹴り払う。

「くっ……」

 右手がしびれる。銃は壁に当たって横滑りに転がっていく。

 宗介は腰後ろの隠しナイフで、突きの体勢に入った。しかし空を切る。飛鴻の身体はすでにそこになく、後方に退がっていた。

「なんだ、こいつは……」

 中国人男も、催眠効果で異様な筋肉強化を遂げている。しかし、それだけではないなにかが感じられた。

 こんなところで足止めを食らうわけにはいかない。用があるのはこんな男ではない。先の扉だ。

 飛鴻がまたこっちに向かってくる。

 素早い動きだったが、これまでのアマルガムとの経験を引き合いに、攻撃ポイントを定めた。筋肉強化にも限界がある。人間の身体能力は無限ではない。

 これまでに相手にしてきた催眠術による強化された襲撃者の動きから、飛鴻の動きを予測した。そのあるべき場所に、ナイフを突き出す。

 だが飛鴻はその予測された動きよりも格段に早く、そこを通り過ぎていた。

 空振りの隙をついて、飛鴻が背後にまわる。野太い腕が宗介を抱えた。

「くっ」

 抜け出そうとしてもびくともしない。筋肉の腕に、拘束されてしまった。

 それと同時に、先の扉が向こうから開いた。そこから現れた一人の男が口を開く。

「油断したみたいだね。飛鴻を他の催眠強化の人達と一括りにしたのが君のミスだった」

 銀髪に銀色の瞳。レナード・テスタロッサだった。

「レナード・テスタロッサ!」

 ついに対峙した。モニター越しでも記憶でもなく、ようやく実際に向かい合えた。

 宗介はすぐにでも銃を抜きたかったが、腕の拘束は揺るがない。

「飛鴻は前置きからして他のアマルガムとは違うんだよ」

 レナードは前髪を軽くかき上げ、飛鴻に目配せする。

 飛鴻は拘束体勢を保ったまま、宗介が喋れるように喉元を緩めた。

「ぼくの催眠は、まず対象者に忠誠心を植え付けることから始まる。アマルガムの幹部たちは、それぞれいろいろな思惑で所属していてね。金欲しさだったり、権力を振りかざすためだったり。それを催眠で、アマルガムに忠誠心で括りつける。この催眠が結構大事でね。どれだけ強力な兵士でも従わねば意味がないだろう」

 確かにその通りだ。

「配下に置いてから、肉体強化の催眠をかける。これがかなり効率が悪くてね。肉体は精神に反映するというだろう。強化しすぎると、精神の拘束ができなくなるんだ」

 どっちか一方だけを強化することはできない。精神も肉体も同等に強化していくしかない。そのバランスは極端なもので、完全に支配するのは難しいという。

「だけどそこの男。飛鴻っていうんだけど、彼は元々ぼくに忠実に従っていてね」

「レナード様。兄さんもです」

「そうだね。そういうわけで、配下にする催眠が必要ないんだ。その分、肉体をより強化できるんだよ」

 たしかに催眠にかけられている割には、飛鴻は自我が強い。これまでの相手と同一と思っていたが、それがたしかに油断につながっていた。

「それにしても、ずいぶんと予想外だったよ。まさかもうここに乗り込んでくるとは思わなかった。最後のヤケッパチなら簡単にあしらうつもりだったけど、どうもきっちり戦力を整えての襲来のようだし」

「目論見が外れて残念だったな。貴様は催眠でミスリルを壊したつもりらしいが、あいにくこっちにはウィスパードがいるんだ」

「ウィスパード?」

 宗介の言葉に、レナードが大きく反応する。

「世の中には、貴様の催眠が通用しない者も存在するんだ。それどころか、催眠を解くという強力な相対者がな」

「まさか……テレサの言ってた『ウィスパード理論』か? あれは机上の理論だったはず。実在するわけが……」

 珍しく、レナードの声に狼狽がにじむ。それが宗介には嬉しくてたまらなかった。

「お前は絶対なんかじゃない。抵抗できる者は存在するんだ」

 お前は無敵じゃない。そう通告されて、レナードはどういう心情に陥るのだろうか。

 しかし、レナードは宗介の期待するような反応を返さなかった。

「……まあいいよ。たとえ本当にウィスパードがいたとしても、対処の方法はある。いくらでもね」

 強がりかと思ったが、彼の表情に焦りはなかった。どこまでも余裕ぶる彼の態度が宗介には気にくわない。

「諦めろ。次々と戦闘員がなだれこんでくるぞ。クルツを殺した恨みを思い知るがいい」

「クルツ・ウェーバーか。彼は殺したんじゃなく自害したんだよ」

「お前がそうさせたんだ。お前が手をくだしたのと同じだ!」

「ぼくはただアマルガムにスカウトに来ただけだったんだけどね。ああいう形で断られるとは思わなかったな」

「当然だ」

「ちなみに、代わりといっちゃなんだけど、君はどうだい? アマルガムに来る気は?」

 宗介は黙って、中指を上に突き立てた。

「つれないね、どいつも。ところで君は見たとこ日本人のようだけど。もしかして、君が相良宗介かな」

「だったらどうした」

「クルツのことを調べてる経緯で、同僚繋がりで少しだけ調べさせてもらったんだけどね。意外にも君もぼくと不思議な運命にあるようだ」

 宗介は押し黙る。運命という言葉に言い知れぬ嫌悪が走っていた。

「ぼくの父、クライブ・テスタロッサ」

 ぴくりと宗介の眉が釣り上がる。

「ぼくは幼少の頃、父によく暗殺仕事の話を聞かされてね。その中のいくつかに興味を引かれたものだけど。君を調べてくうちに、そのひとつを思い出したよ」

 子供のように、楽しそうな微笑を浮かべる。

「実の子を暗殺者に仕立て上げ、ターゲットを抹殺させる。そんな話だったかな」

「――ッ!」

 それは間違いなく、宗介一家のケースだった。忌まわしい過去をほじくられて、今すぐにでもその口を黙らせてやりたかった。

「ぼくの父は、アフターケアも欠かさないのがモットーでね」

 言葉の意味が分からない。レナードは構わず、手を大仰に広げた。

「興味深いのはここから。君は、その事件から、ずっと悪夢にうなされてたんじゃないのかな」

「――!」

 なぜそれを。そう問う前にレナードから口を開く。

「自分で起こした悲劇を、夢の中で繰り返させる。父、クライブはそういう後催眠を別にかけていたんだ。それによって、実行者は繰り返される悪夢にさいなやまれ、罪悪感、絶望に押しつぶされて自ら命を絶つ。そこまでが、クライブの組み立てた計画だった」

 そこで、レナードは演技くさく肩をすくめる。

「ところが、君はまだ生きていた。驚いたよ。あんなことをしでかしておいて、まだおめおめと生きながらえていたなんてね」

 くすり、と笑みを浮かべる。明らかに挑発の意を込めていた。

「罪悪感なんてなかったのかな? それともターゲットだった親が死んでくれて嬉しかった?」

 その言葉に咄嗟に宗介はレナードに飛びかかろうとした。しかし飛鴻の拘束がそれを許さない。

「おや、こんな挑発に乗るとはね。とても父の仕掛けた悪夢に耐えてきたようには見えないな」

 そうではない。宗介はあの時、耐えられなかった。目の前の現実に耐えきれず、ガラスの破片で自殺しようとした。たまたまその場に居合わせたカリーニンが止めただけなのだ。彼がいなかったら、宗介もあそこでとっくに終わっていた。

「どうだい。もし君がアマルガムに来るのなら、クライブの残したその催眠を解いてあげてもいい」

 そのレナードの提案に、宗介は違和感を持った。

「できるのか? 催眠は術者本人にしか解けないはずだ」

「普通ならね。だけどテスタロッサ家は特殊なんだよ。ごらん、銀色の瞳なんて珍しいだろ。この瞳自体に、催眠効果が備わってるのさ。どういう仕組みになってるかは知らないけど、この色合いや組織構成が催眠条件に適しているらしい。ようするに、テスタロッサ家は生まれ持った催眠の才能があるってことさ」

「それで、他と次元が違うのか」

「故に、解除方法も独特なんだよ。たしかに後催眠は術者本人にしか解けないのが常識だ。でもぼくは、父と『血の盟約』を取り交わしている」

「『血の盟約』?」

「血族の間でできる特殊な契約のことさ。ぼくの催眠術は、瞳を通してクライブから受け継いだものでね。この催眠術は元々クライブの力なんだよ。彼が死んで、アマルガムを引き継ぐと同時に、この催眠の力も継いだんだ。ぼくはそれをさらに磨いて、より強力にしてみせた」

 レナードを初めてみたときに悪寒が立ったのは、レナードにクライブの力を感じ取っていたからなのか。レナードとクライブは、ただの親子ではなく、レナードがクライブそのものともいえたのだ。

 宗介のレナードに対して感じる憎悪は、クライブ本人にも向けていたものだった。

「父が死んでも君の悪夢が終わらないのも、そのためさ。ぼくが受け継いだことで、父が死んでも効果が継続されたんだよ」

 驚愕の事実だった。あまりのことに、言葉が出てこない。

「ふふふ。真実を知った君は今、どう感じているのかな。ショックかな。それとも絶望?」

 楽しげに微笑むレナードを前に、しかし宗介も嬉しそうに笑みを浮かべていた。

「いや……感謝だ」

「――?」

 宗介の長年のわだかまりが解けた気分だった。

 今まで悪夢に苦しめられるのは、自分の罪悪感だと感じていた。しかし、その年月があまりにも長すぎて、罪悪感以外のなにかを両親に対して持っていたのではないか。そういう疑念が頭をよぎるようになって、それが苦痛だった。そして何年経っても解放されない苦しみに、全てを呪いたくなることもあった。

 だが、そうではなかった。たしかに最初の数年は罪悪感からもあるだろうが、背後にあったクライブの催眠の力によるものだった。呪縛の正体がはっきりしたことが嬉しかった。

「それなら解く方法がもうひとつあるな」

 どす黒い殺意を目の前の男に向ける。

「レナード・テスタロッサ。貴様を殺すことだ」

「たしかに、それもそうだね。クライブの催眠でもある力を持つぼくが死ねば、君の催眠も解かれるだろう。でも、それはありえないよ」

 レナードが喋り終わるのを待たずに、宗介は頭を少し前に傾けて、勢いをつけて後方にバッディングをかます。しかし後ろの飛鴻はそれをかわし、さっと腕を組み替えて宗介の頭を右手で押さえた。

「無駄なあがきはよすんだね。今更どうしようもないことだよ」

 飛鴻の拘束が解けない。せめて手が自由になれれば、腰後ろの隠しナイフでレナードを仕留めてみせるのに。

「もう、君はチェックメイトだってこと自覚してないのかな。今ぼくが君に呼吸するなと命令すれば、その場で終わるんだよ」

 宗介は視線を合わせない。だが、飛鴻が宗介の目を無理矢理開かせた。顔の自由も奪われていて、レナードから逃れられない。

 吸い込まれるような銀色の瞳。

 突然、宗介は息が吸えなくなった。意識はしっかりしているのに、身体が息を吸い込もうとしない。

 催眠術にかかってしまっていた。

「う……あ……」

 肺が空気を欲している。

 身体が重い。

 舌の感覚がなくなっていき、たしかな息苦しさが伝わってきた。

「あ……あ……」

 窮屈すぎて言葉にならない。視界が歪み、痛みが頭を駆け巡る。

 そこで、急に感覚が戻ってきた。口が思い通りに動く。急いで空気を取り込み、呼吸をする。

 催眠を破ったわけではない。レナードが解いたのだ。

「どうだい。苦しいだろう。これは交渉だよ。アマルガムに来ないなら、次の催眠で確実に君は死ぬ」

「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 言い返す余裕がない。こめかみにずきんと痛みが走る。たったこれだけで、宗介をすでに疲労させていた。

「ぼくをご主人様とでも呼んでみる? それなりにかわいがってあげるよ。愛称もつけてあげよう。サガラ・ソースケでサスケとか? ソーちんもいいかもね」

 虫唾が走る。センスの欠片もない。

「くそ野郎どもは、俺に愛称をつけるのが好きなようだな。カシムだとか偽善者とか、いい加減にしてもらいたいものだ」

 ガウルンやこれまでの敵が脳裏に蘇ってくる。

「……カシム?」

 宗介の言葉に、レナードの表情が小さくこわばった。

「サガラ・ソースケ。その『カシム』という名は、誰に名付けられたものだ?」

「答える義務はない」

「……ミスター・ガウルンか?」

 その名に宗介は反応してしまう。それだけで、レナードには全てが飲み込めた。

「いくら調べさせても分からなかったのに、まさかこんなところでね」

「申し訳ありません、レナード様」

 調査を命じられたはずの飛鴻は、結果が出せなかったことを詫びる。

「いいさ。こいつが、カシムだったとはね。クルツといい君といい、ぼくらは皮肉な運命で絡み合ってるらしい。あっさりと死なせるわけにはいかなくなったな」

 冷淡だった声に、楽しそうな響きが混じる。

「とびっきりの地獄ショーを見せてあげるよ。場所を変えるか。まずは、眠ってもらおうか」

 宗介はぎゅっと目をつぶる。また催眠にかけられていいようにされてたまるか。

 その分かりやすい宗介の行動に、レナードは苦笑した。

「ずいぶんと警戒されてるようだね。さっきから聴覚を通しての催眠も通じてないみたいだし。元々、聴覚への催眠はあまり通用しないからね。人間は聞きたい声だけを拾うように調整できるものだから。それにおそらく耳の中に小型の遮音装置でも仕込んであるんだろう?」

 レナードの指摘は正解だった。クルツとレナードの戦闘を映した監視カメラの分析によって、すでに対策はなされていた。

「一度ネタがばれると、使い物にならないんだよね。なるべく控えるつもりだったけど、あのクルツ・ウェーバーが相手じゃ使わざるを得なかった」

 クルツの残した功績は大きかった。次々とレナードの対処法を知らせてくれる。それでも宗介にとっては、彼自身が生き延びてくれたほうがよかったのだが。

「だけどね……」

 宗介の口を背後からなにかで塞がれた。ハンカチだった。

 ――クロロホルム!

 唐突に意識が遠のいていく。抗いようのない眠気に襲われて、宗介は背後の飛鴻にもたれていった。

「催眠をわざわざ使わなくても、眠らせる方法なんていくらでもあるんだよね」

 ふふふとレナードは滑稽そうに笑って、眠りに落ちた宗介の顎を掴む。

「例の場所に連れて行こう。代われ、飛鴻」

「わたしが運んでもよろしいのですが」

「いや、ぼく一人で充分だ。飛鴻はここで、このあと押し寄せてくるハエどもを叩き落としておいてくれ」

 飛鴻は承って、レナードの背中に宗介を乗せる。

「てめえ、サガラをどこへ連れて行くつもりだっ」

 廊下の手前から、ミスリルの戦闘員が駆けつけてきた。宗介と同じ日本人、椿一成だった。

「やれやれ、さっそくおでましのようだ。それじゃ後は頼むよ、飛鴻」

「かしこまりました」

 レナードが宗介を背負って奥へと進む。それを一成が追おうとするのを阻む形で飛鴻が立ちはだかった。

「どけよ。あいつになにするつもりだ?」

「知る必要はない。お前はここで死ぬのだからな」

 飛鴻が拳法の構えを取る。それを見て、一成は眉をひそめた。

「やれやれ、また拳法野郎かよ。こないだの野郎といい、身の程知らずばかりだな」

「……また、だと?」

「あのくそったれガウルンの傍にいた催眠野郎さ。知り合いか? あいつと同じ目に遭いたくなかったらさっさと道を空けるんだな」

 飛鴻の能面のような表情に、怒りが貼り付けられた。場慣れしてるはずの一成も、その憎悪に一瞬たじろぐ。

「そうか。兄さんを殺したのは貴様か」

 その一言で、一成は状況を察した。

「……兄弟、ね。どうりで構えが似てると思ったぜ。まあ、オレの大導脈流にゃかなわねえだろうがな」

「戯れ言を。兄さんの誇りをかけて、貴様を潰してやろう」

 二人の拳法使いが、向かい合った。



「む……」

 宗介が目を覚ましたとき、身体に気だるさを感じた。

 眠らされてしまったのか。自分の失態を呪いつつ、むくりと起きあがる。

「ん……?」

 そこでようやく自身の状況を把握する。

 さっきとは違うどこかの廊下。天井の高さも、幅も空間が違う。場所を移動されたらしい。そこで自分は横倒れに眠っていた。自分以外には人の気配が感じられない。

 レナードはどこへ行った? そして俺はなぜ拘束されていない?

 眠らされる寸前との状況の違いに戸惑いつつも、より把握にかかる。

 銃はない。だが腰元を探ると、隠しナイフがあった。

 ――なぜ、隠しナイフが残っている? 

 眠らされたなら、そのあとに身体検査をされたはずだ。そうなれば、このナイフも容易に発見される。

 それなら排除しておくはずの武器が、そのままに残されている。

 どういうことだ? 俺はレナードに捕まったのではないのか?

 眠っている間に、なにかがあったのだろうか。そして俺をここに放置せざるを得ない状況でも生まれた?

 ともかく、この好機を逃す手はない。もう一度レナードを探し出し、今度こそ仕留める。

「ソースケ!」

 不意に、懐かしい声に呼びかけられた。廊下の奥から。戦闘用に着替えた千鳥がそこにいた。

「千鳥? なぜここに?」

「治療が終わったから、あたしも後続の突入班に加わって、ここに来たんです」

 そういえば、千鳥も戦闘に参加するとテッサに教えられていた。ここで催眠を無効化するウィスパード能力を持つ彼女が加わるのは心強い。それだけでなく、彼女の存在そのものに、なぜかほっとさせられた。

「よかった、会えて。こっちの方に連れて行かれたって聞かされて、ルートを外れてかけつけたんです」

 千鳥がこっちの無事を視認して、向こうもほっと胸をなで下ろしていた。

 お互い様だな、と宗介は心中で笑う。

「状況はどうなっている?」

「みんな、東のほうにまわって、集中的に攻撃してます。レナードを追いつめる布陣で、あたしたちはこのまま先に進むことになってます」

たしかに向こうでドンパチの音が聞こえる。みんな、向こうで戦闘に入っているのだ。

 ――分かった。

 そう返事しようとして、なぜかそれは声にならなかった。

 それだけではなかった。宗介の視界が急激に後ろに下がり、別の視界がスクリーンのように、一歩手前に浮かび上がる。

 ――え?

 驚きの声も、宗介の口からは出てこない。

 まるで宗介の身体と意志を別々に切り離されたような、不思議な違和感。まるで映画館のように、一歩手前のところで宗介は宗介の視界を通して見ていた。

 ――まさか。

 ――まさかまさか。

 この感覚に、宗介は覚えがあった。思い出したくもない、あの嫌な感覚。

 宗介の右手が後ろにまわり、千鳥に見えないように、隠しナイフを引き抜く。

 ――なにをしている? 

 これは宗介自身の意志の行動ではない。宗介の身体が、別人のように勝手に動いてしまっている。

 ――まさか、これは!

 幼い頃の記憶がいきなり鮮明に重なって蘇る。

 まさか。いや、違う。これは夢だ。

 だがその考えをすぐに破棄した。これは夢ではない。それはありえないのだ。そのことを自分が一番よくわかっている。

 宗介の見る夢はたった一種類。両親を自分の手で殺す悪夢。

 幼い頃からその夢が絶えることなく繰り返された。だからこれは夢ではない。

 自分は、催眠に操られてしまっている。この現実を受け入れるしかなかった。

 だがなぜここで発動する? なんのために?

 俺は、レナードに恨みを持つ危険人物のはず。それをこんなところに放置し、武器を残していた意図はなんだ。

 レナードにとって排除したいのは俺ではない? 

 そこではっとする。

 ウィスパードの存在を知ったとき、レナードはいくらでも対処法はあると言っていた。

 まさか、レナードの野郎は。俺を使って、千鳥を……。

 ――千鳥、来るな!

 声が出ない。しかも身体は意志に反して、ナイフを隠し持ったまま自分から千鳥に近寄っていく。

 ――逃げろ。気づけ、千鳥!

「どうしたの、ソースケ? 早く行きましょう……って、もしかして怪我でもしてるんですか?」

 ――俺なんかを信用するな。離れろ! ナイフに気づいてくれ!

 意志の叫びは無情にも届かない。彼女はそれどころか宗介を気遣って、怪我の具合を確かめようとしてくる。

 テッサの言葉がとっさに蘇った。催眠の対処法。強い意志を持つこと。

 そうだ、強靱な意志が催眠を破る。 

 ――元に戻れ! しっかりしろ!

 ――こんなことをするな! もっと強く願うんだ! 俺はもう失いたくない!

 宗介の足取りは止まらない。千鳥は手を伸ばして、宗介の外傷を探りに、肌に触れようとする。

 ナイフを持つ手がゆらりと動く。

 ――やめろ! やめろ! やめてくれ! 



 ざしゅ。



 ――え?

 スクリーン越しに、視界を下に落とす。

 ナイフの刃が、千鳥の腹を突いていた。刃の半分ほどが埋まって、肌色の中に赤を滴らせる。

 起きた現実に、鼓動が激しく波打つのを押さえられない。意志の宗介が、呆然とそれを見下ろしている。

 ――ウソだ。

 刺した感触が、そのまま伝わってくる。これも幼少の悪夢とまったく同じだ。

 ――ウソだろ。ウソだ。

 千鳥の動きが止まる。彼女は驚愕に目をむいて、こっちを見つめていた。

 ――千鳥、しっかりしろ!

 まだ声が出てこない。まだ催眠が解けない。

 意志の宗介は視界のスクリーンに駆け寄ろうとする。しかし距離が縮まらない。一刻も早くあそこに駆けつけたいのに、足が空を切る。

 宗介の手が、ナイフをゆっくりと引き抜こうとした。

 ――よせ、出血がひどくなる!

 ぶわっと、赤い水が噴き出す。宗介の身体が返り血で染まっていく。

 ――千鳥!

 それでも身体はまだ動かない。動かせない。

 ――なにをしているんだ、このバカ野郎!

 自分自身を怒鳴りつけても、身体は反応してくれない。 



 ざくり。



 またも嫌な感触がした。

 ――おい、まさか。

 またもナイフが、別の箇所を刺していた。

 二撃目。宗介の手が、ナイフを引き抜いて、また刺したのだ。

 ――なにをやってるんだっ! 千鳥、早く逃げてくれ!

 しかし千鳥は動かない。刺されて動けなかった。彼女の腹が、より血にまみれていく。

 彼女がなにかを喋ろうとして、ごぼりと口から血が溢れ出た。

 ナイフが、今度は胸を刺していた。三撃目。宗介の手がまだ止まらない。

 ――いい加減にしろぉっ、もう、やめてくれっ!



 ざく。 ざく。 ざく。



 彼女を傷つける凶行は止まらない。止められない。

 どれだけ泣き叫んでも、宗介は腹へ、胸へ、幾度となく繰り返し刺し続けた。



 宗介の意思と身体がやっと一つに戻ったとき。千鳥はすぐ目の前で血だまりの上に仰向けに倒れていた。

「ち……どり……」

 信じがたい現実が目の前にあっても、宗介にはまだそれを受け入れられない。

「あ……」

 刺し傷は三十を軽く超えていた。出血はまだ止まらない。

 こんな状態でも、千鳥はまだ意識を失ってはいなかった。しかし身動きできず、顔色は蒼白で、いつ事切れてもおかしくない酷い状態だった。

 俺のせいだ。

 俺がレナードに、わざわざウィスパードの事を教えてしまったから。

「千鳥……」

 彼女はぐったりとしたまま、うつろな目を床に落としていた。

 まただ。また俺は同じ事をやってしまった。

 俺の手で。俺の手で大事な人を傷つけてしまった。

 なにも変わっていない。昔となにも変わっていないではないか。

 親を殺したあの日と、なにも……

 ――本当にそうか?

 いや、ちがう。

 崩れそうになる意志を、寸でのところで持ちこたえる。

 俺はあの時とは違う。今の俺は、手当ての仕方を知っている。警察の職業上、怪我人の救護をいくつもこなしてきた。蘇生法だって習っている。

 幼少と違って瀕死の人間を救う知識がある。ただ呆然と突っ立っていただけのあの頃とは違うんだ!

「千鳥っ!」

 意識はある。ならば心臓マッサージや人工呼吸よりも、まずは出血を止めなくては。

 戦闘服を脱がせて、刺し傷の箇所を手で押さえる。少しでも、血が流れ出るのを防ぐために。

「……!」

 ダメだ。

 刺し傷が多すぎる。両の手だけでは全てを塞げない。

 シャツを引き裂いて包帯代わりに巻くが、それでも全然足りない。出血を止められない。

「ちくしょうっ、ちくしょうっ!」

「そ……う……」

 千鳥の口がゆっくりと動く。声はほとんどかすれてしまっていた。

「千鳥っ!」

「ど……う……」

「しっかりしろ、千鳥! すぐにミスリルの人が来て治療に連れ帰ってくれる。もう少し辛抱してくれ」

「どう……して……? ソウ……スケ……」

「――!!」

 宗介の脳裏の中で、千鳥の声と、母の最期の声が重なった。

 子供であるはずの宗介に刺されて、搾り出した母の最期の言葉。

「ちがうっ、ちがうんだ、千鳥っ! 俺じゃないんだ!」

 必死に喚く。この誤解だけは解きたかった。しかし彼女の耳には届かない。

「それを最後の言葉にしないでくれ! 逝かないでくれ、千鳥!」

 がくりと千鳥の手が落ちた。彼女の瞳が生気を失い、呼吸も、痙攣も、彼女の全てが動きを止めた。

「ちど……」

 彼女の目はもうこっちを向かない。彼女の口はもうなにも動かない。

 深い絶望と空虚感が宗介の胸を貫いた。

 ……まただ。

 また大事な人を俺は自分の手で失ってしまった。

 涙が頬を伝って、止まらない。嗚咽が漏れるのを抑えられない。

 なぜだ。なぜこうなる。

 テスタロッサを追うからか? それ自体が間違っているのか?

 追えば追うほど、大事な人が次々と消えていく。

 両親を。佐伯恵那を。クルツも。そして、千鳥までも。

「千鳥……すまない」

 なぜ催眠が解けなかったのだろう。強靱な意志で拒んだつもりだったのに。

 俺の意志とは、そこまで弱く、意味のないものだったのか。それとも抗いようもないほどレナードの催眠が強力なのか。今となってはもうどっちでも関係ない。

 彼女の頬に軽く触れる。もう動くことのない、彼女の肌。

「う……ああ……」

 千鳥の体温が失われていくのが指先に伝わる。ぽたぽたと彼女の頬に涙が落ちていく。

 自分の手のひらが、血で真っ赤になっていた。千鳥の返り血だ。



 オレガチドリヲコロシタ



 感情がここで急速に膨れ上がり、それは一気に爆発した。

「うあああああああああああぁぁっ!!」

 宗介の悲鳴に近い叫びは、暗い廊下に何度も反響する。

「ああああああああああぁぁっ」

 その叫びは止まらなかった。

 ずっと。ずっと。絶望のどん底で叫び続けた。




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