かりそめの罠

フルメタ事件簿へ


かりそめの罠 4


翌日、千鳥は交番に出勤し、平静を装って、いつもと変わらない事務作業を続けていた

宗介も書類仕事や電話番をこなし、無難にやっている

しかし、そのひとつひとつの行動を、千鳥は無意識に気にかけるようになってしまっていた

レイスのことも、そのまま進展は無く、この日はすでに夕刻を迎えようとしていた

「そろそろか」

宗介が時計を見やって、クルツの方に寄って行く

千鳥も、時計に目をやった。夕方になって、学生が下校する時間帯だ。

「クルツ。俺の言ったルートで頼むぞ」

「おうよ、今度こそ捕まえてみせるぜ」

クルツは、交番横に停めてあった自転車を交番の奥へと運んでいく

「あの、なにやってるんですか?」

気になって千鳥が聞くと、クルツは交番の中で自転車にまたがった

「佐伯ちゃんのストーカー野郎を、捕まえるんだよ」

「あ、佐伯さんの件ですか」

女子高生の佐伯恵那。最近、常に誰かの視線を感じ、怯えている少女だ。

まだ実質なストーカー被害はないものの、いつ実行してくるか分からない。

だが、生活安全課では、被害届けが出されてからでないと、動かないのだ

「犯人特定とか、できたんですか?」

それには、宗介が答えた

「いや、相変わらず情報が少なすぎて、さっぱりだ。だから、直接犯人を捕まえて、自白させる」

「捕まえられるんですか?」

「佐伯には、またここに寄ってくるように言っておいた。犯人はなぜ、佐伯を尾けるのか分からんが、ここに来るときにも、尾行しているだろう」

「でも前は、逃げられたじゃないですか」

「距離があったからな。しかし、奴は乗り物は使ってなかった。そこで、交番の中から自転車で飛び出し、奴を捕まえる。ここの地形には詳しいから、逃走ルートもある程度予測も立てられるしな」

「わざわざ、中からですか」

「外に出て、自転車に乗る時間が惜しいからな。それに意表をつく意味で、いいだろう」

「でも……ものすごく、変ですよ」

交番の中に、自転車に乗った警察官が待機しているのだ。

「千鳥ちゃん、オレに任せろよ。しっかし、今更だが、なんでオレなんだ?」

「本当に今更な質問だな。こういうことは、クルツがお似合いだからだ」

「……それ、誉めてんのか?」

「さあ、どうだろうな」

宗介は思わせぶりに笑って見せた

すると、彼の携帯が鳴り、三回ほどコールされて、切れた

佐伯からの合図だった。

「よし、クルツ。ゴー!」

「あいよぉ!」

交番の奥から、自転車で急発進し、前の道路に飛び出す。

そして例の電柱方向へ曲がり、全速で向かっていった

すると、今回も電柱の影に潜んでいた男は、突然の自転車の出現に驚き、すぐさま逃げ出す

「逃がすかよっ」

クルツもしゃかりきにペダルを漕ぎ、その差はみるみる縮まっていく

そして電柱から百メートル先で、ようやく男が捕まったようだ

続いて、宗介もその場所へと向かっていく

千鳥は、佐伯を保護する形で、交番に残ってもらった

宗介が追いついたとき、クルツはそのコートの男を、壁に押し付けている形で捕まえていた

コート男は中年で、しかし体力はありそうだった

「い、いったい何なのだ」

「へっ、てめえが佐伯ちゃんを尾けてたのは分かってんだよ。このストーカー野郎が」

「な、なにを無礼なことを」

「じゃあ、どういうつもりであの少女を尾けていたのか、説明してもらおうか」

「…………」

その質問には、沈黙してしまった

「へっ、大方あの娘に惚れちまったんだろうよ。でも勇気が無くって、観察するだけに留まってたんだろ。そういう変態だよ、このオッサンはよ」

クルツがそう決め付けて、コート男を睨んだ

「ち、違う」

「……どっちにしろ、署まで来てもらおうか。そこでたっぷりと取り調べる」

「そ、そんな権利があるものか。任意同行だろう」

「知らんな。犯罪者にそんな権利は与える気はない」

冷たい言い方で、宗介もまた、コート男を睨む

「あの娘の前で、あんたの正体を洗いざらい吐かせてやる。そして謝罪するんだな」

「…………」

その言葉に含まれた、憎悪の念に怯えたのか、コート男は身をすくませた

「ま、待ってくれ」

「ああん? 今更泣き言は聞かねえぞ」

「待ってくれ。言うから、あの娘の前では勘弁してくれ」

「っせえ! あの娘は怯えてたんだぞ! ずっとてめえに尾けられてな!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

クルツの言葉に、コート男が驚いたようだ

「あの娘は、わたしの尾行に気づいてたのか?」

「ついに、吐いたな」

宗介が、にやりと笑った

しかし、それに動揺するでもなく、男は同じ質問を繰り返した

「あの娘は、気づいてたのか?」

「ああ。最近、誰かに見られてるようで怖いって泣いてたぜ」

「…………」

「だからよ、あの娘を安心させるためにも、本人の前で正体を明かしてもらうのが一番なんだよ、分かったか!」

そのクルツの言葉に、男は顔をしかめた

「なあ、頼む。あの娘に正体を知られるのはまずいんだ。勘弁してくれ」

その男の懇願に、クルツが切れそうになると、宗介がそれを抑えた

「クルツ。とりあえず、一度ここで聞いてみよう」

「だがよ」

「……なんだか、違う感じがしてな」

「…………?」

宗介は、男に聞いた

「あんたは、なんだ?」

男は、力なく頭を下げた

「……私は、探偵だ」

「……なに?」

「探偵だよ。鷲尾私立探偵事務所の所長をやっている」

「ウソつけぇっ! そんなその場しのぎのウソで切り抜けれると思ってんなよ!」

「嘘じゃない。名刺だ」

男が内懐から出したその名刺には、『鷲尾私立探偵』と明記されていた

宗介はその名刺に記載されている電話番号に、携帯でかけてみた

「事務所には、他に誰かいるのか?」

「秘書が一人いる」

すると、二回のコールでつながった

『はい、こちら鷲尾私立探偵事務所でございます』

宗介は携帯を切って、

「本当に探偵のようだな」

と、裏づけが取れたことをクルツに説明した

ようやくクルツは手を離し、鷲尾という男はふーっと息をついた

「……仕事の依頼で、あの娘の生活調査をしていたんだ」

「そういうことかよ」

意外な正体に、クルツはようやく表情を崩した

「では、誰に依頼されたんだ?」

その宗介の質問に、鷲尾はぎょっとした

「そ、そんなことは話せない。探偵の仕事内容は、守秘義務というものがある」

「探偵には免許はない。したがって、守秘義務なんてないんだ。さあ、内容を話してもらおうか。誰に頼まれた?」

だが、それでも鷲尾はしゃべらなかった

「なにも言わないなら、逮捕するぞ」

「そんな無茶苦茶な。なんの罪名でですか」

「公務執行妨害でもなんでも、難クセつけて放り込んでやるさ。警察ってのはそういう捏造は当たり前だからな。あんたも元警官なら、それくらいよく知ってるだろう」

「い、いや。私は探偵学校を出ただけなんだ……」

この鷲尾は、警官から転職したわけではないらしい。

よく考えれば、あんな尾行術なのだから、警官ではないのは当然か。

しかし、警官の経験がないことが、かえって今の脅迫に真実味を覚え、竦んだようだった

「わ、分かったよ。ただし、あの娘には話さないと誓ってくれ。私にも、仕事上の面子がある。対象者に知られるのは困るんだ」

「よし約束しよう。では、誰に頼まれた?」

「佐伯準一。……佐伯恵那の、父親だよ」

佐伯準一は、佐伯恵那の母親、つまり妻と離婚した。

その原因となったのは不倫だったが、不倫したのは、準一だけではなかった

家庭裁判所で弁護士が明らかにした、新たな不倫疑惑。

なんと、佐伯の母親も、また別の男と不倫していたのだ

しかし、母親側の弁護士のほうが優秀で、準一の不倫のことを世間にも悪どいイメージを植えつけるように責め、勝負は妻の勝ちだった。

だが母親は、自分の不倫も暴かれたことに反省するでもなく、それどころか世間に恥をさらされたと逆上し、娘である恵那の親権を奪っただけではなく、基本的に親権の取り合いに負けた側にも月に一度、許される面会の権利でさえも、奪ってしまったのだ

準一は、娘の恵那を深く溺愛していた。

問題になった自分の不倫にも深く反省し、離婚した後も、女付き合いは一切止めて、真面目に働いているという。

それでも、恵那が今どうしているのか、無性に心配で、恵那のことを忘れた日は一度もなかった

恵那はちゃんと食べているのだろうか。恵那は学校で苛められたりしてないだろうか。恵那は寂しい思いをしていないだろうか。

その心配は日がたつほどに増していって、ついに少ない残り金を出して、探偵である鷲尾を雇い、恵那の調査を頼んだ。

そこまではよかったのだが、この鷲尾という探偵は、尾行が上手とはいえなかった

勘の鋭い宗介はともかく、素人の恵那に、視線を感じると感づかれるくらいだったのだ

そのため、恵那はその尾行の視線が怖くなって、ついに宗介の交番に駆け込んだというわけだ

「頼む! このことは、内緒にしててくれ!」

鷲尾のこの懇願に、クルツは声を押し殺して笑っていた

「っくく、たしかによ。探偵のくせに対象者に気づかれ、あまつさえ警察に捕まるなんたぁ、恥ずかしいよなぁ」

「ぅ……」

鷲尾はうつむいて、赤くなってしまった

「あまり苛めてやるな、クルツ」

「そういう宗介こそ、表情には出さねえが、ホントは笑ってんだろ」

宗介はそれを否定しなかった

「……まだ契約は残っているから、調査は続けるぞ」

「ああ、構わない。危害が無いと分かったからな」

「いいな。くれぐれも、あの娘にはバラさないでくれよ!」

「ああ、分かっている」

そう言って、宗介は、探偵である鷲尾を解放し、交番に戻っていく



「おっ、おい。いいのかよ、ソースケ」

慌てて後を追ってきたクルツが、宗介の肩を掴んだ

「なにがだ?」

「恵那ちゃんは怯えてんだぜ。説明してやんねえと、安心できねえだろう。それに、父親が心配してくれてるっていうエピソード付きだ。なにもかも話してやったほうがいいだろがよ」

「それは駄目だ。鷲尾と約束したからな。向こうにも仕事がある」

「だけどよ」

「説明はするさ。仕事内容には触れないように、な」

「だけどよお……」

クルツとしては、恵那に父親のことを話して、喜ばせてやりたいのだろう。まったく、分かりやすいヤツだ。

「佐伯への説明は俺がする。クルツは、千鳥に言っておいてくれ」

「千鳥ちゃんにもか?」

「ああ。あいつは、ちゃんと説明しておかないと、また勝手に暴走しそうだからな」

「はは、そら言えてら」

二人は交番に戻り、恵那と千鳥を、それぞれ別の場所に呼びつけて、説明した

「ってなわけだよ。ストーカーじゃなかったなんてな」

だが、そのクルツの説明に、千鳥は反論した

「彼女の父親が心配して起きたことでしょう。だったら、ちゃんと全部説明してあげたほうが、恵那さんのためにもなりますよ」

千鳥もまた、ここにきて鷲尾との約束を優先する宗介の意向に、反発した

だがクルツは、にやりと笑って、付け足した

「だからよ、あいつは直接的には説明せずに、まわりくどく言うんだってよ」

「え? それって……」

「あいつの口からは、仕事の内容のワードは出ない。けど、遠まわしな言い方で言うつもりらしいぜ」

「どれくらい、遠まわしに?」

「真剣に考えようとすれば、二日か三日で真相にたどり着くってぇくらいかな」

「……それ、ちょっとズルいですね」

「そういうやつだよ、あいつは」

そう言って、クルツは、にししと笑った

その笑いにつられて、千鳥も思わず、くすりと笑ってしまった

「…………」

分からない。

一体、相良宗介はなんなのだろうか。

怪盗レイスと裏で手を組んでいた男かと思えば、今回のような、人情なことをする

もしこれが、レイスと手を組んでいることを欺く行為だとしても、それが表面だけの行為には見えないのだ

でも、確かに言えることは、相良宗介は、人殺しをした怪盗レイスと、ひっとりと密会したということだった

まだ、気を許すわけにはいかない



しばらくして、宗介と恵那も、交番に戻ってきた

どういう説明をしたのかは分からないが、危害はないと納得したようだった

それで、恵那はぺこりと礼を言って、帰宅していった

すると、宗介の携帯が鳴った

「はい。……分かった、そっちに行って聞く」

「どうしたんですか?」

「風間から、事件の被害者である白井悟について、新しい情報が入ったんだそうだ」

白井悟。あの怪盗レイスの警備に当たって、なぜかレイスに刺殺されてしまった男だ。

「今から本部に行って、聞いてくる」

「あたしも行きます」

この情報で、またなにか進展するかもしれない。

それに、相良から目を離したくないのだ

千鳥は、この事件の真相もはっきりと暴いてやる、と強く意気込んでいた。




次へ進む