かりそめの罠

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かりそめの罠 5


クルツを交番に残し、宗介と千鳥の二人は、風間に会いに、本部へと向かった

その本部の入り口脇のロビーに、風間がソファーに腰を下ろして待ってくれていた

「どうも、相良さん」

「ああ。それで、なにが分かったんだ?」

「はい。被害者の白井悟ですが、彼はどうも、女遊びが激しかったようです」

「ほう」

「学生時代の時は、複数の女性と付き合ったこともあり、かなりモテていたようですね。ホストの経験もあります」

「女性を捨てたことも多いんじゃないか?」

「その通りです。しかもざんざん貢がせていたようですよ。普通、逆なんですけどね」

「貢がせていた? かなりの高額か?」

「はい。中には、親の財産を勝手に使い込む女性までいたそうですよ」

「そこまでさせるなんて、ほとんど犯罪じゃないですか」

同じ女性としてだろうか、隣にいた千鳥がひどく憤慨した

「実は、白井悟には、結婚詐欺の被害届けが二通も届いてるんです。しかし、どっちも証拠不十分で不起訴になりました」

「なるほどな。結婚詐欺か」

「ひどい……」

被害者だからって、善人というわけではない。むしろ、こういう悪行をしでかしている場合が多い。

「捜査本部では、そういう線から洗ってるわけだな」

「はい。ですが……」

そこで、風間は暗い表情になった

「ああ、言わなくても分かる」

と、宗介は一人うなずいた

当然、千鳥にはなんのことか、分からない

「それで、走査はどこまで進んでいる?」

「もうかなり絞っています。これ、リストです」

と、風間は簡単な住所と氏名の書かれた紙を手渡した

ここまでしてくれるとは、なんともいい情報提供者だな、と千鳥は思った

「分かった。感謝する」

宗介はそれをしまって、本部を出て行った

時刻は、もう夜に差し掛かっていた

交番に戻り、宗介はそのリストを眺めては、どこかに電話していた

千鳥は自分の仕事があったので、その会話を拾うことはできなかった

(なによ、探すフリなんかしちゃって)

本当に捕まえる気があるなら、昨日の公園の密会でのときに、捕まえるはずなのだ

たしかに距離はあったが、それでも駆け出してみようとか、する気にはなってもいいはずだ

なのに、相良先輩はそれをしなかった。

騙されるものか。

それにしても、被害者の白井悟も、ずいぶんとひどい経歴があったものだ

女性にとっては、一生の中でも大事なものである、結婚を、詐欺に利用するなんて。

今となっては、ただの被害者だが、ある意味、警察では裁けなかった彼を、怪盗レイスが裁いたようなものとも言える

「…………」

なんだか今、自分は重要なことに気づいたのではないか。

怪盗レイスが、裁いた?

だから?

だから、相良先輩は、レイスの味方をしているの?

法律では手が出せない悪人を、レイスが代わりに裁いたから?

「……でも」

所詮、人殺しは重罪なのだ

たとえ、動機がどうであれ、その罪は、償わせなきゃいけないのよ

そう、宗介の背中に向かって言ったつもりだった



時間は過ぎ、ついに深夜に差しかかろうとしていた

今でもリストを眺めては、どこかに電話をかける宗介に、千鳥はさりげなく切り出した

「どうですか、先輩。なにか進展はありました?」

すると宗介は、電話を切って、千鳥を見上げた

「気になるか?」

その言葉に、なんだか腹が立ってしまった

「気になります! 当たり前じゃないですか!」

「じゃあ、行こうか」

宗介は立ち上がり、コートを羽織る

「行くって、どこへですか?」

宗介は、親指を突っ立てて、外に向けた

「犯人を捕まえに、さ」



またもクルツを残し、千鳥は宗介について、外を歩いていく

それはしだいに、民家から工業地帯へと移っていった

「ここだ」

「廃工場……?」

もう使われていない、ガレキの建物の中へと、宗介は入っていく

千鳥も仕方なく、それに続けて入っていった

「誰もいないじゃないですか」

「まだ来ていないようだな。ここで待とう」

宗介は、ガレキのコンクリートの横にもたれて、腕を組んだまま目をつぶった

「…………」

しだいに、千鳥は、自分は無防備すぎたんじゃないかと後悔し始めた

犯罪者の仲間かもしれないのに、こんなノコノコとついてきてしまった。こんな、人気のない場所に。

いくら柔道術に自信があるといっても、この状況は不利ではないだろうか

そう不安に駆られて、青くなってきたときに、宗介がぴくりと動いた

「来たか」

その視線の先は、暗くてよく分からない。だが、確かに誰かが来たようだ

月が出ていたので、わずかな明かりに、少しずつ姿が浮かんでくる

「こんな呼び出し紙を出したのは、お前なのか……?」

片手に握りつぶした紙を持って、出てきたその人は、千鳥は見たことのない中年の男だった。

「先輩。誰なんですか?」

「この事件の犯人だ」

その言葉に、千鳥は驚いて、改めてその中年男の顔を見た

すると、中年男は顔をしかめた

「冗談じゃない。わたしがなんの犯人だって?」

「白井悟を博物館で殺した。ナイフで、深く刺してな」

宗介は、それでもきっぱりと断言した

「じゃ、じゃあこの人が、怪盗レイス……」

そう千鳥が言うと、その中年男は、目を逸らした

「じょ、冗談じゃない。わたしは誰も、刺したりしちゃいない」

「あくまで否定するつもりか」

「そうだ。それに、こんなものを、出してきよって」

と、握りつぶしていた紙を、叩きつけた

その紙には、『ここで待つ』と、この場所を指定してあった。差出人は、白井悟。

「だが、お前は来たな」

「こんな馬鹿げた手紙を寄越したのは、誰かと思ってな。こういうイタズラを叱ってやろうと来たまでだ」

「まだ、認めないつもりなんだな」

「認めるもなにもない。第一、証拠はあるのか」

中年男が、強気にそう迫ってきた

「先輩……」

「……証拠、か」

すると、ゆらりと中年男の背後から、さらに誰かが入ってきた

「誰だっ」

中年男が振り返り、入ってくる男に目をこらす

すると、その男が明かりに照らされると、中年男は悲鳴を上げた

その入ってきた男は、白井悟だった。胸を刺されて死んだはずの。

これには、千鳥も驚いた

「白井さん……。し、死んだんじゃあ……」

震えながら、千鳥は宗介の背に隠れる

「刺し傷は、かろうじて致命傷を避けていたんだ。確かに深かったけれど、医者の懸命な処置で、危ないところで死線から戻ることができたよ。本当に、危なかった。まさに奇跡と言われたぐらいでね」

胸部分は、包帯が巻かれていて、傷は見えなかった

「だけど犯人を欺くために、マスコミには死亡したと、警察が発表したんだ。だから本当は、これは殺人未遂の事件なんだよ」

白井は、荒く息をついていた。そりゃそうだろう。死には至らなかったとはいえ、傷は深いはずなのだから。

「そ、そんな……」

中年男の顔が、真っ青になっていた。幽霊を見ているような、うつろな目で。

「そんな、バカなッ」

中年男は、隠し持っていたナイフを取り出し、ぶんぶんと振り回した

「あんたは、確かにこのわたしが刺し殺したはずだッ!」

怯えてそう叫ぶと、急に白井悟が、にやりと笑った

そして胸ポケットから、小型の機械を出して、高く掲げる

それは、小さなテープレコーダーだった

「これで証拠が取れたな」

急に声の調子が変わり、中年男の顔が険しくなった

「ど、どういうこと?」

「あの中年は、怪盗レイスなんかじゃない」

千鳥に、宗介がそう言うと、それに答えるように、白井悟が、自分の顔に手をかけた

そして、その顔が、べりべりと剥がれていく

「あッ」

その白井悟の顔の下にあったのは、オールバックに少し垂れた髪。そして鋭い目つき。

白井悟に化けていた、怪盗レイスだった

「そ、そんな……」

中年男は、がくりとヒザを地につけた

「いったい、どういうことなんですか、先輩っ」

いい加減に、千鳥が聞くと、宗介が説明を始めた

「あの中年男は、被害者である白井悟によって、結婚詐欺に合い、破滅した女性の父親だ」

この男の娘が、白井による被害者?

「だが、その詐欺事件は不起訴に終わり、女性は身も心も裏切られ、絶望し、自殺したそうだ」

「そ、そうだ」

中年男が、自ら認めた

「わ、わたしの娘は、あの男に騙されたんだ。あの娘は、純粋だったから……。それを、あんな男のために尽くし、裏切られ、死んで、わたしからいなくなってしまった」

語りだしたその拳は、ぶるぶると悔しさで震えていた

「ゆ、許せなかった。わたしは、あの男に復讐してやりたかった。だが、あいつは警備員として襲撃者の対処は心得ているから、こんな老いぼれが凶器を持っても、対抗できない」

「だが、白井はレイスに対しては、無防備だった。レイスは今までに、人を傷つけたことはなかったからな」

「そう、その心理をわたしは利用したのだ。……わたしは、レイスのファンだった。レイスのデータとか、レイスに化ける変装も自作していた。衣装も持っていて、一人部屋で、時々レイスになりきっていた。本当に、ファンだった」

「…………」

「そしてわたしは、怪盗レイスに変装し、あの男の油断をついて、殺そうと決めた。ファンだったから、予告状の種類が毎回変わることも知っていたし、文章体も真似ることができた。そして警察に、わたしが作ったニセの、レイスの予告状を出して、グリーンエメラルドに目を向けさせた」

「そうして、自分もなんとかあそこに潜り込んで、真っ先に白井のところに向かって、油断した白井をナイフで刺したわけだな」

「ああ。ただ、わたしは潜り込んだんじゃなく、最初からあそこに隠れていたんだ」

「なるほど。そしてあんたの計画通り、レイスに対して身の危険を感じていなかった白井の隙をついて、刺し殺し、なんとか逃げたわけだ。まったく、大胆なヤツだ。あの怪盗レイスになりすまそうとしたんだからな」

「……その通りだよ。なあ、白井は……あの男は、本当はどうなったんだ?」

それには、レイスが答えた

「……アノ男ハ、確カニ死ンデイルサ」

「そう、ですか」

中年男は、涙を流し、震えた

ほっとしたのだろうか。それとも、罪の意識を感じてきたのだろうか。

「もういいだろう。さて。あんたはその足で、どこへ行く?」

宗介の言葉に、中年男はうなずいた

「警察に行って、自首してきます」

テープの証拠も取られて、覚悟を決めたようだった

「どうやって、この人だと分かったんです?」

「刑事課が、すでに怨恨の線で目星をつけていたんだ。ただ、証拠がなくて、動けずにいたがな」

「そうだったんですか」

すると、中年男が、宗介に聞いてきた

「あの。ひとつ教えてください」

「なんだ?」

「まるで、あなたは最初から、あの事件のときのレイスが、偽者だったと気づいていたみたいに見えましたが……」

「ああ、気づいていた」

中年男は、驚いた

「な、なぜですか? これでもわたし、結構自信があったんですよ。すごくファンでしたから、なにもかもレイスに化けれたと思ってました」

「あたしも、聞きたいです」

千鳥も加わってきて、宗介はため息をついた

「あの事件のときの映像を、監視カメラで見ただろう」

「はい。……え? そのときに、あのレイスは偽者だって気づいたんですか?」

「そうだ」

「ど、どこでですか? あたしは全然分かりませんでしたよ」

すると、宗介は写真を見せてきた。

あの監視カメラに映った映像と同じもので、そこに怪盗レイスの、白井悟に詰め寄った、あの警備員に変装したものが映っていた。

監視カメラの映像を写真にしたのだろう。

それを見ても、さっぱり違いが分からなかった

「やはり、完璧じゃないですか。このレイスの顔、完全に化けたはずですよ」

中年男が、その写真を見て、より一層不思議がった

しかし、それでも宗介は、きっぱりと言った

「……いくら変装しても、顔の骨格までは変えられん。この頬の削げ具合が、微妙に浅い」

「…………」

中年男は、あまりにも意外な答えに、愕然とした

しかし、千鳥が何度見ても、そんな頬の違いなど、まったく見分けがつかなかった

すると、レイスが笑い出した

「クックック。コイツハ、私ヲ何十回モ、シツコク追イカケテキタ男ダカラナ」

いや、そういう問題だろうか? それでもこんな微妙な違いに気づけるものなのか、千鳥には理解できなかった

「こんな……ことで……」

それは中年男には、かなりのショックだったようだ

「変装ッテノハ、コウイウモノサ」

レイスは、手に持っていた、ぶかぶかの白井悟のマスクを示した

「…………」

たしかに、レイスの変装に完全に欺かれた者としては、なにも反論できなかった

そして中年男は、意気消沈したまま、協力に駆けつけてきたクルツと一緒に、警察に出頭していった

「…………」

それを見送っている間、千鳥の頭の中で、前にも監視カメラで、レイスが映ってないかどうかを探しているときに言われた、宗介の言葉を思い出していた

多くの警備員が巡回する中で、すぐにレイスの潜入を見破って、どうやって見つけたんですか? と聞いた千鳥の質問に、宗介は『自分で考えてみろ』と挑発してきた

『顔の骨格までは変えられん。頬の削げ具合が――』

「そんなの、分かるわけないでしょーが!」

その叫びは、無意識に声となってしまっていた



「さあ、千鳥。帰ろうか」

宗介が、千鳥の背をぽんと押す

「なに言ってるんですか」

「?」

「今、怪盗レイスがいるんですよ! 捕まえる絶好のチャンスです!」

「お前、まだ……」

「先輩。たしかにレイスは人殺しではありませんでした。でも、泥棒は泥棒ですよ!」

そう言って、千鳥は建物の中を探し回るために、走っていった

「…………」

宗介はその千鳥の背中を、なにかに重ねるように、じっと見ていた

「オ前モ、変ワッタナ」

いきなり、どこからか声がして、宗介はあたりを見回した

だが、どこにもレイスの姿は見えない

どこかにいるのは間違いないのだろうが、しかし宗介は探す気にはなれなかった

壁にもたれながら、どこに向けるでもなく、口に出した

「変わったか?」

「アア、変ワッタナ。昔ハ、シツコク俺ヲ追イカケ続ケテキタトイウノニ」

宗介は笑った

「無駄だと、分かったからな。まあ、それを納得するのに時間がかかったがな」

するとレイスが、低い声で笑った

「カカリ過ギダ。何十回、追イカケテキタト思ッテルンダ」

「そんなにしつこかったかな」

「アア、アノ千鳥トカイウ娘ミタイニナ。……ソックリダヨ、昔ノオ前ニ」

「そうか?」

と、苦笑した

「最近ハ追イカケテコナクナッタンダナ、本当ニ」

「ああ……」

宗介は、千鳥の後姿を思い出した

「……代わりが出来たから、かな」

「アノ娘ノコトカ?」

「さあな。さて、俺はそろそろ帰るよ」

「オイオイ、アノ娘ヲ放ッテオクノカ? ズット俺ヲ探シテルゾ」

「放っておけば、勝手に諦めがつくさ。どうしようもなくなって、次第に納得していく。……俺のようにな」

「フッ」

それきり、レイスの声は聞こえなくなった



そのアパートに、千鳥は疲れた表情で、戻ってきた

あれから一時間粘ってみたが、なんの収穫も、気配も感じなくて、ついに今日は諦めることにしたのだ

部屋に入って、ぺたんとじゅうたんの上に寝転がる

すると、隣の部屋から、薄い壁を伝って、物音が聞こえてきた

(相良先輩、まだ起きてるんだ)

隣との壁は薄く、こういう静かな夜だと、物音がよく聞こえてくるのだ

(それにしても、相良先輩のことを、いろいろ誤解しちゃったな)

結局、怪盗レイスは人殺しではなかった。

やはり、泥棒と人殺しでは、意味合いが全然違うように聞こえる

あの密会も、なんだかそれほどドス黒いものではなかったように思えてきたのだ

それなのに、相良先輩をたくさん、疑ってしまった

それも人殺し、などと。

そんなことを考えてしまったことを、千鳥は謝りたいと思っていた

しかし、あの先輩と顔を合わせたら、そんな意思はかき消え、憎まれ口を叩いてしまうこともわかっているのだ。

本当は謝ってしまいたいのに。

千鳥は、宗介と部屋を阻む、一枚の壁をじっと見つめた



宗介は、テーブルの上に置いてあったコーヒーを飲んでいた

なかなか眠れない夜は、こうして過ごすのが好きだった

そのとき、もたれてた背後の壁に、コンコンとノックが聞こえた

「……?」

その壁に注意を向けると、隣の部屋にいる千鳥の声が、壁越しに聞こえてきた

「……ごめんなさい」

はっきりと、そう聞こえた。

なにについて謝ってるのか、宗介には分からなかったが、彼は嬉しそうに笑った

そして、返事とばかりに、コン、コンと二回ノックを返す

その壁の向こうで、千鳥がどんな顔をしているか、なんとなく想像できたような気がした

宗介は、ずずっとコーヒーに口をつけた

壁越しのメッセージ、か

そういうのも悪くないな、と思うと、なんだか背中があたたかいような気がした




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