かりそめの罠

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かりそめの罠 2


そして大人数の警備員が動いたにもかかわらず、怪盗レイスはまんまと、宝石を奪って消えてしまった

宗介たちは協力という形だったので、博物館の後片付けは、わずかな報告書作成だけで済み、数時間後には、勤務の交番へと戻っていた

「千鳥ちゃんは?」

交番には、相良宗介とクルツの二人しかいない

「まだ博物館に残って、レイスの後を追う手かがりを探すんだそうだ」

「はは、やっぱ相当に怒っているようだったもんな」

「屋上にまで追い詰めておいて、逃げられたそうだからな。まあ、好きにさせておこう」

「そうだな。お、もうこんな時間か」

ふとクルツが交番内の時計を見て、眠そうにあくびをする

あと数分で十二時を過ぎる。すっかり外も暗くなっていた

交番勤務には、それぞれの勤務制度がある

「通常勤務」は、月〜金 8:30〜17:15土・日が週休日。

「日勤制勤務」は、原則として土・日の週休日が必要に応じてほかの曜日に変わる。

「交替制勤務」は、原則として当番─非番─日勤を繰り返す三交替制。当番日は8:30〜翌8:30まで勤務し、勤務終了後は非番となり、翌日は日勤(または休日)となる。

しかしそれはあくまでも基準となるもので、交番によって、それぞれ違っていた

「そろそろ仮眠とろうかな。……千鳥ちゃん、いくらなんでも、ちょい遅いなあ」

「……帰ってきたみたいだぞ」

宗介の言葉と同時に、むすっとした千鳥が大量の書類を抱えて、交番に入ってきた

「や、遅かったね」

「……なにしてるんです?」

その声にも、あからさまに不機嫌さが表れていた

「いや、そろそろ仮眠とろうと思ってさ。その準備を」

「……そうですか。私はまだ、この書類を整理しなければいけませんので、どうぞお先に」

やはりまだ、憮然としたまま、どすんと疲れたように、そのイスに腰を下ろした

「……レイスについては残念だったな」

その宗介の言葉に、千鳥はがたっと立ち上がった

「ええ、みすみす逃がしてしまいました! 屋上にまで追い詰めておいて! 逃げられましたっ!」

宗介に言われて、胸のうちに溜めていた不満が爆発したのだろう、啖呵を切るように、早口で言い返してきた

「……そうか」

「どこにも出口はなかったはずなのに! なんなんですかあれはっ。煙みたいに、一瞬で消えてしまったような――」

「それがレイスだ」

「――――っ」

悔しそうに、下唇を噛んで、震える

「そうそう、煙みてえで捕らえどころがねえんだよなあ。な、ありゃムリだって分かったろ?」

奥で布団を敷きながら、クルツがなぐさめるように言ってくる

「なに言ってるんですか?」

「へ?」

「これから、怪盗レイスとやらの足取りを掴むためのファイルを探すんです。そうして執拗に追い続けていれば、いつかは捕まえられます! ……捕まえてみせますよ、ふふふ」

「…………」

ずいぶんとレイスに掻き乱されて、相当にきているな、とクルツは思い、会話を断った



交番の前は、人通りが少なくなっていく

こういう夜道になってくると、夜の犯罪が顔を出し始める

それを少しでも減らすために、地域課の警察官は夜のパトロール巡回をするのだが、いつそれをやるかは、各々の判断でいいのだ

千鳥が資料を漁り、証拠探しにやっきになっていると、その交番に、いきなり一人の女性が駆け込んできた

その女性は怯えていて、そして必死に走ってきたせいか、息が荒かった

「どうされました」

それまで、書類仕事を淡々とこなしていた宗介が、入ってきた女性に詰問する

「あぁ……こ、怖くて……」

その女性は、怯えているせいか、うまく口が回らなかった

「もう大丈夫です。とりあえず、奥に」

その言葉に甘え、女性は奥の部屋に通された

女性は、ぱりっとした私服を着ており、しまりのある容貌からして大人に見えがちだが、年齢を聞くと、まだ高校生だった

「落ち着きましたか」

「はい……」

「あなたの名前を聞かせてください」

「はい。佐伯恵那といいます」

「佐伯さん。それで、どうされたのですか」

「あの……ずっと、誰かに尾けられているんです」

「姿は見たのですか?」

「いえ。怖くて振り返れません」

「痴漢、ではないのですか」

「わ、分かりません。でも、どうもここ最近、誰かの視線を常に感じるんです。姿を見たことはないけど、確かに誰かがこっちを見てるんです」

「誰かに見られてる感じがするんですね。他に、なにか被害はありませんか? 一方的な手紙が送られてきたり、無言電話がかかってきたりとかは?」

「いえ、そういうのはないんですけど……」

今の時点では、ストーカーかどうか判断がつかないな

宗介は、質問を変えた

「高校生にしては、遅いですな。なにかの帰りですか?」

「あ、はい。バイトの帰りです。どうしても遅くなっちゃうので、余計その視線が怖くなるんです」

「なんのバイトですか」

「あの……。そこまで言わなくちゃいけませんか……?」

「バイト先の関係者の可能性も否定できません。いろいろと聞いておきたいのですよ」

「はい。喫茶店で働いてます。後片付けがあったので、遅くなりました」

その喫茶店の名称と場所を教えてもらい、それをメモする

「視線を感じると言ってましたが、いつごろからですか」

「先週からだと思います」

「先週、あなたはなにをしてましたか」

「なにを、って言われても……」

「視線を感じ始めた日に、なにか特別なことはしてませんでしたか」

「いえ、特にはなにも。いつものように、学校に行って……帰りに、本屋に寄ったくらいですけど」

その後もいろいろと聞いてみたが、特に重要と思われる情報は得られなかった

「やっかいだな」

「え?」

「誰かが、佐伯さんを監視しているとする。だが、それ以上のことはせず、法律に触れないところで留まる。だが、いつそれ以上の事態に発展するか分からない。ただでさえ女性である佐伯さんには、誰かに見られているだけでも怖いものだろう。その不安にいつかは押しつぶされて、精神的にまいってしまう」

「なんとか、できないんですか?」

「ただ見られているだけでは、違法ではないからな。警察は動けない」

「それじゃ、助けてくれないんですか?」

「大丈夫です。こちらで、できるだけのことを調べてみます」

「あ、ありがとうございます」

もう夜遅いので、家の戸締りをしっかりやっておくように言っておいて、とりあえず今日は家までクルツに送らせることにした

被害報告書を作成するぐらいしか、今の時点では、それしかできない

「明日、佐伯さんのまわりを調べてみよう」

「生活安全課に任せなくていいんですか?」

「それは、ストーカーの仕業だとはっきり断言できるようになってからだ。本当にストーカーなのかどうかを調べるのは、俺たちでやる」

「分かりました」

「そっちは、レイスのことはいいのか?」

「博物館に設置されている監視カメラに映ってないかどうか、本部に行ってみます」

「そうだな。それも、明日やるとしよう」

「はい」

やはり、眠かったようで、目をこすりながら、机の上に広げた資料を適当に整理していく



翌日

怪盗レイスの事件は、朝からニュースで流れていた

交番の奥に設置されているテレビにも、それが流れ、そのたびに千鳥の顔に苛立ちが見え隠れしていた

「……なんだか、テレビも派手に報道してますね」

ニュースの中で、ちょっとした特番を流して、レイスを使って視聴率を上げようとしているのがみえみえだった

「千鳥の言うように、今の時世で怪盗ってのは確かに珍しいし、予告状を出すなんていう、大胆な行動は一般受けするんだろう」

「一般受け、ねえ。でも泥棒は泥棒なのに」

「いや、それだけじゃないんだがな……。おい、本部に行くぞ」

まずは、千鳥の提案どおりに、本部に行って、監視カメラに怪盗レイスが映っていないかを確認するのに、付き合うことにした

もし映っていれば、その映像データから証拠を掴み、逮捕につなげていくつもりらしい

「行きましょう!」

まだ流れるレイスのニュースを睨みつけて、千鳥は息巻いて本部に向かっていった



二人は本部の警備課へ向かって、当時の監視カメラの映像を見せてもらうよう、担当に頼んだ

すると、今も検討中で、第二資料室でその映像が流れているという

そこにお邪魔してもいいということで、担当は快諾した

「千鳥ちゃんの頼みじゃ、仕方ないねえ」

と、ボテ腹のおっちゃんが、ニコニコ顔でそう折れたからだったが。

教えてもらった第二資料室に行くと、その映像の流れてるテレビの前に、三人の男が睨むように眺めている

「あのー、収穫はどうですか?」

そう千鳥が男達に話し掛けると、苛ついてタバコを半ばヤケに吸っていた男達は、一転にこやかな顔をした

この一ヶ月、千鳥は積極的に事務系や雑務に取り組んでいたおかげで、色々な課を駆け巡ってる間に、警察の中で人気が上がっていたのだ

そして、千鳥に少なからず、好意を抱いている男達が多かったのだった

「それが、なかなか糸口が見つからんのよ」

中年くらいの男性が、ぷかあっとタバコの煙を吐き出す

「怪盗レイスの姿は映ってないんですか?」

「いやあ、どいつがレイスなんだか、さっぱりですわ」

お手上げ、というように、頭をぽりぽりとかいた

「どいつが、って?」

「レイスはな、おそらく警備員の一人に成りすまして館内に入り込んでるんだ」

と、千鳥の疑問を宗介が答えた

「でも、所詮は架空の人物でしょう? 館内に出入りする際にチェックすれば……」

それには、警備課の人が答えた

「こんな大人数をいちいちチェックできないよ。それに、レイスの偽証を見破る方法がない」

「むー……」

千鳥は、なんだか歯がゆい感覚につつまれた

「とりあえず、わたしたちにも監視カメラの映像を見せてください」

千鳥の懇願で、その映像が、また初めから流れた

テープは4本。レイスが現れるよりも前。警備員が動員される時刻からの映像を見せてもらうことになった

いたる場所に設置された監視カメラの映像に映るのは、どれも同じ制服を着た警備員ばかりだった

同じ場所にただ立ち尽くす警備員。決められたルートを巡回する警備員。

「こんなにごちゃごちゃじゃ、誰が誰だかも分かりませんね」

同じ制服が動き回っているから、よけいに分かりづらい

延々と、警備員の動く場面だけが流れ続けた



映像は二時間たってもなお流れ続けていたが、しかしいまだ発見はひとつもなかった

「これ……まだあるんですか?」

大分見たと思っているのに、テープはまだ2本余っている。

「忍耐のいる仕事なんだよ、千鳥ちゃん」

「はい……」

その映像は、正面玄関、廊下、展示室と流れ続け、警備員は相変わらず巡回を続けている

すると途中で、突然宗介が声を上げた

「ちょっと、映像を戻してくれ」

「なにか、気がついたんですか?」

「いいから、戻してくれ」

警備課の若い男は、少しムッとしつつも、機械を操作して、映像を巻き戻した

そして数秒前の映像が、再度流れ始める

映像は、普通にたくさんの警備員がうごめいていた

「そこで、止めてくれ」

その指示で、映像を一時停止させる

映像には、巡回している警備員の姿が八人は映っていた

その映像をしばらく宗介がじっと見つめていると、

「こいつだ」

と、警備員の一人を指差して、言った

そう言われても、千鳥も、警備課の人も、どこに変わったところがあるのか、分からなかった

制服の着方にも特別変わったところはないし、胸の警備バッジも偽モノとは、ぱっと見、区別がつかない

それに、帽子をかぶっているので、肝心の顔は、鼻から下、半分しか見えないのだ

「当てずっぽうじゃないの?」

だが、その警備課の言い分に構わず、宗介は映像の、その警備員の胸を指差した

「この胸のネームプレートの部分、拡大してくれ」

仕方なく拡大すると、そのネームプレートには『笹原』とあった

「この名前が、当時その館の警備に当たった警備員の名前のリストに該当しているか、照合してみてくれ」

その若者は困ったような顔をしたが、担当が、やれ、と促した

別のコンピュータで、その警備担当の名簿リストと、『笹原』の名前を照合してみる

「ありません。笹原という名前の警備員は、当時この館には配属されてません」

その結果に、警備課の男たちは驚いたが、

「すぐに映像を見直して、この男の行動を全部チェックするんだ!」

と指示を出した

「すごい……どうして分かったんですか?」

千鳥も、当てずっぽうだと思っていたので、驚いてその理由を聞いてみる

「さあな。自分で考えてみろ」

まるで挑発みたいな言い方だった

「さ、あとは警備課に任せよう。なにか進展があれば、教えてくれるだろう」

「これからどこに行くつもりなんです?」

「次は、昨日の女生徒の件だ。彼女のまわりでストーカーを目撃した人がいないかどうかなど、そういった聞き込みに行く」

「ああ、分かりました」

たしかに、これ以上の介入はできないだろう。

それに、千鳥も昨日の女生徒のことは気になっていたのだ



二人は本部を出て、彼女の通っている学校の近くを通る学生、通り道の店の人、公園の子供などにさりげなく聞いていったが、怪しい人は特に見かけていないという

特に、学校の、彼女の友人にも、ストーカーのようなことをされてるというのは、聞いたことないのだそうだ

「うーん、こっちも収穫なしですね」

三時間近く、聞きまわっていったが、そういった情報は得られなかった

「本当にストーカーなんですかね?」

「今のところ、昨日の彼女の状況を聞いていると、ストーカーとか、痴漢ぐらいしか思い浮かばないんだがな」

「視線を感じるって言ってましたよね。佐伯さんの気のせいだったんじゃないですか? ほら、人は時に、不安に駆られると、異常に人の視線を気にしたりすることもありますし」

「今は、佐伯のことを信じていく。そういう結論に達するにはまだ早い」

「では、どうします? もうあらかた人には聞いて回りましたよ」

「調査対象を変えよう」

「と、言いますと?」

「彼女をつけまわす人物がいなかったかどうかではなく、彼女自身について調べてみよう」

「でも、刑事課じゃないのに、そこまで調べられますか?」

「巡回連絡と名目をつけておこう。できるところまででいい。彼女の家族関係、友人関係、恋愛関係を調べてみよう」

「分かりました」

その後の聞き込みによって、ある程度の家族構成が判明してきた



佐伯恵那(17)

現在、母親と二人暮し

二年前、両親が離婚し、母親が恵那を引き取った。離婚の原因は父親の浮気らしいが、母親にも浮気事実が判明している。しかし、これについては不問。

友人関係 内気だが、気配りができていて、クラスに人気がある。ケンカをするところを見たことがない。

恋愛関係 美人で容貌も良いので、告白されることは多いが、いずれも断っている。彼氏がいるわけではない。



近所や学校の友人生徒に聞いてまわって、これだけの情報が集まった

「学校生活では普通ですけど、家庭は複雑みたいですね」

「気になるのは、恋愛関係だな。このフラれた男性の中に、逆恨みをして、ストーカーに近い行動を取るようになったのかもしれん」

「でも、これ以上調べられませんよ」

「そうなんだよな……」

聞き込みでは、これが精一杯だった。担当課であれば、もっと人員を使って本格的に捜査できるのだが

これ以上の進展は望めず、仕方なく二人が交番に戻ると、待機していたクルツがコーヒーを用意してくれていた

「よ、ご苦労さん」

「ああ。クルツ。昨夜、佐伯さんを家まで送ったときに、なにか気づいたことはなかったか?」

「なにかって、なんだよ?」

「たとえば、彼女の言ってたように、視線を感じたり、彼女の家に外部から侵入された形跡があったりとか」

「いや、なにも感じなかったけどな」

あっさりとクルツはそう言って、コーヒーに口をつける

「視線も感じなかったんですか?」

「いやあ、感じなかったというより、恵那ちゃんとおしゃべりしてて、そんなのどうでもよかったというか……はは」

言ってから、千鳥の冷たい視線に気づいて、適当に笑ってごまかした

その時、交番の外から、すいませんと、女性の声がした

振り返ると、昨日の女性、佐伯恵那だった

「佐伯さん? どうしたんです?」

「え。あの、今日もここに寄ってくるように言われてたんですけど」

「ああ、俺がそう言っておいたんだ」

と、宗介が言って、恵那を中に入れる

とたん、宗介の目が急に険しくなって、外のほうを向き、ばっと外に出て、恵那が来た道をじっと見つめた

「どうしたんです? 相良さん」

「…………」

その宗介の視線の先には、はるか向こうの電柱の影。飛び出た瞬間に、そこに潜んでいた茶色のコートの男がひるがえし、角に消えたのだ

「相良さん?」

千鳥の声に、宗介はいったん交番に戻って、イスに座る

「やはり、気のせいではなかったな。佐伯さんの後をつけている男がいた」

「えっ!」

と、怯えた声で、がたっと席を立った恵那を、宗介は安心させるように、

「もう向こうへ逃げていった」

千鳥も慌てて交番の外を見たが、もう誰もいなかった

「すぐに追いかけなくていいんですか」

「距離がありすぎる」

とりあえず、と宗介は間を置いてから、

「尾けている男がいる、というのは確かだったな。佐伯さん、本当に心当たりはないのですか?」

「ありません……」

弱々しい声になっていた。つけられていたことがはっきりと分かって、怖くなっているようだ

(仮にあの男が、佐伯さんにフラれて逆恨みを持つようになったとする。だが、その場合、自分を印象に持ってもらいたくて、佐伯さんにアプローチをかけるのではないだろうか。こういう類のストーカーは、見守っている自分の存在を知ってもらいたくて、電話やら顔を見せたりとかしてアプローチするものだが)

「最近、特定の男から電話が掛かってきたり、特定の男性の顔をよく見かけるようになったりすることも、ないんですか?」

「ありません」

まいったな

あまりにも、人物を特定できるものが少なすぎる

一番いいのは、やはりあの男を、捕まえることなんだが

「今日も家まで送らせますよ。そして明日もまた、ここに立ち寄ってください」

そうして、クルツに送らせようとすると、佐伯は少し遠慮がちに、

「あの、もうしばらくここにいてはだめですか?」

「別に構わないが。だが、早く家に帰らなくていいのか?」

「はい。母は仕事で、遅くまで帰ってこないので」

そういえば、離婚していて母親と二人暮しだったな。

寂しいのか、それともストーカーの存在が怖くて、少しでも交番に居続けたいだけか

「あまり遅くならなければ、好きなだけ居ていい」

交番は遊び場ではないが、市民のための施設でもある。こういう気軽さが、大切なのだ

「ありがとうございます」

ほっとしたように、礼を言ってきた



それから三人は、日勤である書類仕事に取り掛かる

時折、奥の部屋で居続けている佐伯に、千鳥が話しかけたりしていると、女性同士ということか、数時間しないうちに二人は打ち解けていた

棚の中にしまっていたせんべいを片手に、談笑したりしている

「そうなんですか、警察にもいろいろとあるんですね」

「そうなのよ。今はね、このレイスってヤツに振り回されて、いいストレスだわ」

と、千鳥は今日の新聞を広げて、忌々しそうにつぶやく

「あ、怪盗レイスさんですね」

「やっぱり、知ってるのねえ」

高校生にまで知られているとは、よほど認知度の高い怪盗だ

「ええ、知ってますよ。義賊なんですよね」

「……え?」

思いがけないキーワードに、かなめは口をつぐんだ

「どうしたんです?」

急に静かになったことに、恵那は不思議がった

「……言っておこうと思っていたんだがな」

と、後ろから、宗介が入ってくる

「相良さん。義賊、って?」

「怪盗レイスが盗んだ品物はな、大抵戻ってくるんだ。鑑定書つきでな」

「……はあ?」

「面白いことに、怪盗レイスが盗む品のほとんどが、元々盗品だったりするんだ」

「それって……博物館に置いてあった時点で、正規の展示物じゃないってことですか?」

「ああ。博物館の展示品というものは、その持ち主と様々な契約を結んであるものだ。だが、怪盗レイスに目をつけられたものは、違法なルートで入ってきたものばかりだと」

「それって、犯罪じゃ……」

「そうだ。滑稽なものだな。怪盗が不正を暴くんだ。どうやって、それが不正だと見極めているのかは分からんがな」

「それで、義賊ですか」

「ああ。たしかに怪盗レイスの行動は泥棒だが、警察としては、捕まえられない怪盗よりも、目をつけられた展示物の鑑識の方に力を入れているのが実情だ」

「なんかそれって、警察が踊らされてるようで、面白くないですね」

「だが、警察はその不正を暴けなかった。それもまた事実だ」

「…………」

警察の目を騙してきた博物館の、不正ルートで入手された展示物。それを怪盗レイスがわざわざ盗んで、不正だったという鑑定書付きで戻ってくる

「でも、じゃあ怪盗レイスの目的はなんなんですか? レイスにとってなにが得なのかが分かりません」

「その通りだ。目的が分からん。一番手っ取り早いのは、やはりレイスを捕まえることだが」

「じゃあ」

「ヤツは捕まえられん。千鳥の時のように、煙みたいに消えてしまう」

「むー……」

思い出したのか、千鳥はむすっとした

「しかしまあ、別にヤツは捕まえられんでもいいと思うがな」

「え?」

「人には危害は加えない。それに盗品は結局返ってくるし、別の不正は暴かれる。義賊さまさまだ」

しかし、この宗介の言葉に、かなめは強く反発した

「なにを言ってるんですか、相良先輩! 泥棒は泥棒です!」

「だがな……」

「泥棒は犯罪なんですよ。義賊だからって、見逃していいはずがありません。犯罪の線をいったん越えてしまうと、他の犯罪にも手を染めやすくなります」

「他の犯罪、だと?」

「犯罪の心理は、一線なんです。人は越えてはいけないラインがあるんですよ。その線を越えてしまえば、人はどんな犯罪にも手をつけてしまいかねません」

「なにがいいたい」

「泥棒でも、犯罪という、踏み込んではいけない領域に入ってしまったんです。そうなれば、泥棒だけでなく、いろいろな犯罪にまで広がります。放っておけば、いつかは殺人にまで手を出すようになるかもしれません」

「ばかを言うな。ヤツは殺人はやらん」

「断言できるんですか?」

「俺はずっとヤツを追っていた男だぞ。ヤツは殺人には手を出さない」

「どうですかね」

千鳥には、なぜ宗介がそこまでレイスのことをかばうのか、それが分からなかった

あとでこっそりと、クルツが「男ってのは、いろいろあるんだよ」と説明してくれたが、それでもさっぱりだった

「あのう……私、そろそろ帰ります」

この場の険悪な雰囲気にいたたまれなくなってしまったのだろうか、恵那がそう言い出す

そして今日も家まで、クルツがついて送っていくことになった

「わたしはなにか収穫がなかったか、また本部に行ってきます」

宗介は、苦笑した

「まだ捕まえる気まんまんだな」

それには答えず、千鳥は一人、さっさと行ってしまった

『怪盗レイスだって、いつかは人殺しするかもしれません』

「ふん、まさか……」

宗介は紅茶を手に取った



「よ、ただいま」

佐伯を家まで送ってきたクルツが、交番に戻ってきた

「ああ、ご苦労さん」

「あれ? 千鳥ちゃんは?」

「千鳥なら、また本部へ行った。レイスの手かがりを求めてな」

「へえ、頑張るねえ」

よいしょ、とクルツがイスに腰掛ける

「泥棒は泥棒、か。あの娘も言うよなあ」

「強情なだけだろう」

「人のこと言えるかよ」

「……なに?」

聞きなおすと、クルツは帽子を机の上に置いて、続けた

「まるで昔のお前を見てるみてえだぜ。強情がきかず、レイスをやっきになって追い続けてたあの頃にな」

「昔の話だ」

「昔、ね。まあそう言えるんなら、少しは前進したってとこかな」

「ふん……」



宗介は、交番内のテレビをつけた

すると、テレビのニュースで、またも怪盗レイスの名前が聞こえてきた

『またも、怪盗レイスからの予告状です! 今度のターゲットは、グリーンエメラルド。今夜、時価数十億もすると言われるこの宝石を盗むと予告してきました。この宝石が展示された博物館では――』

「おやおや、また怪盗さんのおでましだな。時価数十億の宝石ねえ。あれが偽モノか、はたまた不正モノか」

クルツは、すでに宝石自体の真偽を怪しんでいた

「俺は今回は、警備の協力は降りる」

宗介が、そう言ってみせたが、クルツはそれほど深刻には受け取らず、

「ふーん。じゃあオレもめんどいからパスしよっと」

クルツはイスの背もたれをギィッと後ろに倒して、あぐらをかいた

「千鳥ちゃんは、やっぱ警備に参加すんのかな」

「参加しますよ」

急に入り口から、千鳥本人の声が飛び込んできた

「帰ったのか。収穫はどうだった?」

「……ゼロです。あれからでも足取りはまったく掴めないそうでして」

「そうか」

すると宗介は、新聞を千鳥に突きつけた

「なんです?」

「今日の夕刊だ。昨日の博物館の盗られた宝石が戻ってきたそうだぞ」

その夕刊の社会面に、たしかに昨日の宝石の写真と、その不正の実態が明らかにされていた

「泉川博物館の館長は、真っ青だとさ」

「でも、分からないことがあります」

「なんだ?」

「怪盗レイスに狙われた宝石は、不正である確立が高いんですよね。つまりは、自分の犯罪を暴かれるってことになるでしょう。それなのに、どうして館長は予告状を警察に届けて、警備を頼むんでしょうか。自分の首を締めるようなものでしょう」

「予告状はな、マスコミや警察に、直接届くんだよ」

「あ、そうなんですか」

「そう。一応、盗難予告だから、警察として警備はせねばならん。だが、館長側としては、断りたいところだろうな」

「でも、断れないんですね」

「自分で不正働いてますって自白するようなもんだからな。まあどっちにしろ、最後には暴かれるわけだがな」

新聞を折りたたみ、テレビに視線を戻した

「……今度の警備には、協力しないんですか」

「したいなら、千鳥が一人で行ってきてくれ」

そんな宗介に、千鳥はなにか言いたそうだったが、なにも言わずに交番を出て行った

「あーあ、千鳥ちゃん、カンカンだね。いいのかよソースケ。あのままで」

「放っておけばいい。何度も追いかけてるうちに、無駄なことだって分かるようになる」

「お前のように、か」

「ふん」



テレビのニュースは、おきまりのように、レイスの特番に入っていた

一時間しても千鳥が戻ってこないところをみると、警備課に協力させてもらえたのだろう

ニュースで流れるレイスの予告時刻では、あと一時間に迫っていた

今回の予告は、かなり急なものだったらしく、警備の準備が大変らしい

対象となった博物館には、即興のライトが設置され、急遽召集された警備員達が警戒していた



レイスの予告時間から、十五分が過ぎた

すると交番の電話が鳴って、宗介が応対に出た

「はい、こちら泉川署交番」

「相良さんですか。すぐにこっちに来てください!」

「千鳥か。そっちって、博物館か? 今回は警備は……」

「違います! 殺人事件が起きたんですよ! 警備員の一人が殺されました!」

「なに……?」

一瞬、聞き間違いだと思った。

「殺人事件ですよ! 博物館で、警備員が怪盗レイスに刺し殺されたんです!」

「すぐそっちに行く」

宗介は電話を切ると、クルツに交番の留守を頼み、その博物館へと走っていった

博物館の入り口は封鎖ロープが張られていて、パトカーの赤いサイレンが辺りを照らしていた

その入り口付近から千鳥が駆けてくる

「千鳥。なにが起きた?」

「連絡したじゃないですか。怪盗レイスが殺人を犯したんですよ! わたしの警告が現実になったんです!」

だが、千鳥からどう説明されても、宗介はそれを信じることができなかった

「現場に行ってくる」

封鎖ロープをくぐり、博物館の中へと入っていく

「どこだ?」

「二階の右廊下です」

その場所に行くと、すでに鑑識が来て、カメラのフラッシュをたいたり、指紋の検出にとりかかっている

そして中心に、刑事と思われる男が二人、倒れている警備員を前にかがみこんで、遺体を調べているようだった

「すまないが、少し見せてもらえないでしょうか」

その声に、二人が振り向いて、宗介を軽く睨んだ

「どこの者だ?」

「泉川署地域課の相良宗介巡査です」

「地域課だあ? バカか。これは捜査一課の領域だ。お前は外でヤジ馬を見張ってろ」

若い方の男が、突き放すように、そう言った

「まあ待て。お前、相良と言ったな。そうか、お前があの、レイスを執拗に追いかけていた無謀な巡査か」

と、勝手に思い返すように言ってから、軽くうなずいた

「いいだろう。お前の意見を聞きたい」

と、中年の方の男は、俺に遺体を見せてくれた

「警部!」

「お前は黙ってろ。ずっと追い続けていたこいつにしか、分からんことがあるかもしれん」

そう言って、若い方を押さえつける

その被害者は、二十代の男だった。警備員の制服の胸に、ナイフが突き刺さっている

ナイフの刃は深くまで達しており、それは確実に殺そうとした意思の表れに見えた

警備員の男の顔に、見覚えはない。

「本当に、レイスが刺したんですか?」

「ああ。目撃していた他の警備員が二人いる。あとで監視カメラも確認するが、まあ間違いないな」

「…………」

その目撃者の証言によると、こうだった

目撃者は、決まったルートを巡回していた折、予告時刻の五分ほど前に、現場の廊下で怪盗レイスの姿を目撃。

警備員の姿に変装していたが、たしかに怪盗レイスの顔だったという

レイスはナイフで被害者の胸に念入りに刺し、被害者が倒れるまでじっと見下ろして、それから逃走した

目撃した時には、すでに刺した時だったので、その被害者がどれだけ抵抗していたのかは分からない

「そういえば、今回のターゲットである、グリーンエメラルドはどうなったんですか?」

「それなんだが、今回は盗られていないんだ。ちゃんと今も、この博物館にあるんだよ」

中年刑事が難しそうな顔をした

「盗られていない?」

「一応、目をつけられたということで、もう一度グリーンエメラルドを鑑定してもらうことになっているが、どうも今回のレイスの目的は、宝石じゃないように思う」

「と、いうと?」

「今回の宝石は、警備を引きつける罠だったんじゃないかと、私はみている」

「つまり、最初からレイスの目的は、宝石ではなかったと?」

「この館内地図を見てみろ。宝石が展示されてる部屋はここだ」

中年刑事は、地図の左上を指した

「そしてこの現場は、かなり離れた、ここだ」

つーっと、指を右下に動かして、トントンと叩く

「入り口からも、屋上からも、宝石の部屋に行くのに、この現場の廊下を通る必要はない。だが、ヤツは宝石の部屋には向かわず、ここにきた」

「警備の目をかいくぐるためではないのですか」

「そのためにここに来て、どうするね? 警備は薄いかもしれんが、ここに来たからって、宝石の部屋には行けない」

たしかに、その通りだ。通風孔もないし、窓つたいにも行けない位置だ。

「そして、最低限として配備されたここの警備員が、殺された」

「そうなりますね」

すると刑事は、なにかを考えるように、アゴをなでた

「この殺しは、被害者の傷から見て、怨恨の線が濃い。かなり念入りに、深く刺されているからな。これは推測に過ぎないが、こう思うんだよ。これは最初からこの被害者を殺そうと計画してたんじゃないかとね」

「…………」

「予告の時間が近づいてくれば、警備は自然と、宝石の近くに集中してくる。すると、あらかじめ警備の配置が決まっていた被害者付近の警備が薄くなり、そこを狙って殺した」

この中年は、今までにいろいろな犯罪を見てきたのだろう。そのせいか、ずいぶんと想像逞しい

「この被害者と関係のある者を洗ってみよう。なあ、相良といったな」

「はい」

「お前さん、レイスを何度も追いかけてたんだろう」

「そうですが」

「ヤツはメディアで、義賊とされ、英雄視されてるところもある。これまで殺人を犯さず、盗品も不正品ばかり、ときたもんだ」

この中年刑事は、なにが言いたいのだろう

「お前さん、レイスに心許してたんじゃないだろうな」

「…………」

宗介は、何も答えなかった

「ウチの若い者にも、レイスを敵と思わんヤツがいるんだよ。だが、それもすべて、レイスの計画のうちだったかもしれんな」

「……どういうことです?」

「今まで義賊行為をして、誰も傷つけずにきたことで、警備もレイスに対して、身の危険の警戒も自然と薄れていく。そして今回もみんなはそうだった。だが、その隙を突いて、レイスは初めて殺人を犯した」

「警戒が薄くなるのを狙っていたと?」

「今までの義賊行為が、すべて今日の殺人のための計画だとしたら……」

「まさか」

宗介の驚きに、刑事はふっと笑った

「そうだとしたら、実に気の長い計画だ。あくまでも推測の域を越えないがな。だが、そうだとすると、まんまと成功したことになる」

中年刑事は、意味ありげに宗介の顔を見た

「犯罪を異常なほどに憎む男までをも、騙してきたことになるからな」

「…………」

その言い方は、すでに宗介が、レイスに心を許していた一人だと決め付けていた

「お前さんの意見は、どうだね?」

「……わかりません」

本当に、なにもわからなかった

刑事の推測は、たしかに説得力がある。

しかし、それをすぐには受け入れられないのだ。そんな心境にあるのも、レイスの計画のうち……?

宗介は、現場から離れ、博物館を出た

すると、ずっと待っていたのだろうか、千鳥が駆け寄ってきた

「どうでした、相良先輩」

「…………」

「やっぱり、レイスが犯人だったでしょう」

それには答えず、宗介は歩き出した

「本部へ行ってくる」

「なにするんですか?」

「館内の監視カメラを見せてもらうんだ。自分の目で、確かめたい」

証言だけでは、まだ確信できなかった

本当にレイスがやったのか、この目でしっかりと見ないことには、まだなにも結論が出せない

「あたしも行きます」

なぜか千鳥もついてきて、二人は本部に向かった



今度は、警備課ではなく、刑事課だった

「今回は殺しだからな」

この事件の証拠となるものは、すべてここに集まってくる

館内の監視カメラの記録もすでに手配されていて、すでにこの本部に届いていた

「おお、千鳥ちゃん」

一緒についてきた千鳥に、刑事課の男たちが嬉しそうに声をかけてくる

この部署でも、事務手伝いに奔走した千鳥は人気だった

「あ、どうも。お邪魔します」

ぺこりと挨拶すると、男たちは手を振って挨拶を返してきた

しかし、相良に対しては、ほとんど無視のような態度を取っている

刑事課よりも犯人を取り押さえたり、荒っぽい逮捕で少なからず反感を買っていたためだった

相良は、その中でも一番若い、風間信二に聞く

「博物館の監視カメラのビデオが届いてるだろう。どこにある?」

「あ、それなら捜査一課が、第三資料室で検証してますよ」

この風間は、年齢が相良よりも年下ということもあってか、敵意を抱いておらず、素直に答えてくれた

「ありがとう」

とだけ言って、二人は第三資料室へと向かっていく

そこでは、二人の男が、当時の館内の映像が映ったテレビを睨むように眺めていた

その男たちは、相良の顔を見て、怒鳴ろうとしたが、横にいた千鳥を見つけて、すぐに表情を崩した

そして千鳥が当時の映像を見せてもらうように懇願すると、男たちはあっさりと快諾した

「被害があったのは、どの映像ですか?」

「これだよ。もうすぐ、事件が起きる」

その映像は、現場と同じ廊下だった

被害者が後姿で映っている。配置が決まってるらしく、そこに突っ立って動かなかった

「さあ、そろそろだぜ」

犯行時刻が近づくと、その被害者の動きがおかしくなった

いきなり、男の前方から、もう一人の警備員があらわれたのだ

被害者は、その男に、怯えてるのか、驚いてるのか、あからさまに動揺していた

そこで、刑事課の男が操作して、映像を止めた

ちょうどあらわれた警備員の顔が、帽子で隠れることなく、さらされている

さらに操作して、その顔をズームインすると、輪郭だけでなく、その鋭い目や鼻、口のパーツがはっきりしていく

千鳥はそれに、今までに見てきたレイスの顔を思い浮かべ、重ね合わせていく

そして、その顔は、今までに見てきたあの怪盗レイスの顔に間違いないと、誰もが思った




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