動き出した野望

フルメタ事件簿へ


動き出した野望 2


アメリカ セーフハウス

宗介と千鳥が住み着いている、ミスリルから提供された場、セーフハウスの一室で、彼らはテレビのニュースを見ていた

そこはレンガ基調で建てられた八階建てアパートの一室。他はほとんど空室になっていて、そのどれかを自由に使うことができる

だが、外見から自然を装うために、五階の一室だけを使うようにしていた

中の家具は、生活に必要なものだけが揃っている。二人が要請したものが、すぐに届けられる仕組みだ

前に宗介が壊したテレビもすでに新品に生まれ変わり、アメリカ国内のニュースを流していた

『マンハッタンで起きている連続殺人事件も、昨日の刺殺事件との関連が認められ――』

次々と舞い込んでくる事件の詳細を述べていく男性キャスター。いつもと変わらぬ光景だった

「…………」

レナード・テスタロッサがあのヴァイオリン弾きだった。もし当時、その情報を握っていて、テスタロッサ家の一人と知っていれば……殺せたのだろうか。少なくとも、その機会は与えられていた

だが、奴はもうその生活を送ることはできない。奴に残っているのは、くだらない暗殺仕事だけだ

奴はどういう行動に出るだろうか。

まず考えられるのは、それを奪ったミスリルに仕返しすることだろう

これまで、こっちからアマルガムを潰そうといろいろと動いてきたが、向こうからは、ミスリルになにかを仕掛けたことはなかった

ただ、暗殺依頼をこなしていくだけだった

ミスリルを邪魔者とは感じつつも、実際に動いてミスリルを潰そうとはしてこなかった

だが、これからは恐らくミスリルを明確な敵として捉え、攻撃してくるだろう

だが返り討ちにしてやる

向こうから動き出せば、今まで詳細がまったく掴めなかったアマルガムの本拠地が見えてくるかもしれない

本部を見つけ出すことができれば、ミスリルは全面攻撃に出て、一気にアマルガムを叩きにいくはずだ

いつ、動き出すのか……

ニュースはいつの間にか終わっており、千鳥がソファーの上を移動し、ベストポジションに座った

これから千鳥が毎週見ているドラマが始まるらしい

ビデオもしっかり録画予約しており、ずいぶんと熱を上げているようだ

宗介はそれに興味がなかったので、ソファーの端で、新聞を広げた

数分して、アメリカドラマが始まり、画面がめまぐるしく切り替わっていく。激しいアクションシーンも盛り込まれているためだ。

宗介は時折、新聞から目を上げて、そのシーンを見たりする。特に気になるわけではないが、惹きつけようとするシーンは、その部分だけ見ていても楽しいものだ

その盛り上がりがクライマックスに近づくにつれ、最高潮になりかけたとき、それは起きた

一瞬、画面に変なものが映ったような気がした

――なんだ?

しかし、今は普通にドラマのシーンが流れている

さっきの妙に感じたその画面は、なんだったのだろうか

その時間は一秒もなかったから、普通なら誰もが気づかないであろう

だがその瞬間の違和感を、宗介は持ち前の勘の鋭さから感じ取っていた

次の瞬間、ぞくりと背筋に寒いものが走った。

この感覚。なにか犯罪に出くわしたような、嫌な感覚。

昔、レナードの演奏が始まったときにも駆け巡った嫌な感覚が、全身を駆け巡った

次に、頭で考えるより、身体が先に動いた

とっさにリモコンを素早く取って、電源ボタンを押す

ぷつりとテレビの画面は暗く沈黙した

「ちょ、ちょっと。今いいところだったのに……」

千鳥が、いきなりテレビを消されたことに抗議したが、宗介はリモコンを握ったまましばらく黙っていた

「千鳥。今、変な気分にならなかったか? 体調は?」

「え? いえ、別に普通ですけど……」

だが、たしかに妙な感覚だった

「千鳥。これ、ビデオに録っているんだな」

「そうだけど」

「今、再生してくれ。なにか、ヤバイ予感がするんだ」

「……録ってる最中だったのに」

渋々だったが、千鳥はビデオ機器を操作して、さっきのドラマを再生する

「再生速度を変えられるだろ。ゆっくり再生してくれ」

「じゃあ、スローで……」

指示して、さっきの妙なシーンのところまで早送りしてもらう

そこで、そのシーンをスローよりもさらに遅い速度で再生してくれと頼む

「じゃあ、コマ送りで……」

ドラマのシーンが、一コマ一コマゆっくりと表示されていく

その途中、わずか一枚だけ、ドラマとはまったく関係のない、別の映像が表示された

「えっ? なにこれ……」

さっき見ていたとき、千鳥はこれに気づかなかったらしい。初めて見るその画面に、戸惑っていた

その画面は、文字で画面が埋まっていた。その中央に、半透明のような薄さで、いくつもの顔写真が並べられていた

どれも、見知った顔だった。それは、ミスリル関係者だった

宗介と千鳥もその中にあった

なぜ、こんなところで自分の顔写真が……?

一緒に映っている文字も、さらに恐怖を煽らせた

その言葉は、どれも単語ばかりで、それは暴力的な意味を持っていた

いろんな表現方法で、抽象的ながらも、ひとつのことを指していた

『殺せ』

『こいつらを殺せ』

『生かすな』

『自由を奪え』

悪質な脅迫文を思わせる一画面だった

しかし、それが表示されるのはたったの一コマだけで、すぐにまたさっきのドラマに戻り、映像はなにもなかったかのように続けられる

「…………」

あまりにも唐突で、不気味なものを見せ付けられて、千鳥は怖くなった

「これ、一体なに……?」

「…………」

宗介はそこの窓から、人通りを見下ろした

近くには電気屋がいくつもあり、通りからでも見れるようにウィンドウガラスの中にテレビが並び、ニュースやさっきのドラマを流していた

通行人は、いつものように変わりない。その中の中年サラリーマンと目が合った

とたん、その男の目が険しくなって、いきなりこっちを睨みつけてきた

宗介には、その男との面識はない。だが、男は明らかに殺意の目を向けていた

「なに……?」

その男の様子に千鳥も気づいて、身をすくめた

男の視線につられて、他の通行人も宗介たちを見た

とたん、彼らも同じように憎悪の目を向けてきた。どれもみんな、初対面だというのに

そして彼らは汚い言葉でこっちを野次りだし、拳を高く掲げた

さっきまでの無機質な空気から一転、異常なほど興奮していた。そして勢いのままに、このアパートに入り込んでこようとする

「逃げるぞ、千鳥っ!」

宗介に腕をぐいっと引っ張られ、千鳥もその部屋から逃げ出した

このアパートの構造は、宗介たちの方がよく知り尽くしている

しかもセーフハウスということもあって、退路はいくらでもあった

隠し扉を開けて通路を抜け、アパートの裏道に逃げ込んだ

「いったい、なんだってんですか。みんな、あたしたちの顔をみるなり人が変わったように……」

「さっきの画面のせいだ。どうやら、ついに動き出したようだな」

「動いたって……じゃあこれ、レナード・テスタロッサの仕業なんですか?」

「おそらく、これはサブリミッショナルを利用したものだ。一種の催眠術で、コンマ何秒というほんの短い時間に、催眠の内容やメッセージの入った画像が映し出される。だが、そんな短い時間で流れた画像を、目は認識できない。ところが、脳は認識しているんだ。そしてそれは無意識に刷り込まれる。かつて、コーラ会社が映画の合間にコーラの映像を流していた。すると、それを観ていた観客が、無意識にコーラが飲みたくなり、売上が極端に伸びたという。実際に証明されていることだ。そして政府は、これは危険と判断し、今では禁止されている手法だ」

「なんか、聞いたことあります。でも、さっきのは全国放送なんですよ。しかも人気ドラマにそれが流れたとなると……」

「ああ。ついにレナードの奴は、全米中の人間に催眠をかけやがったんだ。いや、ひょっとすると世界中かもしれんな」

他の国の、他の番組にも似たようなサブリミッショナルメッセージを仕掛けたかもしれない。アマルガムの資金力なら可能だ

もっとも恐れていた事態が引き起こされてしまった

レナードは、世界最強の催眠術師。誰もその催眠からは逆らえない。つまり、いつでも誰もが、催眠の被害者になりうるということだ

「これが表世界を奪われた報復らしいな」

例の画面にあったミスリルの面々の顔写真や添えられていたメッセージからして、みんなが掛けられた催眠は、『ミスリルの奴を見かけたら殺せ』ということだろう

そのとき、裏道に潜んでいたのだが、それでも人が近くを通っていて、その一人とまた目が合ってしまった

さっきの奴らと同様に、そいつも襲撃者に切り替わる

「逃げるぞっ」

「っど、どこにですっ?」

「ミスリル本部だ!」

できるだけ人のいないところを通ろうとしても、完全に無人なところはない

逃げようとする宗介たちを、たまたま目撃した人たちが、悪意を露にして追いかけてくるのだ

世界の人々を操るとなれば、それを完全に隠すことは難しい。しかし、レナードはついにそれをやった。そこまでさせてしまったのだ

「邪魔だっ」

前方の人々が、次々と襲撃者に切り替わって、先を阻もうとしてくる

こいつらは民間人なので、銃を使うわけにはいかない

なんとか持ち前の武術で切り抜けて、ミスリル本部へと急いでいった



アマルガム本部 詳細位置不明

「どこへ行ってたんだ?」

レナードが帰ってきて、珍しくガウルンの方からそれを聞いた

「奴らが調子に乗ったものだから、ちょっとお仕置きをね」

くすりと小さく笑って返すと、ガウルンが身支度しているのを見て、レナードは逆に聞き返した

「またどこかへお出かけ?」

「ああ。準備も全て整ったし、俺の計画を発動させようと思ってな。もうここには帰ってこねえかもしれねえ」

「そうなのかい?」

「さあ、どうなるかな。帰ってくるかもしれないが、とにかく先は分からねえ。俺の計画が上手くいけば、あちこちの外国でぶらぶらと遊んでるだろうからな」

「そう……」

どこか寂しげに言うと、今度は飛鷲を呼びつけた

「なんでしょうか、レナード様」

「ぼくの目を見ろ」

なにをするのかを飛鷲は悟って、じっとレナードの銀色の瞳を見つめた

レナードの瞳が怪しく光り、忠実な部下、飛鷲に催眠術をかけた

「これで飛鷲。君を催眠術師にした。そのままガウルンに付き添って、彼の手助けをしてやるんだ」

「なっ!」

催眠術師にされたのは別に構わない。だが、後半の命令には、戸惑いを隠せなかった

「おいおい、こいつを連れて行く予定はねえぜ」

ガウルンもレナードの申し出を断ろうとする

「ミスター・ガウルン。貴方の力になりたいんだ。これから、どういう所に向かうのか。そしてそこがどれだけ危険な所か、大体の見当はついているよ。ぼくは貴方の計画を、ぜひとも成就させてあげたい。それを達成するためにも、催眠術師にした飛鷲を連れて行ってくれ。役に立つはずだ」

「ありがたい申し出だねえ」

ガウルンが、低い声で笑った

「れ、レナード様っ。私は嫌です。なぜ、こんな奴の手助けなど……」

「飛鷲。これはぼくからの命令だよ」

「ぐっ……」

嫌な顔を隠さずに、眉根に深いシワを寄せてうめいた

「まあまあ。仲良くしようぜ、飛鷲ちゃん」

ガウルンが腕をその首後ろにまわして、なれなれしく身体を寄せ付けた

「離れろ貴様。誰が貴様なんぞと仲良くなんぞ……」

「おいおい、御主人様の命令には忠実に従うモンだろ? 仲良くしようぜ、フェイホォォン」

その手を強引に取って握り、無理矢理握手の形にした。

飛鷲は嫌悪感を感じつつも、目を伏せて、

「レナード様の命令だ。とりあえず、力を貸してやる」

「そうそう、それでいいんだ。それじゃ遠慮なくこいつは借りていくぜ」

ガウルンがアマルガムの入り口に向かう。その後を、飛鷲が渋々ついていった

「成功を祈ってるよ、ミスター・ガウルン」

「おうよ。また機会があったら、殺し合いしてやるぜ」

クックックと笑って、ガウルンはアマルガムを出て行った。

数年も前から準備していた、ガウルンの計画を発動させるために



アメリカ ニューヨーク

人込みが増え、それだけ危険も増していた。

一般人でも懐に銃を持つ者もここは特に多く、宗介たちを見かけると、レナードの仕掛けた催眠術が発動し、その凶器を使用するのだ

街中でもお構いなしに、銃を放ってくる。目的が宗介たちに絞られているから、余計にタチが悪い

銃を持つ者とはできるだけ距離を取り、一目散に逃げていく

とにかく、走って走りまくる。公共交通手段は使えなかった。バスや電車、飛行機に乗って、そこで乗客たちが切り替われば、もう逃げ場がないからだ

最初は、車で飛ばしていた

だが、ガソリンスタンドの奴らにも襲われるので給油もできず、ガソリンが切れれば、仕方なく他人の車を拝借し、ミスリル本部へと急いでいた

その近くまで来て、人込みが多くなると、車を捨てて本部へ一直線へと走るだけだった

通行人がこっちに気づいて、催眠術が発動し、襲い掛かってくる。が、そうなる前にすでに宗介たちは距離を取って逃げていた

それでここまで来れたが、大都会ニューヨークともなると、歩きでさえ渋滞になる場所がある

そこで、襲われてしまうのだ

接近戦では、宗介たちを上回る武術の達人に出会わない限りなんとかなった

だが、危険なのは銃撃戦だ

ほとんどが射撃の素人なので、距離さえ取れば当たることはほとんどない。

発砲した時の反動はかなり大きく、撃ったときには目標と大きくずれることが多いからだ

だが、偶然でも銃弾の軌道がこっちと重なれば、一気に危険に陥る。偶然は怖い。

まるで指名手配を受けて逃亡している気分だった

「本部までもう少しだが……あの周辺は群集が多いからな。あれをどう突破するか……」

本部にさえたどり着けば、完全に安全になる。なぜなら、宗介たちはカードで地下へと逃げ込めるが、カードを持たない群集はその地下へ行く手段がない

しかも本部へは独自技術の固定型空間移動装置を利用するため、その地下を繋ぐ道はないし、地下は掘ってたどり着ける深長でもない

地上と切り離した、安全地帯なのだ

しかしその肝心の本部は、カモフラージュのために、大都会のビル郡のひとつに埋もれている

木を隠すなら森の中、なのだが、今は襲撃者地帯のど真ん中になってしまっていた

しかし、ここで立ち止まっていても、状況は一向に悪くなるだけだ。覚悟を決めなければ

すると、隙間もないはずの群集が、ざざざと掻き分けられていた

なにかに押しのけられ、人込みの中に空間ができていく。それはミスリル本部までの道を作った

「なんだ……?」

なにが起こったのか分からない。だが、これは好都合だ。行くなら、人が少なくなった今しかない

一気に走り出し、本部めがけて突進する

しかしまだ人の壁は厚く、幾人かがこっちを見て、襲撃者に変貌した

中には、懐から護身用の銃を出し、周囲におかまいなくそれを使用してきた

銃撃が飛び交う。正常な通行人たちが悲鳴を上げた

咆哮と喧騒。

その空間に飛び込もうとすると、その空間の先端に、椿一成がいた

一成も同じように襲われていて、例の体術を駆使して群集をなぎ倒している。それが道をつくっていたのだ

その動きは相変わらず鮮やかだった。彼を止められる者はここにはおらず、ついに彼はミスリル本部内にたどり着いた

それにあやかるようにして、宗介たちも後をなぞっていく

だが、襲撃者がまだ距離のある宗介たちに狙いを定め、武器を持たない人たちは爪を立てて、引っ掻いたり掴みかかってきた

腕の皮膚ががりがりと削られ、衣服を引っ掴まれ、破られていく

「くそっ。邪魔だっ」

人の壁を押しのけ、強引にでも前へと進んでいく

玄関までどうにかたどり着くと、そこでは他のミスリル隊員たちが武装していた。そして玄関前に集まってきた襲撃者たちを撃退してくれる

そっちに任せ、急いで地下への装置に向かい、自分のカードを装置に通す。

すると装置が起動し、宗介たちのいた空間が、一瞬にして地下の施設へと移っていた

「どうにか来れたな」

ここまでは、もう関係者以外は絶対に立ち入れられない

ほっと一息ついて自分の身体を見ると、あちこちに引っ掻き傷でできた赤い線が延びていて、さっきの異常な光景が現実のものだったのだと実感できた

街じゅうの人たちが、なんの面識もない宗介たちを、殺意を持って襲い掛かってくる

本当にそんなことが、起きてしまったのだ

そのことにぞくりとしながら、みんなのいる奥へと向かった

ロビーに入ると、見慣れた隊員たちがそこで息をついていた

あの人の壁を崩してくれた椿一成も、そこにいて呼吸を整えている

他の隊員たちは、無傷な者もいれば、衣類がぼろぼろに破れている者もいた

そして、疲れきった顔をしていた

「もう、外には出れなくなっちまったな」

誰かがそうつぶやいた

その通りだ。おそらく全米で放送されたであろうあの催眠の刷り込まれた番組。視聴率も高く、他国でも放送されている。そんな人気ドラマが、宗介たちをここに閉じ込めてしまうことになったのだ

「まあ、ここにはまだ空き部屋が一杯ありますし、ここに篭城することはできるでしょう」

と、ロビーの中央で言ったのは、テッサだった

彼女はここに住んでいるので、外からの被害は受けずにすんだようだ

「まさかあんな方法で仕返ししてきやがるとはな」

「ですが、向こうもあれだけの規模で仕掛けてきたのです。あれを完全に世間から隠すのは難しいでしょう。そして……」

「アマルガムとの決着の時も、近いだろうな」

宗介の言葉に、テッサは同意の頷きをしてみせた

「みなさんの安全を確認できしだい、情報部で今回の催眠の根源を突き止めてみます。例の番組の放送局、番組関係者、スポンサー……いろいろと当たってみると、アマルガムにたどり着けるかもしれません」

それが分かるまでは、待機ということになる

下手に外に出て調べるわけにはいかない

もどかしかったが、宗介はその時を、じっくりと待つしかなかった




次へ進む