静寂の裏で

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静寂の裏で


アメリカ ミスリル本部

事情を聞いていたクルツ・ウェーバーが、帰還してくるなりロビー端にいた車椅子の宗介の元に駆け寄ってくる

そして一言目に「脚が動かなくなったって?」と聞こうとしたのだが、彼の姿を見て、その言葉をひっこめた

「……本当に動かなくなっちまったらしいな」

傍にいた千鳥は、ずっと俯いている。宗介のこの状態に気落ちしたままだった。

彼女は顔をゆっくりと上げて、クルツにすがるような目で聞く

「クルツさん。本当にもう……ソースケの脚は元に戻らないんですか?」

「無理だ」

と答えたのは、クルツではなく宗介だった

「もう何度も言っているだろう。これは手術では治らん。そして他に治療方法はない」

宗介は車椅子の車輪に軽く触れながら、断言した

「…………」

押し黙る千鳥。彼女の目線は車椅子を意図的に避けていた。その姿が痛々しくて正面から見てられなかった

そんな沈黙の中、クルツの一言が空気を一変させた

「いや、方法はあるぜ」

あまりにもあっさりと言い放ったので、千鳥はぽかんとした

だが宗介はそれに驚くことはなく、なにか触れられたくないことに触れられたように顔を曇らせた

「クルツ。貴様、まさか……」

険しい顔つきで、クルツの顔を睨む

その口ぶりに、千鳥は宗介もその方法に心当たりがあるように思えた

しかし、さっきまでそんなこと一言も口に出さず、方法はないとの一点張りだった

彼は、その方法があるにもかかわらず、避けていた……?

宗介がクルツの顔を、凄い形相で睨んでいるにもかかわらず、クルツは平然とそれを受け流し、宗介の車椅子の取っ手を持って動かし始めた

「千鳥ちゃんも手伝ってくれ」

「あの、クルツさん。どこへ行くんですか?」

「こいつを治せる奴のとこに連れて行くのさ」

「でも、治せる医者はいないって……」

「大丈夫。事情を聞いたときに、そいつにアポイントを取っておいた。そいつに会いに行こう」

動かされる車椅子を止めようと、宗介が車輪を掴もうとする。だが、クルツの押す力の方が強く、止められない

「クルツ、離せ。俺はあいつの世話には絶対にならん。千鳥、こいつを止めろ」

「…………」

だが、千鳥は動かなかった。

なぜ宗介がここまで嫌がるのか分からないが、動かなくなった脚を治せるというのだ

彼女に止める理由などなかった



アメリカ デトロイド

その場所に、千鳥は見覚えがなかった

都市部で、ビル郡がそれぞれ競うかのように高く高く連なってそびえ建っている

そのひとつ、なにかの事務所のところに、クルツが宗介の車椅子を押して中に入っていった

「嫌だ。あの野郎の世話にだけはなってたまるか。離せっ、クルツ!」

車輪を押さえようとするが、それでもクルツは強引に、力強く車椅子を後ろから押していく

「いい加減、観念しろって。お前の気持ちは分かるけどよ、全てが敵ってわけじゃねえんだからよ」

「嫌だ。嫌だ。嫌だっ!」

宗介にしては珍しく、周りに構わずに喚き散らしていた。ここまでだだっ子のように嫌がるのを千鳥は見たことがない

ここまで宗介が拒絶するとは、一体誰のことなのか

ビルの中は、いくつかの会社が入っている

エレベータで二桁の階数になったところで、チンと音がして扉が開く

着いた先は、やはりなにかの事務所だった

扉から灰色の絨毯が敷き詰められていて、高級感が溢れている。雰囲気は、まるで弁護士の事務所を匂わせていた

「連絡していたサガラだ。こいつを頼む」

クルツは、その事務所の奥、ひとつの個室に入って、そこで待っていた男に声を掛けた

その男を見て、千鳥は驚いた

男のことを、千鳥は知っていた

だが、会ったことはない。ついさっき、初めて見かけたばかりだったから

その男の顔は、昨日テレビで見たのと同じだった

あの、バラエティー番組で、コーナーのひとつに、芸人に催眠術をかけてみるというやつだ

その催眠を掛けたヤンが、そこにいたのだ

ということは、この目の前の男は……

「催眠術師……?」

「どうも、ヤンです。あいにく、名刺を持っておりませんが」

やはり、ヤンという催眠術師だった。あの、有名なヤンが、目の前にいる

しかし、どうしてヤンが、宗介の脚を治せるというのか

「ヤンは、世界一の催眠術師として知れ渡っててな。まあ、あくまでそれは表世界でのことだけどな」

裏世界で最高の催眠術師は、もちろんレナード・テスタロッサだ

ただし彼は催眠術を表世界でさらけだすことはないので、表ではヤンが世界一ということになっている

「ひょっとして、同じ催眠術で、ソースケの脚を治すんですか」

たしかにそれなら治せるかもしれない

だが、それにはクルツは首を横に振った

「いや、催眠術の効果は、そいつを掛けた催眠術師にしか解けない。他の術者の催眠に、手出しはできねえんだよ」

「じゃあ、どうやって……?」

「催眠術を打ち消すには、『貴方のかけられた催眠は無効になる』ではだめなんだ」

「……?」

「そうじゃなくて、その催眠に、上からより強力な催眠をかぶせてやればいい。つまり、別の催眠をかけるんだ。『脚が動かなくなる』の催眠に、より強力な催眠で『貴方の脚は一般並に動かせる』って暗示を与える。そうすることで、こいつの脚は強力な催眠の方が効いて、脚が動くようになるってわけだ」

少しややこしいが、とにかく治るらしい

それを知って、千鳥は心からの安堵のため息をついた

だが、それでも宗介は憎悪を露わにして叫んだ

「ふざけるな。俺は催眠術師の世話なんかになるか! 俺に、もう一度催眠をかけられろと言うのか!」

「あ……」

そうだった

宗介は、幼いころ、催眠術をかけられて、そのせいで酷い体験をしてしまったのだ

両親を、自分の手で殺めた

それは今でもトラウマとなって深く根付いている

宗介が強く拒絶していた理由が、はっきりと分かった

しかし、治す方法がすぐそこにある

それを避けるわけにもいかない

「やっぱり、彼はまだ僕を嫌っているみたいだね」

ヤンが、少し困ったという顔で、肩をすくめた

その言い方が気になった

「まだって、前にもお世話になったことあるんですか?」

「ああ。一度な。また別の今のと似たような状況に合ってな。それでここに連れてきたんだけどよ、当時も凄え拒否しててよ。大変だったぜえ」

クルツが、まるで子守りの苦労を愚痴るかのように、言ってくる

「なだめるのにさぞ苦労しましたよ。結局、強引にさせていただきましたけど」

クルツとヤンが一緒になって、宗介を押さえつけて、無理矢理催眠で治したらしい

「今回も、荒っぽくいくんですか?」

前と宗介の態度がまったく変わってないことに、ヤンがうんざりしたようにクルツに聞いた

前回は相当に苦労したようだ

「いやあ、オレもそうなるかなって思ってたんだけどよ。もしかしたら荒事にならなくても済むかもな」

と、なぜかその視線が千鳥に向けられていた

あからさまに、千鳥になにかを期待している

「あのー。ひょっとして、あたしがソースケを押さえつけるんですか?」

空手の実力は千鳥の方が上だが、空手に寝技といったものはない。いや、空手版の絞め技はあるけれど

だが、クルツは大げさに違うという意味で手を振った

「オレも無理矢理ってのはちと抵抗あるからよ。今回は千鳥ちゃんに説得してほしいんだよ」

「説得、ですか」

それでなぜ自分なのだろうと、千鳥はそこが理解できなかったが、千鳥も彼の脚は治ってほしいので、拒否はしなかった

千鳥は少ししゃがんで、宗介と同じ目線の高さになって話しかける

「ねえ、嫌がる気持ちも分かりますけど、それで脚が治るんですから、少しだけ我慢できませんか」

「嫌だ」

取り付くシマもない

これでどうしろというのか

「でも、やっぱり車椅子生活っていうのは相当に苦労しますよ。治せる機会があるんですから、ここはなんとか……」

「今更、これくらいの苦労で俺は不自由には思わん」

なんて頑固な

「ねえ……そんなやせ我慢しないで。言う通りにしてくれたらキスしてあげますからぁ」

いきなり飛び出た大胆な発言に、宗介は狼狽し、思いっきり眉根を寄せた

「それだけじゃないですよ。一晩、あたしを好きにしていいですし……」

「……あの、クルツさん。あたしの声色使ってなにほざいてんですか?」

千鳥がくるりと後ろを向いて、さっきからの大胆発言の主であったクルツに怒りの抗議を向けた

今の大胆な発言は、全てクルツが千鳥の後ろで声色をまねて囁いたものだった

クルツは千鳥の冷たい視線を受けて、へらへらと笑って、

「いやあ。ちょっと大胆に攻めたほうがソースケも素直に聞くかなあと思ってよ」

あたしを連れてきたのは、こんなくだらない騙しをするためだったのか、と千鳥は心底呆れた

「ささ、千鳥ちゃん。色仕掛け色仕掛け。あ、オレのことは気にしなくていいから、服脱いでいいよ」

「…………」

じーっと冷たい眼差しを送る千鳥。彼女はそこまでする気はさらさらなかった

クルツはそれにちっと小さく舌打ちする

「……やっぱり、強引にいくしかないみたいですね」

さっきまでクルツたちに任せようと、離れたところで見守っていたヤンが、腕の裾をまくって進み出た

「そうするしかねえみてえだな」

「ぐっ……来るな……」

宗介が慌てて車輪を動かし、後ろに下がろうとしたが……すぐに背後の壁にぶつかった

「あがくんじゃねえ。大人しくしてれば、痛くしねえよ」

「すみませんね、相良さん。僕も無理矢理というのは好きじゃないんですが……」

じりじりと迫る二人

「俺に触るなっ」

「無駄だ。いい加減、観念するんだな」

「すぐに済みますよ。僕を信用して……」

どうでもいいが、台詞だけ聞いてると怪しい雰囲気に誤解されそうだなーと千鳥は密かに思った



宗介の抵抗は激しかったが、下半身が動かず、二人がかりで押さえつけられては、どうしようもなかった

ヤンの催眠は五分ほどじっくりとかけて行われ、次に宗介が目を覚ましたとき、彼の身体は車椅子を必要としなくなっていた

立てたのだ。数日前のときと変わりなく、その脚を動かせた

「…………」

とんとんと、つま先で床を蹴る。そうして、床の固さの感触を感じ取っているようだった

「礼は言わんぞ」

「ええ。お礼は、僕への敵意が無くなったときのためにとっておいてもらいますよ」

ヤンは不快を出さず、にっこりと微笑んでそう答えた

それにしても、ここまで完全に元に戻せるとは

もう絶望的だと思っていた、石のように動かなくなった脚が動くようになった

「ヤン先生がいれば、もうレナードの催眠術なんて怖くないんじゃないですか? もう治す方法も見つかってることですし」

「いや、そういうわけにもいかないよ」

ヤンが、強い口調でそれを否定した

「なぜです?」

「これがうまくいったのは、彼にかけたのがレナード直接の催眠ではなく、また別人の催眠だったからね。僕の方がまだ催眠力が上だったから、より強力な暗示で重ねかけることができた。けれど、レナードの催眠にはそうはいかない」

ヤンは視線を落とし、拳を握り締めた

「レナード・テスタロッサが僕と同じ舞台に立てば、まず間違いなく彼の催眠力の方が上だからね。彼とは立つ舞台が表と裏と別になっているから、僕は彼とは別に世界一という称号をもらっているけれど、彼と直接比べると、まずかなわない」

完全に、ヤンはレナードに対して敗北を認めていた

表世界と裏世界と居る場所は違えど、両者とも世界一と称号を授かっている。それでも、彼らとの間には、決定的な差がついているというのだ

「レナード直接の催眠がかけられたら、いくら僕でもどうにもならない。それほどに、彼の催眠は強力なんだ」

結局、レナードの催眠は脅威のままというわけか

「だから、万が一彼に催眠をかけられても、僕がいるから大丈夫などと安易に気を抜かないでくれ。あくまで、彼の催眠には十分な注意が必要だ」

「分かりました」

改めて、レナード・テスタロッサの恐ろしさを認識させられてしまった

だけど、ソースケの脚は治り、普通に動かせるようになった

今は、それだけでいい

本当によかった

それだけで、千鳥には十分なのだった



アマルガム本部 詳細位置未明

アマルガム陣地のビルの一角

その屋上で、彼らは集まっていた

錆びた鉄柵に囲まれ、そこから見下ろせる景色も、人気の居ない裏通りを思わせていた

そんな屋上で、黒服の男たちと、レナード・テスタロッサ。そしてガウルンが決まった位置に立っている

彼らは動かない。動くのは、ガウルンと指名された黒服男一人だけだ

なんのために?

ガウルンの提示した条件――殺し有りのリアルファイトをするためだ

お互いナイフ一本を武器に、完全に息の根を止めるまで終わらない

他の者は、手出し無用。傍観者として成り行きを見守るのだ

だが……その勝負はあまりにも一方的だった

「そうら……来いよ」

ガウルンがナイフを振りかざし、にたにたと笑いつつその距離を詰める

「うぅ……」

黒服男は、獣の唸り声に似たものを上げて、ナイフを前だめに構える

突進。その勢いを利用して、ナイフをガウルンの胸めがけて突き刺そうとした

しかしその動きよりも、ガウルンの避け動作が速かった

一瞬にしてガウルンが黒服男の背後にまわると、ごついナイフで背中に突き立てた

どう見ても、それは致命傷。その傷の深さからして、神経が切り裂かれ、身体の機能を奪う一撃。

しかし黒服男は、催眠で痛覚を失い、体力を底上げされていた

まだ彼は死なない。そしてまたも無謀に、ガウルンに向かっていく

「いいねえいいねえ。ほらほら、もっと向かってこい」

もはや黒服男は、その耐久力で生きているのではない。生かされていた。

背中だけではない。

胸も突かれ、腹を切り裂かれていた

中の内臓が傷口から垂れてさえいる。事情を知らない者が見れば、ゾンビとしか思えないだろう

残虐非道な行いをしてきたアマルガムの一員でさえ、正視できるものではなかった

これはタイマンとか決戦とかではない。公開処刑、公開拷問といったほうがふさわしい

ガウルンのナイフが、喉元を突いた

一突きではない。彼は同じ個所を幾度も刺し続けていく。

黒服男の喉は、むいたみかんの皮のようにべろべろに剥がれ、肉が削ぎ落とされていた

そこで、ついに黒服男は絶命した

彼は凄惨な遺体となって、屋上の地面に倒れる。ガウルンとの殺し合いに敗れたのだった

「また……一人」

飛鷲が、ガウルンがまたアマルガムの一員を殺したことに、怒りを含んだ声でつぶやいた

「さぁて。どうする? 今日はもう一人やるかい?」

「イカレ野郎が」

飛鷲が憤る。だがレナードは、対称的にこの状況を冷徹に眺めていた

アマルガムの人数が減らされているにもかかわらず、それをペンギンショーでも見ているかのように、嫌悪を微塵も出していなかった

それに気を削がれたのか、ガウルンは肩をすくめる

「まあいいや。お楽しみは明日にとっておこう」

ガウルンはナイフを放り投げて、今日の殺し合いを切り上げた

他のアマルガム員が、遺体の処理にかかる

ガウルンが屋上の階段を下りると、レナードもそれにゆっくりとついていったのだった




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