狙撃手は電気羊の夢を見るか

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狙撃手は電気羊の夢を見るか


宗介と千鳥がミスリルに入ったとき、クルツはすでに世界最高のスナイパーという評価を受けていた

ミスリルに属してからも困難な狙撃を決めて、ミスリルの中でもその実力をみせつけ、実質彼が狙撃手のトップとなっていたのだ



アメリカ シカゴ

クルツは隊長に連れられて、シカゴに住居を構える一家に会いに行くところだった

「なんだってその……なんだっけ。コロンブス?」

「コロンバートだ。コロンバート一家」

隊長に言い直され、クルツはああと頷いた

「そうそう、コロンバート。その一家になんで会いに行くんだ?」

「顔を覚えておくためだ。今回の我々の任務は、護衛にある」

「護衛? その一家が狙われてるのか?」

「正確には、これから狙われることになる」

隊長は車のハンドルを操作しながら、その家を確認しようとフロントガラスを通して前を覗き込んでいた

「誰に?」

「シカゴを仕切る麻薬組織ということになるかな」

麻薬、と聞いてクルツは目つきを鋭くさせた

「そいつは、麻薬組織とやらから脱けたということか?」

「いや。コロンバートの主であるマイケル=コロンバートが、麻薬組織を壊滅させるための有力な証言を持っているんだ」

「……なるほど、大体読めてきたぜ」

「地元警察の説得で、マイケルさんは証言することを決めた。これは賞賛すべき勇気だ。あの巨大な麻薬組織を敵に回してでも、証言すると言い出したんだからな」

「だが、その麻薬組織は黙って見てるわけねえよな」

「うむ。裁判まで日程がある。そんなときの敵の常套手段としては、証言一家を暗殺することだからな。そこでアメリカ警察は、彼ら一家にある方法を発動することにした」

「なんだい?」

「証人保護プログラムだ」

「証人保護プログラム?」

「聞いたことないか? 警察や検察に協力する証言をした証人を、組織の報復から守る人身保護措置のことだ」

「いや。日本にはねえからよ」

「そうだな。そのプログラムが発動すると、証言と引き換えに、証人は全く新しいアイデンティティと住居、手当て、公的雇用による職場の確保等を与えられ、別人として生きることになる。家族ごとな」

「おいおい。それじゃその一家は、これまでの生活を全て捨てることになるのか?」

「そうだ。危険だからな。家族のこれまでの人間関係、生活、履歴を捨て、全く新しい第三者として過ごさなければならない」

「なんか、ひでえな。証言をするだけなのに、まるで犯罪者みたいな扱いじゃねえか?」

「そういう見方もある。だが、完全に報復から身を守るための確実な手段としては適切だ」

「……大変だな」

「そのプログラムは早速明日の早朝から発動される。俺たちの任務は、そのプログラムの一つに組み込まれている。発動したら、俺たちはその新生活を送るまでの護衛をすることだ」

「そのために、護衛対象者の顔を覚えておくわけか」

「うむ。これは史上最大の麻薬組織壊滅に繋がる作戦だ。ミスリルとしても放っておけないということらしい」

「ああ。麻薬組織なんて、全てぶっ壊してやるぜ」

そのクルツの目は、静かな憎悪がこめられていた



「着いたぞ」

そこは、豪邸だった。庭はなかったが、横に長く伸びた建物で、真新しい印象だった

ただ、やけに高い塀が中への視界を遮断している。堅牢な要塞というより、刑務所という感じだ

おそらくは報復を恐れて、少しでも安全にしたいということだろう

隊長が車を降り、クルツも後に続き、インターホンを鳴らした

すると玄関の扉が開き、中から灰色と白髪の混じった人のよさそうな中年男が出てきた

「どなたでしょうか?」

「警察の関係者です。明日発動される計画についての面識を通しておこうと思いまして」

それを聞いて、男の顔から緊張感が解けた。そして中へどうぞと促してくる

立派な玄関だった。中のロビーに通されるまでに一通り部屋を伺って、大抵の内部を記憶していく

広々としたロビーだった。高級なソファーだが、隊長はそれを避けて別のイスにかけた

「おい、コーヒーを」

主人が隣のキッチンにいた妻に命じ、隊長はおかまいなくと言い添える

ストレートで綺麗な金髪をした妻だった。その雰囲気からして、お嬢様だったのだろう

結局コーヒーがロビーのテーブルに置かれた。隊長がそれに一口つけて、手元の書類をテーブルの上に広げた

「例の計画に関する書類です。一通り目を通しておいてください」

それから男と隊長は仕事上の話をした。クルツはあくまで連れという形なので、特にしゃべることもない

周囲の窓から外には、屈強そうな男が立っている。プログラムが発動するまでに護衛する地元の警察官だ

ただ、ここから庭は見えるが、家の外側に建てられた高い塀のせいで景色が見えない。見えるのは、それよりも上にある空だけだ

これでは外からはこの中の様子が探れないのではないだろうか

家の外に三人、中に二人か

一通り見た様子と、流し口にある奥さんの入れたらしい空のコーヒーカップからそう判断した

この家族達は、プログラムのことをどこまで知っているのだろうか

おそらくここ数日はまともに寝れていないはずだ。それほどまでに闇の組織の圧力は恐ろしいものだ

電話は線が切れていた。聞くと、脅迫電話が多すぎて切ってしまったという。主に警察との連絡は無線機を使っているらしい

「……ん?」

隣の部屋に通じてるらしい扉が薄く開いており、そこから低い位置に金髪の少女がこっちを覗き込んでいた

どうやらこの一家の一人娘らしい。こっちを警戒してるのか、それ以上は近づかずにただじっと見つめていた

クルツは立ち上がり、ゆっくりとその扉に近づいていった

少女は一瞬怯えたが、逃げようとはしなかった

ぎいっと扉を大きく開けて、少女の前に座り込む

「やあ」

そう声をかけてみると、少女は小さく頷いた

「名前、なんて言うのかな?」

すると少女は、小さく口を動かし、自分の名前を告げた

「マリア、か。いい名前だな」

すると、少女はそれに不満そうに首を横に降った

「マリアお嬢様、って呼んで」

そのお願いに驚きながらも、可笑しそうになって、その金髪を撫でてやった

「はいはい、マリアお嬢様。年はいくつかな」

「いきなりレディーに年を聞くのね。もう六歳よ」

まだ背丈は低く、それくらいだろうと予想はしていた

するとマリアは、脇に抱えてた金髪の女の子人形をぎゅっと抱きながら、見上げてきた

「ねえ。あなたがあたしたちを守るナイトなの?」

絵本好きなのだろうか、ファンタジックな名称が飛び出した

クルツはそれに合わせてやろうと、片足をつき、マリアの手を取り、手の甲にキスをするフリをしてみせた

「ええ、そうです。オレがマリアお嬢様を守るために遣わせられたナイトの騎士でございます」

「やっぱりそうなのね。悪い奴から守ってくれるのよね」

するとマリアは、クルツの全身を値踏みするように眺める

「でもその割には、華奢な感じね」

「厳しいなあ」

育ちのせいか、ずいぶんと大人びた言動をする少女だ

マリアはクルツのズボンの裾をぎゅっと握ってきた

「まあいいわ。お兄ちゃん、美形だし。ちゃんと守ってね」

「誓います」

「ねえ、ナイトって姫の言うことはなんでも聞くのよね?」

「え? ああ、そうかもな」

嫌な予感がしつつも、そう答えておいた

するとマリアは、ようやく子供らしい笑顔を見せて、くいくいとズボンの裾を引っ張ってきた

「ねえ、それじゃ遊ぼう。あたし、いっぱいお人形さん持ってるの」

「へいへい」

やはり嫌な予感は的中した

そしてクルツは、夕方までずっとマリアの人形遊びにつき合わされたのだった



「帰るぞ、クルツ」

夕暮れに差し掛かって、隊長が腰を上げた

その呼びかけに、クルツの頭の上に乗っていたマリアが顔を曇らせる

「帰っちゃうの? お兄ちゃん」

「長居するわけにはいかねえからな」

「やだ。もっと遊んで」

マリアは、クルツを行かせまいと、上着をぎゅっと握り締めて離さない

「あらあら、マリアったら。もうお兄ちゃんに懐いちゃったのね」

マリアの母が口に手を当てて、くすりと嬉しそうに笑っていた

「まいったな」

ナンパの成功率は低いのに、なぜかこういうのには好かれてしまう

「ったく。なにやってんだお前は。ほら行くぞ」

隊長が促して、先に玄関へと向かっていった。本当にこの後も仕事があるのだ

「お兄ちゃん……」

マリアの目には、孤独特有の寂しそうな色が滲んでいた

そうかと気づく。マリアもこれからの引越しの意味を、なんとなく分かっているんだろう

つまり彼女にとって、遊び相手がいなくなる。これまでの友達とも別れ、寂しい日々が待っているということに

「そんな目をするな。また今日みたいに笑える日が来るって。それまで、オレが守ってやる」

そのクルツの言ってる意味を理解してか、マリアは一度目を伏せてから、にこっと笑ってくれた



隊長が運転する車の中で、クルツは例のプログラムのことを考えていた

今までの生活を全て捨てて、か。

オレもミスリルに入ったとき、これまでの生活を捨てた。

クルツの存在を消すために、住んでた部屋は無くなり、家具も処分した。友人関係とも連絡を断ち切り、行方不明者扱いになって、このミスリルで暮らしてた

だけど、それはオレの意思だ。

マリアは違う。そうせざるをえなくなったのだ。父が告発することで、マリアの生活も変えさせられた

もちろんオレは麻薬組織を全て壊滅させたい。そのためにミスリルに入ったのだ

椎原那津子。もうあいつのような被害者を出してたまるか

那津子。オレに関わったために、麻薬漬けにされてしまった女性。

全身に障害が残り、頭以外、まったく動かせない身体になってしまった

これまでの長年のリハビリで、前に見舞いに行ったときには、ようやく首が動かせるようになっていた

それだけで、彼女はひどく喜んだ。視界が大きく広がったというのだ。

そして彼女はクルツに自慢して、微笑んできた。オレはその笑みを嬉しそうに見つめた

だが、首から下の身体はまったく動かせない。ベッドに何年も横たわるその姿に、胸が締め付けられる

あいつのような被害者をこれ以上出してたまるか

その麻薬組織を壊滅させられる機会が訪れようとしているのだ

「クルツ」

横から声を掛けられて、クルツは思考を現実に戻した

「なんだ?」

「俺たちは明日から、二十四時間コロンバート家の周囲につく」

「ああ」

「護衛は俺たちの班と、地上班二組、さらにミスリルの戦闘班も来る」

「オレたちだけじゃねえんだな」

「当然だ。これは今までの麻薬組織壊滅作戦とは規模が違う。裏社会の歴史が動こうとしているんだ」

「ああ。だろうな」

「裁判まで五日。明日のプログラム発動から護衛が始まる。おそらく最も過激な五日間となるだろう。気を引き締めろよ」

「守ってやるぜ。コロンブス一家丸ごとな」

「コロンバートだ、バカやろう」



ミスリル本部で、クルツたちは準備を始めていた

五日間の護衛に備えての武器調達、食料調達、地域把握、交通整理などだ

ところが、プログラム発動まで三時間を切って、事態が急変した

地上班から受けた連絡によると、コロンバートの一人娘が誘拐されてしまったというのだ

「あんだとっ!」

その連絡に、クルツが大声を出して、隊長に詰め寄った

「どういうことなんだっ。マリアが……誘拐されただとっ!」

「やられた。引継ぎの隙を突かれたらしい。マリア=コロンバートが小学校からの帰りに敵組織に誘拐されたらしい」

「バカな! オレたちが引き継ぐまでにも、護衛はついてるんだろ!」

「その国の警察官が送り迎えするらしいな。だが、彼らは全員車の横で殺されていた」

「強引に誘拐、かよ。くそっ、頼りねえな地元の警察ってのはよ! だからさっさとプログラム発動すればよかったんだ!」

「複雑なプログラム発動には、それなりの手続きというものがある。ともかく、これは由々しき事態だ。そこで俺たちの任務は急遽変更。護衛から救出に切り替えだ」

「さっさと行こうぜ!」

準備を大幅に省略し、救出のための武器を装備して、彼らはマリアを救出すべく、その場所へと向かうことになった

待ってろよ、マリア。絶対に救い出してやるぜ




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