明日への銃弾 2


それからしばらくは、地域課としての仕事内容についての説明がやりとりされていた

千鳥は、その内容について分からないところがあれば、自分から積極的に質問していた

「で、今言ったように、地域課の仕事は、警ら(パトロール)、巡回連絡、立番、在所の4つに分けられる。ここでは、警らと在所を主にやっているから」

「巡回連絡は、なにを基準に実施されるんですか?」

「えーと……聞き込みの協力があったときや、地域活動の伝言に要請があったときとかかな。まあ、そんなに頻繁じゃないよ」

「立番はどうして主にやらないんです?」

「昔は多かったけどね。どうも威圧感を与えるって意見が最近増えてさ。在所で充分だってことになってな。まあ、強制じゃねえし」

さて、クルツの説明を、随所にもう一度解説しておこう

地域課の交番勤務の仕事は警ら、巡回連絡、立番、在所の4つがある

警らとはパトロールのことを指す

巡回連絡とは、家などを訪問し、伝言や確認に回ること

立番とは、警察官が交番の近くに立っていること

在所は、交番の中で待機して、書類仕事や電話苦情を待つことである

「そんじゃあ、この辺りの地域を歩こうか。パトロールしながら案内するから」

「はい」

二人がその準備を始めると、相良宗介も立ち上がった

「こっちも終わった。パトロールに付き合おう」

と、宗介はデスクから離れ、警察帽をかぶった

「早えな」

「必要事項だけ済ましておいた。それにさきほどの件で、まだ予定の地域を全部まわっていなかったしな」

「はいはい、そんじゃいきますか」

交番を出ると、民家や小学校が見えてくる

そのため朝は人通りが多いが、昼間は人数もまばらだった

ただ、今日はどんより曇ったうえに、大雨が降っているため、傘を差す人々の顔はみえなかった

「この地帯は、住宅・商業・工業の地帯が重なるように密集しててね。それで本部もいろいろとお忙しいんだ」

「ああ、人手が足りないってやつですね」

「そうだ」

「パトロールといっても、一度に全部まわるわけじゃない。何回かに分けて、決まったルートを回っていくんだ」

「今はどういうルートで行くんですか?」

「この住宅街を抜けて、工場地帯もまわって、戻ってくる。商業地帯はもう今朝まわってきたからな」

その住宅街は、高級マンションは数少ない。大部分は、一軒の民家やアパート、マンションで占められている

だが公園や学校という公共施設はひととおり揃っており、一般の町並みといえた

途中、傘を差した女の子と、それを連れている主婦とすれ違った

彼女らは宗介とクルツと目が合うと、お互いが軽く挨拶を交わし、会釈していった

「バイバイ」とその女の子は笑って、買い物袋を手に、お母さんと家に帰っていく

どうやら地域の人とは、そこそこに交流をとれているようだ

気軽に地域の警官と接することができるのは、よい傾向といえる

こうすることで困ったときに相談しやすくなるし、情報交換がスムーズになる

それを円滑にするのも、職務のひとつなのだ

しばらく住宅街を歩いていると、家が減り、代わりに商店街が見えてきた

「こっから右は商店街だ。で、オレらはこっちね」

商店街とは別のほうに進んでいくと、工場の建物が目立ってきた

トラックの出入りが激しく、昼間はこっちのほうが騒がしいのだろう

どの工場も、お世辞にも綺麗な建物とはいえず、古臭さを滲ませていた

「この先は、あまり見回る必要もねえんだけど、巡回ルートの中に入ってるから、通り抜ければいい」

その先とは、工場跡だった

「必要はないって……人はいないんですか?」

「ああ。この先は、だいぶ前に取り壊されたとこばっかでね。なんでか土地も売れないらしく、そのままになってんだ」

「そうなんですか……」

その説明を聞きながらも、かなめはまだなにか腑に落ちないことがあった

「あの……」

そのかなめの質問は、パトロールのことではなく、その前のことだったので、聞きづらかったのだ

「やっぱり……相良巡査を協力に要請する理由が分からないんです。いくら逮捕術が優れているとはいっても、他の人員でも事足りるんじゃないかって……」

クルツだけに、こっそりとそう聞いた

「……まあ、確かにそれだけじゃねえけどよ。あいつ、犯罪を敏感に感じとるんだよな」

「どういう意味です?」

より詳細な説明を求められ、クルツは自信なさげに、ぽりぽりと頭を掻いた

「んーと、なんってーか。あいつが怪しいって思った先には、犯罪が起きてるんだよな。犯罪の空気を感じ取れるっていうか。だからよ、事件が困難になってくると、あいつのその勘みたいなとこに頼りたいってのもあるんだ」

「勘、ですって? そんなあいまいなもので?」

「千鳥ちゃん。刑事の勘って鋭いっていうだろ。あいつはまだ刑事じゃねえけど、そういう第六感ってーのは大事だぜ?」

いきなりちゃんづけにされたことが気になったが、それはおいといて

それでも、勘というのはやはり不確定要素である。そのため、クルツもどこか自信なさげなのだろう

「まあ、あまり気にしなくていいって」

面倒なのか、それで済まして欲しいような口調だった

「そうですか」

勘……ね

自分と同じニオイだからじゃないの? と、千鳥は相良巡査に対して、心の中で嫌味たっぷりの冗談をつぶやいた



廃れた工場跡。壁のコンクリートのほとんどは老朽化したせいか、ごっそりと崩れて、そのせいで外からでも建物の中が見えていた

剥き出しになった鉄骨パイプも、錆びたくすんだ色で雨に打たれていた

「潰れた工場が多いのね」

「ああ、もうこの辺りは人気が無くてね。経済が低下してる代りに、犯罪の溜まり場が増加しちまってるのが現状だ」

まさにそれを象徴したかのような、工場跡だった

「ん……?」

相良巡査は、ふと立ち止まった

そして、その工場跡の壁が崩れて露出していた三階の階段部分を見上げた

(……今、ちらりと光が見えた)

気のせいではない。そして光があったということは、人がいるということだ

「おーい、どうした?」

宗介が立ち止まり、自分達と離れていくことに気づき、クルツが声をかけた

「クルツ。ここに入ってみよう。誰かがいる」

と、宗介は手前の建物を指差し、立入禁止と書かれた札の鉄網をくぐり抜けていく

「あっ、おいっ」

その声にも止まらず、彼はその工場の中へと入っていった

「……しょうがねえな。行くか」

宗介の唐突な行動に、クルツは肩をすくめてみせた

いつもこんな調子なのだろうか



真っ暗闇だった

曇りという悪天候もあって、日の光は完全に遮られ、その工場の中は視界が最悪だった

「この先のはずなんだけどな……」

ライトで先を照らし、進んでいく二人の男

風貌は、ジャンパーに皮ズボンという、どこにでもいる気性の荒い若者スタイルだった

老朽がかなり進んでいるのか、その壁や床のひび割れが目立ち、ひどかった

三階に通じる階段を昇りきると、そこから見える部屋に、すでに誰かがいた

暗闇で、その顔は見えない。

先頭にいた男は、ライトの光を消すと、ゆっくりと人の気配のするほうへと歩きだした

部屋の奥から、声がした

「よぉ、来たな」

「あんたがガウルンか?」

「ああ。早かったな」

男二人は、暗闇に目が慣れてきて、うっすらとそのガウルンという男の顔が浮かび上がってきた

日本人ではなかった。その雰囲気は東洋人に近い

ムースで整った髪。そして特徴は、額にある縦一文字の傷跡

「……金はあるな?」

「ああ、ここに」

と、先頭の若者がボストンバッグを開け、中の札束を見せる

「結構」

「そっちは、用意してあるよな?」

すると、ガウルンはジェミラルケースのロックを外す

そこには、透明の液体の詰まった袋がいくつか入っていた

その横には、注射器と、針が何本か。

「へへ……」

後ろの男が、それに虜にされたように、じっと見つめた

「じゃあ、いただくぜ」

と、それを手に取ろうとすると、先頭の男がそれを制止した

「なんだよ兄貴ぃ」

「……その前に、そのヤクはどれだけの中毒性があるのか知りてえな。致死量レベルを用意して、試した俺たちが死に、後で回収する。ってこともありうる」

「おカタイねえ」

ガウルンという男は、肩をすくめてみせた

「まず、あんたが打ってみてくれ。それで信用しよう」

「ああ、しょうがねえな」

ガウルンは、腕の裾を捲り上げ、腕を露出させると、注射器に液体を注入し、それを腕に差し込んだ

「あぁ〜〜……」

液体が注ぎ込まれるたびに、快楽の声をあげた。

注入し終えると、ぺろりと舌なめずりし、滑稽そうに笑った

「……どうだい?」

本当に致死量レベルの薬物であったら、自分には刺さないだろう。

「オーケィ、信用しよう」

ようやく、交渉は終了した

「へへっ、さっそく打たしてもらうぜっ」

我慢しきれなくなった後ろの若者が飛びつき、注射器に液体を詰め、それを腕に刺す

「うあぁ〜〜、効くぜぇ」

快楽に身を浸す男

その腕には、すでに針の先くらいの小さな穴がたくさん空いていた

今までにも回数を重ね、すでに麻薬常習犯となっているのだ

血液に注がれ、脳内に送られてくる快楽は、その身を悶えさせた

「楽しんでるなぁ」

そして続いて、兄貴分の男もそのヤクを刺そうとした矢先――

「あぐぅっ!」

突然、さっきまで身をのけらせていた若者が、ヘンな声をあげた

「どうした?」

「おあっ! う……」

突然頭をかきむしり、行動がおかしくなってくる

「おいっ! おいっ!」

呼びかけるが、その男の目の焦点は合っていなかった

薬物中毒者特有の、幻覚に襲われたときの様態だった

「ごえっ!!」

目が充血し、その場に突っ伏し、びくんびくんと痙攣を起こす

その異常さに、兄貴分の若者は血相を変えた

「これは……どういうことだっ? アンタも同じのを打ったはずだろう?」

と、ガウルンの腕を見た

たしかに、その腕にはさっきの注射針の穴もあいてるし、注射器の中は空になっている

「ククッ」

ガウルンは、愉快そうに笑った

「悪ぃな。俺にはこんなオモチャ、効かねえんだよ。あいにくと麻薬が効かない体質でね」

「な……」

すると、悶えていた男は、ついに血を吐いた

「!!」

それきり、男は吐いた血の上で動かなかった

「うあ……」

兄貴分の男は、恐怖で手が震え、液体を詰めた注射器を落としてしまった

その衝撃で、注射器が割れ、中の液体が床の上でぶちまけられた

その時。ガウルンはかすかに聞こえた別の物音に、ぴくりと反応した

「…………」

音をたてずに、辺りを見回す

ゆっくりと壁に移動し、そこから階下を見下ろした

すると、警官の姿が見えた。三人の警官が、この崩れかけた工場の中に入ってくる

(なぜここに……?)

目につきにくい場所を選んだはずだった。それに、誰も長年使っていない工場だ

それなのに、なぜ?

すると、そこで初めて、怯えている男の手に、懐中電灯が握られていることに気がついた

「てめえ。ここに来るときにライトを使ったのか」

「ひあ……だって、暗闇で見えねえからよ」

「馬鹿が」

次の瞬間、懐から出した銃が、男の眉間を撃ち抜いた

サイレンサーを最初から取り付けており、そのおかげでプシュッと空気の抜けたような音しかしなかった

男は悲鳴を上げる間もなく、どしゃりとその場にくずれ、血の上で動かなくなった

「ったくよ。日本人ってのは警戒意識が薄くって嫌えだよ」

おそらくあの警官達は、ライトの光を見たのだろう

人気のないはずの建物に光を見れば、怪しむのは当然だ

「ずらかるか」

持っていくのは金だけでいい

ガウルンは、ボストンバッグから札束を抜き、裏のポケットに無造作に突っ込んだ

そして階段のほうへ行こうとすると、

「動くな!」

と、ガウルンに向かって声が飛んできた

そして、暗闇から、警官。相良巡査が拳銃を構えて入ってくる

「ククッ」

ガウルンは構わずひるがえし、反対側の階段を駆け下りた

宗介は撃てなかった

まだ目が、暗闇に慣れてなかったのだ。ガウルンの大胆な行動は、それを計算してのことだった

「くそっ」

相良巡査も、後を追う

が、その前に、その床にこぼれていた液体が気になった

小さな水溜りになっていた液体を、小指ですくい、ぺろりとなめた

「…………」

ぺっと、液体を唾液とともに吐き捨てる

(麻薬だな。それも、かなり強力だ)

男の罪状と、正体がいくらか判明し、今度こそ後を追おうと階段に向かった

「おいっ!」

後ろの階段から、クルツの声が呼び止めてきた

「ヤツは下へ逃げた! クルツはそっちから下りていってくれ!」

時間がないので、要点だけ伝えて、ガウルンの下りた階段を駆け下りていく

この建物の階段は、窓側と中央の階段があり、クルツたちは上ってきた窓側から、宗介は中央の階段から追いかける形となった

だが、すでに距離を取られている。まだ見失うほどではないが、すぐには追いつけない

威嚇射撃でもしてやろうかと思ったが、なんとなくそれは通用しそうに思えなかった

わずかに響くガウルンの足音は、階段を下りきり、通路に移った

宗介も急いで一階にたどり着き、足音のするほうへ素早く目を凝らす

その先では、出入り口の扉が半分開いていた

(くそ、外に逃げたか)

すぐにその後を追った

「どっちだよっ!」

窓側の階段からクルツたちが下りてきて、息を切らしながらも聞いてきた

「外に出られた! 追うぞ!」

合流して、すぐに工場を飛び出した

「いた!」

はるか向こうの、もう人気のなくなった通りを走っている

「よぉ、ソースケ。なんだか知らねえが、あいつは犯罪者なんだな?」

「そうだ。ちゃんと確認した」

「よし、オレはまた応援を要請しとく」

「頼む」

クルツは無線機で、応援の要請を告げていく。次第に、足が遅くなっていく

先に、宗介と千鳥がガウルンの後を追う形になった

「見失うなよ」

「ええ、分かった」

相良巡査の指示を、今は先輩の言葉として、千鳥は素直に頷いた


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