明日への銃弾雨が降っていた 小雨ではなかった。まるで映画に出てくるような激しい大雨が、地面を叩いていた そのせいであたりが泥と化し、走るたびに泥がまわりに飛び跳ねる しかし、一人の男はそれを気にする余裕はなかった 天気も悪かったが、その男の置かれている状況も悪かったのだ その男はニット帽を深くかぶり、そして旅行にでも使うような、大きいバッグを抱えている 男は一段と足場の悪い、荒れた道を選んだ。いや、そうせざるをえなかった 「裏通りに逃げたぞっ」 しつこい声だ。その声は破滅に導く。この声をさっさと振り切ってやりたい そのためにも、男は走って、走り回っているのだ だが時間がたつたびに、その声は無情にも増えていく。 その原因は、抱えているバッグにあった そのバッグはかなりの重さとなって、男の走行を鈍らせている ならばそれを手放して逃げればいいのだろうが、そんな考えは頭の片隅にもなかった なぜならそのバッグには、決死の思いで手にした大量の金が詰めてあるからだ 男は銀行強盗だった ついさっきまでそこの銀行で犯罪をおかしてきたのだ そこまでして手にした大金だけは、絶対に放さない 男はそれを赤子のようにそれを大事に抱えながら、必死に走っていた そして狭い通りに横たわったポリバケツを蹴り飛ばし、雨の中を駆けていく 「犯人はナイフを持っている。気をつけろ」 追いかけていた警官たちは、犯人の逃げ道を防ぐため、四散に散った 「くそっ……」 バッグを抱えたニット帽の男は、悪態をついて、体力が尽きてきたのか、裏通りのゴミ捨て場の前で立ち止まった 「くそったれめ……。せっかくの大金を手放してたまるかよ……」 三千万の大金を詰めたそのバッグをなんとかしなければ その場を見回すと、足元はゴミでごちゃごちゃしている ゴミ捨て場のスペースはあるのだが、それを無視したかのように、ゴミ袋で溢れていた 「仕方ねえ。後で取りに来るしかねえか」 男はゴミ捨て場の裏のわずかな隙間に、バッグをそっと押し込んだ 「そんなところに隠しても無駄だ。おとなしく捕まるんだな」 背中から若い男の声がして、ニット帽の男はびくっと身をすくめた。 そして声のほうに慌てて振り返ると、そこには、一人の警官が逃げ道を防ぐように突っ立っていた 「クソオマワリめ……」 ニット帽の男が忌々しげにその警官を睨みつけると、その警官、相良宗介はフンと一蹴した 「抵抗するなとは言わん。どっちみち、無駄なことだからな。クズにはこの場で捕まるのがお似合いだ」 その言いようは、ニット帽の男を刺激するのに充分であった 「……殺してやるっ」 ナイフを構え、不造作に相良巡査に向かって突っこんでくる 「銀行強盗犯の貴様に、救いの道はない」 その向かってくるナイフを下から跳ね上げ、そのまま流れるようにニット帽の男の腕を取って、後ろにまわし、動きを奪ったところで荒く腕を締めた 「ぐあっ!」 そして強く腕を締めたまま、男の身体を硬いアスファルトの地面に叩きつけた 締めたままの体勢で叩きつけられたせいで、その衝撃を吸収できず、そのせいで、男の腕はボキボキとありえない角度に折れていった 「ぎゃああぁぁっ」 折れた腕が力なくぶらさがった。あまりの苦痛に、男は腕を抱え込んで、地面の上をうずくまった 「ふん」 相良は苦しみもがく男を、当然のように冷たい目で見下ろしていた そこに、ようやく担当の刑事が、他の警官たちを引き連れて現場にかけつけてきた 「……っ。またやったのか、相良巡査ぁっ」 犯人のその容態を見るなり、すぐさま相良巡査に向かって怒鳴りつけた だが、相良巡査はしれっと言いのけてみせた 「抵抗したからな」 「〜〜〜〜っ」 刑事は顔を真っ赤にして、唇を噛みしめた。今にもこめかみに浮いた血管が切れてしまいそうだ 「もういいっ。お前はヤジウマが近づかないよう、辺りを封鎖してこいっ」 「はっ」 相良巡査は敬礼すると、他の警官に混じって、人の壁をつくり、人払いの作業に続いた
本部の一角で、課長の役職を持った一人の中年がため息をついた 「……またか。まったく、どうしてお前はそんなに行動が荒いんだ。これで怪我人を出させたのは今月に入って六件目だぞ」 地域課の課長が、相良巡査を呼びつけるなり、ため息混じりに言った 「相手は犯罪者です。犯罪者にしかるべき処置対応を取っているだけのことです」 「しかしなあ……」 そう言って、頭を抱える。これも、毎度のことだ 相良巡査は、こうした手荒い逮捕の仕方に問題視されていた 彼はなぜか、犯罪者に対しては冷酷な対応と、容赦のない攻撃を加える だが正義感が人一倍強いとか、そういうのではないのだ。彼からは何も語らないが、犯罪者に対する強い嫌悪感というものがあるらしい 「もういい。幸い、刑事課の課長が向こうの苦情を抑えてくれたそうだしな。だが、始末書はちゃんと提出しとけよ」 課長の方から折れて、相良巡査は開放された 「はっ。それでは」 相良巡査はそこの本部を出ると、近くの勤務交番に戻っていった
相良巡査が、近くの勤務している交番に入ると、待ってたように声をかけられた 「よぉ、たっぷりしぼられてきたようだな」 と、話し掛けてきたのは机の上に尻をのせ、へらへらと笑っていたクルツ警官だった。 「始末書を書かねばならん。そのデスクから離れてくれ」 「おぉ、悪い悪い」 腰掛けていた相良のデスクから降りると、クルツは近くの椅子にどかっと腰をおろす クルツ警官は、金髪碧眼のアメリカ生まれだ。だが、外人としては珍しく、日本の警官として勤めている 国籍は日本になっているから、日本警察に身を置くことに問題はないのだ そして日本語も、まったく問題はなかった。それどころか、驚くべきことに一般の日本人より、流暢な日本語を使い分けられる それには、かなり幼年の頃から日本に滞在して生活をしていたという経歴があるためだった 語学だけではない。日本に精通した知識も、一般の日本人より豊富だった そして現在、地域課に所属し階級は巡査。同じ部所の相良宗介の相棒でもあった 相良巡査は机の引き出しから、ペンを取り出して、始末書作成に取り掛かった 「それで今月何枚目だあ? ったく、よくやるよ」 「うるさい。それだけ犯罪率が高いということだろう」 「違うだろ……。まあいいや。そんじゃオレはパトロールに行ってくるよ」 クルツは警察帽をかぶると、いつもの日課であるパトロールの準備を始めた すると相良巡査は始末書を作成する手をぴたりと止め、席を立つと、警察帽をかぶる 「待て。俺も行く」 「なに? 始末書はどーすんだよ」 「あとでいくらでも書く時間はある。それよりパトロールのほうが重要だ」 「ったく、変に仕事熱心というか、なんというか……。でもオレはどっちかというと、婦警とご一緒したいんだけどなあ」 「お前はパトロール中によくサボるからな。お前の見張りという意味でも同行しておかんとな」 「ったく……。嫌な監視役ヤローだよ」 渋々クルツも同行を承認し、これから二人で担当地域のパトロール巡回にまわることになった
パトロール。それは、地域の犯罪を未然に防ぐための巡回とされている。 しかし、実情としては地域の人々との親睦を深め、情報源を得やすいようにするのが主であって、滅多に犯罪現場に出くわすことは少ない 「……の、はずなんだがなあ……」 パトロールの途中、地元の小さい銀行の中から、ドゥンと、銃声が聞こえたのだ。 そして、かん高い悲鳴とともに、銀行の中から逃げ出す人々。広まっていく喧騒。 その状況から見て、まず銀行強盗事件と取れた 「おいおい、さっきのと別の銀行とはいえ、今日でもう2件目かよ」 「この天候の悪さだ。それが犯罪心理を掻き立てているのかもな」 「刑事はまだ来てねえみてえだな」 「よし、行こう」 ずかずかと大胆に、銀行に近づこうとする相良巡査を、クルツは慌てて腕を掴んで止めた 「ま、待てよ。まずは無線で状況を報告して、他の署員たちを要請しなきゃよ」 「だったらそれはお前がやってくれ」 「ああ、そうするよ。……って、だからおめえはどこへ行くんだっての」 「こうしてる間にも事件が進展し、被害が広がる。とりあえず俺は状況を確認してくる」 「刑事が来るまで余計な手出しはすんじゃねえぞ?」 「分かっている」 「…………」 信用したわけではない だが、とりあえず職務を果たさねばならないので、クルツはその腕を放し、無線のある場所にへと走っていった 「さて……」 一人になった相良巡査は自分の銃を検討し、それからゆっくりと銀行に近づいた あの銀行の窓から、中の様子が探れそうだな 慎重に隅からそうっと顔を出し、中を確認してみる その銀行内では、数人の銀行員とすぐに逃げ出せなかったお客たちが、腕を頭後ろに組んだ状態で座らされていた。 そして、その人質をまわりに配置させ、その中央に猟銃を構え、少しでも顔を隠そうとしてるのか、口を手ぬぐいで巻いて隠している中年男がいる。容貌からして、あれが犯人だろう 「ふむ……」 人質の配置はそれぞれバラバラで、散漫的だ。それにあの構え方や動き……犯人は素人だな。それにこれが初めてで慣れてないって感じだ 「ただ、人質の存在が邪魔だな……」 ひとかたまりになってるならともかく、あんな不規則な配置では、むやみに発砲すると間違って人質に当たってしまう 中にいるその犯人は、どこかイライラしていた 今までのやりとりは分からないが、どうやらあまりスムーズに進めてないらしい じーっと、バッグに金を詰めている銀行員を睨みつけている まるでその作業一つ一つに神経を使い減らしてるみたいだ 「まわりがあまり見えてないな……。少し強行に出てもよさそうか」 見つからないよう、頭を下げたまま銃口を下に向けて銃を構え、銀行の入り口へと移動していく そうして入り口付近にたどり着いたところで、改めて銃を胸元で構えた 「ひいっ」 突然、騒ぎを聞いて銀行の近くに集まっていた通行人の中の一人が、こっちの銃に気づき、余計な悲鳴をあげた この状況と、近くでいきなり初めて本物の銃を見たことで、反射的に驚いたのだろう。どちらにしろ、このタイミングは最悪だ……。 その悲鳴は犯人の耳にも届いてしまったらしい。 彼は過敏に反応し、銃口の先を人質から入り口に切り換えた 「なんだ今の声はぁっ? 誰かそこにいやがるなあっ!」 その男は緊張が高ぶっているせいか、息が荒く、汗でべっとりとしている (マズイな。逆上した犯人がどうでるか) すると男は猟銃を銀行員たちに向けて、大声で怒鳴った 「てめえら、もたもたしやがって。サツ呼びやがったな! ちくしょう!」 まだパトカーのサイレンすら鳴っていないというのに、すっかり強盗犯は取り乱している すると、犯人はきょろきょろと人質達の顔を見回す 「よし、てめえ、立て!」 人質の一人が指されて、ゆっくりと立ち上がった その人質は、みんなと同じように腕を頭後ろに組んでいる。 紺色のスーツの格好をした、肩まで黒髪がかかった女性だった。ほっそりした、線の薄い顔だちをしているが、しまりがある 「よしよし、姉ちゃん。そこに立ちな」 男の少し前に、その女性が立たされると、その背中に猟銃をぐいっと押し付けた そうして前面の安全が確保できると、犯人は下卑た笑みを浮かべて、入り口に向かって叫んだ 「そこにいるのは分かってるんだ、出てきな。でねえと、人質の命はねえぞ」 「…………」 相良巡査は銃を握ったままゆっくり立ち上がって、男の正面に出て姿を見せた 「へっ、やっぱいやがったか。こっちには人質がいるんだぜ。さあその銃を床に置け」 男がその警官に命令した だが、相良巡査は構わずに、銃口を上げ、照準をゆっくりと合わせていく その動作に驚いた犯人が、怒り気味に叫んだ 「てめえ、何やってんだ! 人質がどうなってもいいってんのか?」 「…………」 それでも宗介は、照準をゆっくり動かし、それを男の額に合わせようとする だが、偶然なのか男の姿は意外と巧みに、人質の女性に隠れていた 「ち……」 これではうまく狙い撃てない。仕方なく、宗介は銃を下ろした 照準から外れたことで、犯人はいくらかホッとしてみせてから、また繰り返した 「その銃を床に置けってんだよ。さっさとしろっ!」 乱暴に人質の女性の背中を小突いてみせた その時だった 銃で背中を小突いた瞬間、突然人質の女性が振り返り、その猟銃の銃筒を掴んだのだ 「こんな長い銃なんて、懐に飛び込めば意味ないわよ」 そして上手く銃口を逸らし、ひねり、犯人の手から銃身を奪い取ってみせた 「てっ、てめっ」 いきなり銃を取り押さえられ、男の怒りが爆発し、その女性に襲い掛かった が、その手が女性の肩に触れる瞬間、ふわりと男の身体が宙に舞った 女性が犯人の足を掛け、犯人の勢いを利用して、華麗に男を投げたのだ 「ぐあっ!!」 床に叩きつけられ、受身も取れなかった男は、その痛みに顔をしかめた 「な……」 この思いもよらなかった展開に、相良巡査も呆気に取られる その女性は、犯人の背中を膝で押さえつけ、腕を後ろに取り、うまく関節を押さえて動けなくさせた 「ほらほら、あなた警察官でしょ? 手錠をかけてよ」 「あ? ああ……」 言われて、相良巡査は手錠を取り出し、犯人の後ろ手にガチャリとかけてやった そこでようやくパトカーのサイレンが聞こえてきた。 しかし、遅すぎる。 その刑事たちが銀行の中に入ってくると、宗介はさっそく犯人を引き渡した その刑事は拍子抜けしたようなツラで、その身柄を確保し、さっさと署に戻っていった 数人の警官が始末のために残り、銀行の騒ぎも収まってきたところで、さっきまで人質だった女性がこっちに近づき、耳元で怒りのこもった声で聞いてきた 「あなた、どういうつもり?」 「なんのことだ?」 「とぼけないで。さっきあたしが人質に取られたとき、犯人の指示に従わずに、銃を犯人に向けたでしょ。どういうつもりなの? ひとつ間違ったらそこで人質の命が失われるところだったのよ!」 「だが、君は助かった」 「結果で語らないで。あなたの応対には問題があるわ」 すると、相良巡査は女性の詰問にうんざりしたのか、さっさと言い放った 「……俺があそこで撃たずに犯人に逃げられるよりはマシだ。あそこで人質を撃ったら、後の判決でその分の罪を積み重ねてやればいい」 その言葉を聞いて、女性は目を丸くした まったく予想外の答えが返ってきたことに、戸惑いを隠せなかったようだ 「あなた……それ、本気で言ってるの?」 「…………」 相良巡査は答えない その沈黙をイエスと受け取った彼女は、ぴしゃっと相良巡査の頬をひっぱたいた 「信じられない……」 それだけ言うと、くるりときびすを返し、入ってくる検査官と入れ替わりに、銀行を出て行った 「…………」 相良巡査はひっぱたかれた頬を押さえて、かったるそうにため息をついた それからいつものようにその場の後片付けという処理を手伝うことになった
泉川署本部に戻ると、課長のところがなにやらにぎやかだった 地域課の課長が、知らない女性と話しているようだ 「課長。さきほどの銀行の件の報告書です」 そう言って書類を前に差し出し、さっさと出ようとすると、課長が呼び止めてきた 「ああ、相良巡査。ちょっと待ちたまえ」 「なんです?」 近くの交番に戻ろうとした宗介は、足をとめ、振り返った 「紹介しよう。新しくここで働くことになる、新人警官だ。なかなかのエリートだぞ。階級は警部補だ。千鳥かなめさんという」 と、さっきまで横で談笑していた女性を紹介してきた その女性の顔を見て、宗介は驚いた その女性とは、さっきまで銀行で人質にされた、あの気の強い女性だったのだ 向こうも俺の顔を見て気づくと、驚き、そして露骨に嫌な顔をしてみせた 「……どうした? 名前を……」 「あ、はい」 課長に促され、その新人警官はびしっと敬礼してみせた 「これから泉川署でお世話になります、千鳥かなめです」 『よろしく』は付け加えずに、言ってやった 「…………」 頭が痛くなってきた。 まさか、さっきまで強盗事件の人質にされていた人とまた会ってしまうとは あの時はまだ警官に着任してなかったわけだから、一般人ともいえるのだろうが。だが、婦警志望の女性が人質として囚われてたことになるとはな あれこれ考えを巡らしていると、課長が千鳥の肩をポンと叩いた 「千鳥くん。こちらは相良宗介巡査だ。君が勤めることになる交番は、彼と同じでね。丁度いいから一緒に連れて行ってもらいなさい」 「え?」 二人同時にハモって、驚いた 「課長。この……千鳥さんが、なぜ交番に?」 相良巡査の質問に、課長は眉をしかめた 「警部補といっても、まだ新任だ。研修ということで、新人研修期間中はお前の交番に勤めてもらうことになるんだ」 「……分かりました。それでは連行します」 「連行じゃなくて、案内だろう。言葉には気をつけなさい」 「はい。……では、行こうか」 課長の手前、初対面同士のフリをしてその女性の横に並んで、交番へと向かった
まわりに誰もいなくなると、横にいた彼女が憂鬱なため息をついた 「……警官だからもしかしてとは思ったけど、本当にあなたと同じ交番に勤めることになるなんて……最低」 「…………」 俺もだ、と言おうと思ったが、面倒なのでそれを口に出すのはやめておいた 「しかし、新任していきなり警部補とはな……」 「あたし、東大出なんです。それに国家公務員T種、合格してますから」 警官学校の前の大学が、東大か 「キャリア組ってわけだ」 それは嫌味ではなかった。素直に感心から出た言葉だった だが、千鳥はそうとは受け取らなかった 「ええ。野蛮なあなたとは違ってね」 銀行の件のことを言っているのだろう。 宗介は苦笑してから、交番の前で立ち止まった 「……ここだ」 「けっこう近いとこにあるんですね」 この交番は、泉川署本部からそんなに離れない位置にあった 「ああ。近いほうがいろいろと都合がいいんだろうな」 「ふうん……」 だが、特に関心は示ず、これからお世話になる交番の中に、初めて足を踏み入れた
「よお、おそかったな。……って、ソースケ。なんだその美人婦警さんは?」 今、千鳥はあくまで新人研修中なので、警官の地域課の制服を身につけている。 紺色を基調とした、おなじみのデザインだ。 一目で婦警と分かるような、配慮がなされている 「え……? 外人さん?」 いきなり警官の格好をした外人が出迎えてきたことに、千鳥かなめは戸惑った 「ああ、珍しいだろう。なかなか見れるものではないぞ。ありがたんでおくといい」 「おい、ソースケ。オレを珍獣かなにかみたいに言うんじゃねえ。ま、これでも日本の国籍は取ってるから、立派な日本警察官さ」 「あ。ごめんなさい、そういうつもりじゃ……」 「いーっていーって。で、どしたの? ここの交番に何か用?」 「わたし、これから研修としてこの交番に勤めることになったんです」 そのかなめの言葉を聞いて、クルツは今にも飛び上がりそうな勢いで歓喜の声をあげた 「やりぃ! こんな美人婦警さんと一緒に勤めれるなんて……ああ、幸せの春がやってきたぜ!」 「……警部補の千鳥かなめです。よろしく」 びしっと敬礼して、きっぱりと言った。 「け……警部補?」 その言葉で、足取りがぴたりと止まった 「ええ。まあ正式には、この研修が終わってからですけど」 「研修? で、いきなり警部補、ね。エリート出ってことか」 それだけではなかった。 警察庁によって採用される『国家公務員T種試験合格者』は九ヶ月間の警察署での実務を終えた後、自動的に警部に昇進するのだ それほど国家公務員T種試験は難関なものであり、しかしそのキャリアを手にした者は、高い道のりが約束されている エリートコースの典型的な道というわけだ 「おまえより階級が上だ。手を出せる相手ではないぞ」 「く……くそ」 宗介の付け足した言葉に、クルツは本気で悔しがりだした 「…………」 その本気で悔しがるクルツのリアクションを見て、かなめはまたもやため息をついた (この人がどういう人なのかなんとなく分かってきたわ。……この人たちと組んで、まともな研修期間を過ごせるかしら……) 「あ、こっちも名乗らなきゃな。オレはクルツ・ウェーバー。階級は巡査。日本の国籍をとってるから、見かけは金髪の外人でも、イチ日本人ってーことで。日本人としての名前もあるけどよ、クルツって呼んでくれ。大好物は納豆な」 (納豆が好物って……) 外人が日本警察に属せる条件は、日本の国籍を取っていること クルツはそれをクリアしていたので、日本警察として働いているのである 「ええと、日本人としての名前はなんていうの?」 すると、クルツから急に陽気さが消えた 「……とにかく、クルツって呼んでくれりゃいいよ」 「は、はあ……」 なんだか分からないけど、あまり好きじゃない名前かもしれない。 まあ、クルツさんでいいか 「俺はこれから書類作成の続きに取り掛かる。聞きたいことがあるなら、クルツに聞いてくれ」 相良巡査はそれだけつれなく言うと、自分のデスクに座り、その作業にかかった 「……ええと」 「なんでもいいって。今は暇だからさ。じゃんじゃん聞いてきてよ」 「ええ。でもここって、本部とあまり離れてないのね」 「ああ、近いだろ。だから気軽に呼ばれるんだけど、こっちとしてはたまらねえっての」 「呼び出し? 問題を起こしたときとか?」 「まあそれもあるけど、主に手伝いに呼ばれるんだよ」 「手伝い、ですか? 地域課の仕事以外もやらされるってことですか?」 「ああ。本部は人材不足が悩みでさ。他の課の人を借りて手伝ってもらうんだけどよ、この地域課のオレたちも頻繁に引っ張りだこにされるよ」 「へえ、そうなんですか」 「んでよ、相良のやつが特に助けを求められたりしてな。あいつも大変だよ」 「え?」 「ん?」 疑問を疑問で返され、千鳥は数秒待ってから、改めて疑問をぶつけた 「あたしがいうのもなんなんですけど……あんな野蛮な人に協力を要請するんですか? ……よほど人材不足が深刻なんですね」 千鳥の意見を聞いて、クルツは思わず笑ってしまった 「はは。でもああ見えても、検挙率は刑事課を無視してナンバーワンだからな。こと格闘においては、かなりの実力者だからな」 「あら。わたしも警察学校では柔道強かったわよ」 「柔道ね。あいつは逮捕術が強いんだ」 警察の武道は、3つある 柔道と剣道、そして逮捕術 逮捕術というのは、防具をつけて素手で戦う実践的な格闘技のことを指す つまり、犯人の攻撃をかわし、武器を奪って、倒して制圧、身体の自由を奪って逮捕し、連行という一連の動作のことだ その目的は相手に与えるダメージを最小限にしつつ逮捕することにあるのだが、宗介はその点が違っていた ひどく荒いのだ。最小限どころか、最大限のダメージでねじ伏せるスタイルだった なので警察学校ではあまりいい評価はもらえてなかったが、実戦ではまずトップクラスの実力だということで、一目置かれていた 「まあ、とにかくそんなわけで、逃走した犯人を捕まえるときとかに手伝わされてるんだ。もっとも、所詮はお手伝いの身分だから、捜査権も逮捕権もねえけどな」 「でしょうね」 刑事課に協力しようとも、所属しているのは地域課だ。 いくら協力しているからといって、その権限まで持っているわけではない あくまでも、逮捕の支援役というわけだ 「…………」 「まあ、確かに野蛮ってとこはあるけどな。あいつ、なんでか犯人に対しては容赦がねえんだよなあ。それで問題が絶えねえんだけど」 「犯人だけじゃないわよ」 「なにが?」 「あの人、被害者に対しても最低よ」 「なんでそう言い切れるんだ?」 「だって……」 千鳥は、さきほどの銀行の一件について説明した。千鳥が人質に取られたとき、宗介がどういう対応を取ったのかも その説明をひととおり終えても、クルツはまだ納得していないようだった 「……なんか確信があったんじゃねえか? 人質を絶対に撃たない確信とかが」 「絶対にそれはないわ。犯人の命令に逆らったのよ。あれは下手すれば人質の命が危険にさらされてたわ」 「……それ、本当か?」 「本当よ!」 「…………」 さすがにその言葉には動揺するだろうと、千鳥はそう確信していた だが、それでもクルツは少し考える仕草をしてみせただけだった 「分かんねえな。とにかくあいつは、不必要に人質を危険な目に合わせるようなやつじゃないよ」 「信じないの? ……同僚をかばいたくなる気持ちも分かるけど、現実を見たほうがいいわよ」 厳しい指摘だった。だが、間違ってはいない むしろ正論なその指摘に、クルツはただ苦笑いしてみせるだけだった
|