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空手野郎のロスト・アーチクル


作:アリマサ

「おのれ、相良め……」

バンダナを巻いた小柄な少年、椿一成は憎々しくつぶやいていた。右手に紙を持って、陣代高校の玄関に向かっている。

彼が握っている紙には、大きく『果たし状』と書かれてあった。

またも相良宗介に決闘を申し込み、今度こそ決着をつけたいと思っていたのだ。

彼は一度宗介と戦って、不覚とはいえ敗北している。だが彼はそれがいまだに納得できなかった。

「だが、今度ばかりはオレが勝つ。この日のために、わざわざ滝の名所に行って修行してきた。そして、そこで新しい必殺技をついに生み出したのだからな」

握りこぶしをわなわなと震わせ、つらい冬休みを回想する。



――木枯らしの吹く寒い冬休み。椿一成は今回のバイトを断念し、修行にあけくれていた。

その修行は、白い衣一枚だけで滝の下で水にうたれるというものだった。

近くの寺の修行僧がそれを見て『やめなさい。それは冬はやってはいけない。危険だ』とよく忠告してくる。

しかし、一成はその度に『鍛えるんだ。強くなるんだ。だから邪魔しないでくれ』と突っぱねていた。

修行僧は『その修行は鍛えるんじゃなくて、心を静めるためのもんなんだけどねえ』とつぶやいていたが、それは滝の音にかき消された。

そしてついに、椿一成という直線バカはあまりの寒さで気を失ってしまった。だがそんな彼に奇跡が起きた。

ぼんやりと薄れていく意識の中で、どこからかあやしげな老人があらわれて、一成に話し掛けてきたのだ。

その老人は長い白ヒゲで白を基調とした着物を着ている。仙人のような風体である。

『お前のようなバカは初めてじゃ。このままでは本当に死んでしまうので、なにか必殺技を伝授してやろう。だから早く帰りなさい』

そして老人がなにかを唱えると、一成の体が光に包まれた。その光は一瞬で消えたが、これでもう一成になにかの必殺技が身に付いたらしい。それだけ言うと、老人はすうっと消えていった。

一成は『必殺技を伝授してやろう』としか聞き取れていなかったが、とにかくこの修行で得たものがあったとだけは分かった。

そして修行僧が呼んでくれた救急車の中で、『やったぜ、へへ。必殺技だぁ』とうわごとのようにつぶやく。救急車に同乗してくれた修行僧たちは、それを聞いたとたん『南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏』と必死に祈りはじめた。

運ばれた病院で十時間という長い大手術を受けた一成は、なんとか一命をとりとめることに成功した。

医者いわく、

『危なかったね。もう少し遅くなってたらもう助からなかったかもしれないよ。まさに奇跡だ』

とのことだった。一成は、息も絶え絶えに医者の手を取ってうれし涙をぶわっと流す。

『先生っ。どこかのじいさんが、オレに必殺技を伝授してくれたんです。寒い、寒い世界で一筋の光がさしたんです』

『そうか。君の亡くなられたおじいさんに会ったのか。必殺技がなんなのかわからないが、三途の川を渡らなくてよかったね』

会話は成立していないが、お互いうれしそうにうなずき合った。



かくして、奇跡の生還を果たした椿一成は、冬休みが終わるとさっそく相良に決闘の申し込みをすることにしたわけだ。

「さて、相良の奴の靴箱はどこだったか」

玄関の前までくると、宗介の靴箱を探しはじめる。端の方にあるのを見つけた。なぜか、その辺りだけ黒くすすけている。

「こいつの場合、中に入れておくと爆破しちまうからな」

一成は画鋲を取り出し、果たし状を重ねて靴箱の前に貼り付けた。『果たし状・椿一成』とよく見えるように。

「こうしておけばすぐ分かるだろう」

これであとは放課後、決闘の時間まで待つだけだ。

今はまだ午前中なので、とりあえず残りの授業のために自分のクラスに戻る。

その途中、廊下の曲がり角にさしかかると、突然女が一人正面から激しいタックルをかましてきた。

「うおっ」

その不意打ちをまともに食らって、突き倒された彼は、すぐに身を起こして相手を睨む。

その相手もひっくり返っていた。おかっぱセミロングの髪の少女。恋愛になると暴走する稲葉瑞樹だった。

「またお前か……」

一時期は宗介と一成のラブ疑惑が噂になったこともあったが、それが誤解だと分かると、またもアタックを再開していた。

瑞樹は頭をさすって涙目になって言う。

「いたたた。いたーい。頭うっちゃった……っていうか、むしろ頭蓋骨骨折?」

「なに言ってんだ、お前は」

「はっ。また会っちゃった。やっぱあたしとイッセーくんは運命の赤い糸で結ばれてるのね」

「そのセリフは何万回目だと思ってんだ? ……ったく」

ポンポンと埃を払って立ち上がると、さっさと女から離れようとする。しかし、その足に瑞樹がしがみついて離れない。

「ちょっと、人の頭割っといて放っておく気?」

ジト目で見る瑞樹に、一成はうんざりしたように強引に足をふりまわす。

「離せ。またそうやってだまそうとしてんだろうが」

「ううん、そんなことない。もう頭が砕けちゃったよぉ」

と、ぶんぶんと首を横にふる。

「思いっきり頭動かせてるじゃねえか」

強引にその手を引き剥がし、その隙にさっさとその場を逃げ去った。



二時間目の授業。

黒板に問題を黙々と書いていくバーコード頭の教師。その後ろでは生徒たちが、がやがやと騒いでいた。

一成はというと、机に突っ伏して豪快に居眠りをしている。

そして教師が問題を書き終えると、椿一成をさす。

「おい、椿。この答えはなんだ?」

「んあ?」

夢の世界から引き戻された彼は、とりあえず黒板に書かれた問題を見ようと、メガネを探す。

「……あれ?」

いつもしまってる裏ポケットをまさぐってみるが、手ごたえがない。

仕方なく上着を脱いで、隅々まで探す。しかし、出てくるのはティッシュ、財布、バンドエイド、目薬……。やはり見当たらない。

(うそだろ? 大事なメガネがなくなっちまった!)

いきなりのメガネの紛失に慌てる一成。一方教師はいらいらして、しだいに怒鳴り口調になった。

「どうした椿、早く答えんか。これくらい簡単だろ。早く誰なのか言え」

「え……ええと、その。……イエス=キリストかな?」

適当に答えておくと、クラスメートたちがどっと笑いだす。

そして教師はあきれたように、ため息をついた。

「お前なあ。日本統一を成し遂げたのが外人で、しかも救世主か?」

みんなの笑いものにされ、一成は真っ赤になって身をすぼめた。

そしてメガネがなくなったことに狼狽する。

(くそ、メガネはどこいっちまったんだ?)

ゆっくりと、今日のことを思い巡らす。

思い当たることといえば……そうだ、あの稲葉とかいう女とぶつかった時だ。

(すぐに探しに行かねえと)

「先生!トイレ行きてえんで、いいか?」

聞こえる程度に叫ぶと、返事を待たずに席を立つ。

「ああ、早くしろよ。イエスの加護があるようにな」

先生のからかいを背に、素早く教室を出て、例の廊下まで走っていった。

しかし、

「……ない」

隅々まで探してみても、どこにもオレのメガネはない。

この状況に、一成は深刻に悩んだ。

すぐに眼鏡屋に行って買えばいいのだが、この冬休みはバイトをしていないので、新しいメガネを買うための金はほとんどなかった。

それよりもまずいのは、この日の放課後に相良宗介と戦わねばならないことだった。

あの男には、万全の状態で戦わねば勝てないことは、よく分かっていた。だがこんなにぼやけた視界では、必殺技を彼の急所に当てるのは至難の業だ。とてつもなく不安である。

(なんとか決闘の時間までにオレのメガネを探さねえと)

もうすぐ昼休みだ。早いところ見つけ出さなければならない。

焦る気持ちを抑え、とりあえずトイレにかけこんだ。



そんなわけで昼休み。

まずはあの稲葉瑞樹に聞いてみることにした。気が進まないが、まず普通に考えて、あの女が持っている可能性が高いからだ。

瑞樹のいる二組の教室に来ると、彼女はクラスメートと談笑していた。

「おい、女。さっきの事だが」

彼女は突然会話の邪魔をされて不機嫌になったが、一成と分かるとうれしそうに微笑んだ。

「あっ、イッセーくん! どうしたの。今からわたしの愛妻弁当を持ってそっちに行こうと思ってたのよ」

「なんで愛妻弁当なんだっ!」

またも彼女の図々しさに一成は声を荒らげる。だが瑞樹はそれをあっさり聞き流し、ぽっと頬を赤らめた。

「もう、照れないでよ。わたしたち、将来を約束した仲じゃないの」

「いったいいつ、そんな約束があったんだ……?」

肩を小刻みに震わせ、否定する一成。そんな彼をうっとりと見つめる瑞樹。

そんな二人を遠くから、クラスの一同が面白げに眺めていた。

(夫婦げんかかよ。ったく見せつけてくれるねえ)

(椿くんも結構その気あるんじゃない?)

(瑞樹ちゃんの猛烈アタックにまいったのかねぇ)

などとあちこちで無責任にささやきはじめる。

それが一成の耳にしっかりと入り、赤くなる。彼はさっさとこの状況から抜け出そうと、用件を切り出した。

「さっき廊下でぶつかった時にオレのメガネがなくなっちまったんだ。知らないか?」

瑞樹はそれに対しては、ぽけっとした顔で首を横に振った。もう一度聞いてみるが同じだった。どうやら本当にメガネのことは知らないらしい。

「そうか……。それならいいんだ。邪魔したな」

きびすを返し、さっさと教室を出て行こうとする。すると瑞樹があわてて呼び止め、鞄から弁当を取り出した。

「これ、食べて。今日は忙しいみたいだから一緒に食べるのは我慢しておくね」

ピンク色の弁当箱が渡される。

「あ、ああ」

いつもなら女からの手作り弁当など受け取らない彼だったが、以前瑞樹の弁当のおかずを台無しにした際、千鳥かなめから『女の子からの手作り弁当は、だれからであってもちゃんと食べてあげなさい』と言われてから、しぶしぶながら素直に食べるようになっていた。

一応しぶしぶということにしているが、実は経済の苦しい彼にとって、栄養たっぷりの弁当というのは非常に助かっていた。

そんなわけで、こればかりはありがたい気持ちで受け取るようになっている。

うるうると瞳をうるませて見送る瑞樹をあとに教室を出ると、その弁当を眺めながらため息をついた。

(千鳥からもこういう弁当をつくってくれねえかな)

それならたとえ周りから『愛妻弁当かよ?』とからかわれても悪い気はしない。

だが、こともあろうにあの相良という野郎に、時々手作り弁当を届けているという噂が流れている。しかも……それだけではなく、千鳥の部屋に上がりこんで夕食までいただいているという噂までっ!

そんな噂を耳にするたびに、彼はひどくいたたまれない気分になってしまうのだった。

「相良にだけは、絶対に負けん。そのためにも、メガネは必要なのだ」

メガネを見つけ出す決意を一層強める。

その時、腹の音が『ぐー』と空腹を知らせるように鳴った。

そこでちょっと手元の弁当が気になり、中を見てみようと箱を開ける。

そこにはタコさんウィンナーに、卵焼き。肉団子に栄養満点のブロッコリー。そして御飯の上には『I LOVE YOU』と書かれたハートマーク。

だれがどうみても、愛妻弁当であった。



一人こっそりと弁当を食べ終えた一成は、あの廊下の近くの教室から探していくことにした。

一番近いのは、美術室である。

ノックして中をのぞくと、水星先生が一人キャンパスと向かい合って苦悩していた。

「あの、先生。この辺でメガネ落としちまったんだけど知りませんか?」

「ん? 私の混交した一対の空間にホーテのごとく入り込む君は誰かね」

キャンパスに描かれた絵から目を離し、一成を見る。作業を邪魔されたことに機嫌を損ねたようで、眉間にしわがよせている。

「へ? ああ、オレ八組の椿です。この辺でメガネを落としたんだけど知らないか?」

「メガネというと、自我を強調せざるをえないラジックのかかった器具のことかね?」

「……よく分かんねえけど、まあそれです」

「それをどうするつもりなのかね」

「どうって、メガネ無いと見えねえから……。今も先生の顔がはっきりしねえし」

この一成の返答をどう解釈したのか、いきなり水星は動揺して彼から離れ、驚愕したように肩を震わせる。

「な……なんということだ」

「あ?」

なぜか水星はこれから殺されるとでもいうような悲痛な悲鳴をあげた。

「こ……ここにも私のモラルの破壊を企むサディストが名乗りをあげた。かくも葛藤をたずさえた混沌のカオスのごとく、我が秩序を吸い込むホールのように。存在の否定を有無するガリオスが(中略)というハリスの象徴にあらわれ(中略)真意とするつもりなのか」

「……なに言ってるのか分かんねえよ。メガネは知ってるのか?」

その質問に答えようとしてるのか、水星はふと天井を見上げた。

「肺道を貫くガラスは音速を超えて旅立った。しかるに闇牢に閉ざれた記号は(中略)を覆い隠すように消えていく」

「……知ってるのか知らねえのかだけ答えてくれ」

「真意を求めたゴッドは光をたずさえ、古代の核をあらわした。歪められた天秤がかもしだす幻影の(中略)諌めたウィロウが(中略)破滅したのだ」

ばきっ!

一成の拳が、水星を一瞬にして沈黙させる。水星は数枚の絵の上にばったり倒れると、そのまま動かなくなった。

「いっ、いけねえ。なんだかつい……。まあ、とにかくここにはなさそうだな」

静かになった美術室を出て、他の場所を探すことにした。



「ううむ……」

相良宗介は、自分の席で、目の前の物をどう対処すべきかについて悩んでいた。

「どしたの? ソースケ」

その様子が気になった千鳥かなめが、宗介にたずねた。

「実はさっき、むこうの廊下にこんなものが落ちていたのだ」

そう言って、黒縁の分厚いメガネをかなめに見せた。

「ふうん。……どっかで見たような気もするけど。落し物ならさっさと遺失物回収箱のトコに置いてきたら?」

「いや。誰がこれを落としたのか確かめたいのだ」

「それはまた、どうして?」

かなめがたずねると、宗介はメガネを慎重に机の上に置く。そしてそれをじっと眺めて言った。

「これを落としたのは意図的かもしれん。なにかを伝えるためにな」

「どういうこと?」

「つまりダイイングメッセージだ。落とし主は死ぬ間際にこれを残し、安全保障問題担当のこの俺に犯人を教えたかったのかもしれん。だが、近くに死体はなかった」

真剣に聞いていたかなめは、肩をがっくりと落とした。

「この学校で殺人事件なんか起きてないわよ」

「犯人が巧妙に隠したのかもしれん」

まったくもってこういうことには頑固な男である。

「……あたしが爆死するときはあんたの髪の毛でも握ってるでしょうね」

「なにを言うんだ、千鳥。冗談にしても言いすぎだぞ」

(あまり冗談というわけでもないんだけど)

だが、このかなめの心のつぶやきを声に出すのはやめておいた。

宗介は気を取り直して、話を戻す。

「とにかく、持ち主が行方不明にでもなったのかもしれん。今から俺は、生徒たちに聞きこみをしてくる」

「面倒くさいことするのね。ま、あんたにしちゃめずらしく人様の役に立とうとしてるからいいけど。いいわ、あたしも手伝ってあげる」

「いいのか?」

「うん。どうせ暇だし」



一成は腕を組みながら、廊下を注意深く歩きまわっていた。

だがその階の廊下や教室を全部調べても、メガネは結局見つからなかった。

「いったいどこいっちまったんだ」

そしてまた別の階に行こうとして階段に向かうと、そこから宗介が千鳥と並んで歩いてきた。

(まずいっ)

すぐに隠れて宗介をやり過ごす。その彼がメガネを持っていることに気づかないまま。

今あいつに会うのはまずい。鉢合わせになると、その場で決着をつける状況になってしまうかもしれない。

(しばらくあいつからは離れておこう)

彼は宗介とは反対に、一階に下りていった。

いそいで中庭まで走ると、ほっとしたようにひと息つく。

「ふう、危なかったぜ」

そんな一成の前を、たまたま用務員の大貫善治が通りかかった。

彼は『げげっ』と驚き、すぐに近くの木に身を潜めようとしたが、向こうもこっちに気づいてしまった。

大貫は一成を目にしたとたん、くわっと大きく目を見開き、

「おぉ……」

たちまち目の色が変わり、いつもの穏やかな顔つきが険しく豹変する。

普段生徒たちには優しい用務員なのだが、ある事件以来、相良宗介と椿一成を見かけたとたん、狂暴化して彼らを追いまわすようになってしまっていた。

大貫はどこからかチェーンソーを取り出し、エンジンをかける。

ぶるおおぉぉん。

そしてぎざぎざ鋸がなめらかに回転を始める。

「ちょ……ちょっと待て」

青くなって一歩、二歩と後すざる。

大貫は逃がさないように高く跳躍し、チェーンソーを一成めがけて振り下ろす。

「わしの愛しき鯉、カトリーヌの仇いぃぃっ!!」

「いやあぁぁあぁぁあっ!!」

スプラッタホラー映画顔負けの悲鳴がこだました。



「……ねえ、ソースケ。今なんか悲鳴みたいなのが聞こえなかった?」

かなめが眉をひそめる。だが彼は深く考えもせず、

「気のせいだろう。それよりこっちのほうが重要だ」

「でもほとんどの生徒たちに聞いてまわったけど、だれも自分のじゃないって言ってるじゃない」

もうすでに二人とも全部の校舎を歩き回り、すれちがう生徒たちに聞きまわっていたが、収穫はなかった。

「うむ。俺もそこが気になる。もしかしたら、この持ち主はここの生徒ではないのかもしれん」

「へ?」

「テロリストの仕業かもしれん。普通に考えて、これは発信機の可能性が高いな。もしくは時限爆弾、あるいは秘密書類の隠し道具か」

宗介の想像力によって、ただのメガネが次々と普通では考えつかない物騒なものにされていく。

「得体の知れないものは、爆破処理に限る」

けっきょく最後にはこうなるのだった。



一方、中庭の一角では気絶した用務員と、腕や頭から血を流してぼろぼろになった椿一成の姿があった。

「はあっ、はあっ。……やった」

どれだけ殺人拳を叩き込んでも効かない用務員に、隅にまで追い詰められてしまった一成は、そこで初めてとっておきの必殺技を発動した。その必殺技の威力で、ついに用務員を倒せたのだった。

「やったぜ。この用務員を倒せるとは……。間違いない。この必殺技は無敵だ」

これならあの相良も、この必殺技で倒すことができる。視力が戻れば、さらに確実なものとなる。

一成はそう確信をもって、自分のクラスに戻っていった。あと探していない教室は、そこだけなのだ。

階段を再び上がって自分の教室に入ると、なぜか窓側に人だかりが出来ていた。そしてだれもかれもが、身を乗り出すようにして外の様子を見ている。

「おい、どうかしたのか?」

クラスの男子生徒にたずねてみると、その男子はどこか楽しそうに笑った。

「ああ、また四組の相良のやつがなんかやるらしいぜ」

「ほう?」

隅の方からこっそりと外を覗いてみる。

運動場の隅が、黄色のテープでぐるりと張り巡らされている。事件現場のような風景だ。

テープには立入禁止と書いてある。その真ん中に相良がいた。

「今度は何する気なんだ?」

おごそかにたずねると、男子も首をかしげる。

「さあ。なんでも不審なメガネを見つけたんで爆破するとか。なんっつーか、そのメガネの持ち主も気の毒だよなあ。ははは」

と男子生徒は他人事のように笑い飛ばした。が、相手はすぐにいなくなった。慌てた様子で瞬時に教室を走り去ってしまったのだ。

宗介のほうは、生徒たちを遠ざけてから、メガネにプラスチック爆弾を塗りつけたところだった。そして彼もその場から離れて、まわりに注意をした。

「もう少し離れていろ。今から爆破する。カウント3――――」

そのおり、勢いよく運動場に一成が飛び出してきた。

「2――――」

電光石火のごとく、必死の形相でメガネの元に走る。

「1――――」

黄色いテープを強引にひきちぎって、前かがみに跳躍。そしてメガネに触れようとした瞬間。

どごおおぉぉんっ!

なぜかナイスタイミングで爆発し、メガネと一成を見事にふき飛ばした。

一成は爆風をもろにくらって、空中できりもみし、そのまま力なく崩れ落ちて、ぴくりとも動かなくなる。その横で愛用のメガネのレンズが粉々に砕け、縁がひん曲がっていた。

「ちょ、ちょっと! 椿くんが爆発に巻き込まれちゃったわよ」

かなめがあわてて一成の元に駆け寄る。

「なぜ……自分から危険に飛び込むようなマネを。立入禁止のテープに気づかなかったとは思えんが」

不思議そうにつぶやく宗介。かなめは一成の体を揺さぶるが、一向に動く気配がない。

「ちょっと椿くんっ? ねえ、ソースケ。椿くん起きないんだけど」

「いかん。今回は火薬を多めにしていたからな」

その一成の意識は、またも歪んだ世界にトリップしていた。

そこに、またもあの老人があらわれた。しかしその老人は何をするでもなく

「お前ほどあわれなやつは、めずらしいのう」

と、まあそれだけ言って消えていったのだが。

一向に意識が回復しない一成をあおむけにして、宗介が手際のよい心臓マッサージをほどこしていた。しばらくはそれを繰り返す。

するとぴくり、とかすかに一成の指が動いた。そしてばっと跳ね起きて、

「ちょっと待て、ジジイっ!」

と叫びだす。

突然のことでまわりの一同は驚いたが、とりあえず死傷者一名は出ずにすみそうだと安堵のため息をついた。

「……あ?」

まだ意識がはっきりしていないのか、まだ状況がよくわかっていない。

「オレは一体どうしたんだ? さっきまでジジイが……」

「よかった、椿くん。もう爆死しちゃったのかと怖くなっちゃったよ」

そう言って、涙ぐむかなめ。

「ち……千鳥? あのジジイは?」

「おじいさん? ああ、三途の川で会ったんだね。元気だった? きっと亡くなったおじいちゃんはずっと天国から見守ってくれてるよ」

今までにない優しい口調でなだめるかなめ。一成のほうはさらに困惑顔で

「オレのじいちゃん? いや、会ったのはまた別のじいさんで……」

「…………?」

なにがなにやらよくわからない。その矢先、宗介が一成に話し掛けた。

「無事だったようだな。この悲劇な事故の処理は俺に任せておけ」

ぶっきらぼうに告げる宗介。

一成は、今のを簡単に事故で済ませようとするこの男に、ふつふつと怒りが湧いてきた。

なぜオレは死にかけたのか。オレのメガネはどうなったのか。すべては目の前の男の凶行にある。

「おのれ相良あっ、殺す!」

と言うなり、突進した。

「やめておけ。生き返ったとはいえ、まだ体力が回復していない。決闘は延長しよう。だから今はおとなしく休め」

「うるせえっ、このっこのっ」

一成は右へ左へと拳をふるい、宗介を追いまわす。だが足元がふらふらして、簡単にかわされてしまう。

「わからんやつだな。そんなに疲労していてはまともに動けず、戦うことなどできるわけないだろう」

その言葉に、ぴたりと動くのをやめた。

「……たしかにこのままじゃ無理だな。だが、オレには切り札があるんだ。とてつもない必殺技がな」

「ほう」

すると一成は構えを解いて、力を抜いて仁王立ちの姿勢をとる。端の目には、無防備にしか見えない。

「また無構えとやらか?」

すると一成の全身がぶるぶると震え出した。足ががくがくして、目が白くなっていく。そして最後に『ぐぼわっ』と、口から吐血した。

「……無理するな」

宗介は怪訝顔をして、気をつかうように言う。とその時、一成に異変が起きた。一瞬、まばゆい光に包まれたのだ。

「ふっふっふ。これからじゃよ、若造」

一成の声があきらかに変わった。しゃがれた低い声。それでいて、どこか落ち着きのある口調。

不可解だったが、宗介は目の前の男が、なぜか一成ではないと感じ取れた。

「貴様は何者だ」

「ほう、よくぞ見抜いたな。わしは武術を極めた男よ。だが自分の力を証明する前に死んでしまい、今ここにいるのは信じられんだろうが、霊体じゃ。その武術を極めたワシが一成という若者に乗っ取ってかわりに戦う。これこそが、こいつに授けた必殺技じゃっ」

「ずいぶんと、他力本願な必殺技ね……」

横からのかなめのツッコミを無視して宗介が神妙に質問を続ける。

「ではさっき椿が血を吐いたのはなんだ」

「ああ、わしが乗り移るには、その体の持ち主は仮死状態にならないとだめなんでな。ワシが入れるように自力でああしてもらったのじゃ」

「ふむ。たしかに貴様は武術に長けているような強い気が感じられる。だが、かなりの年でもあるようだな。動きもさぞ鈍くなっているだろう。無理するな」

「ふん、なめるなよ若造っ」

一成の体を乗っ取った老人は、拳を前に突き出す構えをとって、一気に宗介に詰め寄った。

そのまま宗介の顔面めがけて拳をくりだす。宗介はぎりぎりでそれをかわした。するとその拳は後ろの校舎の壁をぶち壊して、大きな穴をつくった。

ガラガラと音をたててコンクリートが崩れ、中の廊下が丸見えになる。

「なっ!」

あまりの破壊力に戦慄する。冗談じゃない。こんなのをまともにくらったらいくら俺でもやられてしまう。

すかさず間合いをとるが、老人はさっきよりも素早く宗介に詰める。

「くっ」

だがあと半歩のところで、老人の足がとまる。

「…………?」

「ぐ……ぐおあぁぁ……」

突然苦しそうに手を腰にまわし、うなだれる。

「こ……腰がぁ」

老人は宗介と戦う前に、あの手強い狂戦士用務員・大貫善治を相手していたのだ。この老人も簡単に用務員相手に勝ちを拾ったわけではない。

あの人間とは思えぬ超人のような動き。老人の破壊拳にも数発は耐えるという不死身さ。

どれをとっても老人を驚かせるばかりだったのだ。

そんな激戦での代償が今きてしまったのだ。久しぶりに激しく動きまわったため腰痛でここにきてまったく身動きができなくなってしまった。

そんな老人に、隙を見いだした宗介は、握りこぶしで襲い掛かる。

「まて……おい」

一時休戦だ、というように手で制するが、宗介はそれを聞き入れようとはしなかった。

すると老人は、この体の持ち主に一言詫びる。

「……すまん」

するりと老人は一成の体から抜け、逃げるように天高く舞い上がっていった。

これであとに残されたのは口から血を垂れ流し、白目で突っ立っている仮死状態の一成の体だけだ。

ぐしゃああぁぁっ!

宗介の一撃で、一成は空高くきりもみし、糸のなくなったあやつり人形のようにぱたりと崩れた。

「……一体なんだったの?」

かなめの言葉に、宗介は戦況を冷静に眺め、いぶかしげにつぶやいた。

「うむ。この男が勝手に爆発地帯に飛び込んで自爆し、老人に乗っ取られて校舎の壁を壊していっただけだな」

ついでに言えば、愛用のメガネを吹っ飛ばされている。

「とにかくあのメガネは無事に処理された。これで万事解決だ」

宗介が締めくくると、まわりの生徒たちも昼休みが終わるので、ぞろぞろと教室に引き上げていく。

宗介もテープを片付けると、かなめと一緒に教室に戻っていった。

そして運動場には一成のボロクソになった姿だけが取り残された。

木枯らしの吹く風が運動場一帯の砂を軽く巻き上げる。ちなみに冬明けでもまだかなりの寒さだった。

意識がないはずの一成の口が、ぱくぱくとなにかをつぶやいた。

「う〜ん……今度はオレのじいちゃんが川の向こうで手を振ってるよぉ。今行くから……」



あとがき

この話はただ椿一成を出したいだけで書いた軽めの話です(短いし)
講義でふと(メガネ無くしたらどうなるかなー)と思って、二秒でネタ決定(笑)
なにやら異質な感じですが、ざーっと読んでくれれば楽しめるかと

タイトルの空手野郎はもちろん『椿一成』で、ロスト・アーチクルは『落し物』
(たぶんこう読むんじゃないかな)




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