血塗られた因縁 3幹部の男は、二人ほど近くに置いて、残りを捜索に当たらせていた どうにかして、あの側近を引き剥がさんとな できるだけ、会員たちは殺したくはない。だが、いざとなれば、撃たなければならないことも覚悟していた 小野寺は殺すなと忠告していたが、それは無理というものだ 胸の内から、ふつふつと言いようのない殺意がこみ上げて、抑えがきかないのだ それに幹部の男は殺さなければ、こっちがやられる。 もしもこっちが操られてしまえば、そこで負けだ。向こうとしては催眠で俺をどうにでも好きにできる。操られてしまえば、そこで終わりなのだ 捜索に当たらせた男達は、連携が取れておらず、それぞれが勝手にただ奥へ奥へと探しに行くやり方だった これならこの近くで物音でも立てておけば、あの側近の二人が物音の正体を確かめに、その場を離れなければならなくなる 「…………」 そうして捜索に当たっている男達が遠ざかるのを物陰で待っていたが、宗介は催眠術師の幹部の顔を眺めているうちに、我慢していた殺意がどうしようもなく湧き上がってくるのを感じていた ……あんな奴を、一秒でも多く生かしてやれるか! その殺意が一気に噴出し、その勢いで物陰から姿を現し、幹部の前に立ちはだかった すると幹部の男が、ようやくこっちに気づく 「いたぞ! 殺せ!」 側近の二人に命令して、自分は安全な距離を取ろうと、幹部は後ろに下がっていく そして側近は拳を振り上げて、宗介に飛び掛ってきた だが、動きは鈍い……! 男の直撃をかわすと、宗介は一人の男の腕を外側からまわし取り、その力の流れを利用して、男の体勢を崩した それは柔よく剛を制すという、柔道術を上手く生かした体術だった そして宗介による見事な投げ技で、会員の男は地面に強く投げ倒された その隙をついてもう一人の会員が攻撃してきたが、こっちにはすぐに対処できず、宗介は横に避けた すぐさま体勢を整えて、男にどう対抗するか考えていると、さっき宗介が投げ倒したはずの男が、もろに背中から落ちたというのに、すぐにむくりと立ち上がってきた 痛みという感覚を催眠術によって封じ込められているせいだろう 「くそっ」 これでは一人ずつゆっくりと動きを封じることができない 少しでも隙ができれば、すぐにでも幹部の男を撃ち殺すことができるのだが 一対一なら勝算はあったが、二人がかりで相手をせねばならないのは大きな不利だ いや、それどころか早くしないと、他の捜索に当たった男達が戻ってくるかもしれない 宗介は、二人と距離をとって、身構えた すると、さっきの投げ飛ばされた男が、こっちに突進してくる くそ。さっきの投げ飛ばしが、もう一度通用するだろうか? すると、その男はいきなり横からの強い衝撃をくらって、足がもつれ、そのまま横の壁にぶつかっていった 「小野寺!」 小野寺が、突進してきた男を横からタックルしてくれたのだ だが、その男に気を取られている間に、もう一人の会員がこっちに向かっていた 宗介の投げに対して用心しているのか、ずいぶんと体勢を低くして、突っ込んでくる だめだ、あれだけ警戒されては投げられない 咄嗟に、宗介は拳銃を抜き、それを男に向ける 「やめろっ、警部補っ!」 小野寺がそれを見て蒼くなったが、構わず宗介は照準を狙い定めて、引き金を引いた すると男は足が止まり、動作も止まり、そのまま地面に前のめりになって倒れた 「やってしまった……」 その事態に小野寺が呆然としていると、宗介は拳銃を下ろさず、そのまま幹部の男に向けた 「小野寺。そいつは死んでいない。こめかみ近くに向けて銃を撃ち、その衝撃波で脳震盪を起こしただけだ」 「……え?」 そういえば、撃たれたにしては、まったく出血を起こしていなかった 「催眠で、おそらく人間の持つ感覚までもが高められていただろうからな。より気絶するというわけだ」 「く、くそ……」 幹部の男は、護衛がいなくなってしまったことで、完全に追い詰められていた 「だが、貴様だけは殺す」 銃口を、その男の額に合わせていく 「警部補っ」 「や、やめてくれ。もう、こんなことは二度としないから……」 幹部の男は、両手を挙げながら、じりじりと後退していく そして宗介は、拳銃を構えながら、距離を保つために近づいていった 「答えろ。アマルガムの目的はなんだ」 「……少しずつ、支配下における人間を増やしていくことだ。早期の段階で知られるのは得策ではないので、知られにくい環境にある人間から浸透させていたところだ」 「それはお前の意思か? それとも、誰かに命令されたことか?」 「それは……」 その時、宗介は幹部の目の、ある淀みに気づいた (その目は……) その一瞬。宗介が狼狽した瞬間を狙って、いきなり幹部の目が怪しく光りだした 「――!」 それに気づき、宗介はすぐさま引き金を引く そして宗介の拳銃から放たれた銃弾は、確実に男の額に命中し、男は動かなくなった 幹部の男が撃たれて死んだのだ 宗介は横たわった男を見下ろして、ふんと鼻を鳴らした (油断のならん奴だ。俺に催眠をかけようとするとはな) 撃つのがあと数秒遅れていたら、俺はやられていたかもしれない まわりを見ると、会員たちは幹部の男が死んだことで洗脳が解けたのか、今の自分の状況が分からず戸惑っているようだ そして小野寺は、宗介を睨みつけていた 「本当にやってしまいやがった……」 撃たれた幹部の姿を見下ろして、小野寺は震えていた 「警察官が……無抵抗の犯罪者に向けて、銃を撃つなんて。許されると思ってるのか?」 「…………」 宗介は、なにも言わなかった 「なぜ、応援を待たなかった! 応援を待って、それから突入するのが決まりだろう」 「……俺は長く待てない方でな」 「そんなのが答えになると思ってるのか」 「…………」 宗介は、ただ沈黙を続けていた それから小野寺はひとまず応援を呼び、とりあえず会員の者たちを逮捕し、話を聞くためにそれぞれの署へと連行されていった それが済むと、小野寺と宗介は、警視庁に帰るために、泉川の工場地帯を離れようと歩きだした 「……警部補。今回の件、すべて報告する」 「好きにしろ」 「そうなったら、処罰は逃れないぞ」 「そうだろうな」 なんのためらいもなく、宗介は肯定した 小野寺は、戸惑っていた。宗介の意図が、まったく見えてこないのだ 「……警部補」 「なんだ?」 「俺は……間違ってるか?」 すると宗介は、そこで立ち止まって、ゆっくりと振り向いた 「いや、警官としてやるべきことをやっているだけだ」 「…………」 小野寺はもう黙りこくって、ただ歩き出した
そして二人が泉川の工場地帯を出ようとしたところで、向こうの曲がり角から、一人の男が歩いてきた 普通なら、それはただの通行人として、そのまますれ違うだけだった しかし、そいつだけは違った ムースで整った黒髪に、額には縦一文字の傷跡を残した男 そいつの顔を見たとたんに、宗介には驚愕と、そして怒りが湧き上がった 「ガウルン……っ」 その男、ガウルンもまた、宗介の顔を見て驚いていた 「おぉ、カシム」 ガウルンはただ懐かしみを込めてそう呼んできたが、宗介はそれを振り払うように、腰から拳銃を引き抜き、いきなり怒りのままに引き金を引いた だが、ガウルンはそんな突然の行動にも冷静に動いた。 まるでその弾丸の軌道が見えていたみたいに、素早く曲がり角の陰に身を翻したのだ 宗介の撃った三発は、向こうの塀に撃ち込まれた 「おいおい、つれねえな。せっかくの再会がこれかよ、カシム」 ククッと笑って、宗介の視界から消えていく 「黙れっ! 貴様は殺す!」 拳銃を構えたまま、ガウルンの消えた方向へと走り出した 「おいっ、警部補! いきなりなんてことやらかしてんだ!」 さっきのことがあったばかりだというのに、またも発砲した宗介を、小野寺は信じられないように見つめていた 「あいつは!」 宗介が、走りながら怒鳴る 「あいつは四年前のデパートで、たくさんの市民を撃ち殺した悪魔だっ!」 「なにっ……?」 その言葉で、小野寺も自分の記憶の中から、四年前のデパートの事件を引き出した あの、最悪の大量殺人となった人質事件は小野寺も知っている その犯人が、目の前の奴だと……! そうと分かれば、小野寺も動かないわけにはいかない 「分かった警部補! 二人で挟み撃ちにして捕らえるぞ!」 この事態を瞬時に理解し、小野寺は宗介とは別の道を走り出す その小野寺の背中に向かって、宗介が忠告した 「気をつけろ! 奴は戦闘のプロだ。下手にやり合うな!」 そう声をかけて、宗介はそのままガウルンの消えた方向を追い続けていく (捕らえるだと? そんな気はさらさらない。奴は、殺す) 宗介の拳銃の撃鉄を起こし、いつでも撃てるように構えておく 作戦はあった 小野寺とはさっき一瞬目配せしただけだが、ガウルンをこの先の曲がり角に追い詰める算段で二人は追いかけていた 先の曲がり角は、高い塀で囲まれており、行き止まりになっているのだ そして逃げ場を奪ったところで、この拳銃で奴の心臓を撃ち抜いてやる! 長い距離を走り、小野寺の姿が先の分岐路に見えてきた すると、それに気づいたガウルンが、宗介の思惑通りに残りの道を選び、そこへ逃げていく そして宗介が分岐路で小野寺と合流すると、小野寺の肩を掴んだ 「小野寺はここで待機しろ。俺が追い詰める。あいつが俺を抜けて逃げようとしたらお前が撃つんだ」 「なに言ってる。ねじ伏せて、手錠をかけるんだろ」 「…………」 どうやら小野寺は、ガウルンをよく知らないらしいな 「とにかく、ここにいるんだ。いいな」 強く言って、宗介は拳銃片手に、ガウルンの通った道を走っていく ここからは行き止まりは見えない。この一本道の先を曲がって、ようやくそこが行き止まりと気づくようになっている 宗介はその曲がり角手前でいったん立ち止まり、拳銃の確認と、逃走経路の予想をたてた (奴の退路は断った。飛び出しざまに、撃つ) 自分の中でタイミングを図り、一気に飛び出して、拳銃を構えた 「――!」 しかし、行き止まりのそこには、いるはずのガウルンの姿は無かった なぜだ。たしかにこっちに向かう奴の姿を見た その時、四年前の事件がふっと思い返された ありえないはずのことをやってのけたガウルン。 あのデパートの、飛び降りれないはずの高さを、ガウルンは飛び降りてみせた 奴が妙な薬を自分の脚に打ち出したと思ったら、その脚が気味の悪い変化を遂げたのだ 脚の筋肉が盛り上げられ、膨らみ、それはアンバランスな脚の筋肉の化け物となった そして彼は、到底飛び降りれないはずの高さを飛び降りてみせたのだ まさか 奴はまた、脚力を強化して、この塀を飛び越えたとでもいうのか? 「どこ見てる? こっちだよ」 背後から呼びかけられ、宗介が振り向くと、ガウルンがそこにいた いつの間にか宗介の後ろに移動し、そして最悪なことに、小野寺の背後にまわって、ナイフを向けていた 「い、いつの間に」 小野寺も、いつ背後をとられていたのか分からなかったらしい 突然の状況に、宗介は唇を噛んだ 四年前と同じだ またもガウルンは、人質をとり、こうして俺の前に立ちはだかる 宗介はすぐに拳銃をガウルンに向けるが、それより早く、銃口の先に小野寺を動かす 「くっ……」 少しずつ銃口をずらしても、ガウルンは正確に、小野寺を動かして、その陰に隠れる やはりこういった状況に、奴は場慣れしているのだ ガウルンは小野寺の首に腕をがっちりまわし、手に持ったナイフを小野寺の眼前にちらつかせていた 「ぐっ。なんて力だ……」 体格のいい小野寺が抵抗しようとしているのに、身動き一つできないのだ 「無駄なことはするな。それ以上動いたら殺すぜ」 冷たい声で、ガウルンが言い放つ 「小野寺。動くな」 宗介も、そのガウルンの言葉が本気だと感じ取って、小野寺に言いつけた 「…………」 「ククッ。そう、素直になったじゃねえか、カシムぅ」 「妙な名で呼ぶな」 宗介は、睨んだまま動かなかった 「おや、この呼び名はお気に召さなかったかな?」 それを無視して、宗介は疑問をぶつけた 「なぜ、またここにいる」 「どこにでも現れるさ。カシムが愛しいからなぁ」 「ふざけるな」 宗介が一瞥すると、ガウルンは口を歪めた 「たしかに愛しいってのは冗談さ。だが、興味はあるねぇ」 「興味、だと?」 「お前の目……。初めて会ったときに分かったぜ。人を殺したことのある目だ」 四年前も、ガウルンは似たようなことを言い残していった お前の目……俺たちに似ているぜ 「……そうだとしたら、どうだというんだ?」 宗介はそれを否定はしなかった 「面白いじゃねえか。滑稽だぜ」 「なんだと?」 「人を殺してきた男が、正義を代名詞にする警察に身を置いてるんだぜ? くくっ。俺は最初、どこかの組織の指示で警察官になりすましているのかと思った。だが、お前は本当に警察官らしい。滑稽じゃねえか。警察が敵視しているはずの人殺し野郎が、警察にいるんだ。これで興味が沸かないというほうがおかしいだろう? くくくっ」 「…………」 「答えたくないか。まあいい。それに俺がここに来たのにはそれなりの理由がある」 「言え」 「フン。……もう知ってるかもしれねえが、俺は世界に麻薬や武器を売りつけている」 「そうらしいな。世界の武器商人として、世界中から指名手配を受けている」 「だがよ。そういう商売はいくつかのパイプが必要だ。ブローカーを介して、様々なヤクを売りつける。そのパイプが太ければ太いほど、規模が大きくなるわけだ」 「その中に、日本が入ってるというわけか?」 「まあな。ところが、日本に敷いていた太いパイプラインが寸断されちまった。潰されたんだ」 地元警察によって、麻薬・武器売人の逮捕から、そういうラインをつきとめ、関係者を潰していく そういう活動が、裏社会への打撃を与えていくものだ 「潰されたのは四年前だ。日本の最も通じていた武器密売のルートが取り押さえられちまった」 「四年前……」 「お前も少しは知ってるかもしれねえな。龍神会ってトコだ。もう今はなくなっちまってる」 「龍神会……!」 四年前の龍神会といえば、俺が巡査で、泉川署に勤務していた時に、ふもっふランドで潜入捜査に当たっていた頃だ そして宗介の行動で、新兵器であるボン太くんスーツが取り押さえられ、さらに龍神会を武器密売で逮捕していった あの龍神会は、ガウルンの武器密売のルートのひとつだったのだ 「よりにもよって、重要な兵器を取り押さえられてな。あのパイプラインは使えなくなっちまった。だから、新たなパイプラインをつくろうとまた日本に来たのさ」 「また……日本にヤバイ物を持ち込む気か」 「ククッ。麻薬や武器なんてのはな、世界中どこでも欲しがっている物さ。俺はそれを商売にする。なにか悪いか?」 「貴様は悪の根源だ。貴様は殺す」 「勇ましいなぁ、カシム。だが、そういうことは状況を見てモノを言うんだな」 ガウルンは、ナイフを小野寺の頬にこすりつける だが、宗介はガウルンに忠告した 「そいつは刑事だぞ」 「だから?」 「警官殺しは大罪だ。小野寺を殺せば、日本警察はやっきになってでも、貴様の逮捕に動く」 すると、ガウルンは愉快そうに声をあげて笑い出した 「なにがおかしい」 「ヒィーーッ、ヒッヒッヒ。おいおい。なあ、カシム。俺にとって、これが初めての警官殺しだとでも思うのか?」 「――!」 その口ぶりからして、ガウルンはすでに何人もの警官を殺してきていたことは明らかだった 「貴様……」 「クックッ。どの国も、警官ってのは滑稽だねぇ。見せ掛けの正義に惑わされて、無謀な行動を起こすんだ。ご苦労なことだよ」 「……小野寺に手を出すな。その時点でこの鉛玉を貴様の脳天に撃ち込んでやる」 「おいおい。命令するなよ、カシム」 そのナイフの先を、小野寺の目に合わせる 「手を出すなといってるんだ!」 「ククッ」 ガウルンは愉快そうに口を歪めると、なんとそのナイフで小野寺の右目を刺してしまった 「っああああぁぁ!」 小野寺の右目から鮮血が飛び散り、刺された激痛に小野寺が呻く 「貴様ぁ!」 銃口を向けたが、ガウルンはまた巧みに小野寺の陰に隠れた でかいナイフが深々と、小野寺の右目に突き刺さったまま、その刃が赤色に染まっていく あれほどに深く傷つけられては、小野寺の右目は完全に潰されたといってもいい 「なんてことを……」 小野寺は激痛にもがいていたが、それでもガウルンが強く抑えて、大きく動くことができない 「知ってるか? 目玉って柔らかいんだぜぇ?」 刺さったままのナイフに力をこめて、ガウルンはそれをさらにひねり回した 小野寺の眼球が歪み、変形して、ゼリーのようにぐちゃぐちゃに潰されていく そして小野寺は、声にもならない悲鳴を搾り出した 「やめろと言ってるだろ!」 宗介が怒鳴っても、それでもガウルンは笑うだけだった 「おいおい、いいモノを見せてやったってのに。純情だねぇ、カシムはよお」 ガリガリと小野寺の爪がガウルンの腕を引っ掻いているのに、ガウルンはそれに苦痛をあらわにもせず、がっちりと締めている 「小野寺を放せっ」 宗介の言葉に、ガウルンはまったく耳を貸さない 「なあ、カシム」 そして目をえぐったナイフを、ぎゅっと握り締めた 「人間の顔の裏側って、見たことあるか?」 その質問に、宗介はぞわっと鳥肌がたった 「放せと言ってるんだっ!」 だが非情にも、ガウルンのナイフは目を引き裂いて、そのまま小野寺の頬に、そして口元にへと力任せに切り裂いていく みりみりと顔の皮膚が裂け、嫌な音がする そして小野寺の顔に、目から口にかけて、一本の深い傷ができた 小野寺は、顔を切り裂かれるあまりの激痛によって、すでに意識を失っていた それはまさに悪魔の所業と言ってもよかった その顔面はおびただしいほどの血で赤に染まり、ナイフの刃には切り裂いた際の肉片がこびついていた そして目から頬に、そして口にと切り裂かれた半円の傷に、ガウルンが指でつまむと、それをさらにべりべりとめくってみせた 小野寺の顔が剥がされ、内側の肉がひっくりかえされた 「ククッ。ほぉら。これが顔の裏側だ。グロいねぇ」 吐いてしまいたいほどの、ショッキングな光景だった 顔をめくるなんて、心臓の弱い奴が見たらその場で卒倒ものだろう 「貴様あ!」 もはや、なりふりかまわなかった 宗介は怒りのままに、拳銃をガウルンに向けて撃っていく だが、それでもガウルンは冷静に小野寺を引っ張り、盾にして、その銃弾は小野寺の肩に命中した 「――!」 「ククッ。やっちまったなぁ。オイ、警官が警官を撃っちまったぜ」 「貴様が。貴様がッ」 「落ち着けよカシム。コイツはすぐに病院に運べば、命だけは助かるかもしれねえんだぜ? ククッ、もちろん右目はもうダメだろうがな。だがなカシム。今この場で争っていたら、それだけ助かる確率はなくなっていくぜ」 「だったら、すぐに放せっ!」 「それには条件があるな。お前が下がるんだ。俺が逃げやすいようにな」 「…………」 どれだけ銃口を揺らしても、ガウルンはそれに合わし、小野寺を盾にして避けてきている 「どうした? コイツを助けたいんじゃねえのか?」 「……分かった」 小野寺は、これ以上出血したら本当に死んでしまいそうだった 顔を切り裂かれて気絶しているが、それがショック死だとしたら、すでに死んでいるという可能性もあるのだが、小野寺はかすかに痙攣しているため、まだ息はあるようだ 「下がるから、さっさと解放しろ」 一歩、二歩と後方に下がっていく 「おいおい、それっぽっちで済むわけねえだろ。向こうの曲がり角の先まで下がるんだ。そこで十秒ほどじっとしてな。そうしたら解放してやるよ」 せっかくここまできて、またこいつを逃がすことになるのか……? 「どうした? 下がれよ」 「…………」 宗介は、仕方なく曲がり角にまで歩き出したが、一度立ち止まって、ガウルンを睨みつけた 「何度でも貴様を追い続けて……いつかは殺してやる」 「ククッ。それができるのか? 今のお前にはよ」 「どういう意味だ」 「教えてやろう。俺はこれからすぐエチオピアへと逃げ込む。国外だ。果たして、日本の警察の身であるお前に、俺を追い続けられるのかねぇ」 「……そういうことか」 日本警察は、日本の中でしか行動できないのだ 国外では、その国とかなり親密なつながりがないと、その行動は限られる 「お前はそういう立場なんだよ。お前に俺は捕まえられない。皮肉な話だなぁ」 「いや……」 宗介は、曲がり角についてから、はっきりと言った 「俺はどんなことをしてでも、お前を追いかけてやる。どこまでもな」 「期待してるぜ」 そして宗介が角を曲がり、見えなくなったところで、指示通りに十秒待つ それからまたさっきの場所にかけこむと、小野寺が電柱にもたれるようにして倒れていた ガウルンはどこから逃げたのか、姿は見えなくなっていた 「小野寺!」 さっき無線で救急車を要請しておいた。あと数分で来てくれるはずだ すぐに応急手当にかかろうと、その身体を抱え込んだ 「――!」 首後ろに、支えるように手をまわすと、その手にねっとりとした生暖かい感触が伝わってきた その手のひらを見ると、血でべっとりと赤く染まっていた 首後ろが……切られている 「あ、あの野郎。頚動脈を切っていきやがった!」 鋭利な刃物ですっぱりと切られ、さっきよりも出血が激しくなっている これでは助からない……! それから数分して救急車で運ばれていったが、すでに手遅れで、小野寺は死亡が確認された
とある屋敷の一部屋で、背広を着た細身の男が、銀髪の青年に報告した 「アマルガムの『バイト』に食いついてきました」 この男の言うバイトとは、日本で言う『餌』のことである その報告に、銀髪の青年レナードは大きく反応した 「へえ。それで飛鴻(フェイホン)。どこなんだい?」 飛鴻という細身の男は、はっきりと告げた 「日本です。そこに派遣した者は、殺されたようです」 「日本とは意外だね。それで、殺した人は、アマルガムと知った上での行動なのかな」 「まだ詳細は分かっておりません。ただ今調査隊を向かわせています。二日後には明確になるでしょう」 レナードは軽くうなずいて、報告を終わらせた 「日本か……。そこにアマルガムと敵対しようという動きがあるのかな」 レナードは一人、どこか楽しそうにつぶやいていた
警視庁では、怒りの色が刑事の間に広まっていた 警官である小野寺を殺され、誰もが犯人に対して憤慨をあらわにしている 「空港に至急手配を! ガウルンは国外に逃亡する気です!」 「手は回す。しかし……」 警視庁の部長は、苦い顔をした 「間に合わんだろうな。手続きには時間が掛かるし、そいつもすでに前もって逃亡の準備していたようだし……」 「そんなこと、分かりません」 「……それに」 「なんです?」 するとここで部長は気弱な発言をした 「私らでは、そいつに手を出すことは許されんだろう」 「……は?」 言ってる意味が理解できず、宗介が聞き返すと、部長は淀んだ声で繰り返した 「私らでガウルンを追うことは上から許されていないんだ」 「な……」 その言葉は、宗介にとって二回目のものだった 泉川署にいた頃も、同じことを言われ、ガウルンを追うことを許されなかった あの時は、上がガウルンを追っているから手出しはするなと言われたのだ その上というのは、警視庁ではなかったのか 「奴は警官殺しなんですよ!」 「分かっている。そして、そいつがどれだけ危険な奴か、ということもな」 「俺たちは天下の警視庁でしょう! 警視庁があんな殺人犯を追えないというのか!」 「……どっちみち、そいつは日本からいなくなるんだ。そうなれば、我々は追いかけることはできない」 「じゃあ、奴を野放しにするというんですか!」 「そうは言っていない。そいつが告げていった逃げ先であるエチオピアの警察にも、他に行きそうな国にも要請しておいた。あとは向こうの国に任せるしかないだろう。……引き渡してくれるかどうかは別だが」 「向こうの国の警察に任せるだと? 向こうはガウルンのことをよく知っているのか? 奴の性格を! 奴の思考を! 向こうの警察に捕まえられるのか!」 「……今、はっきり言えることは。そいつが国外へ脱出されたら、我々にはどうしようもないということだ」 「……っ」 これではガウルンの予言どおりだ 『お前に俺は捕まえられない。そういう立場にあるんだ』 その言葉が、無情な現実となって、宗介の胸を突いてくる 「話は以上だ。出て行きたまえ」 部長としては、もうこれ以上ガウルンの件に関わりたくないとでも言いたげだった 「…………」 もっと突っかかってやりたかったが、するだけ無駄だということも分かっていた 「失礼します」 宗介は部長のデスクから離れ、その足で休憩室に向かっていった
「くそっ!」 だんっと拳を壁に向けて叩きつけ、悪態をついた またか…… この思いは、泉川署でも味わった 自分の立場の無力さと、その限界に思うように動けなかった、あのはがゆい思い。 せっかく警視庁に来たというのに、警部補に昇進したというのに。 あの頃とまったく変わってないではないか 「なにが警察だ……!」 いちいち後手にまわるその体勢に、イライラしてくる ガウルンが、今の俺をどこかで嘲り笑う姿が見えてくるようだ 「くそがっ!」 壁に蹴りを入れて、怒りをぶつけていく ――俺の求めていた場所は、警視庁ではなかった 「……辞めるか」 もともと、警察に入ったのは、警察の持つ情報が欲しかっただけだ もう警察の情報はすべて目を通した。それならば、これ以上警察にこだわる必要もない 警察としての組織力や、警官の武装は魅力だったが、どうしてもというわけではない 奴を追うならば、警察でなくてもできることだ いっそ、私立探偵にでもなってやろうか 束縛されることもないし、探偵というのは元警察官というのが多いのだ 基本的なことは、鷲尾探偵から学ばせてもらうとして…… そこまで考えていくと、その決意も悪いものではないなと思えてきた 警察を辞める それは自分を束縛する足枷を外し、ガウルンを殺す行動に移れるということだ 宗介の中で、それはすでに、強い決心となって表れていた
すると廊下から、パンプスの音が近づいてきた |