挫折と始動

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挫折と始動


東京都千代田区に、地上18階、地下4階とそびえ立つ建物、警視庁。

その建物の前で、相良宗介が見上げていた

「まさか、ここに来ることになるとはな……」

泉川署交番に研修として派遣された千鳥かなめが、研修期間を終えて、そこを去ってから三年が過ぎていた

あれから昇進試験を受け、階級を上げて、相良宗介の階級は、警部補となっていた

警察では、昇進すると、その度に配属先が変わるのだ

警部補に昇進した宗介は、その配属先が、あの警視庁となったのだ

そして今日から、警部補として、初めて警視庁で働くことになる



建物に入り、エレベータに乗って、目的の部署へと向かっていく

その部署とは、当然、刑事課だった

警部補にまで階級を上げた宗介は、前からの宣言どおり、刑事課に部署替えをしたのだった

目的の階に着くと、エレベーターの扉が開く

その先の部屋では、たくさんのデスクと、中年男たちが煙草を吸い、書類に目を通していた

ここが、刑事課なのだ

まずは挨拶のために、刑事課の課長のデスクへと向かっていく

そのデスクには、泉川署本部の課長よりも、理性的な顔つきをした渋い中年が腰掛けていた

宗介はその前に立った

「どうも、本日付けからここに配属することになった、相良宗介警部補です」

そう名乗り出ると、新聞に目を通していた課長は、それを折りたたみ、こっちに目を向けた

「ああ、君が相良君だね。これからの活躍をよろしく頼むよ」

「はい」

「今は特に大きな事件も抱えていないことだし、みんなに紹介しよう」

席を立ち、宗介の横に来て、肩をポンと叩いて、刑事達の方を向いた

「おおい皆。今日から一緒に働くことになる、相良宗介警部補だ」

そう叫ぶと、みんなはこっちを向き、席を立って、拍手しながら近くに寄ってくる

そこにいた八人くらいの刑事たちが、宗介の顔を記憶しようと集まってきたのだ

「あんたかい、有望な新人というのは」

「有望?」

「聞いてるぜ。泉川署の方じゃ、刑事課より検挙率の高い地域課巡査ってな」

そこで笑いがどっと巻き起こった

「泉川署の刑事課はヘボいからな。勤務地変えて正解だぜ」

「…………」

俺のことが少し他方の警察で噂になってると聞いたことはあったが、こういう風に受け止められてたとはな

まあ、どうでもいいことだ

「ん……?」

その集まってきた刑事達の中に、見慣れた顔があった

「……風間?」

三年前に泉川署の刑事課にいて、地域課の宗介に情報提供となっていた新米刑事が、そこにいた

「久しぶりですね、相良さん」

「風間もこっちに来ていたとは知らなかったな」

「僕も昇進試験を受けたんですよ。一回だけなので、相良さんより低い階級ですけどね」

千鳥が交番を去ってから三年、宗介は地域課の仕事に集中し、昇進試験対策を中心に行動していたので、風間がそういう行動を起こしていたことは知らなかった

「これからは一緒に働くことになりますね。よろしく」

「ああ、そうだな」

すると、他の刑事たちも紹介を始めてきた

すっと手を出し、握手を求めてきたのは、刑事の中でも、風間の次に若い刑事だった

「俺は小野寺ってんだ。よろしくな」

小野寺孝太郎。体格がよく、気さくな刑事だ。考えることが苦手らしく、典型的な行動派だった

その男と握手を交わしていると、入り口からまた二人の刑事が入ってきた

「おっ、帰ってきたみてえだな」

どこかの捜査に当たっていたのだろうか。一人の刑事がコートを脱ぎ、椅子にかける

そしてもう一人は、髪の長い女性刑事だった

「ちょうどいいや。おーい、新任刑事が一人入ってきたぜ」

そう小野寺が、入ってきた二人にそう呼びかけると、女性刑事がこっちに挨拶しようと、顔をあげてきた

「え……?」

その女性刑事を見た途端、宗介はひどく驚いた

艶やかな黒髪。強気な目。ほっそりとした体。

それは三年前まで、よく見知った人物だった

「千鳥……?」

向こうも、その新任刑事が宗介と気づいて、あっと目を大きく見開いた

「相良……先輩?」

間違いなく、そこにいたのは千鳥かなめだった

「どうして……」

千鳥はたしかに警視庁へ行った。だが、この三年でさらに階級を上げ、警視正となり、指揮する立場にいるはずだ

刑事課で刑事をやっているはずがないのだ

だが、千鳥はそれに答えずに、ぺこりと頭を下げた

「お久しぶりです、相良先輩」

「あ、ああ」

まさかこんなところで再会するとは思わず、歯切れの悪い挨拶になってしまった



「さて、一通り紹介も済んだことだし、彼にここの案内を……」

「あ、あたしがやります」

宗介の案内役を千鳥が申し出て、二人は警視庁の中を回っていくことになった

刑事課を出て、他の部署を見ていく

「…………」

なぜ千鳥が刑事課にいるのか、それを聞くことが、なかなかできなかった

懐かしい再会のためなのか、その質問が彼女を傷つけてしまいそうに思えたからか

無言で、宗介は千鳥の後をついてきていた

「ここが交通課。あたしの友人を紹介するね」

そういうと、交通課のデスクでパソコンを操作していた、ウェーブのかかったロング髪の女性を呼んだ

「こっちが、交通課で働いてる常盤恭子」

「よろしくお願いします」

ぺこりと頭を下げるその女性は、背が低く、こぢんまりとしていた

「よろしく。俺は刑事課の相良宗介だ」

常盤恭子は、交通課の情報オペレータをしているそうだ

「この常盤さんとは、一番仲良くさせてもらってるの。プライペートでは、キョーコって呼んでるけどね」

「あたしからは、千鳥さんのことをカナちゃんって呼ばせてもらってます」

言ってから、二人はなにがおかしいのか、あははと笑っていた

仲がいいとはいえ、女性はいくつになっても楽しそうにしてるな

すると、千鳥は近くにいた誰かに気づいて、そっちも紹介することになった

「ねえ、ちょっとこっちに来てー」

女性にそう呼びかけると、その女性はとてとてと、書類を抱えたままこっちに走ってきた

「あっ、走っちゃだめっ」

とたん、その女性はずるべたーんとなにもないところで急に転んで、抱えていた書類をバサバサと落としてしまった

「あーあ、またやっちゃった」

「…………」

あたた、と立ち上がったのは、アッシュブロンドの髪に、銀色の瞳。

その女性は、慌てて書類をかき集めると、みっともない姿を見られてか、恥ずかしがるように真っ赤になって、ぺこりと頭を下げてきた

「し、失礼しました。あの、ごめんなさい」

「ああ、いや……」

なんと言えばいいのか、宗介はただ相槌をうった

「こちらが、警視庁のドジッ娘で有名な……」

「ち、千鳥さんっ」

その紹介に、また恥ずかしがるように真っ赤になった

そして改めてこっちに向き直り、自己紹介をしてくる

「えっと、みなさんはテッサって呼びます。初めまして」

「俺は相良宗介。刑事課だ」

「あ、はい。サガラさん、よろしくお願いします」

丁寧に挨拶を済ませると、忙しいのか、もう一度ぺこりと頭を下げて、彼女は書類を抱えたまま廊下を走っていった

「あっ、だから走っちゃだめだって」

その先で、また派手に転ぶ音がした

「……あれで警官が務まってるのか?」

「あ、あはは」

答えにくいのか、千鳥は笑って誤魔化した



「あ、ちょっとここで待っててください」

なにか用件を思い出したのか、千鳥は自分の机へ向かっていった

そして常盤恭子と二人だけになると、宗介はそっと耳打ちした

「少し聞きたいのだが」

「はい?」

「千鳥はなぜ、刑事課にいるんだ? 本来なら警視正として、指令センターのはずだろう」

すると、恭子は少し気まずそうに、言った

「千鳥さんは今、相良さんと同じ警部補です」

「なに? 警視正になったと、前に聞いたぞ?」

「ええ、そうだったんですけど……。半年くらい前に、ある事件で上とモメちゃって……」

「それだけか?」

「……そこで、上からの命令違反を二つもやっちゃって。その処分で、二階級降格、こっちに左遷されちゃったんです」

あの千鳥が、命令違反?

「……なにがあったんだ?」

「詳細は分からないですけど、なにか大きな事件の重要人物を追っていた途中で、たまたま小さな事件と遭遇しちゃったらしいんです」

「小さな事件?」

「追っていた事件と比べると、ですけど。でも状況が緊迫してて……。上からは重要人物に気づかれる恐れがあるので放っておけと言われて……」

「……だが、その小さな事件とやらに構ってしまったわけか」

「ええ。その命令違反を厳しく責められちゃって、こっちに……」

「そうか……」

「でも、千鳥さんは後悔してないって言ってました」

「そう言ったのか?」

「『あの時、もし先輩ならきっとこうした。これが正しいことだった。だから、その事は後悔してない』って言ったんです。当時は誰のことを言ってるのか分からなかったんですけど、それがようやく分かりました」

と、なぜか宗介の方を見て、からかうようにくすりと笑った

「そうか」

本人が後悔してないというなら、それでいいんだろう

ありがとうと礼を言っておくと、千鳥が用件が済んだらしく、戻ってきた

「ああ、そうだ。案内途中で悪いが、寄りたいところがある」

「え? どこです?」

「あいつにも、久しぶりに挨拶をしておきたいんでな」

それを聞いた途端、千鳥の表情がこわばった

「……どうした?」

「…………」

急に、黙り込んでしまった

「……?」

理由を答えようともしないので、宗介はこっちの用件を先に済ませることにした

その用件先は、もちろん、特殊犯捜査一課の部屋だ

そこに転属したクルツ・ウェーバーと会うためだった

クルツは、結局この警視庁に転属してから、一度も泉川署の交番に顔を出すことはなかった

そのため、佐伯恵那のことが伝わってるのかどうかは分からない

だが、それを報告するために会うのではない。ただ、久しぶりにあいつの顔が見たいだけだ

そして文句の一つでも言ってやろうか。水臭い奴だ、とでも



だが、その場にクルツの姿は見かけなかった

そこで、近くにいた同じ所属らしき中年男に、クルツの所在を聞くことにした

「すみませんが、クルツ・ウェーバーは今どちらに?」

すると、その中年男は宗介を訝しげに眺めた

「あの?」

「……クルツは、いねえよ」

「ええ。だから、それならどこに行ってしまったのかと……」

すると、中年男はしかめっ面で、吐き捨てるように言った

「あいつは居なくなっちまったんだよ」

「……え?」

何を言っているのかよく分からず、もう一度聞き返すと、彼はより一層嫌悪を表した

「知らねえのかいアンタ。あの優秀な狙撃手さんは、半年も前から行方不明になっちまったんだ」

「……行方……不明?」

宗介は、ばっと千鳥の方を向く。彼女は気まずそうに、視線を落とした

「どういうことなんだ、千鳥っ!」

がくがくと、肩を掴み、激しく揺さぶる

「……半年くらい前に、ぷっつりと消えちゃったの。今でも、どこにいるのか、まったく分からない……」

「クルツが……?」

すると、さっきの中年男が煙草に火をつけて、言ってきた

「ああ、ちっとも奴の行き先が掴めねえんだよ。そして妙なことに、どこにも痕跡すら残ってないんだ」

「痕跡が……残ってない?」

「そうだ。なぜか奴の自宅、この警視庁からも、彼の身分を証明するもの、私物が一切消えてしまったんだ」

「……クルツが消えたのは、なにかの事件がらみですか?」

「それすらも、分からない」

「……今は、捜査はどこまで?」

「してないさ」

「え?」

「捜査はとっくに打ち切られてるよ。あとはアイツが戻ってくるのを祈るのみ、だな」

「なっ……!」

「そんな目で睨むな。もうどうしようもねえんだよ」

中年男は、煙草を灰皿に押しつぶすと、向こうへと消えていった

「…………」

クルツに……あいつに、いったいなにがあったというんだ?

宗介は、うつむいたままの千鳥を、もう一度揺さぶった

「詳しいことを聞かせてくれ、千鳥! なぜ捜査が打ち切りになるんだ?」

「あたしにも分からないの……。なぜか、上から圧力がかけられて……どうしようもないの」

「上から……?」

なぜ、警察のトップからそんな圧力が……?

もしそれが本当だとしたら、彼は想像以上に大きな事件に巻き込まれてるのではないか?

「……俺が上に直接掛け合ってくる」

「相良先輩。……あたしがこれまでに、それをしなかったと思いますか?」

「…………」

「今は……どうにもできないんです」

「……クルツ」

思いがけない事実に、宗介は動揺を隠せなかった

なぜ、あいつが……?

「あいつは……生きてるよな」

「もちろんです。それを私たちは信じてます」

「ああ、そうだな……」

これ以上、警視庁の中を見回る気にはなれなかった

「先輩。休憩室に行きませんか」

「戻らなくていいのか?」

「刑事課に戻ったら、配属祝いとか称して、宴会騒ぎになりますよ。ウチって暇な時は騒ぎますから」

「……そうだな、休憩室で少し休みたい」

二人はそのまま休憩室へと向かった



そこは二つくらいのベンチと、ジュースの自動販売機が並んでいる

宗介はそこのベンチに腰を掛け、息をついた

「はい、先輩」

千鳥が、そこの自動販売機で買ったのだろう、缶コーヒーを手渡してきた

「ああ。代金は……」

「おごりですよ。わたしからの、配属祝いです」

「缶コーヒー120円か」

そう言って、笑っていた

二人並んで、ジュースを飲み、息をつく

「あれから三年たったんですね」

「ああ、そうだな。三年もかかってしまった」

本当は、宗介は二年でここに来るつもりだったのだ

だが、思いのほか昇進試験の壁は高く、何回か落としてしまい、警部は諦めて警部補に昇格した時点でここに来ることにしたのだ

「なかなかうまくいかないものだな……」

「……あたしも、警部補に下げられてしまいました」

「…………」

「もう、これで上に行くのは無理ですね。すみません、応援してもらったのに……」

たしかに、もう千鳥には処分を受けた以上、警察のトップへの道は断たれてしまったことになる

「別にいい。それが千鳥の選んだことだろう」

「はい」

「…………」

二人はただ、お互いを深く追求はしなかった

ただ、分かっていることはひとつ。

これからも、また一緒に仕事ができるということだ

「あたしたち、落ちこぼれですね。挫折して、思い通りにいかなくて」

「そうだな、落ちこぼれだ」

なぜか、笑いがこみ上げてきた

それは自暴自棄でなく、ただ笑いたくなったのだった



「……警視庁にようこそ、相良先輩」

千鳥が、缶コーヒーをコツンと、乾杯みたいに当ててきた

「もう、先輩じゃないだろう」

もう、今の千鳥は研修生ではないのだ

そして、同じ部署として働く仲間である

「そうですね。それじゃ、どう呼びましょうか?」

「階級付けはやめてくれ」

「じゃあ、相良さん、ですか?」

「好きに呼べばいい」

「じゃあ……年齢も同じことですし、プライバシーではソースケって呼んじゃいますよ」

『ソースケ』

それは、クルツがよく使っていた呼び方だった

あの頃の俺は、親しい人はいなかった

クルツだけが、俺をそんな風に呼んで、親しげに絡んできたものだ

気安く呼び合える、そういう間柄だった

千鳥なら、そういう呼び方をされてもいいかもしれないな

宗介はそんなことを思いながら、こっちからも、持っていた缶コーヒーをコツンと当てにいった



「乾杯」




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