破滅への序曲 4宗介は見張りの仕事が終わるなり、本部にかけこんだ 「お願いします! 俺をあの事件の捜査に加えさせて下さい!」 地域課の課長のデスク前で、怒鳴るように懇願した 「……駄目だ」 課長はきっぱりと、そう断った 「なぜですか!」 「なぜって。君は地域課なんだぞ。あの事件は完全に刑事課の担当だ。部署が違うんだ、当然だろう」 「今までも、刑事課の仕事に関わってきました。それがなぜ今回は駄目なのですか」 「今までのは、向こうから要請があったからだよ。だが、今回は刑事課から捜査面での協力の要請は来ていない。こっちから無理に押しかけることは無理だよ」 「……っ!」 宗介の拳が、ぶるぶると震えていた。今にも爆発してしまいそうなくらいに。 「諦めたまえ。向こうからの協力要請は、一切ない。それに今回の事件のことは私も聞いている。今の相良くんに任せても、私情を交えた偏った捜査になってしまうだけではないかね」 「…………」 「刑事課に任せておくんだ。彼らがきっと犯人を捕まえてくれるだろう」 ……あてになるものか 俺はただ、その経過を黙って見ていろというのか 「もう話はない。帰りたまえ」 「課長っ!」 だが、その声に振り向いてくることはなかった 主張すら許されず、一方的にこの件を打ち切られたのだ
泉川署本部 休憩室 まだ今は勤務時間なので、この休憩室には宗介と千鳥以外、誰もいなかった ジュースの自動販売機と、柔らかいソファーのようなベンチと、緑色植物の部屋の隅で、二人は立っていた 「くそっ!」 だんっと、怒りをぶつけるように、自動販売機横の壁を殴りつけた なにが、部署が違うだ。なにが要請だ。なにが捜査権だ 部署の壁だと。くそったれめ 千鳥は、そんな宗介を止めるでもなく、ただ無言で立ち尽くしていた (どうして……) よりによって、こんな最後の日に、こんなことになるの (佐伯さん……。昨日も交番に来てくれて、お話もしてたのに……) あんな無残な姿で死んでしまった 今のわたしたちは、あまりにも無力すぎたのだと、ふつふつと実感が沸いてきて……また涙があふれてくる 千鳥の研修終了まで、残り一時間を切っていた こんな形で、わたしの研修が終わるなんて…… 明日からは、警視庁に移って、向こうの担当事件を扱わなければならないのだ 佐伯さんの仇を取るどころか、真実を知ることもできない もう、こっちの犯罪事件に関わることはできないのだ 「……っ」 千鳥はぽすんと、力なくソファーに座り込んだ それからしばらく、無言の時間が過ぎてゆく
「……千鳥」 宗介の拳がおさまって、数分すると、横のソファーに座ってきて、うつむいたまま話しかけてきた 「なんですか?」 「……俺が警察に入った理由を覚えているか? 遊園地で話した時のことだ」 遊園地といえば、銃器密売取引が行なわれてるというタレコミが入って、潜入捜査をした時のことだ ふもっふランドという遊園地で、捜索の途中、公園でお互い、警察に入った動機を語り合ったことがあった 「……覚えてます」 「あの時、俺が警察に入ったのは、ある人を探し出すためと言っただろう」 「はい。その一人が恩人で、もう一人は……亡くなっていたんですよね」 「ああ」 警察に入ったのは、その人を探すための情報を手にするためだと言っていた だが、その警察の記録で、その内の一人は、すでに死んでいたことが判明したのだ その人を探すために警察に入ったというのに、すでに亡くなっていたという事実を知ったときは、よほどの衝撃を受けたことだろう 「その一人はな。実は、犯罪者だったんだ」 「えっ?」 「ある事件を起こした犯罪者だ。名を『シェイド』といってな。そいつを俺は、捕まえたいと思っていた。そのためにも、警察に入ったんだ」 「そうだったんですか……」 それだと、あの遊園地の時の発言が、いくらか納得がいく 探していた人が死んでいた、と語る先輩が、なぜか悲しくなさそうだった 警察に入ってまで探したいくらい大切な人なら、普通ショックだというのに、そんなそぶりがなかったのだ だが、犯罪者なら、死んでいたという事実は、安堵するべきことかもしれない 「ああ。その犯罪者を捕まえるために俺は警察に入ったようなものだ。だが、俺が入ったときには、すでにそいつは死んでいた」 「…………」 「それを知ったとき、もうそいつによる犯罪は起こらないと分かって、ほっとしたかもしれない。……だが、同時に俺は、警察での目標を見失ってしまったんだ」 警察に入った目標を、いきなり失うというのは、どういう心境なのだろう 「……正直、当初の俺は意気消沈してしまった。追いかけるべき憎む相手がいなくなった。では、俺はなにをすればいい?」 「先輩……」 「警察の仕事に、身が入らなかった。……だが、刑事課に協力要請されて、逃走中の犯人を追いかけていたときだ。その犯人が、憎むべきはずだったあいつに、重なって見えたんだ」 「あ……」 「そう、あの死んだ犯人への憎しみを、同じ犯罪者に重ねて、そいつを憎んでいたんだ。犯罪を犯す奴を見ると、そいつとダブって見えて、頭がカァーッと熱くなる。見境がつけられなくなっちまうんだ」 それが、今までの相良先輩の暴走だったのだ 「自分でも分かっていた。だが、犯罪を犯した奴を見ると、どうしてもあいつの顔がチラつきやがる。殺したくなるんだ」 「こ、殺し……?」 その物騒な発言に、少し怯えてしまった 「それくらい、憎んでいたということだ」 「…………」 「……だけど」 そこで、急に口調が変わっていた 「……だけど、地域課の仕事を淡々とこなしてるうちに……地域の住民が挨拶してくれて……話し相手として聞いてやったりすると、嬉しそうにお礼を言ってきて……」 地域課の仕事は、地域住民とのふれあいだ。交番には、たくさんの市民が訪れてくる。 「そうこうしてるうちに、俺はいつの間にか、地域課というものが好きになっていた。地域のために尽くすというのも、悪くないと思えてきたんだ……」 「……とても愛されてますよ、あの交番。先輩が築き上げてきたあの交番に、親密感が沸くからです」 その千鳥の言葉に、宗介は少し照れたように、笑った 「そのまま、俺はずっと地域課に就くのもいいと思っていた」 「……先輩」 「……だけど」 「え?」 「だけど、違うんだ。俺は今日、はっきりと決心した」 「先輩。それは……」 宗介は、やっと顔を上げて、そして言った 「俺は、刑事課へ行く」 目標を見失い、警察での自分の居場所さえも見失っていた宗介が、今はっきりと、新たな目標をつくったのだ 「今までは延長線のように、ずっと地域課を続けていたが、これからは刑事課だ」 「それじゃあ、転属願いを出して刑事課に行くんですか」 「いや、まだだ」 「え?」 「今のままで刑事課へ行ったって、なにも変わらない。まだ命令されるだけの階級じゃ駄目だ」 今の宗介の階級は、一番下の巡査だ。 事件の現場を取り仕切るのは一般的に警部クラスで、巡査はその指示に従って行動しなければならない 「昇進試験を受けて、ある程度一人でも行動できる階級になる。刑事課に移るのは、それからだ」 判断力も、行動力もある相良先輩だ。たしかに刑事向きかもしれない 「……待ってます。相良先輩が、刑事になるその日を、待ってます」 「ああ……」 「でも、それくらいの階級になってからでは、何年かかるか分かりませんね……」 「一年だ」 「……はい?」 「一年でニ、三は階級を上げてやる」 「あのう……それはちょっと無理だと思いますけど」 「なめるなよ。こう見えても、俺も一流大学の出身だぞ。昇進に専念して、すぐにそこまで昇りつめてみせる」 「いえ。そうではなくて、一年は物理的に無理ですよ。大卒者は、ひとつの昇進に最低でも一年の実務がないと受験資格が与えられませんから。最短でも二年はかかります」 「ああ、そうだったな。なら、二年でやってやるさ」 「強気ですね」 くすりと、千鳥は笑ってしまった 「……頑張ってください。刑事になった先輩を、楽しみにしてます」 「ああ。そっちも、頑張れよ」 「はい」 二人は、ソファーから腰を上げて、向かい合った 「また会える日が来るのかは分からんが。……今まで、ご苦労だった。千鳥かなめ」 「今までありがとうございました。相良先輩」 これからは、お互いが信じて行く道を、歩んでいくのだ その道は、辛く険しい。 だが、決して諦めず、最後まで目指すことを決心した お互いが、お互いの目指す道を行ける様に。 それを確かめ合うように、二人は、がっしと握手を交わした
そしてこの日をもって、千鳥の研修期間が終わったのだった |