スナイパーの見る夢は

フルメタ事件簿へ


スナイパーの見る夢は 5


那津子に会えなくなってから、もう三日もたつ

クルツはこの日も、四人と別れてから、すぐに例の場所へと、走っていった

だが、そこに那津子の姿は、やはりなかった

「なんだってんだよ……」

怒鳴ったのは悪かったよ。だから謝らせてくれよ

もしかして、風邪でも引いたのかな?

それとも……事故?

それが頭に浮かんでしまうと、急にクルツの胸中が、不安で一杯になった

「まさか……」

辺りを、きょろきょろと見回す

ぱっと見、異変はなかった

だがクルツは、近くにいた人をつかまえては、最近ここで事故がなかったかどうかを聞いてまわった

しかし、そんな事故は知らないと、誰もが答えた

「違ったかな……」

それでも、不安は消えず、闇雲に走り回った

すると、その日は天気が悪く、ポツポツと雨が降ってきた

「ちっ……」

傘なんぞ持っていないクルツは、その雨に、服が濡れていく

あいつ、どうしたってんだよ

公園の中に入って、探してみる

だが、そこにも、なにもなかった

すると、その公園の中に、二人の男が、ニヤニヤと笑ってこっちを見ていた

その内の一人は、いつも一緒にいた、四人のうちの一人だった

「よぉ、クルツ」

「ああ……」

軽く挨拶を返し、クルツはその公園を出ようとした

「なに急いでんだよ、クルツ」

「いや、ちょっとな」

「……女でも捜してんのかぁ?」

「――!!」

クルツは、出ようとした足を止めて、振り返った

――那津子のことを、知っていたのか?

いや、それよりも。

オレが探しているのが、なぜ那津子だと思ったんだ?

ドクン、ドクンと、嫌な鼓動が心臓を波打った

想像したくもない不安が、頭の中を駆け巡っていく

まさか……

この質問をするのに、呼吸をするのさえ、苦しかった

クルツは、その男に向かって、聞いてみた

「あいつがどこにいるのか、知ってるのか?」

それに対して、男は愉快そうに、こう言った

「ああ、そういや三日ほど前に、訪ねてきた女がいたなぁ。そいつがお前の探してる奴かどうか、知らねえけどなぁ」

オレは無意識に、その男のもとに駆け寄って、襟首を掴み上げた

「あいつを、どうしたんだ!」

「さあなあ。まだ俺らんトコにいるかもしれねえなあ。クスリが恋しくて、離れたくねえのかもな」

楽しそうにそう言って、笑っていた

クスリ、だと?

クルツは呆然とした。

クスリという言葉と、彼らの元に訪れたという事実。そして那津子のいない空白の時間が、クルツに絶望を与えていく

那津子の身になにがあったのか、それは自然と分かることだった

「……なぜだ。なぜ、そんなことを……。オレたちは仲間だろうがよ」

すると、男はクルツを、ドンと突き放した

「けっ、仲間だぁ? そんな風に思ったことなんざ、一秒もねえよ」

そいつは、いつもとちがった表情を、初めてクルツに向けてきた

「てめえなんざ、ただのケンカ道具だよ。俺たちの縄張りを広げるためのな!」

「…………」

クルツの中で、何かが崩れていた。

今までに、クルツ自身が信じていたものが。支えとなっていたものが。

自分の、居場所が。音をたてて、崩れていくのが聞こえたような気がした

すると男が、トドメの言葉を言い放った

「てめえなんざ、仲間なわけねえだろ。この、金髪野郎!」

「……うおああああぁぁぁっ!!」

クルツは叫んで、その二人に飛び掛っていた



二人の男は、血まみれになって、雨でぬかるんだ地面の上に寝転がっていた

だが、それを見下ろしても、クルツにはなんの感情もこみ上げてこなかった

『拳をふるって、何を得るの?』

なにもないさ。

拳をふるったって、なにも得るものなんかない。

快感なんざ、一瞬で消える。後に残るのは、空しさだけだ

そして、なにかを失っていくんだ。オレ自身の大切なものが、拳からこぼれ落ちていくんだ

「……那津子」

まだだ。

あいつを、助け出さねえと

俺たちのところに訪ねてきたと言ってた。クスリだとも。

だったら、パーティをやってる場所だ。その場所は、どっかのダチの部屋を借りてやってると言っていた

クルツにも、そのダチの部屋にはいくつか心当たりがあった

「那津子! 今行くからな!」

クルツは駆け出した。ただひとつの、クルツにとって、唯一の支えとなる光を、この手に取り戻すために

走るたびに跳ねる雨音がうるさかった



ボロアパートの一室の前に来て、クルツはそのドアに手をかけてみた

鍵がかかっておらず、その扉は簡単に開く

そこには、よく見知ったいつもの四人のうち三人と、他から来たのだろう、知らない人たちが陽気に騒いでいた

クルツは、すぐに奥の部屋へと走っていった

その奥の部屋に行くと、そこでクルツは那津子の姿を発見した

「那津子……?」

その那津子は、イスに座られ、逃げられないよう、後ろ手をイスの背もたれの下に、縄で縛られていた

足も縄でイスに固定されていて、そしてその目に、生気が無かった

腕には、いくつもの注射針の穴が空いていた

イスの下がじわりと何かで湿っていて、そのあたりの床が少し荒れていた

顔が、乾ききっていた。肌はうるおいを無くし、ひからびたかのように、シワが入っている

完全に、クスリ漬けにされていた

あまりの変わり果てた姿に、クルツが固まっていると、その姿を面白そうに眺めるパーティの人たちが集まってくる

「おい、クルツの奴にバレちまったみてえだぜ」

「あははー、どうしたのクルツくぅん? 面白い顔ー」

「…………」

まわりの声よりも、とにかく、目の前の那津子の姿に愕然として、なにも言えなかった

すると男が、にやにやと那津子の肩に手を置いた

「どうだ? 三日もかけてずーっとヤク漬けだ。中毒性の高い新品もたっぷり使ったからなあ。毎夜毎夜、クスリを求める声がうるさくってたまんねえぜ。へへっ」

「いわば、あたしらの作り上げた、芸術作品ってとこかなぁ。面白いんだよ。クスリが切れると、泣きながら懇願してくるの。『苦しい。お願い、クスリを打って』、てね。あははははは」

「……てめぇら」

もう、今までの絆なんぞ、これっぽっちもなかった。

ただ、怒りで拳が震えてくるだけだ

「金髪野郎が、なんか叫んでるぜ。おいみんな、来いよ」

パーティに参加している奴らが、全員クルツを取り囲む

「けっ、青い目なんかしやがってよ。前々から気に食わなかったんだよ、金髪野郎!」

パーティで、ヤクに溺れた人がみな、クルツに向けて、飛び掛ってきた

「うあああああああぁぁっ!!」

クルツは、咆哮をあげた。そして、もう一度、その拳を使うことになったのだった



「ぐっ……アバラの一本か二本はイッちまったかな」

室内は、血に沈んだ人たちで床を赤く染めていた

クルツは、那津子を縛った縄を切り解き、ぐったりと動かない那津子の身体を抱きしめた

その身体が、すごく軽かった

「すまねえ、那津子……」

オレがバカだったんだ

こんなオレに関わらせなきゃ、こんなことにはならなかったのに

「……う」

那津子が、疲れた声で呻いた

「待ってろ。なんとか、病院へ……」

だが、この時間では、もう診察時間が終わっていた

それに麻薬中毒なんて、普通の病院でいいのか?

どうする……

こんなときに限って、雨がいっそう激しくなってきた

「そうだ! あそこなら……」

クルツは那津子を抱えたまま、暗闇の雨の中、走っていった



「じじい! じじい!」

その扉を叩きつけると、がちゃりとその扉が開いた

「なんじゃい、うるさいのう」

「じじい! 頼む! こいつを診てやってくれ!」

クルツがその抱えていた那津子を見せると、老医者は、すぐにベッドに寝かせろと言ってくれた

「こいつはひどい……」

「じじい! どれくらいヤベエんだ?」

「かなり中毒性の高いのをやられとるわい。おい、この娘はどれくらい前からクスリを?」

「大体、三日くらい前から、ずっと打たれてたらしい」

「三日もか。長いのう……」

その老医者は、滅多に見せない、深刻な顔で那津子を眺めていた

「……もっと大きい病院で診てもらったほうがええ。公式の麻薬厚生施設を教えてやるから……」

「冗談じゃねえ! オレぁ知ってんだぜ! 麻薬厚生施設って、裏では患者を家畜のような扱いをしてるって聞いたことあるぜ。あそこに那津子を入れられるかよ!」

「…………」

老医者は、否定も肯定もしなかった

「それに、じじいならこういうのにかけては、一流だろ! なあ、頼むよ!」

「ったく。じゃから、喧嘩はやめろとあれほど……」

「説教はあとでいくらでも聞くよ! 頼む! 早く助けてやってくれ!」

「……分かったわい。おい、おまえも手伝え」

老医者は、どこからかロープ縄を手に取ってきた

「なにするんだ?」

「その娘を、ベッドに縛り付けるんじゃ。クスリが切れても暴れんようにな」

「……分かった。じじいを信じるぜ」

クルツと老医者は、まず那津子の手足を、それぞれベッドの四方の支柱にくくりつけた

「それから、どうすればいい?」

「……おまえは、今から一週間、ここには来るな」

「……え?」

「今からこの娘のクスリが切れるまで、ずっとこうしておかなきゃならん。その間、この娘は地獄を見るぞ。苦しんで暴れようともがくだろうな」

「…………」

「おまえには、そんな姿は耐えられまい。ちゃんと世話はわしがしておいてやる。いいか、一週間後にまた来い。それまでは、来るんじゃないぞ」

高い中毒性を持つヤクを打たれ、ほとんど麻薬依存症に近い状態らしい

薬物依存とは、ある薬物を摂取したいという止めがたい欲求を示す精神依存と、生体がある薬物の影響下にあることに適応した結果、その薬物が体内から消退して薬理作用が減弱もしくは消失したときに、精神や身体的に病的や異常な症状を発する状態のことだ。

身体症状には、やせ、皮膚乾燥、口渇、徐脈、血圧・体温低下、性欲減退などがある。

精神症状には疲労感、倦怠感に続いて無気力で意欲減退となり、高等感情が鈍る。

禁断(薬をやめて)12〜16時間後に不安、落ち着きのなさがでてきて、48時間後に悪寒、嘔吐、よだれ、動悸などが出現する。

まず、強引にでも薬から引き離し、安定した状態に戻さなければならないのだ

「……分かった。じじいを信じてる。頼むぜ」

「手は尽くす。だが、あまり期待はせんでくれ……」

あの老医者が初めて放った、気弱な発言だった

それほどまでに、深刻な状態なのだ

「……しかし、この娘の家族に連絡はしとかんとまずいのう。しばらくそっちに戻れないと言っておかんと、家族が心配するじゃろう」

「じゃあ、それはオレがしとくよ」

「うむ。いいか、一週間後じゃぞ」

老医者は、念を押してもう一度言ってきた。

オレは分かったとうなずいて、那津子を任せて、そこを出た



夜の雨は、一向に止む気配はなかった

ザーッと激しい雨が、クルツを責めるように、身体を叩いてくる

「はぁっ、はぁっ」

畜生、畜生!

なんだって、こんなことになっちまったんだ

……なぜ、那津子はあそこに行ったんだ?

『ケンカをやめるよう、お願いしてこようか』

……まさか

オレのために、あいつらのところに、お願いしに行ったんじゃないだろうな

やめろと言ったのに。それでもあいつは、行ったんだ

なんでそこまでするんだよ……

前が濡れて見えないのは、雨のせいだけではなかった



「……そういや、あいつの家ってどこなんだ?」

クルツは那津子の電話番号なんぞ知らなかった

そして、那津子の家の住所も知らない。

学校に行けば分かるかもしれないが、この時間ではすでに閉まっているだろう

そういえば、この近くに、那津子と仲のよかった友達が住んでいたな

たまたま通り道で、那津子とよく一緒にいた女友達が、近くの家に入っていったのを見たことがある

「そいつなら知ってるはずだな」

こんな時間に押しかけて迷惑だったかもしれないが、幸い彼女の家はまだ明かりがついていた

チャイムを鳴らし、その那津子の女友達を呼び出した

「あれ? ……クルツくん?」

いきなりの、クルツの訪問に驚いていたが、こっちは急いでいたので、用件を切り出した

「頼む。椎原那津子の家族に連絡を取りたいんだ。那津子の住所を教えてくれ」

「……え? クルツくん、知らなかったの?」

「え?」

「ナッツは小さい頃、親に捨てられて、施設に預けられてたんだよ」

「……施設?」

「うん。そこでずっと育てられて。学校も、施設から通ってたし。今はどうしてるのか知らないんだけど……。ナッツに家族はいないよ」

クルツにとって、それは衝撃の事実だった。

那津子に、家庭がなかった?

クルツはひとまず、お礼を言って、そこから離れ、人気のない公園に駆け込んだ

そこで息をついてから、さっきの言葉を思い返した

あいつ、ずっと施設に……

だからか?

あいつは帰りたくなかったんだ

那津子に久しぶりに会った日。彼女はなかなか帰りたがらなかった

家庭のない場所に、帰りたくなかったんだ

あいつは、学校では明るかった

自分からクラブやら委員やら参加して、活動的な、真面目なやつだと思ってた

そうじゃない。

あいつは少しでも、学校にいたかったんだ。少しでも長く、学校に居たかっただけだ

寂しい場所に帰らなくてすむように……

あいつもオレと同じように、家庭に居場所がなかったんだ

クルツは、公園の砂場の上で、泣き崩れた

「オレは……どこまで大バカ野郎なんだ!」

夜の雨は、ずっと降り続けた



約束の一週間後、クルツは老医者のところへ行った

白い部屋をぎいっと開けると、老医者が入り口のところで立っていた

「……那津子は?」

その答えを聞くのが怖かった。今までのケンカのなによりも、怖くてたまらなかった

老医者は、答えた

「一命は取り留めたわい。このまま半年続けば、麻薬の中毒も、完全に抜けてくるじゃろう」

「じいさん! ……あぁ、感謝するぜ」

ぽろぽろと、涙がこぼれた

初めて、神に感謝したい気持ちだった

「礼は言うな!」

なぜか、クルツに、老医者が怒鳴りつけた

そして、その顔は、深く沈んでいた

「こっちに来い。話がある」

な、なんだよ……

その重い空気に、ドクン、ドクンと嫌な鼓動が高鳴っていた

そして老医者と、廊下に出ると、残酷な宣告を聞かされた

「一命は取り留めたが……しかし、障害が根強く残ってしもうた。今では、自分ひとりでは立てない身体じゃ」

「え……」

障害……?

「な、なんだよ障害って……。り、リハビリすれば、回復するんだろ?」

「……どれだけリハビリしても、一生のうちに、歩けるようになるかどうかというところじゃ」

「そ、そんな……」

全身の力が、抜けていくみたいに、どしゃっとクルツは床に尻をついた

「神経がズタズタになっておる。どんな外科でも、治療不能なほどにな……。あの娘は障害を、一生背負うことになる」

「うっ……」

悔しくて、涙が出た。

オレにはなにもできなかった

那津子に、なにもしてやれなかった!

「ひでえ……どうして、あいつが……」

「……すまん」

老医者は、初めて謝罪を口にした

しかし、それをクルツが責めることはなかった



「もう、話はできるようになった。あの娘と話してくるがいい」

「……ダメだ。オレ、あいつに会わせる顔なんてねえよ」

「それでも行け。おまえはあの娘と話してくるべきなんじゃ」

「…………」

クルツは、那津子が寝ているベッドの傍に、歩み寄った

そこで、那津子が、細くやせた顔で、天井を見上げていた

那津子の目が、くぼんでいた。頬は削げ落ちて、その腕も力が入らないようで、ぐったりと動かなかった

あの時よりいくぶんか、マシにはなっていたが、それでもとても見れたものではなかった

「あは、クルツくんだぁ……」

とても弱々しい声で、オレの名前を呼んだ

「ああ、オレだよ」

「みっともない顔、見られちゃったな」

「そんなことねえよ。とても綺麗だって」

「あはは、クルツくんにお世辞言われるなんて、思わなかった」

その一言一言が、痛々しかった

無理をして、明るく言おうとしてるのがみえみえだった

「……ごめん。あたし、クルツくんにケンカをやめさせれると思ったんだけど……」

ぎゅっと、クルツは拳を握った

「なんでっ! なんで、あんな危ねえマネしたんだよっ! やめろって言っただろうがよ」

「あはぁ、ごめん……」

それでも明るく、謝ってきた

「なんで、そこまでするんだよ……」

「……あたしねえ、中学の時、お礼を言いたかったって言ったでしょ」

「ああ、あの頃の話か」

「結局お礼を言えずに、次の年のクラス替えで、バラバラになっちゃった。でも、あたしはこう思ってたの。お礼を言えなかったけど、まあいいか。って」

「……?」

「クルツくん、また新しいクラスで、また高校になった先で、新しい友達を作って、楽しくなっていって、いろんな事を忘れてしまうくらい、明るくなるんだろうって気楽に思ってたの」

それは、誰でもそう思うことだった。人には、新しい出会いがいくつも待っていて、そこから自分が変わっていく

「……でもね、久しぶりにクルツくんに会って、愕然とした。あの頃よりも、深く暗いところに閉じこもって、暴力をふるうようになっていた」

「そんなのは、那津子と関係ねえだろ?」

「関係なくないよ! あたし、すごく後悔した。あたしがもっと勇気を出して、お礼を言えば、それがきっかけになって、別の話題で語り合って、そんなあたしたちを見て、クラスの人たちもクルツくんに話しかけるようになったかもしれないのに」

「なんだよそりゃ。そんなの、分かんねえだろ」

「でも、可能性はあったよ。そうなって、クルツくんが孤独じゃなくなって。そしたら、明るくなって、いつもの日常を、楽しく過ごしていて……」

「そんなこと、那津子の責任じゃねえだろ」

「あたしのせいだよ。だから、せめてその罪ほろぼしに、クルツくんを助けたかったんだ」

「バカ。それはもういいって、この間許しただろ!」

「……クルツくんはすぐに許してくれたけど。それじゃダメだよ……」

「なんでだよ」

「だって、三年だよ! あたしとバラバラになった後の三年も、クルツくん、孤立していたんでしょ。三年も、寂しい思いをさせてしまったんだよ。今のクルツくんにさせてしまったのは、あたしにも責任があるんだよ……」

「…………」

「許せないよ、そんなの……。こうでもしないと、自分が許せないよ……」

「……っ、バカ野郎……」

クルツは、その手をつかみながら、顔を伏せて、嗚咽した

バカ野郎なのは、オレなんだよ……

オレは、逃げていたんだ。

自分から、人と関わるのを拒んで、逃げてたんだよ。

誰かが、金髪のことについて触れてきた

だが、そいつは金髪はただの話題のうちのひとつで、そこからオレと話したかったのかもしれない

でも、オレはそれだけで避けてきたんだ。

オレはなにもかも、この外見のせいにして逃げていた

すべてのきっかけを、外見のせいにして押し付けて、突き放していたんだ

怖かったから。弱かったから

そうだ。オレは、弱かったんだよ……



クルツは、顔を上げて、那津子に聞いた

「なあ。……オレになにかできること、ねえか?」

「もう、喧嘩はやめて」

「ああ」

「それから、クルツくんには、まっすぐ前を見てほしいな……」

「え……?」

「自分を堂々と光の下にさらされる、そんな道を歩いてみせて」

「…………」

もう、那津子のような犠牲者は出させない

麻薬は、人を狂わせる

だったら、そんな麻薬は、オレの手でなくしてしまえばいい

二度と、那津子のような人を出させてたまるか

「……那津子。オレ、警察官になるよ」

「え……?」

「極端かもしんねえけど、オレの警察官になった姿を、お前に見せてやりたくてな」

すると那津子は、心からの笑顔を見せてきた

「あはぁ。見たいな、クルツくんの警察官」

その時の、那津子の目が、まっすぐクルツを見つめていた

「――っ!」

とっさに、その視線から逃げるように、クルツは目を逸らしてしまった

だめだ、見れねえ。

あんなにもまっすぐな目を、オレは見つめ返すことなんてできなかった

那津子は弱々しい顔つきなのに、その目は、強く、まっすぐだった

こんな汚れきったオレの目で、それを受け止めることなんてできなかった

「じゃあ……また来るよ」

「うん……楽しみにしてるね。警官のクルツくんを」

オレは振り返らずに、その病院を出た

そうだ。オレにできることをやろう

那津子のために、そして自分のために、警察官になるんだ



それからクルツは、隠れていた才能である、凄まじい集中力を密かに発揮し、学力を伸ばし、数年後、見事警察に合格することとなる



「……おい、ウェーバー!」

「んあ?」

揺さぶられて、クルツは眠たい目をこすった

そこは、警視庁の特殊犯捜査一課の仕事デスクだった

「あ、オレいつの間にか寝ちまってたのか」

「ったく、人の机の上で大胆に寝てやがって」

「ハハ……」

「よだれは拭いておけよ。さ、おまえをみんなに紹介するぞ。みんな、隣の部屋でお前を待ってる。早く来いよ」

「ああ」

さて、行くか、と立ち上がったクルツに、その机の上に置かれていた据え置き型のカレンダーが目に入った

その日付を見て、気づいた

「明日は非番か。……そんなら、久しぶりにあいつの見舞いに行くか」

そしてクルツは、課長に続いて、隣の部屋に向かっていく

そこがオレの力を必要としているから。

だからオレは、そこで尽くしてやろう



クルツは、明日のことを考えると、ふっと笑った

大丈夫。もうあいつのまっすぐな目を、今のオレなら受け止めれる。見つめ返せる。

オレは、あれからまっすぐに歩いてきた。

自分の信じる道を。警察官として、堂々と歩いてきた

だから、もう大丈夫さ



そのクルツの目は、ただまっすぐ、前だけを見つめていた




目次へ