白い悪魔と黒い悪魔

フルメタ事件簿へ


白い悪魔と黒い悪魔 3


全てを語り尽くして、ガウルンは次にこう告げた

「お前は犯罪者が全て悪いと言ったな。だがストリートチルドレンにとっちゃあ、犯罪こそが生きていくために必要なものなんだ。やらなきゃ飢えて死ぬだけだ」

「…………」

「物売りとかで地道に稼げという奴もいる。だがそんな稼ぎはたかがしれている。その日の食料でさえ買えるか買えないかってところだ。他の仕事をしようにも、ストリートチルドレンなんて誰も雇ってくれやしねえ。哀れみと侮蔑の視線を受けて、細々と横たわってるしかねえんだ。ストリートチルドレンに向かって『犯罪をするな』というのは、『なにもせずに死ね』と言うのと同じことなんだぜ」

「…………」

宗介は一切口をつぐんでいた。それでもガウルンは喋り続ける

「『犯罪はいけないことだよ』なんて言えるのはよ、そいつが恵まれた環境にいるから言えるんだ。そいつも俺のような劣悪な環境に放り込まれてみろ。果たしてそいつは、なにもせずに死ぬのを選ぶか、窃盗なり強盗なりやって生き延びるか、どっちだろうな?」

「しかし、法が……」

「ふん。分かってるんだろう? 法なんてもんはな、その恵まれてる奴らどもが、自分の身を安全にしたいための道具だってことくらいよぉ。上手く道徳だか論理だとかを織り交ぜて、人類に無意識に抑制させている。そうしなきゃ、恵まれてる野郎どもは、あっという間に奪われてしまうからな」

「つまりお前が言いたいのは、悪いのは犯罪者でなく、それを取り巻く環境だって言いたいのか」

「その通りだ。生まれて家族が居る奴は、どこまでも守られてやがる。そいつはなにもしなくっても親が食わしてくれるし、人権だって与えられてる。知ってるか? ストリートチルドレンってのはほとんど奴隷扱いなんだぜ。幼子が安い賃金で身売りされたり、労働させられ、身体も道具のように扱われる。これで人権なんてあるって言えんのか?」

「お前もそうだったのか?」

宗介の問いに、ガウルンは一瞬だけ黙り込んだ

「……そうだ。だから力が欲しかった。俺が奴らに利用されるんじゃない。俺が奴らを利用してやろうと、色々やってやったさ」

建物の壁の隙間から、風が差し込んで、埃がぶわっと舞い上がった

「さぁて。もう一度聞くぜ? 犯罪を犯す奴が悪いのか?」

「…………」

宗介は、まだ銃をガウルンに向けたままだった

しかし、その銃をゆっくりと下に下ろした

「たしかに……全てが全て、犯罪者が悪いとは言えんかもしれん。俺はストリートチルドレンの前に実際に居たら、どう対応するべきか、正直分からない」

にやあっとガウルンの頬が釣り上がった

「――だが」

宗介は、下ろした銃をまた構え、しっかりとガウルンに狙いを定めなおした

「ガウルン。俺は忘れていない。初めて貴様とあった日、あのデパートで。貴様は一般人の客を撃ち殺した。あの行為には、なんの意味もないものだった。貴様はなんの罪も無い一般人を、ただの快楽のために殺したんだ。お前はその時点で、許されない犯罪者だ!」

ガウルンの過去はたしかに悲壮なものだった。しかし、それとこれとはまた別だ

「…………」

はっとして、ガウルンの立ち位置を見た

さっきより、いつの間にかこっちとの距離を詰めていた

そもそも、何故ガウルンはいきなり身の上話を語り始めた? そっちに気を引いておいて、反撃の期を伺っていたのだ

宗介は引き金に力を入れる

が、もうこの間合いは、ガウルンの距離だった

引き金を引くより早く、彼はこっちに一気に踏み込んで、宗介の拳銃を蹴り払った

銃は横の壁に当たり、はじかれてコンクリート床を滑っていく

「くっ」

素手で対応しようとしたが、ガウルンの動きは素早かった。彼は身体を低く丸めて、ショルダータックルをかましてきた

その勢いは強く、宗介は後方に体勢を崩され、しりもちをついた

「ククッ、せっかくだったのに残念だったな」

ガウルンは部屋を抜けて、階段へと向かう

宗介は銃を拾うのを諦めて、すぐに後を追った



飛鷲の目が光った途端、椿一成の動きがぴたりと止まった

そのことに、にたりと口を歪める飛鷲

「これで貴様はもう動けない。あとは私がもう一度催眠術で解くか、私がお前を殺すか。そのどっちかでしか動くことはできない」

「…………」

「おや、口も動かせなくなったかな? ふふ、拳法使いよ、じわじわとなぶり殺してくれよう」

コキコキと指の骨を鳴らして、一成との距離を詰める

その距離が、手の届く間合いに入ったとき、一成がいきなり顔を上げた

「お前が死ぬって選択肢もあるぜ」

「――!」

飛鷲が驚いてとっさに身を引いたが、遅かった。それより早く一成は踏み込んで、掌を飛鷲の腹に突き出した

掌底が見事にヒットし、そこから生まれる衝撃波が、飛鷲を吹っ飛ばす

飛鷲は数メートル後退して、ようやく踏みとどまった

「……ぐっ」

「タフになってるようだな。でも、ダメージは大きいだろ」

飛鷲の腹の皮膚が、大きくねじれていた。この分では、内臓もいくつかねじ曲げられてるだろう

口の中に、鉄の味がした。ぺっと溜まった血を吐き捨てる

だが、足の筋肉が思うように動かない。さっきの掌底で、痙攣を起こしていた

「き、貴様ぁ。なぜ動ける? 催眠術が効いてないというのか……?」

「ああ。効いてねえな」

一成は肩をこきこきと鳴らし、腕をぶんぶんと振り回す。どこも筋肉は硬直していない

「な、なぜ……」

「俺たち戦闘員は、催眠に耐える特殊な訓練を受けてんだよ。もっとも、それでもレナードの野郎の催眠にはどうだか自信はねえが、それ以外の催眠術師なら耐えられる。お前だって、レナードに経由されて催眠術師になったクチだろ? そんな即興モンが俺に通じるかよ」

「こ、こんな……。こんな……」

「体中が痛えだろ? 楽にしてやるよ」

一成は、十分に間合いを取った距離で、構えなおした。そしてトドメを刺すべく、拳を腰だめに、深く気を練っていった



ガウルンとの追いかけっこは終局を迎えていた

ガウルンが屋上に向かおうとしていたのを感づいて、別のルートから先回りした

その予想は当たっていて、壁のない剥き出しの階段の途中で、ガウルンと出くわした

「これ以上は行かさん」

宗介が見下ろす形で、ナイフを構える

「しつこいぜ、カシム。今は忙しいんだ」

ガウルンも、ようやく足を止めて、自分専用のナイフを引き抜いた

「ならば今ここで死なせてやる。そうすれば忙しいと感じることもなくなるぞ」

「……ったく、仕方ねえな。そこをどいて、さっさと他の国に渡らせてもらうぜ」

ガウルンの目に、殺意が宿った

階段の上ならば、満足に動くことはできない

自分の足場を確保しての、接近戦となる

銃を使いたかったが、それだけの空間余裕と、距離がなかったため、ナイフという選択だった

だが、ガウルンもさすがにここでは満足に動くことはできないはずだ

ナイフの技術はさっきの戦いで劣っているということは分かっていた。しかし、手数では負けてはいない

階段上で、ガウルンの足場の範囲を計算に入れての、ナイフの一撃を振り払った

ガウルンは反応よろしくそれをかわそうとするが……踏み変えた足場に段差があって、避け動作が少なかった。ナイフの刃が、ガウルンの上着をかすめ、薄く切り裂いた

いける――

間髪入れずに、二撃目、三撃目と続いて攻撃を繰り出す

だが――二撃目は、ガウルンのナイフの刃が当たって軌道を歪まされ、三撃目は、下からの力強いナイフの振り上げにはじかれた

「なっ……」

「遅えよカシム」

ガウルンのナイフの先が、更に襲い掛かってくる

宗介はそれをよけようと身体をひねるが、それすら予測されたかのように、脇腹を半分突かれた

速い――!

さっきの戦り合いよりも、さらにナイフの速度が上がっていた。より避けにくい軌道になった

腕を切られ、肩を突かれ、一方的にやられていく

さっきとは比べ物にならないほど、ガウルンの攻撃が凄まじくなっていた

宗介は傷口を押さえ、たたらを踏んで後退した

「ぐっ、貴様……さっきは、本気を出していなかったのか……?」

動揺する宗介を見上げて、ガウルンはにたりと笑った

「だから言ったろ? 少しだけ遊んでやるってな」

そして、もう今は遊びではない。これが、ガウルンの本気だったのだ

強すぎる――圧倒的に強すぎる

これが実戦で経験を積んだ傭兵との差なのか

気合や根性などではとても乗り越えられない壁というものを、宗介は痛感させられた

ガウルンが、素早い動作で宗介との距離を詰めてきた

とっさに身構えるより早く、とん、と宗介の胸を突き押した

ぐらり、と大きく体勢を崩され、足場を踏み外し、階段の上に無様に倒れる

ガウルンはそれを見下ろして、ゆっくりと阻む者のいなくなった階段を上り始めた

まるで挑発するように、その顔には笑みを浮かべて、ゆっくりと一段一段階段を上っていった

「…………」

宗介は硬い階段に尻を落としたまま、呆然と彼が先へ行ってしまうのを見送るしかなかった

ガウルンの姿が見えなくなると、急速に胸の中に黒いものがうずまいて、悔しさがこみ上げてくる

「くそっ!」

完全にやられた

あれだけ復讐に燃えて身に付けたはずのナイフ技術は、どうあがいても通用しなかった

今度は人質がいなかったというのに。存分に奴をぶちのめす状況ができたというのに。

なにもできなかった

奴に追いついても、奴には勝てない

――また、奴を逃がしてしまうのか

一度頭にそれが思い浮かんで、ぎっと下唇を噛み締める

もう、何度あいつを取り逃がしたと思ってる。もう逃がさないと決めたんだ

逃がしてたまるか。今度こそ、今度こそ――

そこで、その階段から見える廊下の端に、ドラム缶を見つけた

錆びていて、埃が積もっていたが、まだ中身を保存できる状態のドラム缶が、いくつか並んでいる

それを揺り動かしてみると、たぷん、と液体が中にたまっているのを感じた

上蓋の丸い小さな栓を引っこ抜いてみる。つんとした、独特の匂いが鼻をついた

「なぜ、こんなところに……」

この会社が潰れたとき、そのまま放置しているところがあちこちにある。これもその処分を放置されたらしい

「…………」

宗介の手は、それに伸びていた



「追いかけてこねえな」

ガウルンは同ビルの屋上に来ると、その淵に腰を下ろしていた

てっきりカシムはここまでも執拗に追ってきて、またも無謀に突っかかってくるだろうと思っていたのだが。

「なんだぁ、拍子抜けだな。ここでもうちっと遊んでやろうかなと思ったのによ」

しかし、追ってこないなら追ってこないで、こっちは休憩に入る。さすがに走り過ぎた

呼吸を整えつつ、上を見上げる。今日は天気が悪いのか、黒くにごった雲が、空を覆っていた

「さてと」

ガウルンの手には、注射器があった。彼は手馴れた動作でそれを足の付け根に刺し、中の液体を押し込んだ。

ガウルンの筋肉は薬によって限界まで膨らみあがり、もはや見慣れた筋肉の化け物へと変貌していた

その時、ガウルンはなにかの異変を感じ取った

なにか、ヘンな匂いが、下のほうから……

なんだ? とガウルンは淵からビルの下側をのぞきこんだ

地上階に近い階の窓から、炎が吹き出ていた

その炎はとても不自然なほどに凄まじい勢いで、うねりを上げながら、次第に上へと昇ってくる

「ガウルン」

呼ばれて、顔を上げてその声の方を向く

屋上の出入り口のところに、宗介が突っ立っていた

「ほほう……」

ガウルンは意外そうに、眉を動かす

「下の火事、お前の仕業か?」

外から見ても分かるあの炎の勢いは、間違いなくガソリン系を使ったものだった

彼はなにも言わなかったが、それが肯定を示していた

「……貴様を逃がすよりはマシだ」

平然と、宗介はそう言った

ガウルンを逃がさないために、自分もいるこのビルを、ガソリンで火を放ったというのか

「ククッ」

ガウルンは、声に出して、低く笑った

「いいねえ、そのイカレっぷり。それだよカシム。最高だ。最高だよカシム」

心の底から嬉しそうに、ガウルンは身悶えていた

そして宗介に向かって、両手を広げた

「それでどうする? お前は俺と一緒に心中しようってのか? 俺と一緒に焼かれ死んでくれるってか?」

「誰が貴様なんかと」

嫌悪感あらわに、宗介は顔を歪める

「降伏しろ、ガウルン。もう火の手はそこまで来ている。今から下に急いでも、筋肉を強化しようが、その炎に焼かれ死ぬだろう」

「…………」

ガウルンは、もう一度下のほうに視線を落とした

すでに火の手は六階にまで上がってきている。宗介の言う通り、六階から一階まで突っ切ろうとしても、その前に筋肉は焼かれてしまうだろう。筋肉強化させても無理だ

「ぎりぎり下の階まで行って、窓から外に飛び降りようとしても、もうそれも無理な高さまで火の手が上がっている」

確かに、六階からでは、さすがに筋肉強化したとしても、無理だ

「それでどうする? それはお前も同じことじゃねえのか、カシム?」

「……応援のヘリをここに呼んだ。俺はそれに乗って、ここから脱出する。お前は大人しく降伏し、捕まった状態でそのヘリに乗るか、もしくはこのまま焼かれ死ぬかだ」

「…………」

パラパラパラ、とまだ遠くからだが、ヘリの音が聞こえてきた。火の手が屋上のここにくるまでには、間に合う距離だった

「さあどうする、ガウルン」

「投降か、焼かれて死ぬか。ねえ……」

ガウルンは右足を小さく前に出し、身体を前傾させた。そのわずかな動きに気づいた宗介は、まさかと拳銃を構えた

ヤツは投降する気がない。それだけじゃない。ヤツはただで死ぬつもりもない

考えられるのは、俺を巻き込んでの心中だ

どうする。ここでヤツと戦りあうか。しかし、それではこっちも死ぬ可能性が高い。

もしかしたら、ヤツは逃げ切れるかもしれない。相手は常識では縛れない黒い悪魔なのだ

トドメを刺すのは今しかない。それに、こいつを倒せるのなら、俺は死んでもいい

だが――

そこで、レナード・テスタロッサの顔がちらついた

だめだ。俺はあいつを殺さなければならない。それまでは死ねない!

ガウルンが、だっと太い丸太のような筋肉の足で踏み出して、こっちに向かってきた

やはり宗介もろとも、ここから飛び落ちる気か

宗介は構えていた拳銃の引き金を引いた

一発の弾丸が、分厚いガウルンの胸に命中した。それは深くめりこんで、皮膚を食い破り、穴を開けた

だが、それだけではガウルンの勢いは止まらなかった。彼はまるでこっちを抱きしめようとばかりに、両手をがばっと広げて突進してくる

「一緒に死のうぜぇ、カシムぅ!」

宗介はここで立ち止まってさらに撃つという選択肢を捨てて、ガウルンの突進を避けようと、横に走り出した。

しかし、それよりもガウルンが早かった。一気に距離を詰め、がつんと分厚い筋肉をぶつけてきた

強烈なタックルを食らってしまい、宗介は後ろに大きく跳ね飛ばされた。屋上の淵を越え、外にまではじき出されしまった

ウソ……だろ?

手を伸ばしても、なにも掴めなかった。そのまま八階はある高いビルの屋上から、落ちていく

このままでは、ガウルンとともに地面に叩きつけられて――死ぬ

なんとか指先をビルの外壁にひっかけようとするが、落下の勢いで爪ががりがりと削られ剥がれていくだけだ

下りのジェットコースターのように、景色がめまぐるしく落ちていく

本当にガウルンと心中なんかしてたまるか!

なんとか視線を下に向けると、三階と四階の間の外壁に細いパイプが通っていた

生存本能が、それに賭けていた。考えるよりも先に腕がそっちに伸びて、絡めるようにそのパイプにひっかけた

ガァンと激しく振動して、嫌な音と共に腕に激痛が走った。あの落下速度でいきなりパイプに腕をひっかけたから当然だった

ズキィンと痛みが肩にまで伝わってくる。もしかしたら、脱臼か腕の骨が折れたかもしれない

だが、これで地面への落下はまぬがれた。

と思った矢先、宗介の身体に二本の丸太のような腕が伸びて、からめてきた

一緒に落下していたガウルンが、背後から宗介にしがみついてきたのだ

二人分の体重が加わって、しがみついていたパイプが、パキンとへし折れた

「あ……」

ガウルンに引っ張られるように、またも身体が空に放り出され、再び落下していく

もうなにも掴めるものはなかった。空が急速に遠のいていく

次の瞬間、背中に言葉では表せないような衝撃が襲ってきて、身体が一度跳ねた。後頭部が地面にぶつかり、視界が一瞬まぶしく光った。

地面に激突したのだと認識した瞬間、全身の激痛に意識が遠のいた



「う……」

目が覚めたとき、宗介は寝かされていた。

しかし、場所はさっきと変わらない。さっきまでいたオフィスビルは横にあって、まだ火事のままだ

ミスリルからの応援のヘリが二台そばに止まっていた。隊員たちが、消火活動に当たっている

視界の中の隊員の一人と目が合った。その隊員はこっちの様子に気づいて、みんなのほうを向いた

「おいっ、相良が意識を取り戻したぞっ」

やはり、俺は意識を失っていたらしい

だが、この様子を見るに、気絶していたのはほんの数分のようだ

「動かないで。これからミスリルに運んで治療を受けてもらいますから」

そこで、自分がもう担架の上に寝かされていたことに気づいた

身体がまったく動かせない。神経が切り離されている気分だった。

少しでも口を動かそうとすると、すぐに激痛が全身を駆け巡る。それでも気になって、その隊員に聞く

「……ヤツはどうなった。ガウルンはどうなった?」

「ここに着いたときには、相良さんしかいませんでしたよ。今、そいつの捜索にも当たっています」

「…………」

いない

あの高さから落ちたというのに、動けたというのか

いや、途中で俺にしがみついて、三階あたりの高さで、落下速度がゆるんだ

パイプにしがみついたおかげで、俺もどうにか生きている。そして一緒に落ちたガウルンは一足先に意識を取り戻し、逃げたのだろう

「ソースケっ!」

駆けつけてきたのは、クルツだった

あれから無事にミスリルに戻り、応援として駆けつけてきたらしい

「く、クル……ツ……」

しかし、痛みで口がうまくまわらない

「喋るな。お前、全身の骨がバラバラなんだぞ」

「が、ガウ……ルン……を」

「ああ。もう空港とかは警戒態勢に入ってる。だが、まだ動きがねえんだ。どこかに逃げようとしてるのは間違いねえんだが、その逃走ルートがわからねえ」

「……ヤツ……は……海だ」

「海? 船を使って逃げるってことか。確かに、海上では全体の把握が難しいが……なにか確証はあんのか?」

「……ああ」

全身の痛みで説明することはできなかったが、宗介なりに確信していた

ガウルンとの会話の中でヤツは言っていた

他の国に渡らせてもらう、と

飛行機ならそこを『飛ぶ』と表現するはずだ。

他にもあるが、ミスリルの見張り体制から逃亡できるルートの中で、一番可能性が高いのが海だった

そしてこの近くで海に抜けるルートは、乗り物系を封鎖してる今、川しかない

「あいつを……逃がすな」

その言葉に、クルツは宗介の手をそっと上からかぶせるようにしてうなずいた

「分かった。あとは任せろ」

そして宗介を乗せた担架は他の隊員たちによってヘリの中に運ばれ、そのヘリはミスリルに向かって飛んでいった



「おい、周辺の地図を見せろ」

クルツの指示で、隊員の一人が大きめの地図を地面に広げる

「海へのルートは……これだな。この距離なら、まだ海へは抜けてないはずだ」

ここに着いてそれほど時間は経っていない。まだガウルンを追える

クルツは残りのヘリに乗り込んで、そのパイロットにコースの指示を出す

パイロットはその指示内容をミスリル本部に連絡し、向こうからその許可がすぐに下りた

そしてクルツを乗せたヘリは、ガウルンにトドメを刺すべく、飛び立っていった

予測ルートをなぞるように飛ぶヘリの中、クルツは銃の準備を始める

今が大きなチャンスだ。ガウルンは、宗介との戦いで少なからず消耗しているはずだった

それに加え、こっちの準備は万端だ。しかも今クルツの手には、強力な武器がある

それは、ミスリルの技術力で生み出された新兵器

連射ができるスナイパーライフルだった。普通、スナイパーライフルは一発ずつしか発射できない

そっちのほうが狙撃向きだったし、なにより連射ともなるとブレやすい

扱えるものがいなかったのだ。しかし、今は白い世界を生み出すクルツ・ウェーバーがいる

彼にのみ扱える、新型のライフル銃だった

ライフル専用のぶっとい弾丸を連射で叩き込めば、さすがのガウルンも倒れるはずだ

ソースケが生み出したこのチャンス、無駄にするわけにはいかねえ

ガシャンとレバーを引いて、狙撃の姿勢をつくり、いつでも撃てるように構えておく

全ての神経を集中させ、彼はスコープの先に集中させた

「おっ」

少し先にいったところで、その川に船が止まっていた

ヘリを降下させ、パイロットを中に待たせたまま地面に降りた。そしてその船に近づいてみる。

船は無人だった。しかし、エンジンはまだ温かい

誰かがさっきまで乗っていたということだ

「…………」

ふと、船のそばに血痕を見つけた

まだその血は乾いていない

クルツはその血を指先ですくいとって、もうひとつの手でポケットから小型の機械を取り出す

その機械の四角いプレートの上に、すくいとった血をこすりつけ、機械を操作した

小型機械はミスリル本部のコンピュータネットワークに繋がって、そこのデータを漁っていく

ほんの数秒で、すぐにその血の結果を表示させた

『照合完了。結果・ブラックリストナンバー2、ミスターガウルン。照合率98%』

「やはりな」

簡易照合機をポケットに仕舞いなおして、ヘリに戻る

ガウルンはこの近くにいる。おそらくヘリが近づくのを音で感知し、一時的に身を隠したのだろう

だが、そのままじっとはしないだろう。時間が経てば経つほど、包囲が強化されて逃げられなくなるからだ

「おい、この辺をゆっくりと旋回しろ。ヤツを見つけたら、同じ位置をキープしてホバリングしろ」

「了解」

遅めの速度と低い高度で、ヘリが辺りを旋回する

辺りはさいわい人気がない。荒れた建物が密集しているが、ここもさっきのビルのように荒れ果てて使われていないようだった

ふと、視界の隅でなにかが動いた

大きさからして人間。そして今ここにいるヤツといえば、ガウルンしかない

「見つけたぜ!」

新型ライフル銃を構え、スコープを覗く

その先でゆらりとまた人影が動く。こっちを伺っていたが、すぐに建物の陰に引っ込んだ。その顔は、間違いなくガウルンだった

「次に出てきた時が最後だぜ」

キィィィンと、クルツの神経が研ぎ澄まされていく

クルツの視界が目標地点を残して白い壁に覆われていく。辺りの風を全て『理解』し、撃つべき『軌道』ができていく

命中率100%を誇る白い世界を発動させたのだ

中々ガウルンは次の動作に移らなかった。それなりに警戒しているようだ

だが、次の建物に移ろうとついに建物との間を走り抜けようとした

白い世界に入ったクルツがそれを見逃すはずもなく、すぐに引き金を引く

ライフル弾が、風を突っ切ってターゲットめがけて飛んでいった

ところがここで、クルツの予想を超えることが起きた

ガウルンは更に加速して、常人をはるかに超えた動きで、その弾丸をかわし、建物に移ったのだ

白い世界を発動させたにもかかわらず、ガウルンに命中しなかった

「な……?」

これは信じがたいことだった

「さっきのあいつ……なんだ? 異常な身体してやがる」

いわば、筋肉の鎧を身に纏っているようだった。そしてあの加速、動き。全てがクルツの常識を超えていた

ガウルンの異常な肉体が、白い世界の常識を超えていた

「だったら……」

クルツは銃のレバーをもう一度ガコンと引いた

「その異常な世界に、更に合わせ直してやるぜ」



さっきの一発だけで、ガウルンには誰が撃ったのか把握できた

「あの金髪ヤローだな」

筋肉を限界以上に引き上げたこの状態での動きに、あそこまでついてこれたのは、ヤツの射撃しかない

「だがよ……」

避けられる。

ぎりぎりだが避けられる

もはや、人間を越えたこの俺に、立ち向かえるヤツなんざいねえんだ

もう少し先にまで行くことができれば、そこは町がある。人ごみにまぎれ、そこから海へのルートに戻って海外に脱出できる

そして世界を混乱させて、もう一度戦場を起こしてやるんだ

「じゃあな、金髪野朗」

さっきよりも早く。目で認識すらできないほどに早く。

ガウルンは走ることに集中させ、次への目標地点へ向かおうと、大きく地面を蹴った

そして建物を出た瞬間――右脚の筋肉がちぎれ飛んだ

「な――っ?」

右足は骨がむき出しになり、がくりと体勢が崩れ、左脚でそれを支えようと踏ん張る

その左脚に、太い弾丸が飛んできて、筋肉を削ってきた。一発ではない。数発もの太い弾丸が正確に左脚の筋肉を食い破っていく

「ぐああっ」

両方の脚の筋肉が、えぐり取られた。骨だけでは身体を支えられず、ずしゃりと地面に倒れた

「う……ぐっ」

それでも手を地面について、上半身を起こそうとする

その右腕に、またも弾丸が襲ってきた。丸太のように太かった腕の筋肉があっという間に削られて、右腕が動かなくなった

右腕を捨てて左腕だけで這おうとする。その左腕も、一瞬で削られた

「……マジかよ」

もう動かせるものがなく、彼は地面に腹ばいに倒れた。



クルツはスコープから目を離し、パイロットに降下しろと指示した

ヘリを降りてパイロットには待機させ、血とはじけ飛んだ肉片の上に倒れたガウルンに近づいていく

四肢をもがれたガウルンは、それでもまだ意識を保っていた

クルツが近くに来たのを気配で感じ取ると、顔面はまだ動くらしく、にたりと口を吊り上げた。

「まいったぜ。てめえ、なんて野朗だ……」

クルツはガウルンの肩を掴み、あおむけにひっくり返した

そしてガウルンの胸に空いている穴を見下ろして、クルツは言った

「てめえもな。その胸の一発……ほとんど致命傷のクセに、よくあそこまで動けたもんだぜ」

宗介が撃ったであろうその一発は、見る限り心臓近くにまで達しているはずだった

「フン……」

ガウルンは口を閉ざす。だが呼吸は荒かった。今でも血は流れ続けている

クルツは銃を置いて、ガウルンの横にあったコンクリートの欠けた土台に腰を下ろした

「よぉ。トドメ刺さねえのかよ?」

「てめえはもう放っといても間違いなく死ぬさ。スナイパーは無駄弾は使わねえんだ」

と、クルツは胸ポケットからタバコを取り出し、それを口にくわえて火をつけた

ガウルンは確かにもう動けなかった。クルツには目を向けず、ただ目の前の空を眺めた

「……汚ったねえ空」

ここが荒れ果ててるのが影響してるのか、スモッグの影響か、空の色も、雲の色も薄汚れていた

「……俺の一番古い記憶はよ、こんな風に汚ねえ空だった。なにもすることがない時……いつも空を見上げていた」

「…………」

クルツはただ黙って、タバコの煙を吐き出す

「思うことはいつも同じだったぜ。俺はこんな汚い空の下で生まれ、そのまま一生を終わらせるんだろうかってな。そしてそれが嫌だった。俺は力を手に入れ、こんな空とは比べ物にならねえほど壮大なとこで死んでやる。そう誓ったこともある。だがよ……」

そこで、一度可笑しそうに笑った

「だがよ、結局はおんなじ空の下だった。こんな人気のない、寂しいとこでよ。俺は結局こういう運命しかついてまわらねえんだろうぜ……」

「…………」

クルツはなにも答えない

ほんの数秒、沈黙の時が流れた

「……よお」

ガウルンの声が、だんだんと生気を失っていく

「一服……吸わせてくれよ……」

クルツは、一度もガウルンのほうには目を向けず、ただ前を向いたまま言い放った

「さっさとくたばれよ、バカ野朗……」



黒い悪魔は羽をもがれ、地に落ち、そしてそこで――潰えたのだった




目次へ