受け継がれる瞳 3ロシア カザン 13世紀のモンゴル西征後その支配下にあったカザン そこではロシアに現存する唯一のタタール様式の要塞(クレムリン)がいまだに残っている。 宗介が率いる一個隊のミスリル部隊は、ガウルンの取引場所と思われる場所に降り立っていた 今回、千鳥は別行動で、代わりに戦闘員である椿一成が加わっている ガウルンが相手のためか、他の者もそれなりに戦闘能力の高い者ばかりだった 「情報部によると、ここから北5ブロック内のどこかで、取引が行われるらしい。まずはその捜索にあたる」 情報部といえども、取引場所を掴めたのはこの辺りというだけで、特定の建造物内までは分からなかった そのため、現地でさらに範囲を狭めるために、より細かい情報収集を行う必要があった 「各自、慎重に情報を収集せよ。一時間おきに連絡を怠るな」 宗介の指示に、みんなが了承し、それぞれ散っていった 取引時間は夜。それまでの半日で、できるだけ場所を特定せねばならない その聞き込みには慎重に慎重を重ねる必要があった 一番いいのは裏の者に聞き出すことだが、そいつが取引関係者であったら意味がない 聞き出す人物を見分け、なおかつ信用のある情報を入手できねばならない 今日中になにか大きな動きは見られないか、特定の組織に不審な動きは見られないか そんなことを忍耐強く聞きまわっていった
取引時間の一時間ほど前にして、いくつかの有力な情報が集まった それらを総合すると、今夜取引が行われ、かつ予想範囲内の場所となると二つだけに絞られた このどっちかがガウルンが関わっているはずだ 「取引内容は掴めているのか?」 「一方は不明ですが、こっちのFブロック、造船所倉庫内で行われる予定の取引は、武器密売絡みのようです」 「武器密売、か……」 ガウルンは武器密売も商売のひとつだったはずだ。関係は大いに考えられる 「しかし、もう一つが気になるな」 「こっちはどうにも要領を得られません。実際に取引があるという話があるわけではないのですが、普通は立ち入り禁止区域になっている場所に、今夜人が集まるという話が。その身元は不明で、なにを目的とした集会かも把握できません」 「怪しいな」 二つとも待ち構えておきたいが、戦力を二つに分散させるのは避けたかった あのガウルンを倒すには、一人でも多くの戦力を必要とするからだ そこに、定時連絡が遅れていた班から連絡が入った 「新しい情報が入りました。Fブロックの倉庫で行われる取引は、ロシアの過激派とイランの過激派グループの武器密売のようです。確認とれました」 ガウルンはこれまでの例からいって、過激派グループに決して属さない。 傭兵を辞めてからは、ずっと単独行動で世界を渡り歩いているからだ 「これで絞れたな。もうひとつの取引現場に行くぞ」 内容も、取引人物の身元も一切不明の取引に、おそらくガウルンが関わっている その現場を取り押さえる必要はない。ガウルンを見つけたら、即座に殺していいことになっている 現場を包囲し、逃げ場を潰してから、一斉攻撃をしかければいいのだ 「今度こそ逃がさんぞ、ガウルン」 宗介率いる部隊が、一人の男を抹殺するために、その取引現場へと向かっていった
そこは情報を掴んでいたブロックの一番端の一帯だった ガレキの山で、建物らしき形は残っているものの、今にも崩れてしまいそうだ それだけでなく地雷が残っているとして、立ち入り禁止区域に指定されている 現場は、そこの地下にあった 元々工場だったらしく、その地下倉庫がここにあるという 地下は地上の建物より形が残っていて、少しの刺激で崩れることはなさそうだ 「逃げ場を常に確保。ガウルン以外の者が現れたら、その出方しだいでそれぞれ対処しろ」 「了解」 宗介が先頭をいき、その後に一成、隊員たちが続いていく 「妙だな、この雰囲気。どこかに似ている」 取引現場はなんども突入したことがある。そのせいだろうか 地下に入ってしばらく無機質な通路を歩いていたが、人の気配はなかった その奥に扉があり、警戒して開けると、さらに通路が延びていた。その先に、ようやく人の気配がした 自然と、銃を構える。だがその中で、椿一成だけは拳銃を装備していなかった それを訝しげに見つめていると、一成はふんと鼻をならした 「オレに武器は必要ねえ。この拳ひとつで十分だ」 典型的な格闘野郎か、と宗介は判断した。他の戦闘員も、射撃の腕よりも肉体の強さを強調していた もっとも射撃が優れていれば、戦闘員よりもクルツのいる狙撃班に配属されていただろう しかし、この目の前の椿という男が、ガウルンよりも体術が優れているとは到底思えなかった ガウルンのナイフさばきや接近術は、それを得意とする宗介を圧倒的に凌駕していた それを身をもって知っているからこそ、不安を抱かずにいられなかった その視線を感じてか、一成は不機嫌な声で言い切った 「いいからさっさと片付けようぜ。お前は銃で、オレは拳。奴を倒せるならなんだっていいだろ」 うざったそうに睨んできたので、それを受け流して前に向き直った 取引時間はすでに立っている。奥に取引相手と、ガウルンがいるはずだ それぞれが配置について突入の体勢をとろうとしたとき、向こうから足音が近づいてきた 見張りが来たのだろうか。即座に照準を通路の角に合わせ、構える 足音がそこまできて、人影が伸びてきたとき、そこに現れたのは中年の男だった ガウルンではない だが、その男の光を失った目と身に纏った重い雰囲気は、驚いたことにアマルガムそのものだった なぜ、催眠状態の男がこんなところに……? その中年男は、こっちを敵と認識したのか、人が変わったかのように目つきがドス黒いものになって襲い掛かってきた 「ちっ」 大きく広げてきた体に、こっちもタックルで仕掛けるように壁に押し付けた よろめいたところに、その後頭部めがけて拳銃の尻で叩き落す しかし普通ならここで気絶するはずだが、中年男は激痛に怯むことなく、またも飛び掛ってくる やはり催眠に操られている。この異常な耐久力。間違いない 組みつかれて、拳銃が使えない。拳で顔面を殴りつけ、肘で側頭部を打ち付けた 男は鼻血を吹いたが、それでも体を離さない。まるでゾンビに襲われた気分だ そのまま宗介の喉元に喰らいつこうとしてきた。それを首をひねるようにして避け、逆にその首を絞めて床に叩きつけた 地面に頭を強く打って、ようやく中年男は動かなくなった 「どういうことなんだ」 なぜこんなところにアマルガムの組織が? ガウルンの取引相手がアマルガムだったのか? しかしそんなことを考えてるうちに、奥の部屋の集団がこっちに気づいて、今度は大群で攻めてきた その動きもまた、これまでに対処してきたアマルガム組織と重なっていた 「しかたない。作戦変更、この拠地を壊滅、幹部を倒せ。ガウルンを発見したら、同優先に攻撃しろ」 まずは、この大人数をなんとかせねばならない。いくら宗介でも、これを一度に相手できない そこで細い通路に誘い込み、先頭から次々と対処していった 隊員たちはガウルン用に実弾の装備を持っていたので、操られているだけの者たちを射殺するわけにもいかず、体術を駆使して切り抜けていた しかしそれでも、これまでよりもずっと数が多い これまでならば、慎重に拠点に侵入し、少しずつ数を減らして幹部のもとに近づき、そいつを倒すことになっている だが今回は、唐突すぎた。 そこらの過激派集団ならいざしらず、あのアマルガム組織に偶然か必然かは知らないが、遭遇してしまった 前もって立てておくべき作戦がないのだ 一斉に襲い掛かられると、こっちのポジジョンを維持できず、後退せざるをえない 「くっ、こいつら、次から次へと……」 まるで無限に出てくるゲームキャラの雑魚を相手にしているみたいだった。脅威はそれほどでもないが、疲労が激しい 宗介は身近にいた隊員五人ほどに声をかける 「援護しろ。一点突破で幹部をめざす」 集団の一点に集中攻撃をしかけ、道をつくることにした ここの通路を抜けた奥の部屋に、催眠術師の幹部が潜んでいるはずだ そいつを叩けば終わる しかし、数が数だけに、援護の数が一人、また一人と集団の波に流されるように消えていく やっと通路を抜けて奥の部屋にたどり着いたときには、援護は一人となってしまっていた この部屋もまだ操られた者たちでひしめいている だがその中で一人、壁際の白人男性が、集団とは逆に、宗介たちから逃げようとしていた 目の光も他の集団とはあきらかに違う 「あいつだ」 標的を確認する しかし、そこまでに集団の壁で阻まれた。ざっと二十人。こっちは二人。 援護の男が、襲い掛かってきた襲撃者を蹴りで二人なぎ倒す 宗介も急所を狙って殴りつけ、少しずつ集団の数を削っていく 「ぐわっ」 半数近くまで減らしたところで、援護がついに集団に飲み込まれた 数で身体を床に押し付けられ、身動きがとれない これで援護が全てなくなり、宗介一人。 幹部と思われる白人男性はそれを見て、勝機を得たと思ったのか、逃げるのをやめて集団に指示を下し始めた 宗介は、拳銃をその幹部に向けた 照準をそいつの脳天に合わせ、引き金を引こうとする しかし、その腕が集団の一人に噛まれ、その激痛で拳銃を離してしまった すぐに落とした拳銃を拾おうとしたが、さらに集団が押し寄せてきて、拳銃が拾えない 「クソがっ。どけっ!」 羽交い絞めにしてくる集団を、身体をゆさぶって振り払おうとするが、それぞれが腕や足に組み付いていて、ほどけない 「どけえっ!」 後頭部で後ろの奴を頭突きをかまし、引き剥がそうとする だがそいつはそれにも怯まず、さらに強い力で首に手をかけてきた 幹部はもうそこにいるというのに。まだガウルンも出てきていないというのに すると、背中でなにか凄い衝撃音がして、背後の男が吹き飛ばされた さらに腕や足に組み付いていた奴らも強い力で押しのけられて、宗介からひっぺはがされた 振り返ってみると、そこに椿一成が立っていた。なにやら拳を突き出した構えで、呼吸を整えている 一成はさらに掌を近くの襲撃者に向けて突き出す。それが身体に触れるやいなや、さっきの衝撃音がして、襲撃者の身体が向こうの壁に叩きつけられた 「椿……? いったい、その攻撃は……」 「あ? なんだ、これを見るのは初めてか?」 椿の繰り出す攻撃は、少林寺の拳法に似ていた 「今のは掌底。体内の気を練り、一点に集中して放つ。オレは修行でこの大導脈流を身につけた」 拳一つで倒す、と豪語してみせるだけの威力があった 普通、何度も攻撃してダメージを与え、ようやく気絶させられるこいつらを、たったの一撃で沈めるのだ 椿一成は、宗介が想像していた以上に大きな戦力だった。 集団が、一成の前に次々と蹴散らされていく 幹部はまたも一転したこの状況に、怯えの色をみせた だが逃がしはしない 背後を椿に任せ、床を蹴ってその距離を詰めにいく もう幹部との間を妨げるものはなにもない ――はずだったのだが、どこに潜んでいたのか、二人の大男がぬっと出てきて、宗介の前に立ちはだかる 「異教徒め!」 大男に羽交い絞めにされた宗介に向けて、幹部の男の目が怪しく光った その目を、まともに見てしまった 「がっ!」 宗介の脚がびきびきと筋肉の悲鳴を上げて、石にでもされたかのように、つま先からじわじわと硬直していった 脚の自由を奪われ、立っていられず、宗介は前のめりに倒れた 「全身を動けなくしてから、いたぶり殺してやる」 下半身の感覚が無くなっていく。それはさらに上半身に、まるで無数のうじ虫が這い上がってくるように次々と筋肉がつっていく 宗介の身体が硬直していく様を、幹部は楽しそうに眺めていた しかし油断していたその瞬間、彼の喉元に鋭い刃物が突き刺さった。呼吸どころか痛みもなく、一瞬で彼は絶命した 「腕はまだ動けたようだな」 宗介は、まだ動く腕で腰元の隠しナイフを幹部の喉めがけて投げつけたのだ 幹部が即死したことに連動して、みんなの動きが鈍くなった。洗脳催眠が解けて、みんなが敵意を失っていく 「うまく仕留めたようだな。相良、あんたもなかなかやるようだ」 椿が、す、と手を差し伸べてくる だが、宗介はそれを掴むことができなかった 「……どうした?」 宗介は自分の下半身を見下ろして、忌々しくつぶやいた 「さっきの奴を殺せば全て催眠が解けると思ったが……そうでもなかったらしい」 まだ下半身の感覚が戻らなかった。催眠の元を断ったというのに、まったく動かせない。 「どうやら俺の脚は、奴が死んでも元に戻らないようだ」 催眠術には二つのタイプがある。術者が死ぬと解ける催眠と、術者が死んでも解けない催眠。後者は、催眠をかけた時点で効果持続はかけられた者が死ぬまで続くことになる その後者の催眠で、下半身をやられたらしい やられた、と一人呻く 「どうする?」 椿が屈んで、動かなくなった下半身を見つめてきた 「車椅子を手配してくれ」
ミスリル本部 宗介の負傷はすでに知れ渡っていた 宗介は車椅子の車輪部分を力強くまわして、ロビーに入る 「ソースケっ」 別件にいっていた千鳥が、先にミスリルに帰って待っていて、心配そうに駆け寄ってくる 「脚が動かなくなったって……本当なんですか」 「見ての通りだ」 足の指一本も動かすこともままならず、感覚も完全に失って麻痺してるようだった 宗介は下半身障害者同様にして、車椅子に座っている 「手術すれば、治りますよね?」 「無理だな」 「どうしてです?」 「肉体自体にはなんの異常も出ないだろうからだ。おそらくレントゲンで見てみても、なにが悪いのか医者にはわからんだろう。肉体や神経が損傷してるのではなく、催眠でそう思い込まされてるだけなんだ。だから肉体自体は平常で、手術の仕様がない」 「そんな……」 「そんな顔をするな、千鳥。全身が動けないならともかく、俺はまだ腕も動くし、首も動く」 「だって……」 「それよりも、俺にとって大事なことは……この身体が復讐の妨げにならないだろうか、だ。だがこれならまだナイフは投げられる」 「なに言ってるんですか、こんな時に」 「別に俺は自分の身体がどうなろうが構わない。五体満足でなくても、ガウルンやレナードの野郎を殺せれば、それでいいんだ」 「そんなこと言わないで下さい。他になにか方法があるはず……」 「もう俺のことはいい。それより、クルツやテッサはどうした?」 「クルツさんはもうすぐ帰ってきます。テッサさんはなにか用事で遠出したままです」 「ああ、そういえばそう言ってたな」 宗介は車椅子をギイギイ動かして、背中を壁にくっつけた 予想だにしない痛手を受けてしまったが。それよりも気になることがある。 結局、あそこにガウルンはいなかった もう一つの取引場所にも、別動隊の報告ではガウルンは出現していないという ミスリルの情報部のミスだろうか しかしここで、ありうることだが考えたくはなかった可能性が浮上してしまった 「今までいろんな所へ行ってアマルガムを潰してきたが……ガウルンとの接点はまったくなかった。だが、もしもガウルンとレナードが手を組んだとしたら」 その独り言に、思わずぞくりとした いや、それはない。 あんな二人が組めば、すぐにミスリルにその情報が入るはずだ。 少なくとも、今はまだ奴らは組んでいない だが、ふと思う 「黒い悪魔と白い悪魔が手を組んだら……最悪だな」 そんな日が、もしかしたらそう遠くないかもしれない 宗介は車椅子の車輪にそっと手をかけた
ロシア カザン 廃ビルが立ち並ぶ屋上の淵に、一人の男が腰掛けて、足を外に向けて座っていた 柵もなく、普通なら突風が吹いたら落ちてしまいそうで誰もが躊躇するその場所に、彼は平然としていた タバコを一服、人気のない荒んだ景色を見下ろしていた 「仕事の後の一服は格別だ」 その男、ガウルンは今回の取引がうまくいったことに満足していた。上手くいったあとの一服が彼にとっての至福のときだった ふと、その口が止まった 「ミスター・ガウルンだね」 背後に男が立っていた。さっきまでの気配の消し方で、裏の世界の住人だとガウルンはとっさに判断する 「ああ。そう呼ばれてもいるな」 タバコをぴんと指ではじく。それはなめらかな曲線を描いてはるか下のガレキに落ちていった 「で、あんたは誰か名乗ってくれるのかい」 「初めまして。ぼくはレナード・テスタロッサ」 ガウルンはそこでようやく振り向いた。そこには銀色の髪と銀色の瞳を宿した青年がたっていた。その背後には黒服の男たち数人が後ろに手をまわして組んでいた 「聞いたことねえな」 「アマルガムをご存知ない? そうでしょうね。我々は暗殺請負人みたいなものだけど、貴方には縁がない商売だろうからね」 ガウルンは人に頼むくらいなら自分で殺しに行く。そのタイプなのだと一目で分かっていた 「それで、俺に何の用だ? 業者を通さずに武器密売を頼みたいのか」 「いえ。ぼくが用があるのは武器なんかじゃない。用があるのはミスター・ガウルン。貴方にですよ」 「さっさと言え。あまり長引かせると、イライラして拳銃の引き金に八つ当たりするかもしれねえぜ」 「では言いましょう。ミスター・ガウルン。貴方にアマルガムに入っていただきたい」 レナードは、ガウルンをアマルガムに勧誘しに来たのだ 「興味ねえな」 「貴方の戦闘能力の高さ、裏社会的地位、性格……ぼくのアマルガムに加わっていただければ、きっと貴方のためにもなり、アマルガムのためにもなる」 「どうやら俺を色々とご熱心に調べたらしいが……調査不足だな。俺は組織に縛られる気はねえ。単独行動派でね」 「そうですね。そういう返答だろうと予想はしてました。ですが、こっちも簡単に引くわけにはいかないんですよ」 「で、どう出るんだい?」 ガウルンは不敵に笑みを浮かべた。対してレナードもまた、冷たい微笑を浮かべていた 「当然――こう出ます」 くい、とあごを小さく前に突き出す。それを合図にして、後ろにいた黒服の男たちが一斉にガウルンに向かっていった 「ククッ。少しは殺り甲斐あるんだろうなあ」 ガウルンはごついナイフを前だめに構え、向かってくる男たちを睨むように観察する 二人が、それぞれガウルンを横から挟むようにして、手にもっていたナイフを振り回した ガウルンはその軌道を完全に読み切って、上半身の動きだけで軽くかわす 避けると同時に、一人の喉元を一撃で突き、もう一人の腕を深く切り裂いた 「へえ……凄い」 その早業に、遠巻きに眺めていたレナードが素直に感心する 「早めに退散することを薦めるぜ。これ以上人手不足になりたくなかったらな」 「ご心配なく。それよりも、気をつけたほうがいいよ」 先ほどの二人が、ガウルンのナイフ攻撃に怯まず、そのまま突進してきた このタフさに、今度はガウルンが驚かされた 腕を切られた方はともかく、もう一人は喉元を一突き。致命傷だったはずだ それが死なないどころか、うずくまることもなく、傷を押さえるでもなく襲い掛かってくるのだ 「ほお……こいつは面白い」 さらにナイフで追撃。傷を増やし、急所を狙っても、それでも男たちは倒れなかった 普通ならとっくに絶命している痛手を、彼らは耐えている 催眠で痛みの感覚を失っていることを知らないガウルンは、相手の異常な体力と耐久力に、逆に興奮を覚えた 「なんだか知らねえが、こいつはいい」 これまでの相手は、ちょっと刺してやっただけで簡単にくたばる。 それほどガウルンの攻撃が正確だったりするのだが、それが返って面白くなかった もっといたぶり殺したいのに、あっさりと終わる。 相手がどんどん弱っていき、傷口が広がっていくのをもっと楽しみたいのに、すぐに死ぬのがほとんどだった それが、こいつらは致命傷を与えても簡単にくたばらない。多少刺しただけでは死なない もっと切りつけてやれる そのことが、ガウルンは嬉しくてたまらなかった 「いいねえ。もっともっと楽しませてくれ。あっさりくたばるんじゃねえぞ」 男の身体が、さらに刃物で切り刻まれていく。 肉体はすでに死んでいるが、それでも彼らは無謀にガウルンに向かっていく それをサンドバッグのようにいたぶっていく まさに『なぶり殺し』がそこにあった 「やるね。ここまで一方的なのは初めてみたよ」 アマルガムの末端員は、攻撃技術が優れているわけではない ただ催眠で力を強化され、耐久力を上げさせられ、痛みを麻痺させられてるだけだ だから数で押し切り、ゾンビのようにやられてもやられても前進して執拗に攻めるのが基本スタイルだった だがガウルンが相手の場合、どれだけ攻撃の手数が多くとも、その全てが見切られていて、かすり傷ひとつ負わせることができない すぐにやられはしないが、倒せもしない状況であった 次第に、ガウルンの一撃が相手を完全に沈黙させた その数がじわじわと増えていく。あとになるにつれて、その傷は凄惨なものとなっていた 「楽しいねえ。もっともっと切り刻ませてくれよ」 完全に、ガウルンは楽しんでいた。 彼にとって、催眠で操られた人々は、他のより少し長持ちする玩具程度なのだ 「調子に乗るなよ」 黒服の一人、さっきからずっと指示を下していた男が声に怒りを滲ませて、一歩進み出た この男が黒服男たちを束ねるリーダーみたいなものだということは、すでに分かっていた 「飛鷲(フェイジュウ)」 「私にやらせて下さい、レナード様」 中国人の飛鷲は、上着を脱いで下の白いワイシャツになった。袖をまくりあげ、殺意を表現する 「少しくらいは、手ごたえがあってほしいねえ」 ガウルンはナイフをひゅんひゅんと手のひらの上で操って、挑発してくる 「腕の一本は覚悟するんだな」 飛鷲は拳法の構えで、自分の距離を取った お互い、一撃目を狙ってじりじりと足場を変え、方向を品定める 先に動いたのは、飛鷲の方だった 手刀を前に突き出し、ガウルンの喉元を狙う それより早くガウルンは身をよじり、ナイフで彼の腕を切りつけた 突き出した飛鷲の腕が、縦に薄く血の線ができる 続いて二撃目。反対の腕で手刀を横薙ぎに振り払う。 ガウルンはすぐに身を引いたが、今度は浅く胸がかすった。胸部分の服が綺麗に切られていた 「やるねえ。拳法使い」 「次は肉を切り裂く」 とんとんと爪先立ちでリズムを取って、次の攻撃動作に移ろうとした その飛鷲のリズムを壊すように、ガウルンが突然踏み込んで、一瞬でその距離を詰める 「――!」 リズムをいきなり崩されて、飛鷲の反応が一歩遅れた その胸に、ガウルンのナイフが突き立てられた。柄まで埋まるほどの深さだった 尋常ならば完全に致命傷。だが、その刃が刺さった瞬間、飛鷲の胸の筋肉が膨れ上がり、内側で凝縮させた ナイフが、筋肉で挟まって抜けない 催眠で痛覚を麻痺させ、かつ筋肉を増幅させた飛鷲ならではの技だ それも、他の催眠で操られた者の筋肉の比ではない。彼はある理由によって、通常以上の筋肉を増幅させることが可能となっていた ナイフを抜かせない内に、飛鷲は太い腕でガウルンを抱え込む。両腕を封じ込める形となった そのままガウルンを身体ごと締めにかかる 「油断してたのかな、ミスター・ガウルン」 レナードが、動けなくなったガウルンの前に進み出て、にっこりと微笑む 「さて、貴方にはこれから、ぼくのためだけに動いてもらおうかな」 レナードの銀色の瞳が、怪しく光る。ガウルンはそれがどういう意味なのかを知らず、無防備にそれを睨みつけていた 「ミスター・ガウルン。貴方はぼくに忠実な人形になってもらうよ。ぼくには一切手出しができず、命令をただ実行する……」 じっくりと暗示を刷り込ませていく。 あのガウルンを、便利な道具にするために。忠実な操り人形にするために。 だが、レナードがガウルンの鼻先にまで顔を近づけたところで、ガウルンが頭を振りかぶり、そのままヘッドバッドを決めた 「――っ!?」 あまりに不意なその頭突きを、レナードはもろに食らった。 鼻が強く押し潰され、血が滲み出る 彼はなにが起きたのか理解できず、鼻を押さえて後退した 「レナード様っ」 飛鷲が心配して叫んだ。 その一瞬、ガウルンを締め付けていた腕がゆるんだ。 ガウルンはそれを見逃さず、隙間を生かして体勢を変え、自分の身体を大きくひねる ガウルンの身体を掴んでいた飛鷲は、それに巻き込まれるように体勢を崩され、コンクリートの地面に倒された 「ぐっ、貴様っ」 すぐに起き上がろうとしたが、その足をガウルンはナイフで切り裂いた 筋肉が裂けて、大量の血が吹き出てくる 「俺に気安く触れるから、そういうことになる」 血のこびりついたナイフをぺろりと舐めとって、ガウルンは怪しく笑った その様は、まさに悪魔だった 「驚いたよ。まさかぼくの催眠術が通用しないなんてね」 レナードは、鼻血をぬぐって、感心した声でつぶやいた そして思い出していた。 ガウルンのことを調べていたとき、色々と面白いことが判明していた その中に、強力な麻薬を用いても、その副作用が彼には効かないというのがあった クスリに惑わされない、すなわちそれほど強力な精神力の持ち主ということだ それはつまり、催眠術にも耐えうるほど強靭な精神力ともいえる しかし、レナードの催眠術までもがここまで効かないほどの精神力というものを、レナードは初めて味わった ミスター・ガウルンは、レナードが思っていたよりもはるかに、興味の惹かれる人物だった 「この野郎、私ならいざしらず、レナード様までもっ」 飛鷲が片方の足だけで立ち上がり、他のアマルガム員に指示を出す 黒服男たちは、ガウルンを八方から囲むように立ち構えた。その手には拳銃が握られている 「待て」 しかし男たちを、レナードが制した 「どうしました、レナード様」 「飛鷲。ミスター・ガウルンを従わせるのはやめた」 「で、ですが……」 いきなりの方針変更に、戸惑う飛鷲。 対してガウルンはふんと鼻を鳴らす。それがさらに飛鷲の怒りを買った 「だめだ、飛鷲。手出しは許さない」 レナードがきっぱり言い放って、飛鷲は下唇を噛んだ 「ふん。勝ち目なくしてさっさと逃げようってか」 「いや、そうじゃない」 ガウルンの言葉に、さらりとレナードは否定する 「貴方を仲間にするのはもういい」 「そうかい」 「その代わり。アマルガムが、貴方の仲間になる」 「……あぁ?」 レナードの発言に、ガウルンは思いっきり眉根を寄せた 「ミスター・ガウルン。貴方がアマルガムを利用したいときに、好きなだけ利用していい。こっちからは何もしないし、何も命令しない」 「れ、レナード様?」 飛鷲が狼狽する。当然だろう。レナードは、当初とはまったく逆のことを言い出したのだから 「ほぉぉ。そいつはありがたいねえ。あんたの組織を好き勝手に使っていいってんだな」 「そうだ」 表情を変えず、レナードが言った ガウルンは、にやにやと笑っていた。が、すぐに中指を立てた 「いらねえよ。足手まといだ」 「貴様ぁっ!」 飛鷲が拳を震わせた 「飛鷲」 だがレナードに冷たくたしなめられて、忌々しそうにその拳を解く 「い、いったいどういうつもりなのです、レナード様っ。あ、あんな奴に力を貸そうだなんて」 「飛鷲。ぼくはね。たしかに最初、彼を無理矢理にでも部下にさせようと思っていた。だけど、今はそんな気はまったく無くなったよ」 「なぜです?」 「彼の力になりたいと、本気で思ったんだ。ぼくはガウルンのために尽くしたい。不思議なことだけど、ぼくは彼に惹かれてしまったようだ」 今までにない、初めての男だった レナードにとって、価値のある人物は父のクライブ・テスタロッサだけだった 他の奴は、ただの操り人形。どう使おうが、どう壊そうが自分の勝手だと思っていた だが、ガウルンだけはあきらかの他のとは違った そして、ガウルンという男の魅力に、一瞬にして虜になってしまっていた 「この気持ちは本当だ。ミスター・ガウルン。ぼくは貴方のために、なんでもしてあげたい」 「…………」 ガウルンは、レナードを観察するかのように、じっと見つめていた 獲物を前に、品定めするかのように 「……ふん」 ガウルンは、ゆっくりとレナードのもとに歩み寄っていく 飛鷲が身構えたが、レナードの命令で動くことは許されていなかった レナードの鼻先まで来たガウルンは、その細いあごを掴むと、くいとこっちを見上げさせた そしてぺろりと舌なめずりして、 「気に入ったぜ。……アマルガムとかいったな。いいだろう、それに入ってやる」 「本当に?」 まるで憧れのアイドルに声をかけられたかのように、レナードは目を輝かせた 「ああ。ただし、さっき言ったように、俺は命令されねえ。勝手にやる。好きなときに、アマルガムを自由に使わせてもらう」 「もちろん、それでいい」 その返事に、ガウルンはいやらしい笑みを浮かべた 飛鷲が、ぎりぎりと歯を噛み鳴らしていた 「あともう一つ。俺がアマルガムに入ってやる代わりに、条件がある」 「なにかな?」 ガウルンは、ちらりと飛鷲や黒服男たちの方を見た 「これから一日に一人、毎日俺とあいつらで殺し合いをさせろ」 その条件に、飛鷲たちは驚いてこっちを見た 「気に入ったぜあいつら。そこらの奴らより、ずっといい殺し合いができそうだ。一人ずつ俺と、どっちかが死ぬまで殺り合うんだ。それが入ってやる条件だ」 「……キチガイめ」 飛鷲が、険しい目で吐いた 「いいよ」 だがレナードが、ガウルンの異常な条件を飲んだ 「決まりだな」 ガウルンが、口の端を吊り上げる これで、ガウルンはアマルガムと組むことが決まってしまった
黒い悪魔と白い悪魔が手を組むという、最悪の日をこの日迎えたのだった |