甦る闇の帝王 4ルーマニア ルムニク・ヴルチャ 一般の航空ではすぐにたどり着けないので、ミスリルの権威を利用し、個人航空をチャーターし、ヴルチャに着いた ルーマニアはあまり裕福な国ではない。そこではのどかな丘が広くのびていた。近くではアルプスの山が長々とそびえている 「一応ルーマニア国の警察の身分証を用意しましたけど、使う機会あるでしょうか。それにルーマニア語は全然話せませんよ」 「飛行機の中で基本的な会話文は覚えたが、本格的な聞き込みをするのは難しいな。とりあえず、写真のところに行ってみよう」
時刻が昼を過ぎた頃に、例のホレズ聖堂の前に着いた 近くに小さな村の集落があった。現地の人にボディランゲージで案内してもらう だがその聖堂は、観光地とされてる割にはやけに静かだった 「これ、勝手に中に入っていいんでしょうか」 「誰もいないみたいだな」 ルーマニアの辞書を併用して、現地の人にその旨を聞いてみた 「ああ。今ホレズ修道院は修復作業期間に入っていて、観光立入禁止になってるんですよ」 修復中で、誰も入れない。つまり、人気はないということだ ますますあの男の好む環境になってるなと思った ついでに、チップを渡して帰す前に、現地の人にこのホレズ修道院のことについて聞いておくことにした すると、なんとも面白い話が聞けた ホレズ修道院の特徴は、十字形に配置された5つの聖堂があるという。 なんとその理由が、交通事故でなくなった人の魂が吸血鬼にならぬように建てているのだという まさかここで吸血鬼というキーワードが自然に聞けるとは思わなかった そこの部分をさらに詳しく聞くと、ルーマニアではいまだに吸血鬼伝説が生きていているらしい まず、吸血鬼が集まって会議を開くといわれる11月30日は家の外に出ないそうだ。 また、人が亡くなると家では40日間明りを絶やさない。これは亡くなって40日間家の周りをさまようので道しるべとしてつけるのだという。 ここまで吸血鬼つながりがあるならば、ジョージの興味を引くのも当然だと思えた しかしもしここに潜んでいたなら皮肉なものだ。 普通、本物のドラキュラであったなら、こんな場所には絶対に近づきもしないだろう だが、ジョージ自体は熱心な信者であり、こういうところにも訪れたことがある つまり彼はドラキュラでありながら、一人のファンとしてドラキュラに関係のあるところならなんでも好むのだ 聖堂もその一つになっているに違いない そして現地の人にチップを追加すると、去り際に妙な忠告をしてきた 「今の時期は、夜に気をつけた方がええ。物騒な噂があるもんでな」 「物騒な噂?」 「なんでも日が昇る前の早朝に、空を舞う人影を見た者がいるそうでな。村の者は吸血鬼だとか騒いでおった。私らも今夜は用心しますで……」 「…………」 現地の人が去ると、二人は顔を見合わせた 「……人影って、ジョージでしょうか」 「噂程度だからどうとも言えんが、ここにいる可能性は高くなったな」
宗介はそのホレズ修道院の敷地内に足を踏み入れた 今は修復作業はしていないようで、本当に誰もいなかった 「ひとつずつ入ってみよう」 まずは、手前の聖堂に入った。 中に明かりはなく、扉を閉めると薄暗くなった 入り口のポーチの右手には、手に修道院の模型を持った王と王妃および11人の子供の絵が描かれている 古臭いが、神秘な空間をかもし出していた 奥に進むと、天井には天使が階段を登る図が描かれている ドラキュラが隠れるにしては、ずいぶんと場違いな場所に思える。だが、逆に捜索されることがなく、絶好の隠れ場所になるのではないかと思えた 「あの。他に応援がいないんですけど。現地の警察は仕方ないとして、ミスリルから戦闘員はよこしてくれないんですか?」 「それは対象者がここにいると確認できてからだ。それは俺たちの仕事だ」 だが妙なことに、自分の中では確信が持てていた。またも独特の勘だったが、それはこう告げていた ドラキュラはここにいる
奥の扉を開けると、その先の天井にはキリストを抱くマリアの絵などが描かれていた 端にはろうそくが装飾として飾られている。火はついていない その時だった。木箱の隅で、影が動いた。とっさに拳銃を引き抜き、用心する 千鳥を後退させ、援護させる。そしてゆっくりと箱の向こうを覗こうとした すると黒い影が、手を広げて襲い掛かってきた。あのときと同じ影だった 銃を撃つが、当たらなかった。 撃ち直そうとしてトリガーを引くが、男の手がそれを強引に振り払った 拳銃が壁に当たり、床に転がる。武器の無くなった宗介の手首を、がっしと掴んできた そしてかっと牙をむき出しにし、噛み付こうとしてくる。だが、後ろにいた千鳥が銃をその腕に向けて二発撃った 二発とも命中し、男の腕から血が噴き出す。だが、男は苦痛に顔をしかめなかった。痛みを感じていないようだった 他の催眠集団みたいに、痛覚神経が麻痺してきているのか。それともこの男の中のドラキュラにまた近づいているということなのか すると千鳥は、低い体勢になって、男の足元をすくい上げた。よろめいて、体勢を崩し、手首を掴む力が弱まった そこをついてすぐに宗介は男から離れ、距離をとった 手首がじんじんと痛み、赤くなっている。折れてしまうかと思った 床にあった拳銃を拾い、男に向ける 「千鳥。眉間を狙え。こいつを撃ち殺すぞ」 「でも……」 「ためらうな。こいつは催眠の被害者じゃない。自分からこうなることを望んだ殺人者だっ」 起き上がろうとする男の眉間を狙って、三発撃った。だが、読まれていたのか男は腕を交差し、額の前に上げて、腕で銃弾を受け止めた 太い筋肉が強力な弾丸を押し止めたのか、貫通はしなかった もうこいつは人間じゃない。人間以上の力を持ったドラキュラなのだ 千鳥が拳銃を構え、心臓を狙い撃つ。だがその前に男は大きく後ろに跳躍し、ドアの影に隠れた 「ちっ。逃がすか」 架空のドラキュラと違って、こいつには弱点が無い。それでいて、人間以上の力を持った男だが、何発も銃弾を撃ち込んでやれば倒せるはずだ 男が逃げこんだ部屋の扉を開け、千鳥と左右に分かれて拳銃を向けた だが、そこに男の姿は無かった。そして先のドアは無い。ここが行き止まりのはずだ すると、ゾクリと嫌な感覚が背中を走った。そしてとっさに宗介は、千鳥を押し倒して、その場を離れた ドオンと轟音がした。伏せたまま目を上げると、さっきまでいたところの床に男が手を突き刺していた こいつ、また天井に張り付いてたのか。ますますドラキュラだな すると男は、二人が落とした拳銃を拾う その拳銃で俺たちを撃つ気かと思ったが、男はその二つの拳銃をリンゴを掴むようにしてぎゅっと握りしめた するとなんということだろう。バキバキと、拳銃が脆い素材でできてたかのように簡単に壊れてしまった 「なんて握力……」 あの腕力で腕を掴まれたら、ほとんどの人は逃れられないだろう 宗介はすぐに千鳥を連れて部屋を出て、さっきの通路に戻った 武器を壊されては、奴と対峙するのは危険だと判断したためだった 「どうするんです」 「奴は催眠によって、全ての感覚が半端ないほどに鋭敏になっている。そこを逆に利用する」 聖堂に乗り込む前に、そのための道具を用意してきたのだ 戦闘服のベルトに巻きつけていた円筒形の筒を取り出し、ピンを抜く 「離れてろ。催涙ガスを投げる」 あそこが密室なのは、かえって都合がいい。 ピンを引き抜き、男の潜んでいる部屋に投げ込み、扉を閉めた。外側からロックできるタイプで、二つの輪に板を通し、塞いでおく そして漏れた時のために、二人はその部屋から充分な距離を取った ガスマスクはないが、緊急強行突破用の催涙弾なので、きっかり十秒で煙は広範囲に行き渡り、消え失せる 頭の中で十秒計って、その部屋に突入した 煙は消えていた。だが、たしかに発煙し、部屋中を覆ったはずだ 「念のため気をつけろよ」 訓練を受けた人間でも、即座に苦しみ、ろくに動けないはずだ。男の場合、鋭敏な感覚がかえって仇となり、すぐにガスが神経を襲うはずだ だが、それ以上に奴は人間以上の耐久力を持つ こっちに銃はない。ありえないとは思うが、もし奴が耐えていたら危険になる しかし、事態はそれ以上に予測不可能なことが起きていた 奴の姿がなかった。どこか見えない死角で倒れている可能性もあるが、そこは視界を阻む物は少なかった。そして見渡す限り、人影というものがなかった まさか、と天井を見上げたが、そこにもいなかった。男の姿は、宗介たちが入ってきた扉以外に出口のない部屋から消えてしまったのだ 「バカな……」 催涙ガスから逃れようと、すぐに脱出を試みたとしても、出入り口はさっき入ってきたところしかない。強引にどこかをひっぺはがしたとしても、その痕跡は残るはずだ 宗介はその部屋をゆっくりと見回した。木の壁が延々と続く その時、ある部分を境に、木目の模様が変わっている箇所があったのに気づいた 「まさか……」 その境目に手をかけて、引き剥がす。それはたやすくぎいっと動いた 「隠し通路……ここにも」 人一人分の通路がここにも隠されていた。奴はここを見つけ、催涙ガスから逃れるために入ったのだ ここからどこかの部屋に繋がっているのだろうか。それとも前の教会のように、通路だけなのだろうか 念のためにと、手榴弾を用意した。これを隠し通路に向けて放り投げ、爆破させて様子を見てみようと思った だが、その動作に生じた隙をついて、中から人影が迫ってきた 暗闇で見えなかった。ガードする間もなく、そのタックルをまともに食らって、後ろの壁に激突する ジョージが暗闇から顔を出してきた。牙をむき出しにし、崩れた宗介の姿を見下ろす その時、横に隠れていた千鳥が、男に向かって板を振り下ろした 男の後頭部に命中し、板が割れる。それなのに、彼はひるみもせずに、ぎろりと後ろを向き、睨んだ 「ひっ……」 その形相は悪の化身、ドラキュラ。鋭い牙が凶悪さをかもし出す ドラキュラそのものに恐怖心を抱いていた千鳥は、がたがたと足を震わせた 「千鳥、伏せろっ」 千鳥は、どさっと尻を床につけた。自分から伏せたのではなく、足腰が立たなくなったようだった。だがそれでよかった 宗介が、床に倒れた体勢から、さっきの手榴弾を投げつけていた 手榴弾は宙を舞い、ジョージに向かっていた だがジョージは、普通の人間ではありえないほどの反射速度で、手刀を横に振って、手榴弾を左横にはじいた 「なっ」 はじかれた手榴弾は、壁際に転がり、そこで爆発した 爆風が聖堂内の埃をぶあっと巻き上げ、突風が宗介たちを襲う 壁が崩れ、穴が空き、すぐ外の空気と日差しが入ってきた なんという反応と、対処の早さだ。不意打ちの形で投げた手榴弾をはじくとは ジョージは、吹っ飛んだ壁には目もくれずに、千鳥に近づいた その視線はあきらかに千鳥の首元に定められている。千鳥の首から肩を噛み千切る気だ 「逃げろっ!」 そう叫んだが、彼女は動かなかった。いや、動けなかった 足腰が抜けたのもあるが、さっきの爆風で、板の破片が千鳥の足に刺さっていて、出血していたのだ 宗介は壁に激突したせいで背中が痛む。すぐに立ち上がることができない。そして、千鳥を助けに走るだけの体力はなかった いつもなら、まだ動けるはずだった。だが、ここ数日の睡眠不足により、体力が残ってなかったのだ 動けない千鳥の腕を、ジョージはがっしと掴んだ そして口を開け、その細い首元に向けて牙を振り下ろそうとする 「千鳥っ!」 だが、ジョージは噛み付かなかった。それどころか、彼は怯えるように後退した そして顔をしかめて、必死に顔を手で押さえている なにがあった? ジョージの怯えた目は、千鳥にではなく、そのまわりに散らばった白い物体に注がれていた それは千鳥が床にへたり込んだ時にポケットから落ちた、いくつかのニンニクだった あの時に購入していたニンニクを持ち込んでいたのか だがなぜ、ニンニクに怯えている? 嗅覚が鋭くなっているので、強烈なニオイを放つニンニクが嫌なのだろうか。だが、さっきまで噛み付こうとしたのを中断するほどとは思えなかった 「来ないでぇっ」 千鳥は、床に転がったニンニクを掴んでは、ジョージに向かって投げつけた その中で、一緒に購入していた十字架のアクセサリーも一緒にまぎれて、ジョージの手の甲に当たった とたん、ジュワッと焦げる音がした。手の甲が、十字架の形のヤケドになっていた それを見て、まさかと気づいた ドラキュラは架空の人物で、実際はただの人間がモデルだった そして架空のドラキュラに仕立てる際に、弱点を設定し、話に面白みを加えただけだ だがこのジョージは、その間違った弱点を信じてたのではないか こいつは、間違ったドラキュラ伝説を本当のことだと思い込んでいたのではないか だから催眠にかけられたことで、本当は違うはずの弱点を思い込みによって、本当の弱点にしてしまったのだ そして話の中での弱点であるニンニクに怯え、十字架に触れたことでヤケドになってしまった あの実験と同じだ。十字架に触れるとヤケドすると思い込むことで、身体がヤケドをするという反応を出してしまうのだ と、なれば。 宗介はゆっくりと身を起こし、重くなった身体を引きずり、苦しむジョージの背後を取った そして首に腕をからめ、そのまま倒れるようにして、ジョージの身体ごと後ろに引っ張った そこは、さっき手榴弾で空けた穴の傍だった。そしてそこの空間には、外からの日光が差していた ジョージの身体がその日光の下に身をさらされた途端、ジュワッと体中が発熱しだした まるで火あぶりにされたように、その皮膚がぷすぷすと焼けただれ、赤く腫れていく そしてジョージは獣の断末魔のような悲鳴を上げて、そのまま意識を失った
気絶させることができたので、地元警察ではなく、ミスリルに引き取りに来てもらうことになった 「それにしても、せっかくの聖堂がボロボロですね」 壁には大穴が空き、銃痕がそこらに残って、板が剥がされている 「修復中でよかったな。ついでに直してもらっておこう」 「そういう問題でしょうか……」 すると、ミスリル関係者がヘリで到着してやってきた。すぐにジョージの身柄を確保し、運んで行く そのあと怪我していた二人を見て、ついでにミスリルの治療室に同乗しますかと言われたが、それを拒否した。千鳥も宗介も怪我は負っていたが、深刻ではなかったし、一晩休んでからにしたいと言った 応急処置を受け、近くのホテルへの車を用意してもらって、ミスリルはヘリで去っていった 都市部のホテルに入って、千鳥はベッドの上にぽふっと座り込んだ 「千鳥。本当に足は大丈夫なのか」 「うん。見た目ほどじゃなくて、軽くかすってただけだから。でも、あの時は怖くて動けなかった」 「危ないところだったな。お前がニンニクを忍ばせておいたことが功を奏したわけだが」 そう言って、宗介はコーヒーをテーブルにコトンと置いた それに千鳥が着眼した 「もしかして、今日も寝ないつもりですか?」 「気にするな」 プシュッとプルタブを開けて、中のコーヒーを口につけようとする だが、千鳥がそれを横から奪った 「……なにをする」 「いい加減にしてください。四日も寝ないつもりですか」 「眠りたくないんだ」 コーヒーを取り返そうとしたが、千鳥はそれをひょいっとかわした 「目に見えてふらついてますよ。さっきの乱闘だって、力が入ってなかったでしょう」 「…………」 別の意味で、女の観察眼は鋭いものだ。宗介はそれを否定することはできなかった 実際、ジョージを目の前にして、ほとんどなにもできなかったに等しい 銃を撃とうとしても、すぐに力が入らず、照準がずれたこともあった 「ほら。ここには寝るためのベッドや枕があるんですから」 千鳥がそう勧めてくるが、それでも眠りたくなかった。疲れていても、それでもあの悪夢を見るよりはずっとマシだったからだ 宗介はさきほどミスリルから新たに支給された銃を引き抜くと、数発、ベッドの枕に向けて撃った 枕に穴が空き、薄い煙が立ち上る 「これで枕は使い物にならなくなった」 「…………」 千鳥は呆れてるだろう。だが、構わなかった そして奥の机に置かれてたコーヒーを取りに行こうとすると、ぐいっと引っ張られた 「おい、なにを……?」 ベッドに引っ張られ、なにをするかと思ったら、千鳥はそのベッドの上に座り、ぽんぽんと自分のひざを叩いた 「枕ですよ。どうぞ」 それを見て、宗介は思いっきり口を引きつらせた 「おい。俺をいくつだと思ってるんだ」 「周りに誰もいなきゃ、関係ないですよ」 「ばかばかしい」 無視してそこを離れようとしたが、またもぐいっと引っ張られた そしてそれに抵抗できる力が無かった。睡眠不足は思った以上に深刻らしく、もはや女の腕力にも劣ってしまっている かなり強引に、宗介の顔が千鳥の膝に埋もれた 柔らかい肌が、その頬に触れる。千鳥の体温が伝わってくるようだった 「眠ってください。もしうなされても、すぐにあたしが起こしてあげますから」 「…………」 不思議なものだ あれだけ眠気を拒んでいたというのに、こうして横になってしまうと、あっという間に眠ってしまいそうだった もう抗う気は失せていた。ただ眠気のままに身を任せたくなった そして宗介は千鳥の膝の上で、目を閉じてしまっていた
その日、なぜか悪夢を見ることはなかった |