白い世界の中で

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白い世界の中で 2


情報担当が、屋敷内の見取り図を持って、戻ってきた

さっきの屋敷の見取り図と同じだが、作戦前とは違って、屋敷内の家具の位置が詳細に書き込まれていた

タンスや本棚、シャンデリアに照明といったものが事細かく、大体の大きさと高さが数字として表示されている

この情報元は、首相夫人だった。家具を購入するのは主に夫人であり、また女性はこういった家具の記憶に鋭いので最適だった

「こういうのでいいですか?」

「ああ。こういう情報が欲しかったんだ」

クルツは、その家具の位置をひとつひとつ確認していく

「しかしルーキー。そんな情報がなんの役に立つってんだ? 狙うのはタンスじゃないんだぜ。犯人だ。動く人間なんだよ」

一番傍にいた隊員が、口を挟む。だが、クルツはそれに答えることなく、ただ黙々と見取り図を眺める

「おい、てめ」

無視されたことに腹を立てたのか、隊員はクルツの肩を掴もうとした

だがそれを隊長が制する。そして口に人差し指を当てて、黙れのジェスチャーをした

「話し掛けても聞こえとらんよ。今ルーキーは、集中してるんだ。あの犯人を射殺するためにな」

「…………」

その時だった。いきなり隊長が、無線傍受している方の耳に手を当てて、戸惑いだした

「どうしたんです、隊長」

「……まずい」

そしてすぐに双眼鏡で、人質のいる部屋を見る。それにつられて、他の隊員達も、ライフルのスコープで見てみた

すると、部屋の中の犯人が電話を床に叩きつけた。顔は見えないが、その振る舞いで怒っていることは見て取れた

「なんだ? 隊長、なにがあったんです?」

「……地元の警察が、首相に話をさせたんだよ。だが首相の失言で、電話の向こうの犯人を怒らせてしまったらしい」

今は、ネゴジエーターが必死になって説得している。あからさまに動揺していて焦っていた

場に緊張が走った。これでは、いつその怒りを人質に向けるか分からない

「事態は急変した。なんとしても今、奴を射殺しないと」

「だけど、奴は顔を出さねえ。狙いようがねえじゃねえか」

犯人の額はまだ視界に入らない。どこまで用心深いのか、怒ってるにもかかわらず、窓の死角で壁を蹴っているだけだ

「クソッ。あれじゃ無理だ」

しかも、彼は怒りを壁にぶつけるだけではあきたらず、人質にそれが向けられようとしていた

「やばいぜ……」

人質は、奥の方に移動されていた。そして人質の長い黒髪を、がっと掴んだのだ

これから乱暴しようとしていた。殴るのか、それともナイフで切るのか、銃殺されるのか。とにかく、人質の危機が訪れていた

犯人は、髪をぐいっと掴み上げて、その首に腕を回した。背後から締めているような格好で、ずるずると部屋の奥へと引っ張っていく

犯人の下半身までもが、窓から消えようとしていた

「畜生、さらに奥へと。あれじゃどうしようもねえ」

ところがその時、クルツはゆっくりとしゃがみ、曲げた膝を台にして、銃を構えた

「おい、ルーキー?」

クルツの動きに、誰もがどよめいた。犯人はさらに見えないところへと移動しているのだ

それなのに、なぜクルツは構えているのだ

「なにしてんだ。あれじゃ狙えない。まさか、適当に撃つんじゃねえだろうな」

だが、その言葉は届いていなかった。彼はすでに白い世界を作り出していた

その目は、ターゲットの部屋しか目に入ってないようだった。そしてまるで洗練されたロボットのような、滑らかな構え。微動だにしないその完璧な姿勢は、一瞬周りの隊員たちに美しいと思わせた

「おい……」

撃つ気だ、と思った。もはや足すらも奥へと消えた犯人を、人質を引きずった状態の犯人を撃つつもりなのだ

そしてクルツは、迷いもなく、引き金を引いた

その銃弾は、人質の部屋の窓枠の金属フレームに当たった。しかし弾丸はさらに軌道を変えて、部屋の奥へと消えていった

すると、地上では悲鳴と驚嘆の声が上がった

部屋の奥から、犯人と思われる者が、どさっと床に倒れてきた

犯人の上半身が横たわって、そして額に穴が空いてるのが見えた。

クルツの銃弾が、一発で犯人の額を仕留め、起爆する間もなく、犯人は倒れたのだ

そして人質の女性は、その犯人の前で、ぺたんと座り込んだ。つまり、無傷だった

隊員たちは、ワッと歓声を上げた。

それが合図だったかのように、地上班も事態を把握し、館内に突入した。といっても、まだトラップは残っているので、慎重に一人ずつだったが。

それを見下ろしながら、隊員の一人は、さっきのクルツの射撃を思い返していた

クルツの銃弾は、犯人が割った窓の枠の金属フレームに当たり、その跳弾で、犯人の額を撃ち抜いたのだ

たしかに正面から犯人を撃つことはできない。だから跳弾によって、一度角度を変えてから狙い撃ったのだ

凄い技術だった。跳弾を計算して狙うのはかなり難しい。一ミリずれただけで、跳弾はまったく違う角度に飛んでいってしまう

こんな高等技術を、この局面でやり遂げてみせるとは。

だがそれだけではない。

跳弾で犯人は狙えても、肝心の犯人の額の位置が分からないと、そっちは狙いようが無い

そこで、倒れてる犯人の遺体からわずかに伸びた影を見て、はっとした

もしやこのクルツという男は、あの影を見たのだろうか。

さっき、見取り図に詳細な家具の位置を書き込ませたのは、照明の位置を把握するためだったのではないか

あの部屋の照明の位置と高さ。その障害となる家具の位置。

そして部屋の中で伸びた犯人と人質の影の大きさと角度を計算し、犯人の位置と人質の位置を知ったというのだろうか

部屋の照明によって伸びた人影で犯人の額の位置を割り出し、跳弾によって狙い撃った

そう。こいつは、狙ったのだ。たったあの一瞬でそれをやり遂げてみせたのだ。

あの目と自信。それが隊員たちに確信させていた

(なんてやつだ)

ここにいる隊員達だって、選び抜かれた狙撃の天才たちなのだ

だが目の前のクルツという男は、その次元すらも超えた狙撃の才能を持っているというのか

最初から狙撃の才能があったわけじゃない。ある程度の才能と、驚異的な身体能力。そして長年の積み重ねてきた経験を磨いて、腕を上げていったのだ

しかしクルツはそれをあっという間に追い越してしまっていた。

真の、狙撃の天才なのだ

隊長もまた、それを実感していた

(恐るべきルーキーだな)



するとなぜか、屋敷のほうから悲鳴が上がった

それはさっきの狙撃現場だった。なんだ、とみんなが注目した

すると、突入したはずの警官達が、じりじりと後退していた。人質はまだ救出していないらしい

「なにしてんだ?」

事態が飲み込めない。事件はまだ終わってないというのか

犯人は、確かに単独犯だったはずだ。

すると、それを見届けてるうちに、誰もがその光景に目を疑った

警官達が外に出て、そのあとに出てきたのは、銃を装備した女性だった。それは、さっきまで人質に取られていたはずの、首相の娘だった

人質のはずのその女性は、銃を救出しに来たはずの警官たちに向けている

「どうなってんだよ」

クルツが、その状況に眉をひそめ、隊長に聞いた

隊員達も、この展開には戸惑い、ワケが分からないようだった

すると、人質のはずの首相の娘が、警官たちに向かって叫んでいた

「殺してやる! よくも撃ち殺したな……殺してやるっ」

そして泣きながら、犯人が持っていたと思われる銃を警官や、野次馬たちに向けていた

なぜか死んだ犯人のために涙を流し、助けに来たはずの警官達を罵倒しているのだ

「やはり、捕まってた時間が長すぎたんだ」

隊長が、苦渋顔でぽつりと言った

「どういうことなんだ?」

「ストックホルム症候群だ」

その言葉を、どこかで聞いたことあるような気がした

「誘拐や監禁でよく起こる症状だ。人質が、犯人に連帯感や好意を持ってしまうんだ」

「はあ?」

「これは犯人と人質が接触する時間が長いほど、よくかかることでな」

「なんだって、そんなことに?」

「ああいう環境に取られると、犯人は人質とコミュニケーションが取れてしまう。そして誘拐や監禁など、特殊な状態に陥った時、奇妙な現象が起きるんだ」

それは実に理解しがたいことだった

「人質は、とにかく生き延びたがる。そのため、コミュニケーションが取れる状態にあると、犯人に気に入られて、とにかく生きたい。犯人と会話してるほうが、恐怖を紛らわせれるといった理由で話してしまう」

たしかに、人は死が迫ると、その場でできることをとにかく試みたがる。体裁は関係なくなる

「犯人側も、グチをこぼしたり、自分がなぜこういう犯行に及んだかの背景を語りたがる。そうすると、人質は犯人に対して、同情したり共感を覚えてしまうんだ」

「まさか……」

「これは実際によくあることなんだ。被害者が犯人をかばったり、被害者が犯人と結婚してしまったりすることが現実にあるんだよ」

「それじゃ、あの人質の首相の娘は、自分を誘拐した犯人に好意とかを持ってしまい、犯人が撃ち殺されたことで怒ってるってのか?」

「そういうことだ」

「そんなワケのわからんことがあるってのか。せっかく助けたってのに、その人質に恨まれるってのかよ」

「理不尽だろうが、実際にそれが目の前で行なわれてるんだ」

「くっ」

すると、向こうで銃声が聞こえた

確認すると、あの人質の娘が銃を警官や野次馬たちに向けて発砲している。

幸い、撃ったことがないためか、銃弾は見当違いのところに飛んでいく。まだ誰も撃たれてないようだった

だが、いつ誰が撃たれてしまうとも限らない。事態は急変した

「いかん。このままでは、周りに被害が……」

至急、隊長は本部と連絡を取り、指示を仰いだ

そして指示を受けた隊長は、眉根をひそめて、うつむいていた

「隊長!」

「……やむを得ない。被害を最小限に抑えるために、銃を乱射してる本人を射殺する」

隊長の言葉に、クルツは目をむいた

「どういうことだよ、隊長!」

「仕方ない。このままでは余計な被害が増えるばかりだ。それにこれは本部からの指示でもある」

「ふざけんなよっ。オレたちは、あの娘を助け出すためにここにきたんだぞっ」

「だが、その娘が銃を乱射し、周りの人を撃ち殺そうとしてるんだぞっ。それを見過ごすのか」

「ぐっ」

言葉に詰まった。だがそれでも、クルツは首を横に振った

「馬鹿げてるぜ。犯人を撃った次は、人質を射殺しろだ? それじゃオレたちは、何のためのスナイパーなんだっ」

「人々の安全を守るためだ。今、その人々の命を脅かしてるのは、あの娘なんだっ」

すると、状況がさらに悪くなっていた。射撃の経験がないとはいえ、乱射したその銃弾は、警官や周囲の人々の腕や足に命中していく

まだ急所をやられた者はいないが、これでは時間の問題だった

相変わらず彼女は泣きながら、狂ったように銃を撃ち続けている

「決断しろ、クルツ。スナイパーは、感情を持っちゃいけない。これは命令なんだ」

隊長が、険しい目でクルツに詰めてきた

感情を殺せないようでは、どれだけ才能を持っていたとしても、スナイパーとしては通用しない

スナイパーは、任務を遂行するために、己を殺さなければならないのだ

だがクルツは、まだ迷いがあった。すぐにうなずくことはできず、葛藤していた。銃を持つ手が震えていた

「オレはなんのために……」

それを見て隊長は軽く首を振った。

ダメだ。こいつは、感情を出しすぎる。この男には、あの人質は撃ち殺せない

「お前ができないなら、俺がやるっ」

クルツの決断をじっと待つ時間などないのだ。隊長は銃を構えた

すると、その銃身をぐいっと横に押しのけられた。クルツだった

「どけ、クルツ。見てられないなら向こうを向け」

だが、クルツは首を横に振った

「……オレがやる」

そして隊長の横に並んで、銃を構えた

だが、とてもあの娘を撃ち殺す決断ができたようには思えなかった。彼の目は、まだ守る目だったのだ

それを感じ取っていたのか、クルツは自分から言い出した

「あの娘は殺さない。あの娘の銃を撃ち落とす」

それを聞いて、周りの隊員達もその手があったか、と思った

たしかにクルツならば、銃だけを撃ち落とすのは容易なことに違いない

だが、それで解決と思われた矢先、さらに事態が最悪な方向へと進んでいた

人質だった首相の娘は、銃を撃つのを止めていた。その代わり、犯人が持っていたと思われる手榴弾を手に持っていた

「やべえ。手榴弾だ!」

銃と違って、手榴弾は撃ち落せない。それどころか、爆発して人質の娘と周囲を巻き込んでしまう

そうなると、必然的に、残された道は彼女を撃つことだった

「クルツ。お前には無理だ。やはり俺が……」

隊長が言ったが、クルツは銃の構えを解かなかった

「クルツ?」

まだクルツはなにかを狙っていた。それとも、彼女を撃ち殺す決心がついたというのだろうか

だが、なかなか引き金を引かない

向こうでは、今にも彼女が手榴弾のピンを引き抜いて周囲の人々に投げつけそうだった

手榴弾のピンの輪に手をかけたまま、周囲の警官達と睨み合っている

「どうしたクルツ」

まだクルツは撃たない。やはり無理だ、と横で隊長が構えた

「撃つな!」

銃を構えたまま、クルツは続けた

「オレに任せてくれ。もう少しなんだ」

やはりこいつはなにかを狙っている。だがその狙いがなんなのか分からない

その言葉を信じていいのかどうか、隊長は迷った

「おいっ、やばいぜ!」

首相の娘が、ピンの輪に引っ掛けた指に力を入れ、引き抜こうとした

次の瞬間、クルツの銃口が火を拭いた

その銃弾は、一直線に、その娘の指をかけた手榴弾のピンの棒を撃ち抜いた

ピンが折れ、手榴弾がその娘の手から離れて、周囲の人たちに向かって地面を転がった

誰もが伏せて、耳を塞ぐ。

だが、地面に横たわった手榴弾は、爆発しなかった

それが分かると、すぐに周囲の警官達は彼女を取り押さえた。

彼女は泣き喚きながら抵抗したが、なし崩しに飛び掛ってくる警官の前に、大人しくなった

それがわかると、わあっと隊員たちが今度こそ歓声を上げた

彼女には一切の傷は無かったし、結局彼女による乱射で命を落とす者はいなかった

腕や足を撃たれた者はすぐに救急車に載せられて病院に運ばれていく



隊長は、回収された手榴弾を見て、クルツがなにをやったのか、ようやく把握した。それはとんでもないことだった

手榴弾のピンの棒が、ギリギリのところで折られて、残っていたのだ

手榴弾は、ピンを引き抜かない限り、爆発はしない。そしてクルツがすぐに撃たなかったのは、彼女の指を撃たない為だった

すぐに撃てば、ピンの長さは短く、弾丸の太さからどうしても娘の引っ掛けてる指にも当たってしまう

だから引き抜こうとして、ピンの棒が長くなり、長さに余裕ができる瞬間を狙ったのだ

完全に引き抜かれず、なおかつ彼女の指との距離が出来るほんの一瞬を狙って、クルツはピンの棒を撃ち折った

こんな芸当は、白い世界を引き出せる彼にだからこそできたことだった

(恐ろしい奴だ。あくまでも彼女を撃たず、そして解決してみせた)

もはや白い世界を自在に引き出すことは疑いの無いことだった。そして彼は、間違いなくミスリルの最高のスナイパーになるだろう

だが、と一抹の不安を感じてしまう

クルツは、スナイパーとしては致命的なほどに、感情を出しすぎる。

今回は良い結果で解決できたが、これからもそうそう上手く行くとは限らないのだ

(感情まみれのスナイパーか。それがいつか彼を苦しめることにならなければいいが)



ミスリルたちも、撤収を始めた。こちらの存在を知られてはならない。

すぐに姿を消すために、それぞれが後片付けを始める

そしてクルツがヘリに乗り込もうとする時、隊長はクルツの背中を叩いた

「よくやったぞ、クルツ」

その時、クルツは初めてルーキーと呼ばれなくなっていたことに気づいた

「さすがだぜ、クルツ」

「見直したぞ、クルツ」

隊員たちが、続くようにそう言って、ばしばしと叩く

「痛えな。ったくよお」

だが、背中をさするクルツは、まんざらでもなさそうだった




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